学位論文要旨



No 126163
著者(漢字) 小林,俊寛
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,トシヒロ
標題(和) 胚盤胞補完法を利用した多能性幹細胞からの臓器作出
標題(洋)
報告番号 126163
報告番号 甲26163
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第580号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中内,啓光
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 三宅,健介
 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 准教授 田中,廣壽
内容要旨 要旨を表示する

患者自身の幹細胞を使って実質臓器を構築することは再生医療の究極的な目標の一つである。そのための細胞ソースとして期待されているのが生体内のすべての細胞に分化が可能な多能性幹細胞である。多能性幹細胞としては、ヒト受精卵から胚性幹細胞 (Embryonic Stem cell: ES細胞) が樹立されて以降、これを用いた臨床応用を目指した多くの研究が進められてきた。特に近年、誘導型多能性幹細胞 (induced Pluripotent Stem cell : iPS細胞) 技術の開発により、特定の転写因子の導入により終末分化した体細胞を ES 細胞とほぼ同等の能力を持つ細胞に容易かつ再現性よく転換できることが可能となった (Takahashi et al., 2007; Takahashi and Yamanaka, 2006)。これにより"自身の多能性幹細胞"から in vitro で望みの細胞系譜に効率的に分化誘導することへの道が開け、糖尿病やパーキンソン病などの治療に応用されようとしている。しかし、これらの治療は細胞治療であり、臓器移植のための実質臓器の作出となると、三次元的な構造、多岐にわたる機能細胞の複合体という特徴をもつ臓器を in vitro で構築することは極めて難しいと考えられる。そこで我々は多能性幹細胞が持つ大きな特徴の一つである"キメラ形成能 = 発生過程への寄与"を利用し、"胚盤胞補完法 (Blastocyst complementation)"の技術を応用することで in vivoで多能性幹細胞由来の臓器構築を試みた。

胚盤胞補完法は 1993 年に Chen らによって報告された (Chen et al., 1993)。彼らは免疫グロブリンの構成に必要な酵素 Rag2 を欠損し、成熟したリンパ球を持たない Rag2 ノックアウト (KO) マウスの胚盤胞に正常な ES 細胞を注入することでキメラマウスを作製した。それらを解析したところ、成熟したリンパ球はすべて ES 細胞由来のものであった。我々はこの原理を応用し、遺伝的に特定の細胞系譜さらには臓器が欠損したマウスの発生段階における"空き"を利用することで、外から注入した多能性幹細胞由来の臓器が作れないかと考え、以下の実験を行った。

(1) 胚盤胞補完法を用いたマウス多能性幹細胞由来の臓器作出 (図A)

まず我々は胚盤胞補完法により臓器が作出可能か、腎臓および膵臓をターゲットとし、マウス多能性幹細胞を用いて検証した。腎臓、膵臓ともに発生過程の特徴から非常に多様な機能細胞からなる臓器で、その複雑さからin vitro における多能性幹細胞からの分化誘導・3次元的な構築は困難とされる。そこで胚盤胞補完法によりこれらを作出するため、臓器の"空き"を持ったマウスとして、腎臓欠損を示す Sall1KO マウスおよび膵臓欠損を示す Pdx1KO マウスを用いることにした。それらの胚に、成体の EGFP トランスジェニックマウスより樹立した iPS 細胞を注入し、仮親の子宮への移植後、妊娠満期で取り出した新生児を解析した。その結果、iPS 細胞の寄与が認められた Sall1KO マウスでは一様に EGFP 蛍光を示す腎臓が、Pdx1KO マウスでは一様に EGFP 蛍光を示す膵臓がそれぞれ作出できた。それらの組織切片標本を作製し、組織学的に EGFP 陽性細胞の分布と構成細胞の機能マーカーとの相関を確認したところ、Sall1KO マウスでは糸球体や上皮細胞といった腎臓を構成する主要な細胞の多くが EGFP 陽性であり、Pdx1KO マウスでは膵臓を構成する外分泌組織、内分泌組織、膵管のそれぞれがすべてEGFP 陽性であった。一方で両者ともに血管など KO された遺伝子の影響を受けない組織には EGFP 陽性細胞がモザイク状に存在していた。機能面では、iPS 細胞由来の腎臓を持った個体は新生児期で膀胱中に尿の蓄積が認められたことからその合成が正常であることが示唆され、iPS 細胞由来の膵臓を持った個体は高血糖などの症状を示すことなく成体まで発育し、正常な耐糖能も獲得していた。これらの結果は ES 細胞を用いた場合も同様であった。また iPS 細胞由来の膵臓から単離した膵島を用い治療モデルを示すことにも成功した。以上より、胚盤胞補完法によりマウス多能性幹細胞由来の機能的な臓器を作出できることがわかった。

(2) マウスおよびラット多能性幹細胞を用いた異種間キメラの成立 (図B)

胚盤胞補完法の究極的な目標は、この原理を利用し特定の臓器を欠損させた異種の生体内を使ってヒト多能性幹細胞由来の臓器を作製することである。そのためには注入された多能性幹細胞が異種の胚発生に同調・寄与し、その生体内において機能的な組織、臓器を作り出せるかが重要な点となる。そこで次に我々は異種間におけるキメラ形成能を確認するため、多能性幹細胞を用いたマウス-ラット間の異種間キメラ作製を試みた。マウス多能性幹細胞をラット胚に、逆にラット多能性幹細胞をマウス胚に注入したところ、マウスおよびラットの多能性幹細胞はお互いの胚発生に寄与し、出生後も生存可能な異種間キメラ形成が可能であった。個体内で多能性幹細胞由来の細胞の分布を EGFP 蛍光を指標に確認したところ、ほぼすべての組織において EGFP 陽性の注入した異種由来の細胞の存在が確認された。以上のことより、多能性幹細胞を用いた異種間キメラ作製は可能であり、注入された多能性幹細胞は異種の環境においても正常に胚発生を経て全身の機能的な細胞に分化できることが示された。

(3) 異種間胚盤胞補完法を用いたラット多能性幹細胞由来の臓器作出 (図C)

以上 2 つの知見を組み合わせ、我々はラット iPS 細胞を Sall1KO マウスおよび Pdx1KO マウスの胚盤胞に注入することで異種間胚盤胞補完法を介してラットの腎臓および膵臓を作出しようと試みた。その結果、Pdx1KO マウスにおいてラット iPS 細胞の寄与が認められた場合、一様に EGFP 蛍光を示すラット iPS 細胞由来の膵臓を作出することに成功した。それらは組織学的な解析においても一様に EGFP 蛍光を示す細胞で構成されているだけでなく、膵臓の機能マーカーも陽性であった。またこのラット iPS 細胞由来の膵臓を持った Pdx1KO マウスは成体にも発育し、正常な耐糖能を獲得していることが分かった。一方で、Sall1KO マウスにおいては、ラット iPS 細胞の寄与が認められ異種間キメラが成立しているにもかかわらず Sall1KO マウスには腎実質が存在せず尿管のみしか見られなかった。

以上より、我々は異種の体内を使って胚盤胞補完法により臓器を作出するという原理を証明することに成功した。この原理を応用すれば患者自身に由来するヒト多能性幹細胞からも in vivo を介して臓器を作出できるかもしれない。本研究で証明した原理が、臓器形成メカニズムの理解のために用いる実験系としてだけでなく、臓器再生といった究極的な再生医療ための最初のステップとなることを期待したい。

Chen, J., Lansford, R., Stewart, V., Young, F., and Alt, F. W. (1993). RAG-2-deficient blastocyst complementation: an assay of gene function in lymphocyte development. Proc Natl Acad Sci U S A 90, 4528-4532.Takahashi, K., Tanabe, K., Ohnuki, M., Narita, M., Ichisaka, T., Tomoda, K., and Yamanaka, S. (2007). Induction of pluripotent stem cells from adult human fibroblasts by defined factors. Cell 131, 861-872.Takahashi, K., and Yamanaka, S. (2006). Induction of pluripotent stem cells from mouse embryonic and adult fibroblast cultures by defined factors. Cell 126, 663-676.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は胚盤胞補完法という方法を応用して多能性幹細胞からの臓器作出を試みた研究成果をまとめたものである。患者自身の幹細胞を使って実質臓器を構築することは再生医療の究極的な目標の一つであり、そのための細胞ソースとして期待されているのが生体内のすべての細胞に分化が可能な多能性幹細胞である。多能性幹細胞としては、ヒト受精卵から胚性幹細胞 (Embryonic Stem cell: ES細胞) が樹立されて以降、これを用いた臨床応用を目指した多くの研究が進められてきた。特に近年、誘導型多能性幹細胞 (induced Pluripotent Stem cell : iPS細胞) 技術の開発により、特定の転写因子の導入により終末分化した体細胞を ES 細胞とほぼ同等の能力を持つ細胞に容易かつ再現性よく転換できることが可能となった。これにより"自身の多能性幹細胞"から in vitro で望みの細胞系譜に効率的に分化誘導することへの道が開け、糖尿病やパーキンソン病などの治療に応用されようとしている。しかし、これらの治療は細胞治療であり、臓器移植のための実質臓器の作出となると、三次元的な構造、多岐にわたる機能細胞の複合体という特徴をもつ臓器を in vitro で構築することは極めて難しいと考えられる。そこで論文提出者は多能性幹細胞が持つ大きな特徴の一つである"キメラ形成能 = 発生過程への寄与"を利用し、"胚盤胞補完法"の技術を応用することで in vivoで多能性幹細胞由来の臓器構築を試みた。

胚盤胞補完法は 1993 年に Chen らによって報告された。彼らは免疫グロブリンの構成に必要な酵素 Rag2 を欠損し、成熟したリンパ球を持たない Rag2 ノックアウト (KO) マウスの胚盤胞に正常な ES 細胞を注入することでキメラマウスを作製した。それらを解析したところ、成熟したリンパ球はすべて ES 細胞由来のものであった。論文提出者はこの原理を応用し、遺伝的に特定の細胞系譜さらには臓器が欠損したマウスの発生段階における"空き"を利用することで、外から注入した多能性幹細胞由来の臓器が作れないかと考えた。

まず胚盤胞補完法により臓器が作出可能か、腎臓および膵臓をターゲットとし、マウス多能性幹細胞を用いて検証した。胚盤胞補完法によりこれらを作出するため、臓器の"空き"を持ったマウスとして、腎臓欠損を示す Sall1KO マウスおよび膵臓欠損を示す Pdx1KO マウスを用いた。それらの胚に、成体の EGFP トランスジェニックマウスより樹立した iPS 細胞を注入し、仮親の子宮への移植後、妊娠満期で取り出した新生児を解析した。その結果、iPS 細胞の寄与が認められた Sall1KO マウスでは一様に EGFP 蛍光を示す iPS 細胞由来の腎臓が、Pdx1KO マウスでは一様に EGFP 蛍光を示す iPS 細胞由来の膵臓がそれぞれ作出できた。

胚盤胞補完法の究極的な目標は、この原理を利用し特定の臓器を欠損させた異種の生体内を使ってヒト多能性幹細胞由来の臓器を作製することである。そのためには注入された多能性幹細胞が異種の胚発生に同調・寄与し、その生体内において機能的な組織、臓器を作り出せるかが重要な点となる。そこで次に論文提出者は異種間におけるキメラ形成能を確認するため、多能性幹細胞を用いたマウス-ラット間の異種間キメラ作製を試みた。マウス多能性幹細胞をラット胚に、逆にラット多能性幹細胞をマウス胚に注入したところ、マウスおよびラットの多能性幹細胞はお互いの胚発生に寄与し、出生後も生存可能な異種間キメラ形成が可能であった。また注入された多能性幹細胞が異種の環境においても正常に胚発生を経て全身の機能的な細胞に分化できることも示された。

以上 2 つの知見を組み合わせ、ラット iPS 細胞を Sall1KO マウスおよび Pdx1KO マウスの胚盤胞に注入することで異種間胚盤胞補完法を介してラットの腎臓および膵臓を作出しようと試みた。その結果、Pdx1KO マウスにおいてラット iPS 細胞の寄与が認められた場合、一様に EGFP 蛍光を示すラット iPS 細胞由来の膵臓を作出することに成功した。一方で、Sall1KO マウスにおいては、ラット iPS 細胞の寄与が認められ異種間キメラが成立しているにもかかわらず Sall1KO マウスには腎実質が存在せず尿管のみしか見られなかった。

以上より、論文提出者が主体となり、最終的に異種の体内を使って胚盤胞補完法により臓器を作出するという原理を証明することに成功した。この成果は将来的なヒト多能性幹細胞由来の臓器作出に向けた重要な足がかりとなる研究で、博士 (生命科学) の学位を授与できると認められる。

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