学位論文要旨



No 126175
著者(漢字) 小糸,智子
著者(英字)
著者(カナ) コイト,トモコ
標題(和) 深海性イガイ類の硫化水素無毒化機構におけるタウリン輸送体の役割
標題(洋) The role of taurine transporter in detoxification of hydrogen sulfide in deep-sea mussels
報告番号 126175
報告番号 甲26175
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第592号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮崎,信之
 東京大学 教授 木暮,一啓
 東京大学 教授 窪川,かおる
 東京大学 教授 小島,茂明
 東京大学 准教授 井上,広滋
内容要旨 要旨を表示する

深海の熱水噴出域や冷水湧出域には、高濃度の硫化水素が存在することが知られている。硫化水素は生物にとって有害であるにも関わらず、これらの場所には高密度の生物群集が存在しており、化学合成生態系と呼ばれる生態系を構成している。この生態系では、硫黄酸化細菌やメタン酸化細菌などの化学合成細菌を一次生産者とし、大型の無脊椎動物はそれらを摂食する、あるいは体内に共生菌として取り込むことによって体内で有機物を合成させることが知られている

近年、この生態系を構成している無脊椎動物の体内に、高濃度のチオタウリンやヒポタウリンが蓄積されていることが報告されてきた。これらは、構造内に硫黄原子を持つアミノ酸であり、無毒な物質である。また、チオタウリンはヒポタウリンと硫化物の反応により生成することが知られている。これらのことから、環境中の硫化水素を体内のヒポタウリンと反応させ、チオタウリンを合成することにより無毒化し、さらに体内に共生する硫黄酸化細菌へと供給している可能性が示唆されてきた。しかしながら、これらのアミノ酸がどこで作られているのかを含め、チオタウリンやヒポタウリンの機能の詳細は明らかになっていない。そこで本研究では、タウリン輸送体(TAUT)というタンパク質に着目した。

TAUTはチオタウリンやヒポタウリン、タウリンを細胞外から細胞内へ取り込む際に、細胞膜上を通過させる機能を担う膜タンパク質である。本研究では、世界各地の熱水噴出域やメタン湧出域に広く生息する深海性イガイ類であるシンカイヒバリガイ類を用いて、まず(1)シンカイヒバリガイ類TAUTの構造推定を行ない、得られた結果をもとに(2)硫化物に対するTAUT遺伝子発現の応答性の解析を行ないその機能を明らかにした。また、(3)分子進化に関する解析を行なうことにより、シンカイヒバリガイ類のTAUTがどのような進化を遂げたのかを明らかにした。さらにシンカイヒバリガイ類のTAUTと浅海の無脊椎動物のTAUTの機能上の相同性を明らかにするため、(4)環境浸透圧変化に対するTAUTの応答を調べた。これらを総合的に考察し、シンカイヒバリガイ類が熱水噴出域やメタン湧出域への進出の過程においてTAUTの機能がどのように進化してきたのかを明らかにすることを試みた。

1.シンカイヒバリガイ類TAUTの構造推定

シンカイヒバリガイ類TAUTの構造については明らかにされた例がない。そこで本研究では、伊豆・小笠原海域明神海丘の熱水噴出域に生息するシチヨウシンカイヒバリガイと相模湾初島沖のメタン湧出域に生息するヘイトウシンカイヒバリガイを用いて、TAUTcDNAの単離を試みた。得られたcDNAの塩基配列の解読を行ない、アミノ酸配列を推定した。その結果、2種の変異箇所は4箇所であり、相同性は98%であった。得られたアミノ酸配列の膜貫通部位を推定したところ、両者に12箇所の膜貫通部位が認められた。TAUTが属するアミノ酸輸送体ファミリー(SLC6ファミリー)が12回膜貫通型であること、既に配列が明らかにされている生物のTAUTとの相同性より、得られたcDNAがコードするタンパク質はシンカイヒバリガイ類のTAUTであることが確認された。

2.硫化物に対するTAUT遺伝子発現の応答性

シンカイヒバリガイ類TAUTが硫化物に対してどのように応答するのかを明らかにするため、硫化物の有無に対するTAUT 遺伝子の発現の応答性を調べた。

得られたシンカイヒバリガイ類TAUTcDNAの配列をもとに、TaqManプローブおよびプライマーを設計し、リアルタイムPCRの定量法を確立した。

硫化物を添加・非添加条件でヘイトウシンカイヒバリガイ、シチヨウシンカイヒバリガイをそれぞれ飼育し、鰓のTAUTmRNA量をリアルタイムPCRにより定量したところ、前者は長期間硫化物に曝露するとTAUT mRNAが有意に増加することが明らかとなった。後者には、硫化物添加による応答が見られず、発現量はほぼ一定であった。さらに、両者の種間比較を行なったところ、天然の生息場所から採集したヘイトウシンカイヒバリガイのTAUT mRNA量は、シチヨウシンカイヒバリガイの50%程度であるが、長期間の硫化物曝露飼育により、その発現量がシチヨウシンカイヒバリガイとほぼ同程度まで増加することが明らかとなった。

長期間硫化物の供給を断つため、現場での移植実験を行なった。相模湾においてヘイトウシンカイヒバリガイを採集し、その一部をナイロン製のケージに入れ、硫化水素のない場所に設置し、約10カ月放置した。明神海丘においても同様に、シチヨウシンカイヒバリガイをケージに入れ、1年間硫化水素の影響がない場所に設置した。ケージ回収後、リアルタイムPCRでTAUT mRNAを定量したところ、ヘイトウシンカイヒバリガイの移植個体群では採集直後の個体群と発現量に差がなかった。一方、シチヨウシンカイヒバリガイの移植個体群は採集直後の個体群に比べ、有意に発現量が減少していた。

これらの結果より、ヘイトウシンカイヒバリガイは通常低いレベルでTAUT mRNAが発現しているが、高濃度の硫化物に長期曝露されると、発現量が増加することが明らかとなった。また、シチヨウシンカイヒバリガイは常に高いレベルでTAUT mRNAが発現しているが、長期間硫化物の供給がない環境では、その発現量が減少することが明らかとなった。すなわち、シンカイヒバリガイ類のTAUT遺伝子の発現量は、環境の硫化物濃度に応答し、天然の生息環境におけるmRNA量の差は、多量な硫化水素が含まれる熱水噴出域と低濃度の硫化水素が湧出するメタン湧出域という、生息環境の違いを反映しているものと考えられる。

なお、ヘイトウシンカイヒバリガイにはメタン酸化細菌が共生しており、硫黄を必要としないにも関わらずTAUT mRNAの発現誘導が生じたことから、チオタウリンの基本的な機能は、共生菌への硫化物の供給よりも、硫化物の無毒化であることが示唆された。

3.シンカイヒバリガイ類TAUTの分子進化

シンカイヒバリガイ類TAUTが、どのような進化を遂げてきたのか、また、TAUTが属するSLC6ファミリーにおいてどこに位置づけられるのかを明らかにするため、分子系統解析を行なった。

ヒトで知られている全てのSLC6ファミリー20種と、シンカイヒバリガイ類TAUTと相同性の見られた生物のSLC6ファミリーの配列を用いて、近隣結合法およびベイズ法による系統解析を行なった。その結果、シンカイヒバリガイ類TAUTは浅海の二枚貝類と近縁であった。二枚貝類のTAUTと脊椎動物TAUTとは異なるクレードを形成したが、共通の祖先に由来するTAUTであることが明らかとなった。

以上の結果より、シンカイヒバリガイ類TAUTは、脊椎動物と共通の祖先型TAUTから派生した二枚貝類TAUTに由来するものであり、熱水噴出域やメタン湧出域への進出の過程で、特に大きな遺伝子の改変を行なっていないことが明らかとなった。

4.環境浸透圧に対するシンカイヒバリガイ類TAUTの応答

分子系統解析から、シンカイヒバリガイ類TAUTが浅海の二枚貝類と同じ機能をもつ可能性が示唆された。浅海の無脊椎動物では、高浸透圧環境においてオスモライトとしてアミノ酸を細胞内へ取り込み、低浸透圧環境ではオスモライトを細胞外へ放出することによって細胞容積を保つことが知られている。タウリンも主要オスモライトであり、浅海の無脊椎動物では環境浸透圧変化に対してTAUTが応答するという報告がなされている。そこで、シンカイヒバリガイ類TAUTが環境浸透圧に応答するのかを調べた。

シチヨウシンカイヒバリガイを、高浸透圧(塩分3.7%)、低浸透圧(塩分2.2%)海水に浸漬し、6、12、24時間で解剖を行なった。リアルタイムPCRによってTAUT mRNAを定量したところ、高浸透圧では経時的にTAUT mRNAが増加していた。このことから、浸透圧調節のために細胞内へタウリンを蓄積させていることが考えられる。低浸透圧では、TAUT mRNAの経時的な増減は見られなかった。オスモライトの排出はTAUTを介さないことが報告されていることから、TAUTが応答しなかったものと考えられる。

以上の結果より、シンカイヒバリガイ類TAUTが、浅海の無脊椎動物と同様に環境浸透圧変化に対してTAUTを応答させることが明らかとなった。すなわち、機能の面でも浅海の二枚貝類のTAUT遺伝子の性質をそのまま保持していることがわかった。

シンカイヒバリガイ類は浅海から深海の熱水噴出域やメタン湧出域に進出したと考えられている。本研究では、シンカイヒバリガイ類が、チオタウリンを用いることで環境中の硫化水素を無毒化し、そのためにTAUT遺伝子の発現を調節することを明らかにした。そしてその際用いるTAUTは、浅海に生息していたときから持っているTAUTを、その構造だけでなく機能も保持したまま用いていることが示唆された。したがって、シンカイヒバリガイ類は熱水噴出域やメタン湧出域において硫化水素を無毒化するために、新しいメカニズムを発達させるのではなく、浸透圧調節のために進化させてきたメカニズムを応用して適応できるようになったと考えられる。化学合成生態系を構成する生物は大半が甲殻類や多毛類などの無脊椎動物であり、浅海の近縁種はタウリンを多量に蓄積させていることが知られている。それらの生物はTAUTによってタウリンやヒポタウリンなどを細胞内へ蓄積させることができたために容易に深海へ進出できたのかもしれない。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなり、第1章では緒言として、フィールドである熱水噴出域やメタン湧出域についての説明、これまで深海生物を用いて行なわれてきた無毒化機構についてのレビュー、研究の目的について述べられている。第2章では、シンカイヒバリガイ類TAUTの構造推定について、述べている。シンカイヒバリガイ類TAUTの構造については明らかにされた例がないことから、シチョウシンカイヒバリガイとヘイトウシンカイヒバリガイを用いて、TAUTcDNAの単離を試みた。得られたcDNAの塩基配列の解読を行ない、アミノ酸配列を推定した。膜貫通部位予測や他の生物との相同性比較により、得られたcDNAがコードするタンパク質はシンカイヒバリガイ類のTAUTであることが確認された。第3章では、シンカイヒバリガイ類TAUTが硫化物に対してどのように応答するのかを明らかにするため、硫化物の有無に対するTAUT遺伝子の発現の応答性を調べた。得られたシンカイヒバリガイ類TAUTcDNAの配列をもとに、TaqManプローブおよびプライマーを設計し、リアルタイムPCRの定量法を確立した。硫化物を添加・非添加条件でヘイトウシンカイヒバリガイ、シチョウシンカイヒバリガイをそれぞれ飼育し、鯉のTAUTmRNA量をリアルタイムPCRにより定量した。また、両者の種間比較を行なった。長期間硫化物の供給を断つため、現場での移植実験を行なった。相模湾においてヘイトウシンカイヒバリガイを採集し、その一部をナイロン製のケージに入れ、硫化水素のない場所に設置し、約10カ月放置した。明神海丘においても同様に移植実験を行なった。ケージ回収後、リアルタイムPCRでTAUT mRNAを定量した。得られた結果より、シンカイヒバリガイ類のTAUT遺伝子の発現量は、環境の硫化物濃度に応答し、天然の生息環境におけるmRNA量の差は、多量な硫化水素が含まれる熱水噴出域と低濃度の硫化水素が湧出するメタン湧出域という、生息環境の違いを反映していうことが示唆された。なお、ヘイトウシンカイヒバリガイにはメタン酸化細菌が共生しており、硫黄を必要としないにも関わらずTAUT mRNAの発現誘導が生じたことから、チオタウリンの基本的な機能は、共生菌への硫化物の供給よりも、硫化物の無毒化であることが示唆された。第4章では、シンカイヒバリガイ類TAUTが環境浸透圧に応答するのかを調べた。得られた結果より、シンカイヒバリガイ類TAUTが、浅海の無脊椎動物と同様に環境浸透圧変化に対してTAUTを応答させることが明らかとなった。すなわち、機能の面でも浅海の二枚貝類のTAUT遺伝子の性質をそのまま保持していることがわかった。シンカイヒバリガイ類TAUTが、どのような進化を遂げてきたのかを明らかにするため、分子系統解析を行なった。得られた結果より、シンカイヒバリガイ類TAUTは、脊椎動物と共通の祖先型TAUTから派生した二枚貝類TAUTに由来するものであり、熱水噴出域やメタン湧出域への進出の過程で、特に大きな遺伝子 の改変を行なっていないことが明らかとなった。分子進化に関する解析を行なうことにより、シンカイヒバリガイ類のTAUTがどのような進化を遂げたのかを明らかにした。第5章では、において環境浸透圧変化に対するTAUTの応答を調べた。第6章では、これまでの研究成果を総合的に考察し、シンカイヒバリガイ類は浅海から深海の熱水噴出域やメタン湧出域に進出したと推察している。

なお、第3章については、中村(日下部)郁美、吉田尊雄、小俣珠乃、丸山正、井上広滋、宮崎信之との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行なったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

以上、本研究は、海洋動物の環境応答の解明に極めて有意義な知見を得たことから、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(環境学)の学位論文として価値があるものと認めた。

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