学位論文要旨



No 126152
著者(漢字) 菊地,陽
著者(英字)
著者(カナ) キクチ,ヨウ
標題(和) 細胞壁合成チェックポイント機構における情報伝達経路の解明
標題(洋) Signal transduction pathways Involved in the yeast cell wall integrity checkpoint
報告番号 126152
報告番号 甲26152
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第569号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大矢,禎一
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 教授 斎藤,春雄
 東京大学 准教授 小嶋,徹也
 東京大学 准教授 前田,達哉
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

植物、菌類などの真核生物やマイコプラズマを除く原核生物の細胞には細胞膜の外側を取り囲む強固な構造として細胞壁が存在している。細胞壁は細胞外に存在する細胞小器官であり、外界の物理的ストレスから身を守る外壁や細胞壁タンパク質の足場という重要な機能を持っている。出芽酵母においては娘細胞が出芽という形式で形成されるため、細胞周期の進行に伴う娘細胞の体積増加に合わせて適切な時期に適切な場所で細胞壁を合成する必要がある。もし細胞壁が正しく合成されない場合は、細胞周期の破綻を来す可能性があり、出芽酵母の生存にとって危機的状態となる。当研究室では、出芽酵母の細胞壁の主要な構成成分である1,3-β-グルカンの合成が停止した細胞では細胞周期がM期に進行したことを示す紡錘体の形成やM期サイクリンClb2pの転写が抑制され、細胞周期がG2期で停止していることを明らかにした。細胞壁合成チェックポイントと名付けられたこの現象は、他のチェックポイントと同様に、細胞壁の状態をモニターし、必要な場合には細胞周期を停止あるいは遅延させて秩序だった細胞増殖を保証するシステムと考えられる。

細胞壁合成チェックポイントが正常に機能するには、細胞壁という細胞の最外層の状態をモニターし、核という細胞の最奥部へ情報を伝達するシステムが必要であるが、この分子メカニズムについては未解明な部分が多い。私は、細胞表層の状態を監視して核へ情報を伝達する経路の一つにMAPKカスケードがあることから、細胞壁合成チェックポイントの情報伝達機構はMAPKカスケードが担っているのではないかと考えた。出芽酵母においては5種類のMAPKと6つのMAPKカスケードが知られており、それぞれが異なる刺激に対して固有の応答を行っている。本研究では、様々な細胞外ストレスに応答して細胞周期を停止させるMAPKカスケードであるHOG(High Osmolarity Glycerol) 経路とCWI(Cell Wall Integrity)経路に着目し、これらMAPKカスケードと細胞壁合成チェックポイント機構との関係について詳細に調べることにより、細胞壁合成チェックポイント情報伝達機構の全体像解明に迫ることにした。

[結果と考察]

1. HOG経路のSHO1 branchからHog1p MAPKまでの因子が細胞壁合成チェックポイントに関与している

出芽酵母のHOG経路は、その名前からもわかる通り高浸透圧ストレスに対して必要な経路である。この経路はPbs2p MAPKKから上流には二つの経路がある。一つはSHO1 branchであり、主に芽が形成される部分に局在し、高浸透圧時に活性化しHog1p MAPKを介したリン酸化リレーによりグリセロール合成酵素遺伝子等の転写を増大させ、高浸透圧への耐性を持てるようにする(図1左)。もう一方はSLN1 branchと言い、低浸透圧時に細胞膜全体に分布している浸透圧センサーSln1pから始まる多段階リン酸リレー反応によって下流因子Ssk1pを抑制し、それによりHog1p MAPKを不活性化させ、反対に高浸透圧時には活性化させる(図1右)。まず、この経路の中枢を担っているHog1p MAPKが細胞壁合成チェックポイント機構に重要かどうかを調べるために、HOG1遺伝子破壊株を作製して解析を行った。

細胞壁合成チェックポイントがHOG1遺伝子破壊株で機能しているかどうかは以下のようにして調べた。FKS1と FKS2は細胞壁の主要な構成成分である1,3-(R)-グルカンの合成酵素の触媒サブユニットをコードしているため、温度感受性変異をFKS1遺伝子に導入したfks1-1154 △fks2 株(以下fks1-1154株と略す)は温度感受性増殖を示す。fks1-1154株はグルカン合成に欠損を持っているために、G1期で同調し制限温度で培養すると、芽の形成が抑えられた細胞が蓄積し、紡錘体形成の直前のG2期で細胞周期を停止する。一方、細胞壁合成チェックポイントの欠損もあわせ持つ株(fks1-1154 wac1)では制限温度下で細胞周期の進行を停止することができずに紡錘体を形成した細胞が蓄積する。従って細胞をG1期で同調させ、制限温度で培養し経時的に紡錘体を形成した細胞の割合を観察することにより、変異株がチェックポイントに欠損を示すかどうかを調べることができる。この方法によりhog1破壊を導入したfks1-1154株は、チェックポイント欠損を示すことが知られているfks1-1154 wac1株と同様に紡錘体を形成した細胞の蓄積が見られた。このことはHog1p MAPKが細胞壁合成チェックポイントの機能に必要であることを示唆している(図2)。さらにPbs2p MAPKKを始め、上流のSHO1 branchとSLN1 branchの因子群、そしてHog1p MAPKの下流の主要な転写因子群に関しても同様にfks1-1154株に遺伝子破壊を導入してチェックポイントへの関与について調べた。その結果、SHO1 branch因子の破壊株でhog1破壊株同様の紡錘体を形成した細胞の蓄積が見られた(図2)。この結果から、HOG経路の中でSHO1 branchの最上流に位置するSho1pからHog1p MAPKまでの因子が細胞壁合成チェックポイント機構に関与していることが示唆された。

2. 細胞壁合成停止時のG1初期にHog1p MAPKは弱いリン酸化を示し、その時期のHog1p MAPKのキナーゼ活性は細胞壁合成チェックポイントに必要である

高浸透圧下に酵母が曝された場合、HOG経路はリン酸化リレーを介してHog1p MAPKをリン酸化し情報伝達を行うことが知られている(図3A 右端)。もし、細胞壁合成チェックポイントの情報伝達がHOG経路のSHO1 branchからHog1p MAPKまでの因子間で行われているならば、その情報伝達はリン酸化で行われている可能性が高い。そこで細胞壁合成停止中のHog1p MAPKのリン酸化状態を調べることにした。細胞をG1期で同調させ、制限温度で培養し経時的にHog1p量およびリン酸化Hog1p量を抗Hog1p抗体及び抗リン酸化Hog1p抗体を用いたWestern解析により調べたところ、野生型に比べfks1-1154株は0分から30分の間(G1初期)に弱いリン酸化をしていることがわかった(図3A)。この弱いリン酸化は細胞壁合成阻害剤であるEchinocandin B(Ech B)で野生型株を処理した場合も確認されることから、Hog1p MAPKの弱いリン酸化は細胞壁合成停止時に起こることが明らかとなった。

この結果は細胞壁合成停止時にHog1p MAPKがリン酸化シグナルを受けていることを示唆しており、Hog1p MAPキナーゼとして活性化していると考えられる。そこでキナーゼ活性を失ったhog1変異株を用いて、Hog1p MAPKのキナーゼ活性が細胞壁合成チェックポイントに重要かどうか調べた。2種類のキナーゼ活性を失ったhog1変異アリル(hog1-K52Rとhog1-D144A)を導入したfks1-1154株の細胞をG1期で同調させ、制限温度で培養し経時的に紡錘体を形成した細胞の割合を観察したところ、このHog1p MAPKのキナーゼ変異株はhog1破壊株と同様に紡錘体を形成した細胞の蓄積が見られた。このことから、Hog1p MAPKのキナーゼ活性が細胞壁合成チェックポイントに重要であることが明らかとなった。さらに、Hog1p MAPKのキナーゼ活性がどの時期に必要であるか調べるために、hog1-asという変異を導入した株を作製した。このhog1-as変異株は正常なHOG1遺伝子保持株と同等の機能を有したHog1pタンパク質を発現できる。しかしながら、1MN-PP1という強力なATPの競合阻害剤を加えた場合のみ特異的にHog1p MAPKのキナーゼ活性だけが抑えられるという変異株である。この変異を導入したfks1-1154株をG1期同調させ、制限温度で培養し経時的に1MN-PP1を添加し、240分培養後に紡錘体を形成した細胞の割合を調べたところ、制限温度下培養直後(0分)と30分後のHog1p MAPKのキナーゼ活性を阻害した細胞で高い紡錘体の形成率を示した(図3B)。従って、細胞壁合成停止時のG1初期(30分以内)のHog1p MAPKのキナーゼ活性が細胞壁合成チェックポイントに重要であることが明らかとなった。また、高浸透圧処理によりリン酸化したHog1p MAPKは核へ蓄積するが、細胞壁合成停止時には核への蓄積が見られなかった。これらの結果と、主要なHog1p MAPK下流転写因子の破壊を導入したfks1-1154株が紡錘体の形成率の増加を示さなかったことから(図2)、細胞壁合成停止が起こった場合、リン酸化を受けたHog1p MAPKからの情報は転写因子ではない他の下流因子に伝達することが示唆された。

3. CWI経路のSlt2p MAPKも細胞壁合成チェックポイントに関与している

上記の結果からHOG経路が細胞壁合成チェックポイント機構に関与していることが明らかとなってきた。しかし、HOG経路の主要転写因子群が細胞壁合成チェックポイントに関与していないことから、Hog1p MAPKの下流因子については不明のままであった。一方、昨年細胞壁溶解剤であるZymolyaseで処理するとそのシグナルはSHO1 branchを通りHog1p MAPKを弱くリン酸化し、その後CWI経路のMAPKであるSlt2p MAPKを活性化させるという報告がなされた(Bermejo et al., 2008)。そこで、まず一つの可能性として、Slt2p MAPKがHog1p MAPKの下流で働くことを考えて、Slt2p MAPKが細胞壁合成チェックポイント機構に関与しているのか調べることにした。

CWI経路は熱や細胞壁のストレスを与える様な刺激に応答し、細胞壁関連遺伝子を発現することで、細胞を守るのに重要な経路である。このCWI経路のSlt2pMAPKの破壊株をG1期同調後、制限温度下で培養し、紡錘体の形状を観察したところ、紡錘体の形成した細胞の蓄積が見られ、細胞壁合成チェックポイントに欠損を示した(図4A)。この結果から、Slt2p MAPKも細胞壁合成チェックポイント機構に重要であることが示唆された。さらに、Slt2p MAPKがHoglp MAPKの下流に位置しているのか調べるため、細胞壁合成停止中のリン酸化Slt2p量を調べることにした。細胞をG1期同調後、制限温度で培養し経時的に細胞を回収し、リン酸化Slt2p量を調べたところ、野生型株では全ての時間でSlt2p MAPKの弱いリン酸化が観察された。酵母細胞が高温に曝された場合、CWI経路が活性化しSlt2p MAPKをリン酸化させることが報告されている(Martin et al,1993)。従って、野生型株で確認されたSlt2pMAPKの弱いリン酸化は高温によるものだと考えられる。それに比べfiks1-1154株はG1初期では野生型とあまり変わらなかったがその後、徐々にリン酸化Slt2p量が増加することがわかった。また、その増加するリン酸化Slt2p量はhog1破壊を導入したlikS1-1154株で幾分抑えられることが明らかとなった(図4B)。これらの結果から、CWI経路のSlt2pMAPKも細胞壁合成チェックポイント機構に重要な因子であり、且つそれはHog1p MAPKの下流に位置していることが明らかとなった。

[結論]

本研究では細胞壁合成チェックポイント機構における情報伝達経路の解明を目指し、MAPKカスケードに着目した結果、細胞壁合成チェックポイント機構の情報伝達経路の一部を明らかにすることができた。さらに詳細な解析の結果から、細胞壁合成停止が起こった場合、G1初期にHOG経路のSHO1 branchからHog1p MAPKを介してSlt2p MAPKを活性化し、最終的にCLB2mRNAの転写を抑制することで細胞周期をG2期で停止させるという細胞壁合成チェックポイント機構の情報伝達経路モデルを提唱した(図5)。Hog1p MAPKとSlt2p MAPKは、ヒトなど様々な生物における細胞で高度に保存されており、細胞壁合成チェックポイントのような細胞増殖制御に関して重要な因子である。これらの研究を通して、細胞壁を有する生物だけに留まらない新たな増殖制御機構に関する知見に貢献すると期待する。

図1. 出芽酵母のHOG 経路の概略図

Pbs2p MAPKKの上流はSHO1 branch(左側)とSLN1 branch(右側)があり、それぞれ局在と働きが異なる。また、Hog1p MAPKの下流因子では4つの転写因子があり、それぞれが転写調節をすることで酵母細胞に高浸透圧への耐性を持たせている。

図2. 細胞壁合成チェックポイント機構はSHO1 branch因子からHog1p MAPKの破壊株において欠損している

エルトリエーションにより細胞をG1期で同調させ、グルカン合成を停止させる制限温度下で培養後240分の細胞の芽の形成率と紡錘体の形成率。FKS1以外は制限温度下では細胞壁が合成できないので芽の形成は起こらないが、Hog1pからSHO1 branch因子の欠損株はそれでもwac1変異株同様の高い紡錘体形成率を示した。

図3. 細胞壁合成停止時にG1初期の細胞でHog1p MAPKが弱いリン酸化を示し、且つその時期のHog1p MAPKのキナーゼ活性が細胞壁合成チェックポイントに重要である。

エルトリエーションにより細胞をG1期で同調させ、グルカン合成を停止させる制限温度下で培養後30分毎の細胞のHog1pおよびリン酸化Hog1pの量(A)。fks1-1154株のみG1初期(0分と30分)で弱いHog1pのリン酸化が確認された。 (B)G1期同調させ、制限温度下培養して示した時間後にHog1-asのキナーゼ活性を特異的に阻害する薬剤(1MN-PP1)を添加し、240分後の紡錘体の形成した細胞の割合。G1初期(0分と30分)でHog1pキナーゼ活性を阻害した時に、紡錘体の形成率が上昇した。

図4. Slt2p MAPKはHog1p MAPKの下流で細胞壁合成チェックポイントに関与している

高浸透圧で培養後、エルトリエーションにより細胞をG1期で同調させ、グルカン合成を停止させる制限温度下で培養し30分ごとに回収した細胞の紡錘体の形成率(A)。slt2破壊株は紡錘体形成を示した。G1期同調後制限温度下培養した細胞のSlt2p量とリン酸化Slt2p量(B)。fks1-1154で見られたリン酸化Slt2p量の増加はHOG1遺伝子破壊によって抑えられた。

図5. 細胞壁合成チェックポイント機構の情報伝達経路のモデル図

細胞壁合成停止が起こった場合、G1初期の細胞はSHO1 branchを介してHog1p MAPKにそのシグナルは伝達される。その後、この細胞壁合成チェックポイントシグナルはCWI経路のSlt2p MAPKに伝達され、最終的にCLB2mRNAの転写を抑制することで細胞周期をG2期で停止させる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなり、第1章では出芽酵母ではHOG経路のSHO1 BRANCHからHOG1P MAPKまでの因子が細胞壁合成チェックポイントに関与していること、第2章では細胞壁合成停止時のG1初期にHOG1P MAPKは弱いリン酸化を示し、その時期のHOG1P MAPKのキナーゼ活性は細胞壁合成チェックポイントに必要であること、第3章ではCWI経路のSLT2P MAPKも細胞壁合成チェックポイントに関与していることが述べられている。

植物、菌類などの真核生物やマイコプラズマを除く原核生物の細胞には細胞膜の外側を取り囲む強固な構造として細胞壁が存在している。細胞壁は細胞外に存在する細胞小器官であり、外界の物理的ストレスから身を守る外壁や細胞壁タンパク質の足場という重要な機能を持っている。出芽酵母においては娘細胞が出芽という形式で形成されるため、細胞周期の進行に伴う娘細胞の体積増加に合わせて適切な時期に適切な場所で細胞壁を合成する必要がある。もし細胞壁が正しく合成されない場合は、細胞周期の破綻を来す可能性があり、出芽酵母の生存にとって危機的状態となる。当研究室では、出芽酵母の細胞壁の主要な構成成分である1,3-β-グルカンの合成が停止した細胞では細胞周期がM期に進行したことを示す紡錘体の形成やM期サイクリンCLB2Pの転写が抑制され、細胞周期がG2期で停止していることを明らかにした。細胞壁合成チェックポイントと名付けられたこの現象は、他のチェックポイントと同様に、細胞壁の状態をモニターし、必要な場合には細胞周期を停止あるいは遅延させて秩序だった細胞増殖を保証するシステムと考えられる。

細胞壁合成チェックポイントが正常に機能するには、細胞壁という細胞の最外層の状態をモニターし、核という細胞の最奥部へ情報を伝達するシステムが必要であるが、この分子メカニズムについては未解明な部分が多い。申請者は、細胞表層の状態を監視して核へ情報を伝達する経路の一つにMAPKカスケードがあることから、細胞壁合成チェックポイントの情報伝達機構はMAPKカスケードが担っているのではないかと考えた。出芽酵母においては5種類のMAPKと6つのMAPKカスケードが知られており、それぞれが異なる刺激に対して固有の応答を行っている。本研究では、様々な細胞外ストレスに応答して細胞周期を停止させるMApKカスケードであるHOG(HIGH OSMOLARITY GLYCEROL)経路とCWI(CELL WALL INTEGRITY)経路に着目し、これらMAPKカスケードと細胞壁合成チェックポイント機構との関係について詳細に調べることにより、細胞壁合成チェックポイント情報伝達機構の全体像解明に迫った。

1.HOG経路のSHO1 BRANCHからHOG1P MAPKまでの因子が細胞壁合成チェックポイントに関与している

出芽酵母のHOG経路は、その名前からもわかる通り高浸透圧ストレスに対して必要な経路である。この経路はPBS2P MAPKKから上流には二つの経路がある。一つはSHO1 BRANCHであり、主に芽が形成される部分に局在し、高浸透圧時に活性化しHOG1P MAPKを介したリン酸化リレーによりグリセロール合成酵素遺伝子等の転写を増大させ、高浸透圧への耐性を持てるようにする。もう一方はSLN1 BRANCHと言い、低浸透圧時に細胞膜全体に分布している浸透圧センサーSLN1P から始まる多段階リン酸リレー反応によって下流因子SSK1Pを抑制し、それによりHOG1P MAPKを不活性化させ、反対に高浸透圧時には活性化させる。まず、この経路の中枢を担っているHOG1P MAPKが細胞壁合成チェックポイント機構に重要かどうかを調べるために、HOG1遺伝子破壊株を作製して解析を行った。細胞壁合成チェックポイントがHOG1遺伝子破壊株で機能しているかどうかは以下のようにして調べた。FKS1とFKS2は細胞壁の主要な構成成分である1,3-β-グルカンの合成酵素の触媒サブユニットをコードしているため、温度感受性変異をFKS1遺伝子に導入したFKS1-1154 △FKS2株(以下FKS1-1154株と略す)は温度感受性増殖を示す。FKS1-1154株はグルカン合成に欠損を持っているために、G1期で同調し制限温度で培養すると、芽の形成が抑えられた細胞が蓄積し、紡錘体形成の直前のG2期で細胞周期を停止する。一方、細胞壁合成チェックポイントの欠損もあわせ持つ株(FKS1-1154 WAC1)では制限温度下で細胞周期の進行を停止することができずに紡錘体を形成した細胞が蓄積する。従って細胞をG1期で同調させ、制限温度で培養し経時的に紡錘体を形成した細胞の割合を観察することにより、変異株がチェックポイントに欠損を示すかどうかを調べることができる。この方法によりHOG1破壊を導入したFKS1-1154株は、チェックポイント欠損を示すことが知られているFKS1-1154WAC1株と同様に紡錘体を形成した細胞の蓄積が見られた。このことはHOG1P MAPKが細胞壁合成チェックポイントの機能に必要であることを示唆している。さらにPBS2P MAPKKを始め、上流のSHO1 BRANCHとSLN1 BRANCHの因子群、そしてHOG1P MAPKの下流の主要な転写因子群に関しても同様にFKS1-1154株に遺伝子破壊を導入してチェックポイントへの関与について調べた。その結果、SHO1 BRANCH因子の破壊株でHOG1破壊株同様の紡錘体を形成した細胞の蓄積が見られた。この結果から、HOG経路の中でSHO1 BRANCHの最上流に位置するSHO1PからHOG1P MAPKまでの因子が細胞壁合成チェックポイント機構に関与していることが示唆された。

2.細胞壁合成停止時のG1初期にHOG1P MAPKは弱いリン酸化を示し、その時期のHOG1pMAPKのキナーゼ活性は細胞壁合成チェックポイントに必要である

1Mソルビトールのような高浸透圧下に酵母が曝された場合、HOG経路はリン酸化リレーを介してHOG1P MAPKをリン酸化し情報伝達を行うことが知られている。もし、細胞壁合成チェックポイントの情報伝達がHOG経路のSHO1 BRANCHからHOG1P MAPKまでの因子間で行われているならば、その情報伝達はリン酸化で行われている可能性が高い。そこで細胞壁合成停止中のHOG1P MAPKのリン酸化状態を調べることにした。細胞をG1期で同調させ、制限温度で培養し経時的にHOG1P量およびリン酸化HOG1P量を抗HOG1P抗体及び抗リン酸化HOG1P抗体を用いたWESTERN解析により調べたとこ

3.CWI経路のSLT2pMApKも細胞壁合成チェックポイントに関与している

上記の結果からHOG経路が細胞壁合成チェックポイント機構に関与していることが明らかとなってきた。しかし、HOG経路の主要転写因子群が細胞壁合成チェックポイントに関与していないことから、HOG1P MAPKの下流因子については不明のままであった。一方、昨年細胞壁溶解剤であるZYMOLYASEで処理するとそのシグナルはSHO1 BRANCHを通りHOG1P MAPKを弱くリン酸化し、その後CWI経路のMAPKであるSLT2P MAPKを活性化させるという報告がなされた(BERMEJO ET AL.,2008)。そこで、まず一つの可能性として、SLT2P MAPKがHOG1P MAPKの下流で働くことを考えて、SLT2P MAPKが細胞壁合成チェックポイント機構に関与しているのか調べることにした。HOG経路が外部の浸透圧変化等に応答し、細胞内イオンやグリセロール濃度を調節するのに重要な経路に対して、CWI経路は熱や細胞壁のストレスを与える様な刺激に応答し、細胞壁関連遺伝子を発現することで、細胞壁をより強固にして細胞を守るのに重要な経路である。このCWI経路の中心因子であるSLT2P MAPKの破壊株は、通常状態で生育できないため、高浸透圧下で前培養し、G1期同調後、制限温度下通常培地での培養で経時的に紡錘体の形状を観察したところ、SLT2破壊を導入したFKS1-1154株で紡錘体の形成した細胞の蓄積が見られ、細胞壁合成チェックポイントに欠損を示した。この結果から、SLT2P MAPKも細胞壁合成チェックポイント機構に重要であることが示唆された。さらに、SLT2P MAPKがHOG1P MAPKの下流に位置しているのか調べるため、細胞壁合成停止中のリン酸化SLT2P量を調べることにした。細胞をG1期で同調させ、制限温度で培養し経時的に細胞を回収し、リン酸化SLT2P量を抗リン酸化SLT2P抗体によるWESTERN解析で調べたところ、野生型株(FKS1)では全ての時間でSLT2PMAPKの弱いリン酸化が観察された。酵母細胞が高温に曝された場合、cwl経路が活性化しSLT2P MAPKをリン酸化させることが報告されている(MARTIN ET AL.,1993)。従って、野生型株で確認されたSLT2P MAPKの弱いリン酸化は高温によるものだと考えられる。それに比べFKS1-1154株はG1初期では野生型とあまり変わらなかったがその後、徐々にリン酸化SLT2P量が増えていくことがわかった。また、その増加するリン酸化SLT2P量はHOG1破壊を導入したFKS1-1154株で幾分抑えられることが明らかとなった。これらの結果から、CWI経路のSLT2P MAPKも細胞壁合成チェックポイント機構に重要な因子であり、且つそれはHOG1P MAPKの下流に位置していることが明らかとなった。

本研究では細胞壁合成チェックポイント機構における情報伝達経路の解明を目指し、MAPKカスケードに着目した結果、細胞壁合成チェックポイント機構の情報伝達経路の一部を明らかにすることができた。さらに詳細な解析の結果から、細胞壁合成停止が起こった場合、G1初期にHOG経路のSHO1 BRANCHからHOG1P MAPKを介してSLT2PMAPKを活性化し、最終的にCLB2MRNAの転写を抑制することで細胞周期をG2期で停止させるという細胞壁合成チェックポイント機構の情報伝達経路モデルを提唱した。HOG1P MAPKとSLT2P MAPKは、ヒトなど様々な生物における細胞で高度に保存されており、細胞壁合成チェックポイントのような細胞増殖制御に関して重要な因子である。これらの研究を通して、細胞壁を有する生物だけに留まらない新たな増殖制御機構に関する知見に貢献すると期待する。

なお、本論文第1章の一部は水内恵理、野上識、大矢禎一との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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