学位論文要旨



No 126171
著者(漢字) 吉田,理人
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,マサト
標題(和) パイエル板M細胞の分子細胞生物学的特徴の解析 : 単離精製法の確立および特異的表面マーカーの同定
標題(洋) Molecular and Cellular Characterization of Peyer's Patch M Cells : From Development of Isolation to Identification of Specific Surface Marker
報告番号 126171
報告番号 甲26171
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第588号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清野,宏
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 俣野,哲朗
 東京大学 教授 三宅,健介
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

消化管や呼吸器を覆う広大な粘膜面は,病原性微生物などの外来抗原に絶えず曝露していることから,我々の生体には粘膜免疫系という,外来抗原に対する特異的な防御免疫応答を誘導するシステムが備わっている.消化管では,小腸に存在するパイエル板などが粘膜免疫誘導組織として機能するが,外来抗原に特異的な粘膜免疫応答が誘導されるには,抗原がこれらの誘導組織に送達される必要がある.

粘膜免疫誘導組織を覆う濾胞関連上皮層(follicle-associated epithelium : FAE)の中には,M細胞という特殊な上皮細胞が存在する.M細胞は管腔に存在する様々な微生物をはじめとする多種多様な抗原などを積極的に取り込み,抗原を直下に存在する樹状細胞に直接受け渡す.また我々の研究グループは,パイエル板などの誘導組織から離れた小腸絨毛の上皮層にも,M細胞(絨毛M細胞)が存在することを明らかにしてきた(Jang et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA. 2004).このように,M細胞は抗原特異的な粘膜免疫応答の言わば開始点に位置する重要な細胞であるといえる.

しかし,パイエル板M細胞の存在頻度は非常に低いことから,その単離精製法はこれまで確立されておらず,パイエル板M細胞の培養系も存在しない.このような理由から,パイエル板M細胞の遺伝子発現などの分子生物学的な特徴については未だに不明な点が多く,パイエル板M細胞に関する研究は,これまで電子顕微鏡による形態学的な解析や,マウスでは杯細胞という別種の上皮細胞にも反応してしまうレクチンUEA-1を用いた組織学的解析に限られていた.そこで私は,マウスからパイエル板M細胞を効率的に単離精製する方法を確立し,DNAマイクロアレイを用いてM細胞での遺伝子発現を網羅的に解析することで,パイエル板M細胞特異的遺伝子,特に遺伝子レベルでの特異的表面マーカーの同定を試みた.

【方法および結果】

1. マウスパイエル板FAEの単離法の検討

まず初めに,パイエル板M細胞を生きた状態で少しでも効率的に取得する方法の確立を試みた.そこで,腸管上皮細胞の調製に関するこれまでの報告を参考にして(Weiser et al., J. Biol. Chem. 1973, Evans et al., J. Cell. Sci. 1992, Lundqvist et al., J. Immunol. Method. 1992),外科的に単離したパイエル板を,EDTA,DTT,コラゲナーゼといった各々の試薬を溶かしたPBS中で攪拌して細胞画分を調製した.その結果,0.5 mM,10 mM EDTA,1 mM DTT溶液を用いた場合で,パイエル板FAEの剥離が認められた(図1).これらの条件から得られた細胞画分についてFACS解析を行い,forward scatter (FSC),side scatter (SSC)で展開したところ,2つの細胞分画R1,R2が認められた(図2A).上皮細胞マーカーの1つであるVillin1 mRNAの発現がR1分画のみに認められたので(図2B),上皮細胞画分の取得率(R1分画の頻度),生存率(7-AAD-細胞,R3分画の頻度),純度(CD45-細胞,R4分画の頻度)を総合的に比較した結果,0.5 mM EDTA溶液を用いた場合に,生きたパイエル板FAE細胞を最も効率よく選択的に取得出来ることを明らかにした(図2C).

2. マウスパイエル板M細胞の単離精製法の確立

α(1,2)フコース構造を認識するレクチンUEA-1は,マウスパイエル板M細胞のマーカーとして広く用いられてきたが(Clark et al., J. Histochem. Cytochem. 1993),UEA-1は杯細胞にも反応してしまう(Jang et al. 2004).しかし,我々の研究グループは,マウスパイエル板M細胞,絨毛M細胞に反応する一方,杯細胞には反応しないモノクローナル抗体NKM 16-2-4を確立した(Nochi et al., J. Exp. Med. 2007).そこで次に,NKM 16-2-4とUEA-1を用いたFACSソーティングによる,パイエル板M細胞の単離精製法の確立を試みた.FACS解析の結果,前述の方法で調製したパイエル板FAE画分中のNKM 16-2-4+UEA-1+M細胞の頻度は約7%であったが,FACSソーティングを行うことで,90%以上の純度でM細胞画分を調製することが可能となった(図3).

3. DNAマイクロアレイを用いたマウスパイエル板M細胞の網羅的遺伝子発現解析

このようにして確立した方法を用いて単離精製したパイエル板M細胞,小腸絨毛の吸収上皮細胞(NKM16-2-4-UEA-1-)からmRNAを調製し,45,101個のプローブを搭載したDNAマイクロアレイを用いて,各細胞での遺伝子発現プロファイルを作製した.そして,(表1)に示した統計学的な発現の有無の評価(flag値),絶対的発現レベル,相対的発現レベルの条件を全て満たした1,392個のプローブに対応した遺伝子群が,パイエル板M細胞で有意に発現しているという結果を得た.

4. マウスパイエル板M細胞特異的表面マーカーをコードする遺伝子の探索

次に,前述した遺伝子群の中から,パイエル板M細胞に特異的な表面マーカーをコードする遺伝子の探索を試みた.候補遺伝子の数をさらに絞るために,Gene Ontology (http://www.geneontology. org/)によって細胞外領域に存在するタンパク質をコードする遺伝子として分類され,かつ近年報告されたマウスパイエル板M細胞特異的遺伝子Sgne1(Hase et al., DNA Res. 2005)の場合と比べて,パイエル板M細胞での相対的発現レベルが高い(吸収上皮細胞の約16倍以上である)遺伝子を探索した結果,9個の候補遺伝子を同定した.これらの候補遺伝子の発現を定量的リアルタイムPCR法で解析した結果,GPIアンカータンパク質をコードするGlycoprotein2(Gp2)遺伝子の発現が,NKM 16-2-4+UEA-1+パイエル板M細胞を含む細胞画分のみに認められ,またin situハイブリダイゼーションを行った結果,Gp2 mRNAはパイエル板FAEのUEA-1+細胞に強く検出された(図4).

5. マウスGp2特異的モノクローナル抗体の作製

次に,パイエル板でのGp2タンパク質の発現局在を明らかにするために,抗マウスGp2モノクローナル抗体の作製を試みた.マウスのGp2とEGFPを同時に発現させるベクターpGp2-IRES2-EGFPを作製し,ラット小腸上皮細胞株IEC-6に導入後,FACSソーティングをして得られたEGFP+細胞をSDラットに複数回免疫した.そしてハイブリドーマを作製後,pGp2-IRES2-EGFPを導入したCHO細胞を用いてスクリーニングを行った結果,抗マウスGp2モノクローナル抗体10F5-9-2(rat IgG2a)を産生するハイブリドーマクローンを樹立した.

6. M細胞におけるGp2タンパク質の発現局在解析

10F5-9-2を用いた組織染色の結果,Gp2はUEA-1+WGA-M細胞の管腔膜に局在が認められた(図5A,矢印).しかし,UEA-1+WGA+杯細胞(図5A,矢頭),UEA-1+WGA-絨毛M細胞には発現が認められなかった(図5B).一方,マウス回腸末端部のパイエル板FAEにはUEA-1+細胞が多数存在するが,Gp2を発現する細胞の頻度は十二指腸のパイエル板FAEとほぼ同じであり,Gp2の強発現はUEA-1に対してあまり反応しない細胞に認められた(図5C,矢印).ここで,α(1,3)ガラクトース構造を認識するレクチンEELは,マウスのパイエル板M細胞に加えて,大腸での主要な粘膜免疫誘導組織であるcolonic patchのM細胞にも反応することから(Giannasca et al., Am. J. Physiol. 1994),10F5-9-2,EEL,UEA-1を用いて組織染色を行った.その結果,Gp2の強発現はEELhighUEA-1low/-細胞に認められ(図5C,矢印),EELlow/-UEA-1high細胞にはほとんど認められなかった(図5C,矢頭).またcolonic patch FAEでは,Gp2はEEL+UEA-1-M細胞に局在が認められ(図5D,矢印),EEL-UEA-1+細胞には認められなかった(図5D,矢頭).さらに,マウスのUEA-1+腸管上皮細胞は,無菌環境下から通常状態(conventional)の環境下に移して飼育した際に出現することが知られているが(Bry et al., Science. 1996),パイエル板FAEにおいてGp2を発現した細胞の頻度および分布は,無菌マウスとSPFの環境下で飼育されたマウスでほぼ同様であった.

【結論】

本研究では,マウスのパイエル板から生きた状態で高純度のM細胞を効率的に調製する方法を確立し,DNAマイクロアレイを用いて,パイエル板M細胞での包括的な遺伝子発現プロファイルを作製することに成功した.そして,遺伝子発現プロファイルの結果の解析,およびモノクローナル抗体の作製を通して,パイエル板M細胞特異的表面マーカーの一例としてGp2の同定に成功した.さらに,Gp2はマウスの絨毛M細胞には発現していない一方,colonic patch M細胞,さらには本研究に引き続いてヒトを含めた霊長類のパイエル板M細胞にも発現が報告された(Misumi et al., J. Immunol. 2009, Hase et al., Nature. 2009).以上のことから,Gp2は解剖学的部位や腸内環境,生物種を越えて,消化管関連リンパ組織(gut-associated lymphoid tissue : GALT)のFAE中に存在するM細胞の特異的マーカーとなりうる可能性が考えられ,効果的な粘膜ワクチン抗原デリバリーシステムを構築する上での有用な標的となりうると考えられる(表2).また本研究で構築されたパイエル板M細胞の包括的遺伝子発現プロファイルは,新規のM細胞特異的遺伝子の同定の他,抗原取り込みを含めたM細胞の特徴的な機能や,M細胞の分化誘導の仕組みなどを分子レベルで明らかにする際に重要な手掛かりになると期待される.

図1.パイエル板FAEの剥離

図2.上皮細胞画分の同定および回収率の検討

図3.パイエル板FAE(PP FAE)画分におけるM細胞(M),吸収上皮細胞(E)の頻度

表1.パイエル板M細胞に有意に発現する遺伝子の評価基準

図4.Gp2 mRNAの発現局在

図5.マウスの各種腸管上皮層におけるGp2タンパク質の発現局在

表2.M細胞の各種モノクローナル抗体,レクチンに対する反応性.+ : 陽性,- : 陰性

審査要旨 要旨を表示する

生体内で最も広大な粘膜面に覆われた消化管には,病原性微生物などの多種多様な外来抗原の生体内への侵入を防ぐために,粘膜免疫系という抗原特異的に機能する生体防御システムが備わっている.抗原特異的な粘膜免疫応答が誘導されるには,抗原がパイエル板などの腸管関連リンパ組織(gut-associated lymphoid tissue; GALT)へと送達される必要があるが,小腸上皮層に存在するパイエル板M細胞,絨毛M細胞は,自身の抗原取り込み能を介して,腸管管腔の抗原をパイエル板などのGALTに送達し,抗原特異的な粘膜免疫応答,全身免疫応答の誘導に重要な役割を果たしている.

M細胞に関する研究は,これまで組織形態学的な解析を主体として進められてきた.しかし,実験動物におけるパイエル板M細胞の存在頻度は非常に低く,M細胞の安定した培養系も存在しないことから,M細胞特異的遺伝子などの分子生物学的な特徴に関する情報は極めて乏しく,M細胞の単離精製法すら確立されていなかった.

本論文は2章からなり,第1章はパイエル板M細胞の単離精製法の確立,第2章はDNAマイクロアレイによるパイエル板M細胞での包括的な遺伝子発現解析,およびパイエル板M細胞特異的表面マーカーGp2の同定について述べられている.

第1章では,マウスからM細胞を含むパイエル板被覆上皮層(follicle-associated lymphoid tissue; FAE)を調製する方法について,組織学的解析およびFACS解析によって最適な条件を詳細に検討した結果,0.5 mM EDTAを含むPBS溶液中で攪拌させた場合に,パイエル板FAE細胞を生きた状態で最も効率よく取得出来ることを明らかにした.次に,FACSソーティングによって,マウスのM細胞上の糖鎖構造を認識するレクチンUEA-1と,モノクローナル抗体NKM16-2-4の両方に対して反応性を示すパイエル板FAE細胞を高純度に単離精製した.そして,単離精製した細胞の形態解析,および既知のマウスパイエル板M細胞特異的遺伝子の定量的な発現解析を通して,NKM16-2-4陽性UEA-1陽性細胞画分の中には,パイエル板M細胞が高い割合で含まれていることを証明し,マウスからパイエル板M細胞を生きた状態で高純度に単離精製する技術を世界に先駆けて確立することに成功した.

第2章では,DNAマイクロアレイを用いて,単離精製したパイエル板M細胞と,NKM16-2-4陰性UEA-1陰性の吸収上皮細胞での遺伝子発現プロファイルを比較・検討し,パイエル板M細胞特異的遺伝子の同定,特に本研究では,M細胞に関する研究を進める上で有用な情報となりうる,特異的な表面マーカーをコードする遺伝子の同定を試みた.その結果,定量的real-time PCR法,in situハイブリダイゼーション法によって,GPIアンカー型タンパク質をコードするGlycoprotein2 ( Gp2 ) 遺伝子が,パイエル板M細胞特異的遺伝子の候補の1つであることを見出した.そして,抗マウスGp2特異的モノクローナル抗体10F5-9-2を独自に樹立し,免疫組織学的解析を行った結果,Gp2タンパク質は,パイエル板M細胞に加えて,大腸に存在するGALTであるcolonic patchのM細胞の管腔膜に特異的に発現していることを明らかにした.さらに,マウスでは腸内細菌叢の影響によって,M細胞以外の小腸上皮細胞にもUEA-1のリガンドの発現が誘導されるが,無菌マウスを用いた実験から,GALTのM細胞に対するGp2の発現特異性は,腸内細菌叢による影響を受けないことを明らかにした.一方,Gp2の発現は絨毛M細胞には認められなかったことから,Gp2の発現を指標にすることで,GALTのM細胞と絨毛M細胞を識別出来ることを初めて明らかにした.

本研究は,参考文献などの情報が乏しかった中で進められてきたが,パイエル板M細胞の単離精製法を独自に確立したことで,パイエル板M細胞での包括的な遺伝子発現プロファイルの作製が可能になった.また本研究の結果に基づいて,アカゲザルとヒトのパイエル板M細胞でのGp2の特異的発現も報告され,Gp2は解剖学的部位や腸内環境に加え,生物種を越えたGALT M細胞の普遍的な表面マーカーとして広く注目されている.このように,本研究の成果はM細胞研究の先駆的役割を果たし,M細胞に関する分子生物学についての新たな知見と,今後の研究の方向づけをより明確にすると同時に,抗原をM細胞に標的することで,病原性微生物の主要な侵入部位である消化管や呼吸器での粘膜免疫応答と全身免疫応答の両方を誘導し,新興・再興感染症を含めた疾患の予防・治療に有用であるとされる粘膜ワクチンの開発にも大きく貢献するものと評価出来る.

なお,本論文は,寺原和孝,五十嵐脩,野地智法,Gemilson Soares Pontes,長谷耕二,大野博司,黒河志保,目島未央,高山尚子,幸義和,Anson W. Lowe,清野宏各氏との共同研究であるが,本論文を作成する際の要となる,パイエル板M細胞の単離精製法の確立およびGALT M細胞特異的表面マーカーGp2の同定は,論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(生命科学)の学位を授与できると認める.

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