学位論文要旨



No 126168
著者(漢字) 丹羽,達也
著者(英字)
著者(カナ) ニワ,タツヤ
標題(和) 再構築型無細胞タンパク質合成系を用いたタンパク質凝集の網羅的解析
標題(洋)
報告番号 126168
報告番号 甲26168
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第585号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 田口,英樹
 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 准教授 津本,浩平
 東京大学 准教授 和田,猛
 東京大学 准教授 鈴木,穣
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

リボソーム上で合成された新生タンパク質は、その全てが簡単に固有の構造を取れるわけではなく、分子シャペロンの助けがなければ固有の立体構造へと辿り着けずに凝集してしまうものも少なくない。ところが、どのようなアミノ酸配列を持つタンパク質が凝集しやすいのか、またどのような配列が分子シャペロンによって認識されやすいのか、などについてはほとんど理解されていない。そこで本研究では、大腸菌の全てのタンパク質を再構築型の無細胞タンパク質合成系であるPURE systemで合成し、合成時におけるタンパク質の凝集のしやすさ、分子シャペロンの凝集抑制効果について網羅的・統計的に解析し、凝集やフォールディングとタンパク質の性質との関係について調べた。

【実験手法】

大腸菌の全タンパク質をPURE systemで発現させるために、大腸菌の全遺伝子(ORF) を網羅したライブラリであるASKAライブラリを用いた。具体的な方法としては、まずライブラリの各クローンから精製したプラスミドを元にPCR反応によって各ORFを増幅させ、次にそれをPURE systemに加えて翻訳反応を行った。翻訳反応後の溶液(Total)と、それを遠心分離した後の上清(Sup)に含まれる翻訳産物をそれぞれSDS-PAGEによって分離・定量し、それらの量比を可溶率として定義し、凝集しやすさの指標とした。実験手順の模式図を図1に示した。

はじめにPURE systemの標準的な条件、すなわち分子シャペロンを含まない条件にて、全てのタンパク質(4,132個)について実験を行った。次いで、可溶率が低かったものについて、大腸菌の細胞質内で働く主要な3種の分子シャペロン(Trigger Factor、GroEL/ES、DnaK/ DnaJ/GrpE)をそれぞれ加えたPURE systemを用いて再び可溶率の評価を行い、各シャペロンによる可溶化の度合いを凝集抑制効果として評価した。

【結果】

・分子シャペロンが存在しない条件におけるタンパク質凝集の網羅的解析

分子シャペロンを含まないPURE systemによってライブラリの全遺伝子について凝集評価実験を行ったところ、約7割(3,173個)についてPURE systemによるタンパク質の合成量および可溶率を定量することができた。残りの3割については、タンパク質の合成が見られない、SDS- PAGEの際に分離がうまくできない等の理由で定量することができなかった

定量できたものについて、可溶率の分布をヒストグラムで調べたところ、可溶率の低い部分と高い部分にそれぞれ山を持つ二峰性になることがわかった(図2a)。この二峰性は、タンパク質の合成量と相関しないこと、また内膜タンパク質などを除いた細胞質のタンパク質だけでも変化しないことから、タンパク質には凝集しやすい集団と可溶性の高い(凝集しにくい)集団が存在する、ということが明らかとなった。以降の解析のために、細胞質のタンパク質のみを対象として可溶率30%以下の集団をAgg、可溶率70%以上の集団をSolと定義した。

タンパク質の物理化学的な性質と凝集特性の相関を調べるために、タンパク質の分子量と等電点についてヒストグラムと散布図による比較を行った(図2b,c)。これらの結果より、分子量が小さいもの、等電点が低い(5~7)ものは可溶性が高い傾向にあることが示された。またアミノ酸組成について調べたところ、負電荷を持つアミノ酸(Asp、Glu)の割合と芳香環を持つアミノ酸(Phe、Tyr、Trp)でAggとSolで分布に有意な差がみられた。一方、正電荷を持つアミノ酸(Lys、Arg、His)や疎水性アミノ酸(Val、Leu、Ile、Phe)の割合では差を見出せなかった。疎水性に関しては、ハイドロパシープロットという、アミノ配列の局所的な疎水性を調べるアルゴリズムを用いて可溶率との相関を調べることも行ったが、凝集しやすい集団と可溶性の高い集団の間に有意な差はみられなかった。

さらに、立体構造と凝集特性との関係を調べるために、タンパク質の二次構造(αヘリックスやβシートなど)のトポロジーによって立体構造を分類しているSCOPデータベースによる分類を利用した。SCOPデータベースはclass、fold、superfamily、familyという4つの階層構造になっており、その中のfoldという階層でタンパク質を分類し、各fold中のAgg、Solの割合を調べた(図3a)。これより、例えばc94(Periplasmic binding protein-like II)というfoldでは、凝集しやすいものが8割以上を占めているのに対し、c47(Thioredoxin fold)では可溶性の高いものが7割以上を占めているなど、凝集しやすいfold、可溶性の高いfoldが存在するということがわかった。

上述の凝集しやすいSCOP foldの中に、大腸菌の細胞質内で働く主要な分子シャペロンの1つであるGroEL/ESの基質に多いといわれているfold(c67、a4、c1、c37)が含まれていた。そこで可溶率とGroEL/ES基質との関係を直接調べるために、GroEL/ES基質のみの可溶率の分布を調べた(図3b)。すると、GroEL/ES依存性の低い基質(Class I基質)には可溶率が高いものが多いのに対し、GroEL/ES依存性の高い基質(Class III基質)では可溶率が低いものが多いという傾向がみられた。

・分子シャペロンを存在させた条件でのタンパク質凝集の網羅的解析

分子シャペロンを含まないタンパク質合成系で行った凝集 評価における凝集しやすい集団(Agg)のうち、細胞質のタンパク質792個について、Trigger Factor、GroEL/ES、DnaK/DnaJ/GrpEの3種のシャペロンをそれぞれ加えたPURE systemを用いて可溶率を調べ、各シャペロンの凝集抑制効果を網羅的に評価した。図4aに各シャペロンの凝集抑制効果(シャペロンを加えた際の可溶率からシャペロンを含まない条件での可溶率を引いたもの)の分布を示した。この結果より、Trigger Factorは単独では凝集抑制効果がごく弱いこと、GroEL/ESとDnaK/DnaJ/GrpEはどちらも多種類のタンパク質に対して凝集を抑制する効果があることが示された。

さらに各シャペロンがどのような性質を持つタンパク質に対して作用するかを調べるために、図4aの分布の下位25%、上位25%を抽出し、各集団の分子量の分布を調べた(図4b)。するとGroEL/ESでは分子量20~50kDa付近のものに対して凝集抑制効果を発揮しやすい傾向があるのに対し、DnaK/DnaJ/GrpEでは高分子量(60kDa以上)のものに対して作用しやすい傾向があることが明らかとなった。同様に等電点の分布を調べたところ、GroEL/ES、DnaK/DnaJ/GrpEともに中性付近(pI 7~8)のタンパク質に対しては凝集抑制効果が弱く、塩基性(pI 10付近)のものに対してはDnaK/DnaJ/GrpEがより効果を発揮する傾向があるという結果が得られた。

【考察とまとめ】

本研究における、無細胞蛋白質合成系によって多種類のタンパク質を一つ一つ発現させて網羅的に解析するという手法は、既存のプロテオーム研究では存在量が少なくて解析ができないタンパク質まで扱えるといった点などにおいて非常に強力な手法である。さらに無細胞蛋白質合成系に分子シャペロンを含まないPURE systemを用いて大腸菌の全タンパク質の凝集評価を行うことによって、タンパク質の凝集という普遍的な現象が、タンパク質の一次配列情報(分子量、等電点やアミノ酸組成など)だけでなく、最終的な立体構造の種類に関係するという、今までの研究では得られなかった新たな知見を得る事ができた。

さらに分子シャペロンの基質認識についても、この手法によって初めて得られた大規模なデータセットをより詳細に解析していくことで(特に一次配列的・立体構造的な視点からの解析など)、分子シャペロンの基質認識機構の解明につながることが期待される。

図1 実験手順の模式図

図2 (a) 可溶率の分布 (b) Agg、Solそれぞれの分子量の分布 (c) 可溶率と等電点の散布図

図3 (a) 各SCOP foldにおけるAgg、Solの割合 (b) GroE基質の各クラスにおける可溶率ヒストグラム

図4 (a) 各シャペロンを加えたときの可溶率からシャペロンなしでの可溶率を引いた値の分布

(b) 各シャペロンの凝集抑制効果が弱かったもの(ピンク:下位25%)、強かったもの(水色:上位25%)の分子量分布

審査要旨 要旨を表示する

本論文はタンパク質の凝集および分子シャペロンの基質認識について述べられている。

タンパク質はリボソーム上で合成された後、フォールディングと呼ばれる過程を経て固有の構造を取ることで機能を発揮すると考えられている。しかし、全てのタンパク質が自発的に固有の構造を取れるわけではなく、分子シャペロンと呼ばれる一群のタンパク質の助けがないと、凝集という不活性な集合体を形成してしまうタンパク質も数多く知られている。このような現象は細胞内や試験管内で起こる現象として経験的に知られているが、どのようなタンパク質が凝集を形成しやすいのか、またどのようなタンパク質が分子シャペロンの助けを受けやすいかなどについてはまだ十分に理解されているとはいえない。そこで論文提出者は網羅的な解析手法を用いることによって、先の問題に対する新たな知見を得ることを目標とした。

実験手法には、多種類のタンパク質を合成するために、共同研究者である東京大学 上田卓也教授のグループによって開発された再構築型の無細胞タンパク質合成系 PURE systemを用いている。この系はタンパク質の翻訳に必須な因子のみを再構成した系であり、細胞抽出液を用いた従来の無細胞タンパク質合成系が持つ利点(多種類のタンパク質を短時間で調製できる、翻訳反応と共役した条件でのタンパク質の挙動を調べられる)に加え、分子シャペロンがない条件で、また特定のシャペロンのみが存在する条件でタンパク質合成を行うことができる。そのため、分子シャペロン非存在下でのタンパク質の凝集性や、特定のシャペロンによる凝集抑制効果を評価するのに非常に適した系であるといえる。

この系を用いて論文提出者は分子シャペロンがない条件で大腸菌が持つ全遺伝子(約4千個)全てを翻訳し、タンパク質の凝集しやすさを網羅的に調べた。全てのタンパク質のうち、凝集しやすさの評価ができた約7割について凝集しやすさの分布を調べたところ、その分布は可溶性の高い部分と凝集性の高い部分に山を持つ二峰性を示した。この両者のグループについて、統計的な手法によってタンパク質の様々な性質を比較したところ、分子量、等電点、負電荷および芳香環を持つアミノ酸の組成、二次構造、立体構造などで差がみられた。その一方で、凝集と関わると考えられた疎水性については、凝集性との相関はみられなかった。また、凝集性の高い集団は特定の分子シャペロンの基質をより多く含んでいた。

分子シャペロンがない条件で凝集したものに対して、今度はシャペロンが存在する条件でタンパク質を翻訳させ、凝集が解消されるかを調べた。シャペロンとしては、大腸菌の細胞質で働く主要なシャペロンであるTrigger Factor、GroEL/ES、DnaK/DnaJ/GrpEの3種を選んだ。3種それぞれの凝集抑制効果を評価したところ、GroEL/ES、DnaK/DnaJ/GrpEは様々なタンパク質に対して効果を示した。一方Trigger Factorはごく少数のものに対してしか凝集抑制効果を示さなかった。

GroEL/ESとDnaK/DnaJ/GrpEの基質特異性については、凝集抑制効果と様々な性質とを比較したところ、分子量では両者の特異性に違いがあり、等電点では両者とも似たような特異性を示すことが確認された。アミノ酸の組成でも両者の特異性に差異および共通性がみられた。

さらに、既存の研究では同定されなかったものの中から凝集抑制効果を基にGroEL/ESの基質となりそうなものを選び、それらについて実際に基質となるかどうかの評価を行ったところ、29個の候補のうち22個という高確率で新規のGroEL/ES基質を同定した。

本論文において特筆すべき点として、ユニークな実験系を用いてタンパク質の凝集および分子シャペロンの基質認識についての大規模なデータセットが得られたということが挙げられる。このような同一の実験による大規模なデータセットは前例がなく、大きな価値を持つものである。そしてこのデータセットに対して統計的な解析を行うことで、タンパク質の凝集やフォールディングの理解につながるような示唆が得られた。分子量や等電点など、経験的な予想と合う結果をデータとして示した点に加え、疎水性が凝集性と関係しないことや、立体構造が凝集性と関係しないことなど、一見すると今までの経験や事実に反するようにみえる結果が得られたことは、凝集やフォールディングを考える上での新たな視点を生み出すことに繋がりうる、大きな意義を持つものであるといえる。

なお、本論文は、東京大学 上田卓也教授、イン・ベイウェン博士(現大阪大学)、斎藤克代修士、および京都大学 高田彰二准教授、金文珍博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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