学位論文要旨



No 126143
著者(漢字) ,征幸
著者(英字)
著者(カナ) ヒダカ,マサユキ
標題(和) 放射線高感受性突然変異メダカric1胚由来細胞を用いたDNA損傷応答に関する研究
標題(洋)
報告番号 126143
報告番号 甲26143
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第560号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三谷,啓志
 国立がんセンター 客員教授 江角,浩安
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 准教授 松本,直樹
 東京大学 講師 尾田,正二
内容要旨 要旨を表示する

序論

DNAは細胞外の様々な刺激により常に損傷を受け、それらの損傷は癌化や老化につながる。DNA損傷の中で、DNA二本鎖切断(DNA double-strand breaks: DSBs)は最も重篤な損傷であり、すばやく損傷を認識し、修復されることが必要である。

DSBsは、細胞周期チェックポイントを活性化させ、また、主に二つの機構(NHEJ: non-homologous end joining、HR: homologous recombination)によって修復される。修復が不可能であったり、正確に修復されなかったりした場合、アポトーシスが誘導され細胞は死に至る。DSBsが生じると、ヒストンH2AのバリアントであるH2AXのSer139がリン酸化され(γH2AX)、γH2AXはDNA修復に重要であることが知られている。また、アポトーシスにおけるDNA断片化の際にも、H2AXはリン酸化を受け、さらに、DNA損傷時における細胞の応答を制御するMDC1に結合することが知られている。MDC1はATMを損傷部位に集め、損傷のシグナルを増幅する。シグナルはp53を介してアポトーシスや細胞周期チェックポイントに伝達される。DNA修復、アポトーシス、細胞周期チェックポイントの分子機構はこれまで詳細に解析が行われてきた。しかし、in vivoにおいてこれらのDNA損傷応答がどのように制御を受けているのか、まだ十分には理解されていない。

メダカ(Oryzias latipes)は、形態学的、生理学的に哺乳類と共通の体制を有し、卵と胚が透明であり、初期胚の発生過程を観察することが出来るという利点から、モデル生物として広く一般的に使われてきた。ENU(N-ethyl-N-nitrosourea)による突然変異集団の中から選別された放射線に高感受性を示す突然変異メダカric(radiation induced curly tailed malformation 1)の一つであるric1のホモ接合体は、初期原腸胚へのγ線照射によって孵化率が低下し、高い奇形率を示す。さらに、ric1の初期原腸胚は、γ線誘発のDSBsの修復において欠損を有することが明らかにされている。ric1がDNA損傷応答を解析するモデル生物として利用可能となるために、細胞死やDNAチェックポイントなどのDNA損傷応答をin vitroにおいて野生型細胞と比較することが必要である。本研究では、DNA損傷応答に対するric1の特性を明らかにするために、ric1初期胚由来の培養細胞を樹立し、培養細胞に対するγ線照射によって生じたDSBsの修復、γ線誘発の細胞死、細胞分裂の停止、H2AXのリン酸化を解析した。また、p53-/-細胞とATM-/-細胞を用いてric1遺伝子との関与を解析した。

結果

1. DSBs修復の解析

RIC1細胞のDSBs修復能力を、コメットアッセイ法を用いて解析した(図1)。一細胞のDNAをゲル上で電気泳動させた際、DNAが流れた度合いを示したTM値(Tail Moment)を用いて、DSBsの修復度合いを評価した。γ線15 Gy照射直後のTM値から、野生型細胞(OLCAB-e3、OLHdrR-e3)とRIC1細胞(RIC1-e9、RIC1e42、RIC1-e43)に、同程度のDSBsが生じていることがわかった。γ線照射1時間後、野生型細胞は大部分のDSBsが修復されたのに対し、RIC1細胞においてはわずかしかDSBsが修復されなかった。しかし、照射4時間後における野生型細胞とRIC1細胞のTM値の差は、照射1、2時間後の差と比較して小さく、RIC1細胞においてDSBsが修復されていることが明らかとなった。これらの結果から、RIC1細胞は、γ線照射後、早期のDSBs修復に欠損があり、野生型と比較してDSBsの修復が遅延することが明らかとなった。

2. 細胞死

RIC1細胞におけるγ線誘発の細胞死を解析するため、細胞の形態変化を継時的に観察した。野生型細胞は、γ線10 Gy照射4時間後から細胞が萎縮してディッシュ底面からはがれ、細胞膜がブレビングを起こした後に細胞質が断片化し、アポトーシス小体を形成する細胞死を引き起こし始めた(図2 A)。この典型的なアポトーシスにおける形態変化は、1時間以内に完了した。非照射の野生型細胞では、このような細胞死は見られなかった。γ線10 Gy照射後24時間以内に約30%の野生型細胞が細胞死を引き起こし、照射後4時間から12時間の間に起こる細胞死の頻度が最も高かった(図2 B)。γ線照射後、RIC1細胞においてもdish底面からはがれる細胞が見られたが、細胞膜がブレビングを起こした後、細胞質の断片化が見られなかった。それらの細胞は、細胞質を断片化させる代わりに、細胞膜が透過し、ネクローシス様の形態変化を示した。γ線10 Gy照射後、約10%のRIC1細胞が、このような形態変化を示す細胞死を引き起こした。

3. 細胞分裂の停止

γ線はG2/M期チェックポイントを誘導し、細胞分裂を停止させることが知られている。Time-lapse撮影による顕微鏡観察によって、RIC1細胞におけるγ線誘発の細胞分裂の停止を解析した。γ線照射直後に、全ての野生型細胞とRIC1細胞において細胞分裂の停止が見られた(図3)。野生型細胞であるOLCAB-e3、OLHdrR-e3、およびRIC1-e9細胞はγ線照射から16-20時間まで、ほとんどの細胞が分裂を停止した。一方、RIC1-e42、RIC1-e43細胞はγ線照射後8-12時間に細胞分裂を再開した。

4. γH2AXフォーカス形成

免疫組織化学染色法によってγ線照射後のγH2AXのフォーカス形成を解析した。γ線照射15分後、RIC1細胞は野生型細胞と同様にγH2AXのフォーカスを形成した(図2 A)。しかし、RIC1-e42とRIC1e43のフォーカス数は、野生型と比較して少数だった(図2 B)。コメットアッセイによりRIC1細胞は、γ線照射後1時間以内にはほとんどのDSBsを修復できないことが示されたが、野生型と同様に半分以上のγH2AXのフォーカスが1時間以内に消失した。さらに、野生型細胞の場合、γ線照射6時間後にフォーカスが残っていたのに対し、RIC1細胞のフォーカスはほとんど消失した。

5. p53とATM遺伝子ノックアウトメダカ初期胚由来細胞におけるγ線誘発の細胞死と細胞分裂停止

p53ノックアウトメダカはENUによる突然変異集団の中から選別された(Taniguchi et al.)。ATMノックアウトメダカはTILLING(Targeting Induced Local Lesions In Genomes)法によって作出された(大阪大学 藤堂剛教授より譲渡)。p53とATMのノックアウトメダカの、それぞれの初期胚から樹立した培養細胞に対してγ線10 Gyを照射し、細胞死と細胞分裂を顕微鏡観察により解析した。p53-/-細胞(p53-186 e2)は細胞分裂の停止が見られたものの、早期に細胞分裂の再開が見られた。照射後24時間以内に細胞死を起こした数は1割程度であった(図5 A, B)。この結果はRIC1細胞の結果と同程度であった。それに対し、ATM-/-細胞(ATM mut29)はRIC細胞やp53-/-細胞と同様に細胞死の数は低かったが、細胞分裂の停止は見られなかった。p53-/-細胞は、野生型細胞に見られた細胞質断片化を伴う細胞死を起こしたのに対し、ATM-/-細胞はRIC1細胞に見られた形態変化を示す細胞死を起こした。

6. ATMフォーカス形成

γ線50 Gy照射6時間後のATMのフォーカスを免疫組織化学的手法により解析した。γ線50 Gy照射6時間後に、野生型細胞、RIC1細胞の両方にATMのフォーカスが形成され残っていることが明らかとなった(図6)。また、p53-/-細胞内においてもATMのフォーカスが残っていたのに対し、ATM-/-細胞ではフォーカスが見られないことが示された。

結論

p53-/-細胞とATM-/-細胞に対するγ線照射によって誘発された細胞死は、RIC1細胞の場合と同じ程度まで低下した。このことから、RIC1細胞で見られた細胞死はp53を介さない細胞死であることが予測される。また、RIC1細胞内ではATMのフォーカス形成が見られ、またATM-/-細胞ではγ線誘発による細胞分裂停止がみられないことから、RIC1細胞内ではATMが活性化していることが強く示唆された。また、p53-/-細胞ではRIC1と同様にγ線照射によって細胞分裂の停止が見られ、細胞分裂停止が早期に解除された。これらの結果から、ric1遺伝子はp53を介した細胞死、細胞周期チェックポイントにおいて機能していることが示唆された。しかし、RIC1細胞とp53-/-細胞は細胞質断片化を伴う細胞死を示したのに対して、RIC1細胞は細胞死の際に断片化を伴わなかった。アポトーシスの際、細胞質断片化を起こすのにric1遺伝子が必要であることが示唆された。

(図1)メダカ細胞におけるDSBsの修復

(図2)γ線誘発の細胞死

(図3)γ線照射後の細胞分裂頻度

(図4)メダカ細胞におけるリン酸化H2AXのフォーカス形成

(図5)p53-/-細胞、ATM-/-細胞における細胞分裂と細胞死

(図6)メダカ細胞におけるリン酸化ATMのフォーカス形成

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなり、第1章はric1初期胚由来細胞におけるDNA損傷応答の解析、第2章はATM-/-細胞とp53-/-細胞を用いたDNA損傷応答の解析、第3章はric1候補遺伝子PES1の発現解析と遺伝子配列解析について述べられている。メダカの培養細胞は、薬剤やウイルスによる形質転換を経ずに半永久的に培養することが可能である。そのため、メダカの培養細胞を用いた実験系は、in vivoにおけるDNA損傷応答の基礎実験を行うのに適している。メダカ胚由来培養細胞に見られるγ線誘発のDNA損傷応答を、RIC1細胞とATM-/-細胞、あるいはp53-/-細胞と比較した結果、ric1メダカでは、DNA損傷後の初期応答に異常が見られ、その結果、細胞周期チェックポイント、DNA修復、アポトーシスにも異常が見られたことを示した。

本論文の第1章では、γ線誘発のDNA損傷応答を野生型細胞CAB-e3、およびHdrR-e3と、RIC1細胞を比較して、RIC1細胞に見られるDNA損傷応答の異常を明らかにした。申請者は、time-lapse撮影によりγ線を照射した細胞を細胞単位で継時的に観察する実験形を樹立し、アポトーシスと細胞分裂の停止を定量的に解析することに成功した。DNA修復をコメットアッセイ法により、アポトーシスと細胞周期チェックポイントの定量化をtime-lapse撮影による顕微鏡観察により解析した結果、RIC1細胞は、DNA修復、アポトーシスといった複数のゲノム維持機構に異常を示すことが明らかになり、RIC1細胞においてDNA損傷後の初期応答に異常があることが予測された。γ線誘発のDSB生成直後に見られるリン酸化ヒストンH2AX(γH2AX)のフォーカス形成を、免疫組織化学染色法により解析した結果、RIC1細胞はγH2AXのフォーカスを形成するが、フォーカスの数が少ない傾向が見られ、かつ、野生型細胞よりも早期にフォーカスが消失することが明らかになった。RIC1細胞のDNA損傷応答においては、γH2AXのフォーカス形成が維持されないために、細胞周期チェックポイント、DNA修復、アポトーシスに異常が見られることが示唆され、DNA損傷応答の初期のシグナル伝達経路において、ric1がγH2AXのフォーカス維持に影響を与えている可能性が示唆された。

本論文の第2章では、DNA損傷後の初期応答においてゲノム維持機構にシグナルを伝達する中心的なタンパク質であるATM、あるいはp53を欠損したメダカ胚由来の培養細胞を用いて、DNA損傷応答の解析を行い、RIC1細胞の結果と比較した。解析の結果、RIC1細胞にATMの活性の異常は見られなかった。一方、p53-/-細胞に見られたDNA損傷応答の特徴は、RIC1細胞と非常に似ていて、DNA修復の異常、アポトーシス抵抗性、細胞分裂停止後の早期の分裂再開、γH2AXの早期消失が見られた。RIC1細胞とp53-/-細胞の両方において、DNA損傷応答のごく初期のシグナル伝達経路において見られるγH2AXのフォーカス形成に異常が見られ、また、ゲノム維持機構に見られた異常が非常に似ていたことから、ric1はp53と共通のシグナル伝達経路においてγH2AXのフォーカス維持に寄与し、DSBs損傷部位に集積するDNA損傷応答タンパク質を介した、ゲノム維持機構へのシグナルの伝達に影響を与えていることが強く示唆された。

本論文の第3章では、RIC1細胞を用いたDNA損傷応答の解析結果を基にして、ric1候補遺伝子を選別し、発現解析と遺伝子配列解析を行った。ric1は損傷部位においてγH2AXのフォーカスの維持に影響を与えていることが示唆されたことから、DNA損傷応答においてタンパク質が損傷部位に結合するためのドメインであるBRCTを持つPES1を選別した。RIC1細胞のPES1のcDNA配列をシーケンスにより解読した結果、アミノ置換を伴う一塩基対の変異があることが明らかとなった。

これらの研究成果は2つの重要な側面を持つ。一つは、ric1がゲノム安定性のために重要であるp53と共通の経路で機能し、ric1メダカがDNA損傷応答の解析を行うモデルとして有用であることを示したことである。もう一つは、アポトーシスや細胞周期チェックポイントといったDNA損傷応答を、分子の動きではなく細胞の形態変化による現象として、一細胞レベルで定量化することに成功したことである。

なお、本論文第1章はOda S.、Kuwahara Y.、 Fukumoto M.、 Mitani H.との共同研究でJournal of Radiation Research誌に公表済みであり、論文提出者が筆頭著者として主体となって解析、および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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