No | 126153 | |
著者(漢字) | 中込,滋樹 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ナカゴメ,シゲキ | |
標題(和) | 現生人類集団の「出アフリカ」拡散モデルに基づくクローン病原因候補ゲノム領域の進化学的解析 | |
標題(洋) | An evolutionary study of genome regions associated with Crohn's disease based on the "Out of Africa" human dispersal model | |
報告番号 | 126153 | |
報告番号 | 甲26153 | |
学位授与日 | 2010.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(生命科学) | |
学位記番号 | 博創域第570号 | |
研究科 | 新領域創成科学研究科 | |
専攻 | 先端生命科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 現生人類集団は約20万年前にアフリカで誕生し、約10万年前に世界各地へと拡散していった。その過程で様々な遺伝的変異が蓄積していき、その中には現在の人類集団において疾患に関係するものも含まれている。これまで遺伝病として認識される疾患の多くは、特定の家系で生じた遺伝的変異により引き起こされる「単因子疾患」であった。しかし、人類において発症頻度が高い糖尿病や高血圧などは、複数の遺伝要因と環境要因により発症する「多因子疾患」である。多因子疾患に関係する遺伝要因は、患者だけでなく健常者にもみられ、人類集団中に「common alleles(ありふれたアレル)」として存在する。つまり、ヒトの進化の過程で蓄積してきた複数の遺伝的変異が様々な環境要因の下で疾患を引き起こしていると考えられる。したがって、多因子疾患の発症メカニズムを理解するためには、なぜ疾患に関係する遺伝的変異が淘汰されずに人類集団に拡がったのかを明らかにする必要がある。これまで、鎌型赤血球貧血症原因アレルのように疾患アレルでも特定の環境下では個体の生存に有利であるために集団中に維持されることが示されている。また、過去の人類集団では有利であったアレルが現代における生活習慣の変化によって疾患リスクをもってしまった可能性もある。一方有害性はみられるが、子孫を残す上で不利である程度が低い疾患アレルは、中立アレルのように振舞うと考えられている。しかし、多因子疾患アレルを進化学的視点から捉えた研究は少なく、その頻度が変動するメカニズムはほとんど分かっていない。そこで本研究では、多因子疾患の1つであるクローン病に着目し、現生人類の「出アフリカ」拡散モデルからの逸脱を検定することでクローン病原因アレルの頻度が変動してきた進化学的メカニズムの解明を目指した。 第1章日本人とヨーロッパ人におけるクローン病原因候補遺伝子座の違い 【序論】 クローン病とは、腸の粘膜において慢性的な炎症が生じる炎症性腸疾患の1つである。臨床的には口から肛門に至るあらゆる消化管で非連続性に腸管壁を障害する場合がクローン病、直腸から連続性に大腸の粘膜を障害する場合が潰瘍性大腸炎と診断される。特にクローン病は、一卵性双生児・兄弟の間で発症率の関連が高いことから遺伝性が高い疾患であると考えられる。一方、先進国における発症率が過去50年間で急激に増加していることから、環境要因として生活習慣も発症に関係すると考えられている。クローン病はヨーロッパ人における発症率が顕著に高いことから、主にヨーロッパ人の患者と健常者を用いた全ゲノム相関解析(Genome-wide association studies)が行われてきた。それにより、これまで30以上のクローン病原因候補遺伝子座が報告されている。その1つであるNOD2では、疾患アレルがヨーロッパ人でしかみられず、東アジア人では健常者と患者双方にみられないことから、原因遺伝子が地域集団によって異なる可能性がある(図1)。しかし、日本人におけるクローン病との関連解析では本州地方の患者と健常者から成るサンプルセットを用いた先行研究があるものの、異なる地域の患者-健常者集団を用いた十分な再現性が得られていない。そこで本研究では、九州地方のサンプルセットを用いてヨーロッパ人において同定されたクローン病原因候補サイトの関連解析を行う。 【結果】 ヨーロッパ人のサンプルセットを用いて同定された30以上のクローン病原因候補遺伝子座の中から、本研究の解析対象としてクローン病との関連性について、複数の研究グループによる報告がある8つの遺伝子座(NOD2, IL23R, TNFSF15, ATG16L1, SLC22A4, SLC22A5, IRGM, 10q21)を絞り込んだ。 1-1.ヨーロッパ人のクローン病原因候補アレルに関する日本人における炎症性腸疾患関連解析 試料として、福岡大学医学部で収集されたクローン病患者130検体、潰瘍性大腸炎患者82検体、コントロール168検体を用いた。そして、合計9個のSNPsについて遺伝子型判定(SNPタイピング)を行った。各SNPサイトに関して、それぞれ患者集団とコントロール集団における疾患/非疾患アレル数を算出し、x2検定により両集団間の疾患アレル数の違いを統計学的に調べた。その結果、TNFSF15に位置する1つのSNPサイトに関して、クローン病患者及び潰瘍性大腸炎患者においてともにコントロールよりも疾患アレルの頻度が有意に高かった(図2)。この結果から7つの遺伝子座に関しては、ヨーロッパ人におけるクローン病原因候補遺伝子座が、日本人では原因ではないことが九州地方のサンプルセットでも確認された。一方TNFSF15は、日本人ではクローン病だけでなく潰瘍性大腸炎にも関連する可能性が示された。 1-2.日本人におけるクローン病と潰瘍性大腸炎に関係する疾患アレルの優性/劣性効果 次にTNFSF15における疾患アレルの優性/劣性効果(dominant; recessive; additive)を尤度比検定により調べた。その結果、クローン病ではdominantモデル、潰瘍性大腸炎ではrecessiveモデルが支持された。これは、疾患アレルの優性/劣性効果が各疾患に関係するその他の遺伝要因や環境要因の影響を受け、それらの総合的な効果により決定されることを示唆している。 第2章現生人類集団におけるクローン病原因候補ゲノム領域の進化プロセス解明 【序論】 以上の結果をふまえ、8つの遺伝子座の人類地域集団における進化プロセスを調べる。遺伝子進化の大部分は中立進化により説明でき、中立進化の下ではアレル頻度が遺伝的浮動によりランダムに変動し、最終的に固定あるいは消失する。これまでの人類学研究から、現生人類集団は約20万年前にアフリカで起源し、約10万年前にその集団の一部がアフリカから世界各地へと拡がった推定されている(出アフリカ拡散モデル)。この歴史において、単因子疾患アレルは一般に特定の家系に限定され、集団中では低い頻度であることから比較的最近に起源すると考えられるのに対して、多因子疾患であるクローン病では複数の疾患アレルが人類集団中に比較的高い頻度でみられることから、ヒトの出アフリカ以前に生じたと考えられる。つまりクローン病の疾患アレルは、少なくとも10万年以上は存在していることから、それらの頻度変動は人類集団の拡散と多様化の歴史と密接に関係していると考えられる。出アフリカに基づく中立進化モデルからは、アフリカ人ではより高い遺伝的多様性が存在するのに対して、非アフリカ人ではアフリカ人みられた一部の遺伝的多様性が観察されることが期待される。本研究では、クローン病原因候補アレルを含む広範なゲノム領域に存在する複数のSNPサイトアレルの組み合わせであるハプロタイプを調べ、中立進化を帰無仮説としてクローン病原因候補ゲノム領域の進化学的背景を明らかにする。 【結果】 2-1.HapMapデータベースを用いたin silico解析 アフリカ人1集団、ヨーロッパ人1集団、東アジア人2集団に関するSNPタイピングデータが公開されているHapMapデータベースを用いて、8つのクローン病原因候補遺伝子座において出アフリカ拡散モデルから逸脱する遺伝子座を絞り込むために、ハプロタイプ解析を行った。出アフリカ拡散モデルにおいて、非アフリカ人ではアフリカ人に存在するハプロタイプの部分集合が観察されることが期待される(図3)。 ハプロタイプ解析の結果8つの原因候補ゲノム領域の内、5つでは出アフリカ拡散モデルで説明できるハプロタイプ頻度パターンが示された。一方、残りの3つ(IRGM, TNFSF15, NOD2)では出アフリカ拡散モデルにおいて期待されるパターンから逸脱する可能性が示された。 以上のin silico解析に用いたHapMapデータベースでは、集団サンプルの数が少なく各地域の遺伝的多様性を十分に反映していない可能性がある。そこで、より多くの集団を用いて自然選択の可能性を検証する。 2-2.世界規模(グローバル)人類集団を用いたSNPタイピング・シークエンシング解析 アフリカ人4集団192個体、ヨーロッパ人4集団263個体(提供: イエール大学医学部Kidd教授)、日本人95個体のゲノムDNAサンプルを用いて、SNPタイピング及びシークエンシング解析を行い、遺伝的多様性パターンを2つの領域(TNFSF15, NOD2)について詳細に比較した。残りの1つ(IRGM)は最近の先行研究から、この領域にはDNA断片の繰り返し数の違いが存在することが報告されているが、配列データとしての実態が不明であるため本研究における解析から除外した。 (1)TNFSF15: グローバル人類集団について、in silico解析において調べた6個のSNPサイトをタイピングし、ハプロタイプパターンを調べた。その結果、アフリカ人では単一のハプロタイプ(H-1)が80%以上の頻度を占めていた(図4a)。これは、"Out of Africa"以前の人類集団から現在のアフリカ人集団に至るまでH-1以外のハプロタイプに対して何らかの強い機能制約が生じていた可能性を示している。一方、H-1はヨーロッパ人と日本人では疾患アレルを含むことから、個体の生存に重要であったハプロタイプが、ヨーロッパ人と日本人ではクローン病に関係していると考えられる。 (2)NOD2: 7個のSNPサイトについてタイピングを行い、グローバル人類集団のハプロタイプパターンを調べた。ヨーロッパ人におけるハプロタイプ頻度に着目すると、H-1、H-2、H-3が均一に高い頻度(各20~30%)で存在した(図4b)。次に、クローン病原因候補アレルを含む約1.6kbの領域についてシークエンシングを行った。その結果、アフリカ人や日本人と比べてヨーロッパ人において最も多くの変異がみられた。その中の1個のSNPは図4bのSNP-5であり、ヨーロッパ人における主要な3つのハプロタイプを約40%の均等な頻度から成る2系統(H-1・H-3系統とH-2系統)に分けていた。これらの結果は、ヨーロッパ人において2つの系統が均一に高い頻度を保ちながら長い時間維持されてきたことを意味し、いわゆる平衡選択(多型を維持する方向に働く正の自然選択)を支持する。またクローン病原因候補アレルは、約1万年前にヨーロッパ人において生じたことが示された。これは、平衡選択を受けた有利なアレルの頻度変動に伴って連鎖した疾患アレルが集団中に拡がったこと(ヒッチハイキング効果)を示唆する。 【結論】 本研究における結果から、クローン病原因アレルの多くは遺伝的浮動によりその頻度が変動してきた可能性が示され、それらは有害性が弱いために集団中に拡がったと考えられる。それに対しTNFSF15では、"Out of Africa"以前の人類集団では重要であったと考えられるハプロタイプにクローン病のリスクが生じた可能性が示され、クローン病と近代化との関係を示唆した。さらにNOD2では、疾患アレルが集団中に拡がる新しい進化学的要因として、平衡選択へのヒッチハイキング効果によりクローン病原因アレルが拡散、維持されてきた可能性が示された。特にNOD2は、細胞内受容体として細菌のリポ多糖を認識し、自然免疫反応を引き起こすことから、平衡選択を直接受けてきた可能性が十分に考えられる。これは、まさにヨーロッパ人では平衡選択の副産物としてクローン病が拡がってしまったことを示唆している。以上のことから、人類地域集団の進化プロセスがクローン病の遺伝学的背景を決定していると考えられる。本研究における成果は、多因子疾患における「地域ごとの予防医療・個別化医療」の重要性を示すものであり、そのためには今後地域集団の詳細な関連解析・進化学的分析を行う必要がある。 | |
審査要旨 | 本論文は二章からなり、第1章では、クローン病の原因候補遺伝子が日本人とヨーロッパ人では異なるという発見について述べられている。第2章では、クローン病の原因と推定される複数のゲノム領域について集団遺伝学解析がなされ、考えられる3つの進化プロセスについて述べられている。 第1章の内容は、次の通りである。ゲノムワイド連鎖解析(GWAS)により主にヨーロッパ人試料を用いて同定されたクローン病原因候補ゲノム領域は既に30座位を超えている。論文提出者は、このうち複数の研究グループによって再現性が示された8座位を文献的に選び、これら8座位について日本人(北部九州地方)のクローン病患者および健常者との間で統計学的有意差が得られるかテストした。その結果、8つのうち7つの遺伝子座で全く相関がないか、あるいは多型そのものが存在しなかった。一方、TNFSF15遺伝子ではクローン病だけでなく、クローン病と類似する疾患である潰瘍性大腸炎でも相関があることが示された。TNFSF15遺伝子のクローン病との相関は、関東地方で集められた患者試料を用いた先行研究で示されており、この再現性を示す結果であった一方、潰瘍性大腸炎との相関は論文提出者の報告が初である。なお、第1章の内奢は論文提出者を第一著者として、英国の査読つき専門誌Annals of Human Geneticsに現在in pressの状態である。 第2章の内容は、次の通りである。上記の8座位のリスク・アレルがいかなる進化プロセスを経て世界中に広がったかを明らかにする目的で、論文提出者はこれらのゲノム領域の中立性の検定を集団遺伝学の解析手法を用いておこなった。まず予備的解析として国際HapMapプロジェクトの大規模SNPデータを用いたin silico解析をおこない、これらのゲノム領域のハプロタイプ頻度パターンが中立進化を前提とした出アフリカ拡散モデルで説明しうるか検討した。その結果、8つのうち5つの座位は出アフリカ拡散モデルで説明しうるパターンを示す一方、残りの3座位(IRGM、TNFSF15、NOD2)は逸脱したパターンを示した。そこで次に論文提出者はアフリカ4集団(n=192)、ヨーロッパ4集団(n=263)、日本人(n=95)のグローバル人類集団ゲノムDNA試料を用いてSNPタイピングおよび直接塩基配列決定を行い、集団遺伝学解析を行った。その結果、TNFSF15を含むゲノム領域は出アフリカ以前(20~10万年前)のアフリカにおいて強い機能制約(background selection)を受けてきた可能性を示した。すなわち、クローン病リスクアレルは出アフリカ以前、人類にとって有利に働いてきたアレルが、出アフリカ以降の人類を取り囲む環境の変化(おそらく文明の発達など)により疾患を引き起こす原因になったと解釈しうることを論文提出者は示した。またNOD2を含むゲノム領域はヨーロッパ人において2つの系統が均一に高い頻度を保ちながら維持されてきた平衡選択の可能性を支持する結果を示した。合祖時間を算出したところNOD2のリスクアレルは、約1万年前にヨーロッパ人において生じたことが示された。すなわち、ヨーロッパで維持されてきた2つの系統が存在することが有利性を獲得したのはもっと以前と推定されるため、平衡選択を受けた有利なアレルの頻度変動に伴ってそれに連鎖したこのリスクアレルが人類集団中に拡がった(いわゆるヒッチハイキング効果)と解釈できることを論文提出者は示した。 以上のように二章からなる論文で論文提出者は、多因子疾患の1つであるクローン病に着目し、(1)その地域特異的リスク要因と(2)疾患リスクアレルが遺伝的浮動だけではなく、その遺伝子あるいは近傍のゲノム領域に連鎖して、結果的にその有利性に伴って人類集団に広がった可能性を示した。この事実は新発見であり、またこうした研究自体が本邦ではほとんど前例がなく新規性に富んでいる。これらの発見はほとんど全て論文提出者の実験とデータ解析によるものである。したがって博士(生命科学)の学位を授与できると認める。 | |
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