学位論文要旨



No 126147
著者(漢字) 厚海,奈穂
著者(英字)
著者(カナ) アツミ,ナホ
標題(和) 新規ヒト扁平上皮癌幹細胞マーカーPodoplaninは腫瘍形成と薬剤耐性に寄与する
標題(洋) Podoplanin, a novel marker of tumor-initiating cells of human squamous cell carcinoma, contributes to tumorigenicity and drug resistance.
報告番号 126147
報告番号 甲26147
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第564号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 落合,淳志
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 教授 山本,一夫
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 准教授 久垣,辰博
内容要旨 要旨を表示する

序論

がん幹細胞は、がん細胞の中でも特に高い腫瘍形成能を有し、がんの増殖や維持に必要な細胞と定義される。従来の抗がん剤は、非選択的にがん細胞全体を標的としてきたため、大多数のがん細胞が手術や薬剤により除去されても、がん幹細胞が残存する限り、これを起点としてがんが再発、増殖してしまう。さらに、多くのがん幹細胞は既存の抗がん剤に耐性であり、がん幹細胞特異的な新たな治療が望まれる。がん幹細胞は、分裂機構や遺伝子発現に関して正常幹細胞と類似していることから、その未分化な状態や自己複製も、正常の幹細胞と同様に維持されていると考えられている。すなわち、正常幹細胞が、ニッチという微小環境によって分化刺激から保護されるのと同様、がん幹細胞にもニッチが存在すると考えられている。ニッチを攻撃することで、がん幹細胞が維持されないようにすることが、がん幹細胞を標的とした治療に加えて効果的な治療法となり得る。しかし、癌幹細胞の未分化状態と高い腫瘍形成能とを維持するニッチは、固形癌においては十分に解明されていない。癌幹細胞が同定されたにも関わらず、ニッチ解明に至らない理由として、マーカー陽性の癌幹細胞と陰性の非癌幹細胞とに、組織上/形態学上の違いが認められない点が挙げられる。ニッチの形成あるいは阻害を試みても、癌幹細胞の未分化な状態が維持されたか否かを組織型から評価する実験系が組めないからである。そこで、癌幹細胞ニッチを解明しうる固形癌を研究対象とした。その癌幹細胞集団とニッチの同定を目指して、まずは癌幹細胞の同定およびその機能解析を行うことを本研究の目的とした。

結果と考察

1. 癌幹細胞マーカー候補のスクリーニング

研究対象として分化型扁平上皮癌を選択した。この癌は癌胞巣を形成し、胞巣の辺縁から中央に向かって角化 (分化) が進行する (図 1B) という特徴的な組織像を呈する。すなわち、未分化な細胞から分化した細胞まで、分化段階の異なる不均一な癌細胞集団から成る。一方、正常上皮幹細胞は基底層に存在し、体表への移動に従って角化 (分化) が進む (図 1A) 。癌胞巣辺縁の細胞は、核/細胞質比が大きいという形態や CK5/14 などのタンパク発現が正常上皮幹細胞と共通している。加えて、両組織では共通して、角化に伴い核/細胞質比が減少する。この両組織の形態と性質の類似性から、分化型扁平上皮癌の癌胞巣辺縁細胞に癌幹細胞が含まれるという仮説を立てた。そこで、肺扁平上皮癌外科手術材料 136 症例から作製した組織マイクロアレイを用いた免疫染色により、癌胞巣辺縁選択的に陽性となる分子の探索を行い、 podoplanin (PDPN) を見出した (図 1C)。 PDPN はヒト扁平上皮癌培養細胞株 A431 全細胞中の 38.3 ± 13.0 % に限局した発現が見られた。従って、癌細胞集団中の一部に含まれる癌幹細胞を分取するマーカーとしては適切だと考えられた。これより、 PDPN が in vivo (癌組織内)、 in vitro (A431 細胞) 両方において有用な、癌幹細胞マーカー候補であると考えた。

2. PDPN の癌幹細胞マーカーとしての妥当性の検討

(1) in vitro ― PDPN+ は PDPN+ と PDPN- を産生し、高いコロニー形成能と薬剤耐性を示した。

PDPN が癌幹細胞マーカー候補であると考え、 PDPN+ が、癌幹細胞の定義を満たすか検討した。ソーティングした A431 の PDPN+ 細胞 (以下、 PDPN+) を in vitro で培養すると、その PDPN 陽性率は、ソーティング直後に比べて減少していった (図2A)。これより、 PDPN+ は PDPN+ と PDPN- 細胞 (以下、PDPN-) を産生することが示唆された。一方、同様の検討で、 PDPN- からは PDPN- しか産生されなかった (図2A)。これらは、がん幹細胞の概念上の性質である、不均等分裂能および自己複製能と一致する結果であった。 PDPN+ は PDPN- よりも高いコロニー形成能を示した (図2B)。これも、自己複製の結果だとして他の種類のがん幹細胞で報告されている性質である。さらに、 PDPN+ は、 doxorubicin を添加した際に、 PDPN- よりも多数の細胞が生存していて、 doxorubicin への高い耐性を示すことがわかった (図2C)。

(2) in vivo ― PDPN+ は高い腫瘍形成能を有し、ヒト分化型扁平上皮癌を再構築した。

PDPN+ と PDPN- とをフローサイトメトリーにより単離し、免疫不全マウス皮下に移植した。PDPN+ は104個で腫瘍を作ることが出来たのに対して、ソーティングしない細胞は105個、PDPN- は106個必要であった (図 3A)。また、同数の細胞 (104個) を移植した際に、 PDPN- は腫瘍を形成せず、 PDPN+ 由来の腫瘍はソーティングしない元の A431 細胞由来のものに比べて腫瘍体積が高かった (図3B)。

これらの結果から PDPN+ は高い腫瘍形成能を有することが示された。さらに、 PDPN+ は分化を伴った移植腫瘍を形成した。このことから、 PDPN+ は自己複製および、より分化した細胞の産生によって元の腫瘍を再構築することが示された。続いて、腫瘍形成能および再構築能を、マウス尾静注による肺の癌胞巣形成モデルを用いても検討した。肺組織切片を用いて計測すると、同数の細胞を尾静注した際に、 PDPN+ のほうが PDPN- よりも多数の癌胞巣を形成した (図3C)。また、肺組織あたりのヒト癌細胞数を反映する値として、定量 RT-PCR により hGAPDH mRNA / mGapdh mRNA 値を算出したところ、 PDPN+ のほうが高値を示す傾向にあった (図 3D)。これらの結果より、マウス尾静注モデルにおいても、 PDPN+ の高い腫瘍形成能が示された。PDPN+ の腫瘍形成能の機構を探るために、他の種類の癌幹細胞で高発現の報告がある遺伝子発現を検討したところ、 PDPN+ は Sonic Hedgehog (SHH) を選択的に発現していた (図 3E)。SHH は癌の原因遺伝子としても知られていて、 A431 を含めた扁平上皮癌培養細胞の増殖に寄与するので、 SHH 発現が PDPN+ の腫瘍形成能の原因である可能性が示唆された。

3. PDPN が癌幹細胞の機能を調節するかの検討― PDPN ノックダウンにより、腫瘍形成能と薬剤耐性が抑制された。

PDPN が腫瘍形成に働く機能分子であるのか、あるいは高腫瘍形成能を有する細胞に発現するマーカー分子にすぎないのかが不明であった。そこで、 PDPN を shRNA によりノックダウンした。免疫不全マウス皮下に移植したところ、 PDPN ノックダウンにより腫瘍形成が抑制された。さらに、マウス尾静注モデルにおいても、 PDPN ノックダウンによる腫瘍形成の抑制が確認された。また、 PDPN ノックダウンにより、 doxorubicin への耐性も抑制された。以上の結果から、 PDPN は A431 PDPN+ の腫瘍形成および薬剤耐性において機能を担うことが示唆された。

4. PDPN+ / PDPN- A431 細胞および、 A431 マウス移植腫瘍の癌胞巣辺縁 / 非辺縁細胞の網羅的遺伝子発現解析― PDPN+ と移植腫瘍胞巣辺縁 PDPN 陽性細胞は、遺伝子発現パターンが類似していた。

PDPN が、癌胞巣辺縁を認識するのに最適であるかを検討するために、肺扁平上皮癌外科手術材料 162 症例を用いて、 PDPN と、近年報告された癌組織内扁平上皮癌幹細胞マーカーである CD44、 p63 の発現パターンを比較した。その結果、 PDPN が最も癌胞巣辺縁選択的に陽性になることを確認した。A431 移植腫瘍の癌胞巣辺縁細胞と、非辺縁細胞とをレーザーキャプチャーマイクロダイセクション (LCM) により分取して、その遺伝子発現の網羅的解析を行ったところ、胞巣辺縁細胞で PDPN が高発現していて、免疫染色の結果が裏付けられた。また、ソーティングにより得た in vitro PDPN+ と LCM により得た in vivo の PDPN 陽性細胞は類似した遺伝子発現パターンを示した。これより、 in vitro A431 から得た、高腫瘍形成能を有する PDPN+ が、癌胞巣辺縁細胞を模倣する可能性が示唆された。また、 in vitro と in vivo の両方で高発現する複数の膜タンパクを見出した。PDPN 発現との組み合わせにより、さらに高い腫瘍形成能を有する、より少数の癌幹細胞を同定することが可能になるかもしれない。

5. 臨床検体を用いた解析― PDPN 陽性細胞が癌の起点となり、分化を伴う癌胞巣を形成する。

形成されてしまった後のヒトの癌組織を検討しても、 PDPN 陽性細胞がその起点であったかはわからない。そこで、食道扁平上皮癌原発巣における PDPN 発現とリンパ節転移巣における PDPN 発現の関係の検討により、間接的な推察を行った。PDPN 陽性原発巣のうち、転移巣も陽性であったのは 88.4% で、 PDPN 陰性原発巣における陽性の転移巣の割合 (10.0%) と比較して有意に高かった (表1)。これより、原発巣における PDPN 陽性細胞が転移先において腫瘍を形成しやすいことが示唆された。また、形成された転移巣は、原発巣と同様、分化を伴う癌胞巣から成っていた。このことから、 PDPN 陽性細胞が、転移先において元の腫瘍の組織型を再現したことが示唆された。

結論

分化型扁平上皮癌幹細胞の新規マーカーとして PDPN を同定するとともに、 PDPN が腫瘍形成および薬剤耐性に機能する分子であることを示した。さらに、網羅的遺伝子発現解析を用いた遺伝子発現パターンの比較や、臨床検体を用いた、原発巣における PDPN 発現と転移巣における PDPN 発現との関係の検討により、実際のヒトの癌において、 PDPN 陽性細胞が癌の起点となる可能性を示した。

図1.正常上皮と分化型扁平上皮癌の組織像の類似性と、分化型扁平上皮癌PDPNの局在A;ヒト正常口腔上皮のHE染色像。B;ヒト分化型扁平上皮癌のHE染色像。C;ヒト分化型扁平上癌のPDPN免疫染色像。癌胞巣辺縁の黒い部分が陽性細胞群。

図2.PDPN+のin vitroでの性質 A;PDPN+およびPDPN-をフローサイトメトリーにより分取り、直後にPDPN発現を確認した。さらに、Day1、3、5、7におけるPDPN発現をフローサイトメトリーにより測定した。B;96 well plateに1細胞ずつ播種したPDPN-およびPDPN+の4週間後におけるコロニー形成の割合。C;PDPN+およびPDPN-にDoxorubicineを添加した際の、非添加群に対する細胞数の割合。*;p<0.05

図3.PDPN+の腫瘍形成能 A;ソーティングしないA431細胞およびソーティングしたPDPN-、PDPN+の皮下移植腫瘍形成率。B;104個の細胞から形成された移植腫瘍の体積変化。C;D;マウス尾静注モデル(2×106個注入)における4週間後の肺の癌胞巣数(C)とhGAPDH mRNA/mGapdh mRNA(D)。E;SHH mRNA発現。*;p<0.05,**;p<0.01

表1.食道偏平上皮癌を、原発巣PDPN発現と、リンパ節転移巣PDPN発現で分類した際の症例数

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、11章からなる。

第1章 序論

第2章 癌幹細胞マーカー候補のスクリーニング

分化型扁平上皮癌胞巣辺縁の細胞は、その形態や性質が正常上皮幹細胞と共通していることから、この癌胞巣辺縁細胞に癌幹細胞が含まれるという仮説を立てた。そこで、肺扁平上皮癌外科手術材料を用いて癌胞巣辺縁選択的に陽性となる分子の探索を行い、podoplanin (PDPN) を見出した。 PDPN はヒト扁平上皮癌培養細胞株 A431 全細胞中の 38.3 ±13.0 % に限局して発現するため、癌幹細胞を分取するマーカーとして適切だと考えられた。これより、PDPN が in vivo (癌組織内)、 in vitro (A431 細胞) 両方において有用な、癌幹細胞マーカー候補であると考えた。

PDPN の癌幹細胞マーカーとしての妥当性の検討

(1) in vitro ―ソーティングした A431 の PDPN+ 細胞 (以下、PDPN+) の PDPN 陽性率が、ソーティング直後に比べて減少していったことから、PDPN+ は PDPN+ とPDPN- 細胞 (以下、PDPN-) を産生することが示唆された。一方、同様の検討で、PDPN- からは PDPN- しか産生されなかった。これらは、がん幹細胞の概念上の性質である、不均等分裂能および自己複製能と一致する結果であった。 PDPN + は PDPN- よりも高いコロニー形成能と、doxorubicin への高い耐性を示した。

(2) in vivo ―PDPN+ とPDPN- とを免疫不全マウス皮下に移植して、PDPN+ が高い腫瘍形成能を有することを示した。さらに、PDPN+ が分化を伴った移植腫瘍を形成したことから、PDPN+ は自己複製と、より分化した細胞の産生によって元の腫瘍を再構築することが示された。マウス尾静注による肺の癌胞巣形成モデルにおいても、これらが示された。PDPN+ の腫瘍形成能の機構を探るために、他の種類の癌幹細胞で高発現している遺伝子発現を検討したところ、PDPN+ は Sonic Hedgehog (SHH) を選択的に発現していた。SHH は癌の原因遺伝子でもあり、A431 を含めた扁平上皮癌培養細胞の増殖に寄与するので、SHH 発現が PDPN+ の腫瘍形成能の原因である可能性が示唆された。

第3章 PDPN が癌幹細胞の機能を調節するかの検討

免疫不全マウス皮下移植モデルと、マウス尾静注モデルの両方において、PDPN ノックダウンによる腫瘍形成の抑制が確認された。また、PDPN ノックダウンにより、doxorubicin への耐性も抑制された。以上の結果から、PDPN は A431 PDPN+ の腫瘍形成および薬剤耐性において機能を担うことが示唆された。

第4章 PDPN+ / PDPN- A431 細胞および、A431 マウス移植腫瘍の癌胞巣辺縁 / 非辺縁細胞の網羅的遺伝子発現解析

A431 移植腫瘍の癌胞巣辺縁細胞と、非辺縁細胞とをレーザーキャプチャーマイクロダイセクション (LCM) により分取して、その遺伝子発現の網羅的解析を行ったところ、胞巣辺縁細胞で PDPN が高発現していて、免疫染色の結果が裏付けられた。また、in vitro PDPN+ と LCM により得た in vivo の PDPN 陽性細胞は類似した遺伝子発現パターンを示した。これより、in vitro A431 から得た、高腫瘍形成能を有する PDPN+ が、癌胞巣辺縁細胞を模倣する可能性が示唆された。また、in vitro と in vivo の両方の PDPN 陽性細胞で高発現していた複数の膜タンパクを、PDPNと組み合わせることで、さらに高い腫瘍形成能を有する、より少数の癌幹細胞の同定が可能になるかもしれない。

第5章 臨床検体を用いた解析食道扁平上皮癌PDPN 陽性原発巣のうち、転移巣も陽性であったのは 88.4% で、PDPN 陰性原発巣における陽性の転移巣の割合 (10.0%) より有意に高かった。これより、原発巣における PDPN 陽性細胞が転移先で腫瘍を形成しやすいことが示唆された。また、形成された転移巣は原発巣と同様に、分化を伴う癌胞巣を形成したことから、PDPN 陽性細胞が癌の起点となり、転移先で元の腫瘍の組織型を再現したことが示唆された。

第6章~第11章

総括、実験材料と方法、謝辞、引用、図、表、凡例、(補足) 図、表、凡例

なお、本論文第2章の一部は、石井源一郎・小嶋基寛・真田賢・藤井聡志・落合淳志との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士 (生命科学) の学位を授与できると認める。

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