学位論文要旨



No 126160
著者(漢字) 石田,幸子
著者(英字)
著者(カナ) イシダ,サチコ
標題(和) Ca2+振動形成におけるホスホリパーゼCβ1およびβ4の役割
標題(洋)
報告番号 126160
報告番号 甲26160
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第577号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅野,純夫
 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 准教授 大海,忍
 東京大学 准教授 田口,英樹
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

ホルモンやオータコイド等の細胞外刺激は、多くの細胞において細胞質Ca(2+)濃度の一過性の上昇(Ca(2+)スパイク)が周期的に起きるCa(2+)振動を引き起こす。Ca(2+)振動の周波数は細胞外刺激強度(濃度)に依存して変化し、またCa(2+)振動の周波数に応じて遺伝子の発現効率や特異性といった細胞応答が変化することから、細胞は細胞外刺激の強度というアナログ信号をCa(2+)スパイクの周波数というデジタル信号に変換し情報を伝えていると考えることができる。Ca(2+)振動は主に細胞内Ca(2+)貯蔵器官からのCa(2+)放出によって生じており、Gタンパク質共役型受容体やチロシンキナーゼ共役型受容体の活性化により産生され、細胞内Ca(2+)放出チャネルの開口を誘導する水溶性のセカンドメッセンジャーであるイノシトール三リン酸(IP3)が細胞外刺激による細胞内Ca(2+)シグナル生成に関与していることが知られているが、これまでのところ細胞外刺激強度に応じてCa(2+)振動の周波数が変化するメカニズムはよくわかっていない。

Ca(2+)シグナル研究のモデルシステムとして多用されてきたヒト子宮頸部癌細胞由来のHeLa細胞を用いて、ヒスタミン刺激により生じるCa(2+)振動の際の細胞質のIP3動態が、IP3受容体・Ca(2+)放出チャネルのIP3結合部位を利用した蛍光センサータンパク質IRIS-1により測定された(Matsu-ura, T., et al., J. Cell Biol., 173, 755-765, 2006)。観察されたIP3動態は予想されたCa(2+)振動と同期した変動、もしくは定常上昇のどちらとも異なり、Ca(2+)振動に伴い徐々に細胞質に蓄積し、その上にCa(2+)振動と同期した小さな振動が乗るというものであった。さらに細胞質Ca(2+)濃度を人為的に制御することで、HeLa細胞におけるIP3産生には、(1)ヒスタミン刺激のみによって誘導される速い成分、(2)細胞質Ca(2+)濃度上昇のみによって誘導される遅い成分、(3)ヒスタミン刺激と細胞質Ca(2+)濃度上昇により、それぞれ単独の場合の線形和とは異なる一過性の速い成分と大きな遅い成分が含まれることが示されているが(図1)、それぞれの成分が実際の細胞において特定の周波数のCa(2+)振動を誘発するIP3動態形成にいかに関与しているかについては不明であった。

本研究では、small interfering RNA(siRNA)を用いてHeLa細胞に発現しているIP3産生酵素であるホスホリパーゼC(PLC)アイソザイムを選択的にノックダウンすることによりIP3動態形成に関与しているPLCタイプを同定し、それぞれのアイソザイムが細胞内Ca(2+)振動形成にどのように寄与しているかを単一細胞の細胞質Ca(2+)およびIP3濃度変動を同時にイメージングすることにより解析した。

実験手法

Reverse Transcription Polymerase Chain Reaction (RT-PCR)

HeLa細胞に発現するPLCアイソザイムを調べるため、HeLa細胞からトータルRNAを抽出し、ランダムプライマーを用いて逆転写反応を行い、各PLCアイソザイム特異的なプライマーを用いてPCR反応を行った。プライマー設計はPrime3ソフトウェアを用いて行い、全てのスプライスバリアントを認識するよう設計した。

siRNAによるPLCアイソザイムの選択的ノックダウン

PLCのノックダウンは、各アイソザイムに対してそれぞれ2種類の配列の異なるsiRNAを用いて行った。各siRNAのGC含量に合わせて、同じGC含量でランダムな配列を持つsiRNAをネガティブコントロールとして用いた。siRNAはLipofectAMINE 2000 (Invitrogen)を用いて細胞に導入した。最終的なsiRNA濃度は20nMとし、トランスフェクションから8~10時間後に培地の交換を行った。ノックダウンの効率は、各PLCアイソザイムに特異的な抗体を用いた全細胞抽出液のウェスタンブロットによって確認した。

蛍光イメージング

siRNAのトランスフェクションから36~42時間後にIRIS-1をコードする発現ベクターをTransIT(Mirus)を用いて細胞に導入し、siRNAのトランスフェクションから60~72時間後に蛍光イメージングを行った。細胞内Ca(2+)を検出するために、5 μMのIndo-5F AM(Invitrogen)を30~45分間室温で細胞に取り込ませた。蛍光イメージングは、37℃で20mM Hepes pH7.4、115mM NaCl、5.4mM KCl、1mM MgCl2、2mM CaCl2、および10mM グルコースを含むBalanced salt solution (BSS)を2ml/minの速度で還流しながら行った。細胞質のCa(2+)濃度を人為的に操作する実験では、予め細胞外液にCa(2+)を含まない条件で1μMタプシガルジン処理により、細胞内Ca(2+)貯蔵ストアのCa(2+)を枯渇させた細胞を用いた。この細胞では、ストアの枯渇により細胞膜上のCa(2+)チャネルが持続的に活性化される為、細胞内のCa(2+)濃度上昇をIP3受容体からのCa(2+)放出を介さずに、細胞外液からのCa(2+)流入によって誘導することができる。イメージングにはIX-71倒立蛍光顕微鏡(オリンパス)、ORCA-ER CCDカメラ(浜松ホトニクス)、および40×対物レンズ(NA 1.35)を用いた。IRIS-1とIndo-5Fの蛍光変化を同時に測定するため、W-viewシステム(浜松ホトニクス)に460-490nmフィルター(IRIS-1およびIndo-5F用)とロング・パス520nmフィルター(IRIS-1用)、および2つの505nmのダイクロイック・ミラーを装着して測定を行った。IRIS-1とIndo-5Fの連続的な蛍光の切り替えは、高速光路切替機DG-4(Shutter Instrument Co.)および425-445nmフィルター(IRIS-1 励起波長)、330-348nmフィルター(Indo-5F励起波長)、450nmのダイクロイック・ミラーを用いて行った。Ca(2+)振動の測定は1または0.5Hzで行い、タプシガルジン処理した細胞を用いた蛍光イメージングでは、0.5または0.25Hzで行った。データの取り込みはMetaFluorソフトウェア(モレキュラーデバイス)を用いて行った。

結果と考察

HeLa細胞で発現しているPLCアイソザイムの解析

RT-PCR解析により、HeLa細胞ではPLCβ1、β3、β4、γ1、δ3、εが発現していることがわかった。これらの6つのPLCアイソザイムについて、HeLa細胞の全細胞抽出液を用いたウェスタンブロット法によって、タンパク質レベルで発現していることを確認した。

ヒスタミン刺激およびCa(2+)濃度上昇によって活性化するPLCアイソザイムの同定

HeLa細胞で発現が確認されたPLCβ1、β3、β4、γ1、δ3、εのそれぞれについて、配列の異なる2種類のsiRNAを用いて選択的ノックダウンを試みた。siRNA をトランスフェクションした細胞をアイソザイム特異的抗体を用いたウェスタンブロットにより解析したところ、εを除くすべてのアイソザイムについてウェスタンブロットの検出限界以下程度にまで発現を抑制できることがわかった。なお、各アイソザイムのノックダウンにより他のアイソザイムの発現効率は有意に変化しなかった。そこでそれぞれのPLCタイプを特異的にノックダウンした細胞を用いて、(1)ヒスタミン刺激のみによって誘導されるIP3産生、(2)細胞質Ca(2+)濃度上昇のみによって誘導されるIP3産生、および(3)ヒスタミン刺激と細胞質Ca(2+)濃度上昇を組み合わせたときに誘導されるIP3産生をIP3センサータンパク質であるIRIS-1を用いて測定した。その結果、ヒスタミン刺激のみによって産生されるIP3がPLCβ4ノックダウンによってコントロールsiRNAをトランスフェクションした細胞の42.2%に減少し、ヒスタミン刺激と細胞質Ca(2+)濃度上昇を組み合わせたときに産生されるIP3がPLCβ1ノックダウンにより45.6%に、またPLCβ4ノックダウンにより51.6%にそれぞれ減少することがわかった。細胞質Ca(2+)濃度上昇のみによって産生されるIP3については、PLCδ3をノックダウンした細胞で、コントロールsiRNAをトランスフェクションした細胞よりも75.6%増加していたが、他のどのPLCアイソザイムをノックダウンしてもIP3産生量が有意に低下する効果は見られなかった。以上の結果から、ヒスタミン受容体の活性化と細胞質Ca(2+)濃度上昇を組み合わせることで観察された非線形な一過性のIP3産生はPLCβ1およびPLCβ4によって担われており、細胞質Ca(2+)濃度が上昇することで観察されるゆっくりとしたIP3産生には複数のPLCアイソザイムが寄与していることが示唆された。

Ca(2+)振動形成におけるPLCβ1およびPLCβ4の役割

PLCβ1およびPLCβ4のCa(2+)振動形成における役割を調べるために、それぞれのPLCアイソザイムをノックダウンした細胞を用いてヒスタミンによって誘導される細胞内Ca(2+)およびIP3濃度変動をIndo-5FシグナルおよびIRIS-1シグナルの同時計測により測定した。代表的な結果を図2に示す。

5分間のヒスタミン刺激中に増加したIP3の積算値の平均は、PLCβ1をノックダウンした細胞ではコントロールsiRNAをトランスフェクションした細胞の59.3%に低下した。3 μMヒスタミン刺激により、コントロール細胞では66.7%の細胞がCa(2+)振動を示したが、PLCμ1をノックダウンした細胞では22.0%とコントロール細胞のおよそ1/3に低下していた。PLCβ1をノックダウンした細胞で見られたCa(2+)振動の周波数の平均は27.4 mHzであり、コントロール細胞の26.2 mHzとほぼ同じ値を示した。

PLCβ4をノックダウンした細胞では5分間のヒスタミン刺激中に増加したIP3の積算値の平均は、コントロール細胞の46.1%に低下していた。3 μMヒスタミン刺激によりPLCμ4をノックダウンした細胞では47.0%の細胞がCa(2+)振動を示したが、興味深いことにCa(2+)振動の周波数の平均値は17.0 mHzであり、コントロール細胞よりも有意に低下していた。なお、増加したIP3の積算値がほぼ同じ細胞であっても、PLCβ1をノックダウンした細胞よりもPLCβ4をノックダウンした細胞の方が低い周波数のCa(2+)振動を示したことから、単純に産生されたIP3量ではなく、PLCアイソザイムに固有な性質の違いによりCa(2+)振動の周波数が影響を受けると考えられた。以上の結果から、PLCβ1が主にCa(2+)振動の維持に重要な働きをしており、PLCβ4がCa(2+)振動の周波数制御に関与することが示唆された。

図1 HeLa細胞における複数のIP3産生成分

Ca(2+)ポンプ阻害剤であるタプシガルジンで細胞内Ca(2+)貯蔵器官内のCa(2+)を枯渇させた細胞に、図に示した刺激を加えた時の細胞質IP3濃度(上;青線)およびCa(2+)濃度(下;赤線)変化を示す。

図2 PLCβ1およびPLCβ4をノックダウンした細胞のIP3およびCa(2+)濃度変化

横棒で示した時間に3 μMヒスタミンを添加した。IP3濃度変化を青線(上;IRIS-1シグナル)、Ca(2+)濃度変化を赤線(下;Indo-5Fシグナル)で示す。

審査要旨 要旨を表示する

ホルモンやオータコイド等の細胞外刺激を受けた細胞内では、細胞質Ca(2+)濃度が周期的に上昇・下降するCa(2+)振動が観察される。刺激物質の濃度上昇に依存してCa(2+)振動の周波数が変化することや、その周波数に依存して遺伝子発現の効率や特異性、Ca(2+)依存性の酵素活性が変化することが報告されていることから、細胞は刺激物質の"濃度"というアナログ情報をCa(2+)振動の"周波数"というデジタル情報に変換して細胞内に伝えていると考えることができる。細胞がどのように情報変換を行っているのか、つまり、Ca(2+)振動の発振機構については多くの研究が行われてきたが、未だ解明されていない。本研究では、小胞体からのCa(2+)放出を誘導するセカンドメッセンジャーであるIP3の濃度変化がどのように産みだされているのかを解明することから、Ca(2+)振動の発振機構の解明に迫った。IP3産生酵素であるホスホリパーゼC(PLC)は全部で13種類存在し、サブタイプ(β、γ、δ、ε、η、ζ)ごとに活性化機構が異なることが知られている。また、全てのPLCがCa(2+)の結合によって活性を上昇させものの、そのCa(2+)依存性は個々に異なっていることから、Ca(2+)振動時のIP3動態も複雑に制御されていることが予想された。

本論文は大きく分けて2部構成の内容から成り、前半部分では、モデル細胞として用いたヒト子宮頸部癌細胞由来のHeLa細胞をヒスタミン刺激した時に誘導されるIP3産生が、どのPLCアイソザイムによって担われているのかについて同定実験を行った内容が述べられている。まず、PLCの発現解析を行い、HeLa細胞にはPLCβ1、β3、β4、γ1、δ3、およびεが発現していることを明らかにした。同定実験の手法としては、蛍光共鳴エネルギー転移(FRET)技術を利用したIP3センサーであるIRIS-1を発現させたHeLa細胞に、Ca(2+)指示薬であるIndo-5Fを導入し、生細胞内でのIP3とCa(2+)の同時イメージングを行った。更に、発現する6つのPLCアイソザイム個々の活性を評価する為、siRNAを用いて個々のPLCアイソザイムを選択的にノックダウンした細胞を用いた。同定実験には、薬理学的な手法によって小胞体からのCa(2+)放出を抑制したうえで、細胞外からの流入によって細胞質のCa(2+)濃度上昇をもたらす、Ca(2+)濃度を人工的に制御する実験系を用いた。この実験系をHeLa細胞に用いた報告では、ヒスタミン受容体の活性化のみによってもたらされるIP3と細胞質Ca(2+)濃度上昇のみによってもたらされるIP3は時間スケールの異なる成分であることが示されている。更に、ヒスタミン刺激と細胞質Ca(2+)濃度上昇を同時にもたらすと、一過性の速い成分(成分1)と後に続くゆっくりとした成分(成分2)の2つのIP3が観察された。成分1のIP3はヒスタミン刺激のみのIP3およびCa(2+)濃度上昇のみのIP3の単純な足し合わせではないことから、相乗効果により産みだされていると考えられ、この相乗的なIP3産生にPLCβ1およびPLCβ4が関与することを明らかにした。興味深いことに、Gタンパク質によって活性化される同じPLCβのサブタイプでありながら、PLCβ3はヒスタミン刺激の下流で全く活性化されないことが示された。また、PLCβ4はヒスタミン刺激のみでも活性化されたが、PLCβ1はCa(2+)濃度上昇を伴って初めてヒスタミン刺激によって活性化されることが示され、Ca(2+)依存性に違いがあることが示唆された。

本論文の後半部分では、PLCβ1およびPLCβ4のCa(2+)振動形成における異なる役割についての実験内容が述べられている。生理的な条件下でノックダウン細胞をヒスタミン刺激したところ、PLCβ1およびPLCβ4ノックダウン共に、刺激開始直後のIP3産生速度(IRIS-1シグナルの傾き)および刺激中のIP3産生量(IRIS-1シグナルの積算値)がコントロールに比べて有意に減少していた。このことから、PLCβ1およびPLCβ4は刺激開始直後のIP3濃度の上昇速度を決めていることが示唆された。また、PLCβ1をノックダウンした細胞では顕著にCa(2+)振動を生じる細胞の割合が減少していたことから、PLCβ1の活性がCa(2+)振動の維持に重要であることが示唆された。一方、PLCβ4をノックダウンした細胞ではCa(2+)振動の周波数が低下していたことから、PLCβ4がCa(2+)振動の周波数制御に関与することが示唆された。

以上、本論文は、複雑なIP3-Ca(2+)シグナルネットワークの中で、ヒスタミン受容体の活性化のシグナル経路とCa(2+)によるフィードバック経路を切り分けてPLCの酵素活性を評価するというユニークな研究アプローチにより、PLCβ1およびPLCβ4がヒスタミン刺激とCa(2+)濃度上昇の同時性を検出して相乗的なIP3成分を産みだしていることを明らかにした。また、これまでは同一視されてきた同じPLCβのサブタイプの中でも、アイソザイムによってCa(2+)振動形成における役割が異なることを初めて報告した重要な研究成果であり、個々のPLCアイソザイムの微細な性質の違いや、その他のCa(2+)シグナルネットワーク分子の詳細な性質明らかにしていくことの重要性を提唱した報告である。したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク