学位論文要旨



No 126157
著者(漢字) 茂木,祐子
著者(英字)
著者(カナ) モギ,ユウコ
標題(和) 緑色藻類ヒラアオノリの性的二形性とオルガネラ遺伝に関する研究
標題(洋) Studies on sexual dimorphism and organelle inheritance in Ulva compressa (Chlorophyta)
報告番号 126157
報告番号 甲26157
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第574号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 講師 尾田,正二
 東京大学 教授 林,誠
 東京大学 准教授 小嶋,徹也
内容要旨 要旨を表示する

序論

生殖細胞は、配偶子が同じ大きさの同形配偶生殖から、異形配偶生殖を経て運動能力のない卵と小型で運動性のある精子が受精する卵生殖へと進化したと推測されている。高等動物や陸上植物の有性生殖は卵生殖であるが、これらの近縁種で同形配偶生殖、異形配偶生殖を行うものは報告されておらず、同形配偶生殖から如何にして雌雄性が生じたかは明らかでない。緑色藻類には比較的近縁な種においても同形配偶生殖、異形配偶生殖、卵生殖の3つが観察され、雌雄性の進化を考える上で興味深い分類群である。

近年、同形配偶生殖から異形配偶生殖へ進化する緑色藻類で、雌雄性の進化に関わる新たな一面が明らかとなってきた。配偶子が接合する際、一方の配偶子は眼点と同面で、もう一方の配偶子は眼点と逆面で細胞融合する。これは、眼点を基準としたときに、2つの交配型には細胞融合部位に非対称性があることを意味する。配偶子のこうした非対称性はクラミドモナスをはじめとする数種の緑色藻類で報告されているが、その交配型との関係をオルガネラ遺伝という視点で検証した例はない。本研究では、同形配偶生殖と異形配偶生殖の中間段階にあると考えられるヒラアオノリを用いて、雌雄性を示すと考えられる特質に着目し、ヒラアオノリの交配型と雌雄生殖細胞分化について解析した。

結果と考察

1.ヒラアオノリの交配型と配偶子の微細構造解析

1)ヒラアオノリの交配型と配偶子の大小の解析

採集地の異なる4系統(愛媛、長崎、岩手、樺島)のヒラアオノリを用いた。4系統間での配偶子の交雑実験を行ったところ、交配型は2つに集束し、一方を交配型プラス(mt+)、もう一方を交配型マイナス(mt-)とした。

雌雄性は、従来、配偶子間の大きさで定義される。そこでフローサイトメータを用いて4系統8株の配偶子の大きさを比較した(図1)。交配型間に明確な雌雄差は見られず、大きさにより雌雄を定義することはできなかった。一方で、愛媛系統、岩手系統ではわずかながらmt+がmt-よりも大きく、雌雄分化が起こり始めていることが示唆された(図1b)。

2)細胞融合部位の非対称性の観察

配偶子の細胞融合部位には、配偶子間の膜融合を可能にする、特別な構造(接合装置)がある。眼点と接合装置を走査型電子顕微鏡で同時に可視化する手法を開発し、交配型による接合装置の非対称性を証明した。4系統8株の配偶子をサンプル調製すると、ヒラアオノリのmt+では必ず、眼点と同面の鞭毛基部に0.6~0.8μmほどの膜から少し突き出た接合装置が見られた。一方、mt-では、眼点と逆面の鞭毛基部に接合装置が見られ、接合装置の非対称性は交配型に完全に連鎖していた。

走査型電顕で観察されたこの接合装置は、透過型電子顕微鏡で観察すると電子密度の高い膜の下に顆粒が一列に並ぶ、特徴的な構造であった。また、接合過程を観察すると、接合装置から細胞膜融合が始まり、一方の配偶子は眼点と同面で、もう一方の配偶子は眼点と逆面で細胞融合していた(図2a, b)。やがて融合面は細胞前方から後方へと進み(図2c, d)、最後に細胞膜融合が完了し接合子は球形になっていた(図2e)。

3)細胞内における眼点と接合装置の雌雄非対称性的配向

細胞内において眼点と接合装置の非対称的配向はいかにして可能になるのか、連続切片法を用いた透過型電子顕微鏡観察と配偶子の三次元立体構築により調べた。細胞内は鞭毛根によって仕切られた空間で区別できる。鞭毛根は基底小体の基部を出発点として細胞前方から後方へ伸びる微小管性の構造で、1d、1s、2d、2sの4本があり、これらは互いに十文字型に配列している。透過型電顕連続切片像から鞭毛、鞭毛根、接合装置を三次元立体構築すると、互いに十文字型に配列する4本の鞭毛根(1d, 1s, 2d, 2s)のうち、mt+の接合装置は1d鞭毛根の根元(眼点と同面)に、mt-の接合装置は2d鞭毛根の根元(眼点と逆面)にあり、交配型による接合装置の非対称的な配置が形成されていた。

ヒラアオノリの配偶子は、眼点に対する接合装置の位置に明確な非対称性があり、形態的に異なる2つのタイプに分けることができた。すなわち、眼点と同面の1d鞭毛根側に接合装置をもつmt+と、眼点と逆面の2d鞭毛根側に接合装置をもつmt-である。そこで次にこの2つの交配型が、雌と雄のどちらに相当するのか、オルガネラの遺伝様式に着目して解析した。

2.4系統間12組の交雑によるオルガネラ遺伝様式の解析

4系統8株の配偶体に配偶子形成を誘導し、4系統間12組の交雑を行った。緑色藻類の配偶子には単為発生するものがあり、交配して生育させた葉状体には胞子体(2n体)と配偶体(n体)が混在することが多い。そこで、核マーカーであるマイクロサテライトDNAマーカーを用いて、交雑個体が胞子体(2n体)であることを確認した。得られた合計377の胞子体で、本研究で新規に開発したオルガネラ遺伝マーカーを用いて葉緑体とミトコンドリアの遺伝様式を調べた。その結果、葉緑体は355例(94.2%)の割合でmt+から片親遺伝していた。一方で、ミトコンドリアは312例(83%)の割合でmt+から片親遺伝していたが、葉緑体に比べ父性遺伝や両性遺伝といったmt-の遺伝マーカーが残存する接合子が多く検出された。その出現頻度は葉緑体が22例(5.8%)、ミトコンドリアが65例(17%)で葉緑体の3倍近くになっていた。一方で、葉緑体とミトコンドリアの両方が同時に父性遺伝や両性遺伝になるということはなく、葉緑体の遺伝機構とミトコンドリアの遺伝機構はそれぞれ独立した制御が行われていることが示唆された。

3.生活環を通じた片親由来オルガネラの選択

1)接合期における片親由来オルガネラの選択

接合後6時間から1週間までの接合子を、マイクロマニュピレーションを用いた顕微操作により1細胞ずつ採取し、mt+、mt-特異的遺伝マーカーの検出を行った。ミトコンドリアDNAは、接合後6時間で分解されている個体も検出されたが、その分解時期には個体差があり、最終的にすべての個体で消失が確認されたのは接合後1週間の2細胞期の発芽体であった。また、同一個体で葉緑体遺伝マーカーも同時に検出した結果、葉緑体はミトコンドリアよりも早い時期にmt-のDNAを消失する可能性が示唆された。ミトコンドリアや葉緑体が両性遺伝する個体では、mt-のオルガネラDNAは、2細胞期の発芽体で起こる片親オルガネラDNAの分解機構を逃れ、発芽体内に残存すると考えられた。

2)胞子体葉状体の成長に伴う片親由来オルガネラの選択

ミトコンドリア両性遺伝を示す個体では、2細胞期以降もmt-のミトコンドリアDNAが残存する。そこで胞子体葉状体における雌雄ミトコンドリアDNAの分布を調べた。ミトコンドリア両性遺伝を示す胞子体葉状体を5cmほどに大きく成長させ、葉状体の根元から先端までを等間隔で分断した。各断片のDNAを用いてmt+、mt-特異的遺伝マーカーの検出を行うことで部位特異的な雌雄ミトコンドリアDNAの局在を調べた。その結果、雌雄のミトコンドリアDNAは各部位ごとに様々な局在を示し、なかには片親のDNAしか検出されない部位もあった。胞子体葉状体の成長過程で、細胞分裂に伴い雌雄ミトコンドリアゲノムの分離が起きていることが示唆された。

3)減数分裂期における片親由来オルガネラの選択

胞子体は十分に成熟すると、葉状体の先端で遊走子形成が促される。遊走子は減数分裂を経て放出された半数体(n体)で、やがて次世代の配偶体葉状体になる。ミトコンドリア両性遺伝の胞子体から放出された遊走子が雌雄のミトコンドリアDNAをもつか調べた。遊走子を放出させ、mt+、mt-特異的遺伝マーカーの検出を行ったところ、遊走子が雌雄両方のミトコンドリアをもつことは非常に稀で、雌あるいは雄どちらか一方のミトコンドリアDNAをもつことがわかった。このことから、両性遺伝であっても生活環を経ることによって、次世代の配偶体では片親遺伝になるよう保障する機構が存在することが示唆された。

結論

本研究の結果、ヒラアオノリの雌雄性に関して、以下のことが明らかとなった。

1)ヒラアオノリのmt+、mt-の配偶子は、眼点に対して接合装置の位置に明確な非対称性があり、形態的に異なる2つのタイプに分けることができた。この非対称性は交配型に完全に連鎖しており、配偶子間の大きさのように量的に変動するものでないことからも厳密に雌雄を規定するもので、配偶子の大小の分化に先立って生じた原始的な性的二形性であると考えられた。

2)形態的な性的二形性を示す配偶子を用いてオルガネラ遺伝様式を調べたところ、葉緑体は355例(94.2%)、ミトコンドリアは312例(83%)の割合でmt+から片親遺伝していた。オルガネラが方向性のある遺伝(母性遺伝)をすることを考えると、眼点と同面に接合装置をもつmt+が雌(オルガネラを伝える性)、眼点と逆面に接合装置をもつmt-が雄(オルガネラを放棄する性)であることがわかった。

3)4系統間12組という広範な交配組合せを行うと両性遺伝や父性遺伝といった例外も多数見つかることから、オルガネラ遺伝の一方向性は同種内においても厳密には保たれないことがわかった。しかしながらミトコンドリア両性遺伝を示す個体を解析すると、生活環を経ることによってミトコンドリア両性遺伝を示す例は著しく減少し、母性・父性遺伝(片親遺伝)を示す例が多数みられた。このことから、ヒラアオノリでは片親遺伝になるよう保証する機構が存在することが示唆された。

図1 フローサイトメータによる配偶子サイズの比較 樺島系統(a)、岩手系統(b)の交配型プラス、交配型マイナスの配偶子の大きさを比較した。岩手系統は雌雄分化の傾向が見られる。各系統の交配型プラス(c)、交配型マイナス(d)の測定結果をまとめた。■:交配型プラス(mt+)、□:交配型マイナス(mt-)、SS:側方散乱光

図2 接合過程の観察 愛媛系統のEc-1(mt+)とEc-2(mt-)を掛け合わせ、接合子をFE-SEMで観察した。(a)接合初期の様子。(b)融合面の拡大図。接合装置で連結し、細胞膜融合が始まっている。(c)融合面は細胞前端から、(d)やがて細胞後方へと進み、(e)膜融合が完了し接合子は球形になっていた。模式図のように接合装置がmt+とmt-で非対称に配置することにより、光受容器官である眼点は同一方向を向くことができると考えられる。E:眼点

図3 4系統間12組の交雑によるヒラアオノリのオルガネラ遺伝様式 (a)葉緑体遺伝マーカーの検出。岩手系統×樺島系統の例を示した。上段は厳密な母性遺伝、下段は母性遺伝に加え、両性遺伝も検出された。(b)12組の交雑における葉緑体の母性、両性、父性遺伝の割合。(c)ミトコンドリア遺伝マーカーの検出。岩手系統×樺島系統の例を示した。上段は母性、両性、父性遺伝が見られる。下段は厳密な母性遺伝である。(d)12組の交雑におけるミトコンドリアの母性、両性、父性遺伝の割合。■母性遺伝、■両性遺伝、□父性遺伝

審査要旨 要旨を表示する

本論文は2章からなり、第1章は緑藻ヒラアオノリの交配型と配偶子の微細構造解析、第2章は4系統間12組の交雑によるオルガネラ遺伝様式の解析について述べられている。

緑色藻類は同形の配偶子が異型化し卵生殖へと至る雌雄の進化過程が見られ、雌雄性の進化を研究する良いモデル生物である。緑藻の配偶子は接合する際、一方の配偶子は眼点と同面で、もう一方の配偶子は眼点と逆面で細胞融合する。これは、眼点を基準としたときに、2つの交配型には細胞融合部位に非対称性があることを意味する。細胞融合部位の非対称性はクラミドモナスをはじめとする数種の緑色藻類で報告されているが、その交配型との関係をオルガネラ遺伝という視点で検証した例はない。本論文提出者の茂木祐子は、同形配偶生殖と異形配偶生殖の中間段階にあると考えられる緑色藻類ヒラアオノリを用いて、細胞融合部位にあるとされる接合装置を走査型電子顕微鏡で可視化する手法を開発し、2つの交配型間で眼点に対して接合装置が非対称に配置することを明らかにした。また、接合装置の非対称性と雌雄との関係性をオルガネラ遺伝の観点から明らかにした。これは、緑色藻類の雌雄生殖細胞分化を理解する上で極めて重要な知見である。

第1章では、フィールドエミッション型走査型電子顕微鏡および透過型電子顕微鏡を用いてヒラアオノリ配偶子の微細構造解析を行い、接合装置の非対称性を観察している。産地の異なる4系統8株の配偶子をサンプル調製すると、ヒラアオノリのmt+では必ず、眼点と同面の鞭毛基部に0.6~0.8μmほどの膜から少し突き出た接合装置が見られた。一方、mt-では、眼点と逆面の鞭毛基部に接合装置が見られ、接合装置の非対称性は交配型に厳密に連鎖していた。走査型電顕で観察された接合装置は、透過型電子顕微鏡で観察すると電子密度の高い膜の下に顆粒が一列に並ぶ、特徴的な構造であった。これは他の緑色藻類で観察されている接合装置構造と一致する。また、接合過程を観察すると、接合装置から細胞膜融合が始まり、一方の配偶子は眼点と同面で、もう一方の配偶子は眼点と逆面で細胞融合していた。やがて融合面は細胞前方から後方へと進み、最後に細胞膜融合が完了し接合子は球形になっていた。

細胞内において眼点と接合装置の非対称的配向はいかにして可能になるのか、連続切片法を用いた透過型電子顕微鏡観察と配偶子の三次元立体構築により調べた。細胞内は鞭毛根によって仕切られた空間で区別できる。鞭毛根は基底小体の基部を出発点として細胞前方から後方へ伸びる微小管性の構造で、1d、1s、2d、2sの4本があり、これらは互いに十文字型に配列している。透過型電顕連続切片像から鞭毛、鞭毛根、接合装置を三次元立体構築すると、互いに十文字型に配列する4本の鞭毛根(1d, 1s, 2d, 2s)のうち、mt+の接合装置は1d鞭毛根の根元(眼点と同面)に、mt-の接合装置は2d鞭毛根の根元(眼点と逆面)にあり、交配型による接合装置の非対称的な配置が形成されていた。

第2章では、4系統間12組の交雑によるオルガネラ遺伝様式について述べられている。オルガネラ遺伝様式は、系統間でのオルガネラDNA多型を用いたオルガネラ遺伝マーカーにより調べた。葉緑体では、先行研究で得られていた葉緑体遺伝子の部分配列を基に、インバースPCR法により新たに多型を探索し、PCR解析、PCR-RFLP、PCR-SSP解析で識別できる遺伝マーカーを新規に3つ単離した。ミトコンドリア遺伝マーカーに関しても新規に7つ作製し、葉緑体も含め計10の遺伝マーカーで4系統間のオルガネラDNA多型全てを識別できるようにした。4系統8株の配偶体に配偶子形成を誘導し、4系統間12組の交雑を行った。得られた合計377の胞子体でオルガネラ遺伝マーカーを用いて葉緑体とミトコンドリアの遺伝様式を調べた。その結果、葉緑体は355例(94.2%)の割合でmt+から片親遺伝していた。一方で、ミトコンドリアは312例(83%)の割合でmt+から片親遺伝していたが、葉緑体に比べ父性遺伝や両性遺伝といったmt-の遺伝マーカーが残存する接合子が多く検出された。その出現頻度は葉緑体が22例(5.8%)、ミトコンドリアが65例(17%)で葉緑体の3倍近くになっていた。一方で、葉緑体とミトコンドリアの両方が同時に父性遺伝や両性遺伝になるということはなく、葉緑体の遺伝機構とミトコンドリアの遺伝機構はそれぞれ独立した制御が行われていることが示唆された。

なお、本論文第1章は、加賀美弥生、桑野和可、宮村新一、河野重行との共同研究で、共著論文として論文発表もしているが、本論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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