学位論文要旨



No 126155
著者(漢字) 林,朋美
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,トモミ
標題(和) 陸上植物の細胞における染色体分配様式の検証
標題(洋) Comprehensive Study of Chromosome Segregation Mechanisms in Land Plant Cells
報告番号 126155
報告番号 甲26155
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第572号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 准教授 真行寺,千佳子
 東京大学 講師 尾田,正二
内容要旨 要旨を表示する

序論

細胞分裂は普遍的な生命現象であり、複製されたDNAを次世代の娘細胞へ分配するための重要な過程である。染色体の分配は、極性を持つ微小管とそれに結合して微小管の動態を制御する各種微小管付随タンパク質によって構成される有糸分裂紡錘体が担っている。動物細胞では有糸分裂に先駆けて微小管からなる中心小体が複製され、前期に分離する。中心小体を包むように中心体マトリックスが集合したものが中心体であり、前期の終わりには二分した中心体のそれぞれから伸長した微小管が中心体同士を押し離す。こうして二極の紡錘体が形成される。前中期には極から伸びた微小管が染色体を両極側から捕らえ、中期に赤道面に配列させる。実際に染色体が空間的に二等分されるのは後期である。後期の染色体の移動は、紡錘体微小管の動態を反映した後期Aと後期Bの二つの過程から成ることが、動物細胞を用いた研究により知られている。後期Aは染色体の動原体部と結合した動原体微小管が短縮することにより染色体が極方向へ移動する過程であり、後期Bは、両極の中心体から伸びて赤道面で重複した微小管同士が互いを押し離す機構と(図1(1))、中心体から細胞表層へ伸びた星状体微小管が極同士を引き離す機構によって両極が離れ(図1(2))、この離れていく極に伴って染色体が移動する過程である。後期Aと後期Bは独立した機構であるが、酵母では時間的に区別できる一方で、動物細胞では重複して起こる。また、染色体分離への後期Bの寄与は動物細胞では40%以上を占め、酵母では90%に達する。

陸上植物の細胞では、中心体ではなく染色体依存的に紡錘体を形成すると考えられてきた。数種類の植物細胞においては後期Bの存在が示唆されてきたが、陸上植物の細胞では紡錘体極が明確に判別できる中心体が観られないことから、これらの明視野観察や蛍光観察では後期Bの過程が不明確であった。そこで、陸上植物のモデル細胞系としてタバコ培養細胞BY-2(Nicotiana tabacum BY-2 cultured cell, 以下BY-2細胞)とシロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)、ヒメツリガネゴケ(Physcomitrella patens)に着目し、後期紡錘体微小管の動態解析から、植物細胞における後期Bの寄与の解明を目指した。

BY-2細胞を用いた後期紡錘体伸長の測定法の開発

(1) GFP(緑色蛍光タンパク質)とRFP(赤色蛍光タンパク質)を用いた微小管と染色体の二重可視化細胞株の確立

分裂期後期の紡錘体微小管と染色体の動態を同時に捉えるために、BY-2細胞において微小管と染色体を二重可視化した形質転換株BY-GTHR(transgenic BY-2 cells stably expressing GFP-tubulin and histone H2B-RFP)を確立した(図2)。GFPと微小管構成タンパク質であるtubulinの融合タンパク質によって微小管が可視化された細胞株BY-GTを用い、この細胞内で、RFPに染色体構成タンパク質であるhistone H2Bを融合させたタンパク質を発現させ、両者を同時に可視化した。BY-GTHRは細胞形態や分裂においてBY-2細胞と差がなかった。

(2) 画像処理による染色体と紡錘体の位置変化の定量解析

数分で終了する分裂後期の短い過程を捉えるため、スピニングディスク型共焦点レーザー顕微鏡を用いて、高い時空間分解能の時系列画像を取得した。陸上植物の細胞には中心体が無く紡錘体の長さが不明確であったため、紡錘体の端を「紡錘体微小管の画像においてGFPの蛍光輝度が最大値の半分の値を示す箇所」と定義し、紡錘体の長さの推移を捉えた(図3)。その結果、紡錘体の伸長と染色体の移動が同時に起こることがわかった。この結果により、これまで陸上植物の細胞では不明瞭であった(紡錘体伸長によって染色体が移動する)後期Bの存在が明らかになった(発表論文1)。またこの解析結果から、BY-2細胞の染色体分配では、まず(動原体微小管が短縮することによって染色体が移動する)後期Aが起こり、続いて後期Aと後期Bが重複して進行することが示された。

一方、紡錘体微小管の伸長過程は生物種により大きく異なることが知られている。陸上植物の細胞と酵母や動物細胞では前述した通り紡錘体の形成機構が異なるために、紡錘体伸長過程に違いが見られると考えられるが、植物種によって異なることも示唆されている。そこで、モデル植物であるシロイヌナズナとヒメツリガネゴケを用いて後期紡錘体微小管の動態を解析し、BY-2細胞と比較した。

BY-2細胞及びシロイヌナズナ、ヒメツリガネゴケにおける後期紡錘体の伸長率の比較

(1) シロイヌナズナの根における後期紡錘体微小管の動態解析

シロイヌナズナにおいて分裂頻度が高く、観察が比較的容易な根端の細胞を用いて、紡錘体微小管の動態を解析した。

GFP-tubulinにより微小管を可視化したシロイヌナズナ植物体を用いて、紡錘体微小管の経時観察法を確立し、後期紡錘体微小管の動態を捉えることに成功した(図4)。前述の測定法を用いて紡錘体長の推移を測定した。その結果、シロイヌナズナ根端細胞の紡錘体も後期に伸長がみられた。この解析から顕花植物においても後期Bの存在が明らかとなった。

(2) ヒメツリガネゴケの原糸体における後期紡錘体微小管の動態解析

ヒメツリガネゴケの原糸体においても同様にGFP-tubulinにより微小管を可視化した植物体を用いて紡錘体微小管の経時観察法を確立し、後期紡錘体微小管の動態を観察した(図5)。紡錘体長の推移を測定した結果、ヒメツリガネゴケ原糸体の紡錘体も後期に伸長がみられた。この解析からコケ植物においても後期Bの存在が明らかとなった。

(3) BY-2細胞、シロイヌナズナ根端細胞、ヒメツリガネゴケ原糸体における後期紡錘体の伸長率の比較

「後期の終わりにおける紡錘体長」/「中期における紡錘体長」 を伸長率と定義し、BY-2細胞、シロイヌナズナ根端細胞、ヒメツリガネゴケ原糸体において算出した後期紡錘体の伸長率を比較した(表1)。ヒメツリガネゴケ原糸体の伸長率はBY-2細胞とシロイヌナズナ根端細胞よりもわずかに低い値を示したが、1.2~1.3と近い値を示した。

文献データによる他生物種における紡錘体の伸長率と後期Aと後期Bの寄与の比較

他生物種における紡錘体の伸長率を、文献データを基に計算して比較したところ、紡錘体が十分に伸びうる形態を持つ細胞(酵母、ヒト、ショウジョウバエ)では後期Bの寄与が大きいことがわかった。一方植物の細胞では、分裂時の細胞伸長は目立たない。このような細胞では、細胞に対する紡錘体のサイズが相対的に大きいため、紡錘体の伸長の余地が少なくなっている結果、後期Aの寄与が大きいものと考えられる。以上の結果から、後期Aと後期Bの寄与のバランスは細胞形態と紡錘体構造の双方に依存していると考えられる。

結論

3種類のモデル細胞系を用いた解析により、陸上植物の細胞分裂において、後期Bの寄与が一般的であることが示された。まず、BY-2細胞を用いて紡錘体の端を定義し、紡錘体長の測定法を確立した。次にBY-2細胞及びシロイヌナズナ、ヒメツリガネゴケにおいて後期の紡錘体微小管の動態を観察した。その結果、陸上植物の細胞においても紡錘体は伸長可能な構造をとっており、紡錘体伸長による染色体移動への寄与が明確に示された。特に、BY-2細胞とシロイヌナズナの根端細胞でみられた伸長率は、これまでに報告されている陸上植物における結果とは異なり、哺乳動物の細胞と近い値を示した。しかしながら、陸上植物の細胞では、明確な中心体構造は見られず、中心体から伸びる星状体微小管が紡錘体極を引き離すことによって生じる紡錘体伸長は起こらないと考えられている。陸上植物の細胞は、星状体微小管に依らない紡錘体伸長機構を発達させ、細胞形態と紡錘体構造の双方に依存した染色体分配様式を持つと考えられる。

図1. 動物細胞(上)と植物細胞(下)における分裂後期の紡錘体の模式図

図2. BY-GTHR細胞の後期の分裂装置

微小管(左)と染色体(右)

図3. 紡錘体長の定義とその測定

A、中期から後期の分裂装置のキモグラフ

B、A図pq間の蛍光輝度プロファイル

α紡錘体端-染色体の距離、

β 紡錘体長

γ染色体間の距離

C、紡錘体の端と染色体の位置の定量

図4. シロイヌナズナ根端細胞における後期紡錘体微小管の動態

図5. ヒメツリガネゴケ原糸体における後期紡錘体微小管の動態

表1. BY-2細胞、シロイヌナズナ根端細胞、ヒメツリガネゴケ原糸体細胞における紡錘体の長さと後期紡錘体の伸長率。BY-2 cellは15細胞、Arabidopsis root apex cellは9細胞、Physcomitrella protonemal cellは3細胞の平均値を示した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は2章からなり、第1章は陸上植物の細胞における分裂装置の実験観察系の確立と紡錘体の伸長測定法について述べられており、第2章は3種類の陸上植物のモデル細胞系において計測された分裂期後期の染色体分配様式の比較について述べられている。

陸上植物の細胞分裂において、後期Bの寄与が一般的であることが示された。陸上植物における3種類のモデル細胞系を用いた解析を行った。まず、BY-2細胞において分裂装置の実験観察系を確立し、紡錘体の端を定義し、紡錘体長の測定法を確立した。次にBY-2細胞及びシロイヌナズナ、ヒメツリガネゴケにおいて後期の紡錘体微小管の動態を観察した。その結果、陸上植物の細胞においても紡錘体は伸長可能な構造をとっており、紡錘体伸長による染色体移動への寄与が明確に示された。特に、BY-2細胞とシロイヌナズナの根端細胞でみられた伸長率は、これまでに報告されている陸上植物における結果とは異なり、哺乳動物の細胞と近い値を示していた。しかしながら、陸上植物の細胞では、明確な中心体構造は見られず、中心体から伸びる星状体微小管が紡錘体極を引き離すことによって生じる紡錘体伸長は起こらないと考えられている。陸上植物の細胞は、星状体微小管に依らない紡錘体伸長機構を発達させ、細胞形態と紡錘体構造の双方に依存した染色体分配様式を持つと考察していた。

なお、本論文第1章は、佐野俊夫及び朽名夏麿、佐野(熊谷)文との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク