学位論文要旨



No 126151
著者(漢字) 大貫,慎輔
著者(英字)
著者(カナ) オオヌキ,シンスケ
標題(和) 化学物質を用いた高次元で定量的な形態表現型の網羅的解析
標題(洋) Morphology-based high-dimensional and quantitative chemical phenomics
報告番号 126151
報告番号 甲26151
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第568号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大矢,禎一
 東京大学 教授 山本,一夫
 東京大学 教授 青木,不学
 東京大学 教授 岡田,真人
 東京大学 准教授 小嶋,徹也
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

化学物質が生物にどのような影響を与えるかを観察することで、生体内で何が起きているかを明らかにしようとする化学生物学的アプローチは、複雑な生命システムを解明するために有効な手法の一つである。たとえば出芽酵母zds1変異株が、高濃度のCa2+に反応して細長い細胞形態を示すことを手掛かりに、Ca2+に依存した新たな細胞周期進行の制御メカニズムが発見された(Mizunuma et al., 1998)。細胞の形は、さまざまな遺伝子の機能が複雑に絡み合って制御されており、このような遺伝子機能ネットワークの解明のためには、化学物質に応答して変化する細胞の形を詳細に分析することが有効であると考えられる。そこで、細胞が外部イオン環境や化学物質、浸透圧など様々な外的環境に応答して示す形態変化を、全ての変異株について、高次元で定量的に分析することで、外的環境に応答する細胞の遺伝子機能が細胞内でどのようなネットワークを構成しているかを解明することにした。この方針で研究を進めるためには細胞の形を詳細に分析することが必須であり、本研究室では、出芽酵母の顕微鏡写真を501の観点(形態パラメータ)で測定し、細胞の形を高次元で定量的な形態情報として出力することができるCalMorph画像解析プログラムをすでに開発している(Ohya et al., 2005)。しかし、高次元形態情報の取得の他に次の三つの問題を克服する必要がある。一つ目は、高次元の定量的表現型解析を行う際の手法が確立しておらず、その有効性も実証されていない点である。二つ目は、外的環境に対する細胞応答にどのような遺伝子群の機能が働いているかを統計的に解析する手法が確立していない点である。そして三つ目は、様々な条件で高次元な定量的形態情報を全ての変異株について取得可能にするハイスループットな実験系が存在しない点である。

本研究では、まず一つ目の問題点である高次元な定量的表現型解析手法の確立とその実証を行うために、本研究室でスクリーニングされた58のCa2+感受性(cls)変異株とzds1変異株の、Ca2+による形態変化の解析を行った。次に二つ目の問題へのアプローチとして、細胞の形態変化を引き起こす化学物質のスクリーニングとその細胞標的を推定することが必要と考え、高次元細胞形態情報に基づいて生理活性物質の細胞標的を推定する手法を開発した。三つ目の問題へのアプローチとして、様々な実験条件下において形態情報を取得する過程を安価で高速に行うことが可能なハイスループット顕微鏡撮影システムのためのマイクロ流体チップを開発した。

[結果]

1. Ca2+感受性(cls)変異株の形態表現型を用いた高次元の定量的表現型解析手法の確立

当研究室の金井の網羅的スクリーニングにより高濃度Ca2+処理で増殖できなくなるcls変異株が58個得られた。これらの変異株は細胞外Ca2+濃度という外的環境の変化への応答に欠損があるものと考えられる。したがってこれらの変異体の表現型を解析することでCa2+応答の機能ネットワークの解明に役立つと考えた。

関連した細胞内機能が影響を受けると類似した形態変化が引き起こされること(Ohyaetal.2005)から、cls変異株をCa2+による形態変化の類似性によって機能的に分類することを試みた。分布やデータ型の異なる形態パラメータの値を、複数回の実験データを使用して確率分布に変換することで、501形態パラメータ全てを使ったクラスター分析が可能になった。この値を使用してクラスタリングを行った結果、マルチスケールブートストラップ確率95%以上で7クラスが検出され60株中31株が7つのクラスを形成した(図1)。有意水準1%で、各7クラス内で共通した方向に変化したパラメータを検出したところ、検出されたパラメータの組み合わせがクラスによって異なっていたことから、それぞれのクラスは特徴的な形態変化を示すことがわかった。また7クラス中3クラス(III,VI,VIII)は、クラスの中の全ての変異株が関連する遺伝子の変異株によって構成されていた(図1)。例えば細胞が大きくなり、アクチンが脱局在するという表現型が共通するクラスVIIは液胞ATPaseのサブユニットの変異株で構成されていた。一方で、Ca2+存在下で細長い芽を持つ細胞が蓄積するzds1変異株に関しては、本研究でも同様の表現型が確認されたが、大部分のcls変異株は、むしろ丸い芽を持っていた。さらに、どのcls変異株もzds1変異株と頑健なクラスを形成しなかった(図1)。従って、検出された7つのクラスに含まれるCLS遺伝子はZDS1遺伝子とは異なる経路に関与していると考えられる。

2. 形態変化を引き起こす生理活性物質の細胞標的推定法の確立

2-1. 細胞標的推定のための高次元細胞形態情報プロファイリング

生理活性物質によって引き起こされる野生型出芽酵母細胞の形態変化の特徴と遺伝子欠損によって引き起こされる形態的特徴の類似性の比較(プロファイリング)によって、生理活性物質の細胞標的を推定できると考えた。以下に手順を示す。

まず、生理活性物質処理時の形態変化の特徴と比較するために、主成分分析を用いて4718非必須遺伝子破壊株の形態的特徴を取得済みの形態情報(図2-IV)(Ohya et al., 2005)から次のようにして抽出した。野生型123回分の形態情報に正規化を伴う主成分分析(図2-V)を適用することで104主成分(寄与率99%)を抽出し、同主成分上の4718変異株の主成分得点を算出することで、変異株の形態的特徴を表す104種類の数値を4718株すべてについて得た。次に、細胞標的を推定したい生理活性物質を、野生型酵母(図2-I)に5段階の異なる濃度で5回ずつ(計25回)処理し(図2-VI)、高次元形態情報を取得した(図2-VII)。それぞれの形態パラメータにおいて、形態変化の濃度依存性をJonckheere検定によって評価し(図2-VIII)、検定統計量であるZ値を使用して図2-Vで抽出した104主成分の主成分得点を算出し、生理活性物質による形態変化の特徴を表す104種類の数値を得た(図2-IX)。そして最後に、図2-Vで求めた変異株の特徴を表す104の主成分得点と図2-IXで求めた生理活性物質処理による濃度依存的変化の特徴を表す104の主成分得点の相関係数Rを4718株すべてについて算出した。これらの相関係数で、false discovery rate (FDR)が0.01の無相関検定を行うことで有意な正の相関を持つ変異株を形態変化が類似した変異株、すなわち細胞標的の候補として検出した(図2-X)。

2-2. 高次元細胞形態情報の濃度依存的特徴に基づく細胞標的推定

2-1で示した方法によって細胞標的が推定可能かどうか検証するために、標的が既に知られている4つの薬剤を生理活性物質のテストケースとして使用した(表1)。

高次元細胞形態情報プロファイリングにより、4718遺伝子中12%~18%が薬剤標的をコードする遺伝子の候補として検出され、4つの薬剤全てについて既知の標的が検出された(表1)。さらに、既知標的の細胞プロセスと機能的に関連する遺伝子がプロファイルの類似する上位100株に集まっていた。これらの結果から、高次元細胞形態情報プロファイリングによって、形態変化を引き起こす生理活性物質の細胞標的が推定可能であることが示された。

3. ハイスループット顕微鏡撮影システムのためのマイクロ流体チップの開発

高次元の細胞形態情報を取得するために、明瞭な顕微鏡画像を得る必要があるが、数マイクロメートルの出芽酵母細胞に高倍率レンズを使用して素早く焦点を合わせることは困難であるため、詳細な表現型解析を行うのに十分な解像度で大規模なサンプルの顕微鏡撮影を短時間に行うことが難しい。そこで空気圧により高さを調節可能な流路内に酵母細胞を流し込み、全ての細胞を瞬時に同一焦点面内に保持することが可能なマイクロ流体チップを開発した(図4)。

汎用的な顕微鏡下で本チップを使用して異なる培養条件下の出芽酵母の高倍率な顕微鏡画像を連続的に取得することができた。従来の方法で撮影した場合と比較したところ、チップの使用の使用によって酵母細胞の定量的形態情報に有意な影響は検出されなかった。

[結論]

細胞外高濃度Ca2+処理時のcls変異株の表現型解析は高次元の定量的表現型解析によってCa2+シグナルの情報伝達経路に関する知見を得た初めての実証例である。細胞外Ca2+に対する応答が変化している酵母の変異株はCa2+によって極めて多様な形態変化を示すこと、また約半分の変異株は形態変化に共通点を持つ7つのクラスを形成すること、Zds1pが関与する既知の経路とは異なるCa2+シグナル伝達経路が存在することがわかった。この高次元の定量的表現型解析の要点は、反復実験を行うことによって、ばらつきをクラスター分析に反映させたこと、そして類似した表現型を示す変異株クラスを確率分布に基づいて統計的に算出したことである。この手法は反復実験によって得られるあらゆるデータに適用可能であり、大規模表現型解析に威力を発揮する手法の一つとなる。

高次元細胞形態情報を用いて、生理活性物質の標的遺伝子を4718株の12~18%に統計的に絞り込むことができ、それら候補の中に既知の標的と機能的に関連する遺伝子が検出されていた。高次元細胞形態プロファイリングは、統計的手法であること、高次元の細胞形態に基づいていること、予備知識無しに4718遺伝子から標的候補を検出できることから、生理活性物質による処理だけでなく温度変化や遺伝子操作などの形態変化を引き起こす様々な実験条件に応用可能な汎用的手法であり、多様な生理活性の特徴を捉えることで様々な生理活性物質の標的推定が可能であり、またゲノムワイドな標的探索を容易にする。この手法によって、形態変化に影響を及ぼす生理活性物質とその標的を探索することが可能となった。

マイクロ流体チップを使用して異なる培養条件下の出芽酵母の高倍率な顕微鏡画像を連続的に取得することが可能となった。さらに開発したチップの自動化と並列化を行うことで、大規模な高次元細胞形態情報を取得可能になると考えている。

本研究で築いた基盤的技術を応用して形態変化を引き起こす生理活性物質の探索や様々な条件下における変異株の表現型解析を行うことで、外的環境に応答する細胞の遺伝子機能ネットワークの全貌解明につながる足がかりとなると考えている。

図1.Ca2+による形態変化が類似する7つのcls変異株クラスClass IIIは鉄イオン輸送体活性に関わる変異株、Class VIは液胞融合に関わるHOPS複合体サブユニットの変異株、VIIは液胞ATPaseサブユニットの変異株。矢印はzds1変異株を示す。

図2.高次元細胞形情報プロファイリングの概要

表1.標的推定に使用した4つの薬剤

図3.開発したマイクロ流体チップ(左)と作動様式(右)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなり、第1章ではCa2+感受性(cls)変異株を例にして変異株の形態表現型を用いた高次元の定量的表現型解析手法の確立を、第2章は細胞壁合成チェックポイント機構の核輸送因子の関与に関する研究について、第3章はハイスループット顕微鏡撮影システムのためのマイクロ流体チップの開発について述べられている。

化学物質が生物にどのような影響を与えるかを観察することで、生体内で何が起きているかを明らかにしようとする化学生物学的アプローチは、複雑な生命システムを解明するために有効な手法の一つである。たとえば出芽酵母zdsl変異株が、高濃度のCa2+に反応して細長い細胞形態を示すことを手掛かりに、Ca2+に依存した新たな細胞周期進行の制御メカニズムが発見された(Mizunuma et al.,1998)。細胞の形は、さまざまな遺伝子の機能が複雑に絡み合って制御されており、このような遺伝子機能ネットワークの解明のためには、化学物質に応答して変化する細胞の形を詳細に分析することが有効であると考えられる。そこで、細胞が外部イオン環境や化学物質、浸透圧など様々な外的環境に応答して示す形態変化を、全ての変異株について、高次元で定量的に分析することで、外的環境に応答する細胞の遺伝子機能が細胞内でどのようなネットワークを構成しているかを解明することにした。この方針で研究を進めるためには細胞の形を詳細に分析することが必須であり、本研究室では、出芽酵母の顕微鏡写真を501の観点(形態パラメータ)で測定し、細胞の形を高次元で定量的な形態情報として出力することができるCal Morph画像解析プログラムをすでに開発している(Ohya et al.,2005)。しかし、高次元形態情報の取得の他に次の三つの問題を克服する必要がある。一つ目は、高次元の定量的表現型解析を行う際の手法が確立しておらず、その有効性も実証されていない点である。二つ目は、外的環境に対する細胞応答にどのような遺伝子群の機能が働いているかを統計的に解析する手法が確立していない点である。そして三つ目は、様々な条件で高次元な定量的形態情報を全ての変異株について取得可能にするハイスループットな実験系が存在しない点である。

本研究では、まず一つ目の問題点である高次元な定量的表現型解析手法の確立とその実証を行うために、本研究室でスクリーニングされた58のCa2+感受性(cls)変異株とzdsl変異株の、Ca2+による形態変化の解析を行った。次に二つ目の問題へのアプローチとして、細胞の形態変化を引き起こす化学物質のスクリーニングとその細胞標的を推定することが必要と考え、高次元細胞形態情報に基づいて生理活性物質の細胞標的を推定する手法を開発した。三つ目の問題へのアプローチとして、様々な実験条件下において形態情報を取得する過程を安価で高速に行うことが可能なハイスループット顕微鏡撮影システムのためのマイクロ流体チップを開発した。

1.Ca2+感受性(cls)変異株の形態表現型を用いた高次元の定量的表現型解析手法の確立

1-1.cls変異株の細胞外高濃度Ca2+処理による形態変化の比較

当研究室の金井の網羅的スクリーニングにより高濃度Ca2+処理で増殖できなくなるcls変異株が58個得られた。これらの変異株は細胞外Ca2+濃度という外的環境の変化への応答に欠損があるものと考えられる。したがってこれらの変異体の表現型を解析することでCa2+応答の機能ネットワークの解明に役立つと考えた。

まず、高濃度の細胞外Ca2+による酵母細胞の形態変化が、cls変異株と野生型株とで異なるかどうかを調べるために、58のcls変異株にzdsl変異株と野生型を加えた60株をCa2+含有培地と非含有培地でそれぞれ培養し、酵母細胞形態定量システムCalMorphで定量した。この操作を5回繰り返して有意水準1%のU検定を行ったところ、野生型と43のcls変異株が形態変化を示すことがわかった。cls変異株では変化したパラメータの種類は野生型よりも少なくとも10倍以上多く、変異株ごとによって異なる様々な形態変化を示した。これは細胞外Ca2+の影響を受ける細胞機能がcls変異株によって異なっていることを示唆する。

1-2.細胞外高濃度Ca2+処理による形態変化の類似性に基づくCLS遺伝子の機能的分類

次に関連した細胞内機能が影響を受けると類似した形態変化が引き起こされること(Ohyaet al.2005)から、cls変異株をCa2+による形態変化の類似性によって機能的に分類することを試みた。分布やデータ型の異なる形態パラメータの値を、複数回の実験データを使用して確率分布に変換することで、501形態パラメータ全てを使ったクラスター分析が可能になった。この値を使用してクラスタリングを行った結果、マルチスケールブートストラップ確率95%以上で7クラスが検出され60株中31のcls変異株と野生型株が7つのクラスのいずれかに含まれていた。有意水準1%で、各7クラス内で共通した方向に変化したパラメータを検出したところ、検出されたパラメータの組み合わせがクラスによって異なっていたことから、それぞれのクラスは特徴的な形態変化を示すことがわかった。また7クラス中3クラス(III,VI,VIII)は、クラスの中の全ての変異株が関連する遺伝子の変異株によって構成されていた。

2.形態変化を引き起こす生理活性物質の細胞標的推定法の確立

2-1.細胞標的推定のための高次元細胞形態情報プロファイリング

生理活性物質によって引き起こされる野生型出芽酵母細胞の形態変化の特徴と遺伝子欠損によって引き起こされる形態的特徴の類似性の比較(プロファイリング)によって、生理活性物質の細胞標的を推定できると考えた。以下に手順を示す。まず、生理活性物質処理時の形態変化の特徴と比較するために、主成分分析を用いて4718非必須遺伝子破壊株の形態的特徴を取得済みの形態情報(Ohya et al,2005)から次のようにして抽出した。野生型123回分の形態情報に正規化を伴う主成分分析を適用することで104主成分(寄与率99%)を抽出し、同主成分上の4718変異株の主成分得点を算出することで、変異株の形態的特徴を表す104種類の数値を4718株すべてについて得た。次に、細胞標的を推定したい生理活性物質を、野生型酵母に5段階の異なる濃度で5回ずつ(計25回)処理し、高次元形態情報を取得した。それぞれの形態パラメータにおいて、形態変化の濃度依存性をJonckheere検定によって評価し、検定統計量であるZ値を使用して先に抽出した104主成分の主成分得点を算出し、生理活性物質による形態変化の特徴を表す104種類の数値を得た。そして最後に、先に求めた変異株の特徴を表す104の主成分得点と生理活性物質処理による濃度依存的変化の特徴を表す104の主成分得点の相関係数Rを4718株すべてについて算出した。これらの相関係数で、false discovery rate(FDR)が0.Olの無相関検定を行うことで有意な正の相関を持つ変異株を形態変化が類似した変異株、すなわち細胞標的の候補として検出した。

2-2.高次元細胞形態情報の濃度依存的特徴に基づく細胞標的推定

2-1で示した方法によって細胞標的が推定可能かどうか検証するために、標的が既に知られている4つの薬剤を生理活性物質のテストケースとして使用した。それぞれの薬剤を表1に示す濃度で処理し、Jonckheere検定を行ったところ、各FDRで有意に濃度依存性を示すパラメータが検出され、様々な形態変化が引き起こされていた。

Hydroxyureaの濃度依存的形態変化に基づいて高次元細胞形態情報プロファイリングを行ったところ、4718株中857株(18.12%)にFDR=0.01の無相関検定で有意な正の相関が検出され、既知の標的の変異体であるrnr4とrnrlが標的候補として検出された。このうちrnr4はR=0.836で4718株中最も高い正の相関を持った。また、857株中上位100株(R>0.629)にはDNA代謝に関わる遺伝子を欠損した変異株が有意に濃縮されていた(片側二項検定、P<0.05)。同様にして、concanamycin Aでは790株(16.74%)が候補として検出され、既知の13候補のうち、vphlとstv1を除く11変異株が検出されおり、上位100株には液胞酸性化に関わる変異株が濃縮されていた。また、lovastatinとechinocandin Bについても、592株(12.55%)と609株(13.20%)がそれぞれ検出され、検出された候補株の中にhmglとfks1がそれぞれ含まれており、上位100株には脂質の生合成に必要なビタミン輸送体の変異株と細胞壁合成関連の変異株が有意に濃縮されていた。これらの結果から、高次元細胞形態情報プロファイリングによって、形態変化を引き起こす生理活性物質の細胞標的が推定可能であることが示された。

3.ハイスループット顕微鏡撮影システムのためのマイクロ流体チップの開発

高次元の細胞形態情報を取得するために、明瞭な顕微鏡画像を得る必要があるが、数マイクロメートルの出芽酵母細胞に高倍率レンズを使用して素早く焦点を合わせることは困難であるため、詳細な表現型解析を行うのに十分な解像度で大規模なサンプルの顕微鏡撮影を短時間に行うことが難しい。そこで空気圧により高さを調節可能な流路内に酵母細胞を流し込み、全ての細胞を瞬時に同一焦点面内に保持することが可能なマイクロ流体チップを開発した。

汎用的な顕微鏡下で本チップを使用して異なる培養条件下の出芽酵母の高倍率な顕微鏡画像を連続的に取得することができた。従来の方法で撮影した場合と比較したところ、チップの使用の使用によって酵母細胞の定量的形態情報に有意な影響は検出されなかった。

[結論]

細胞外高濃度Ca2+処理時のcls変異株の表現型解析は高次元の定量的表現型解析によってCa2+シグナルの情報伝達経路に関する知見を得た初めての実証例である。細胞外Ca2+に対する応答が変化している酵母の変異株はCa2+によって極めて多様な形態変化を示すこと、また約半分の変異株は形態変化に共通点を持つ7つのクラスを形成すること、Zdslpが関与する既知の経路とは異なるCa2+シグナル伝達経路が存在することがわかった。この高次元の定量的表現型解析の要点は、反復実験を行うことによって、ばらつきをクラスター分析に反映させたこと、そして類似した表現型を示す変異株クラスを確率分布に基づいて統計的に算出したことである。この手法は反復実験によって得られるあらゆるデータに適用可能であり、大規模表現型解析に威力を発揮する手法の一つとなる。

高次元細胞形態情報を用いて、生理活性物質の標的遺伝子を4718株の12~18%に統計的に絞り込むことができ、それら候補の中に既知の標的と機能的に関連する遺伝子が検出されていた。高次元細胞形態プロファイリングは、統計的手法であること、高次元の細胞形態に基づいていること、予備知識無しに4718遺伝子から標的候補を検出できることから、生理活性物質による処理だけでなく温度変化や遺伝子操作などの形態変化を引き起こす様々な実験条件に応用可能な汎用的手法であり、多様な生理活性の特徴を捉えることで様々な生理活性物質の標的推定が可能であり、またゲノムワイドな標的探索を容易にする。この手法によって、形態変化に影響を及ぼす生理活性物質とその標的を探索することが可能となった。マイクロ流体チップを使用して異なる培養条件下の出芽酵母の高倍率な顕微鏡画像を連続的に取得することが可能となった。さらに開発したチップの自動化と並列化を行うことで、大規模な高次元細胞形態情報を取得可能になると考えている。

本研究で築いた基盤的技術を応用して形態変化を引き起こす生理活性物質の探索や様々な条件下における変異株の表現型解析を行うことで、外的環境に応答する細胞の遺伝子機能ネットワークの全貌解明につながる足がかりとなると考えている。

なお、本論文第1章は野上、金井、平田、中谷、森下、大矢との共同研究、そして第2章は野上と大矢との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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