学位論文要旨



No 126176
著者(漢字) 三枝,芳江
著者(英字)
著者(カナ) サエグサ,ヨシエ
標題(和) 珪藻分析と地球化学分析による濃尾平野における完新世の古環境復元
標題(洋) Reconstruction of Holocene environmental changes by diatom and geochemical analyses in Nobi plain, central Japan
報告番号 126176
報告番号 甲26176
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第593号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須貝,俊彦
 東京大学 教授 福田,健二
 東京大学 教授 山室,真澄
 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 准教授 穴澤,活郎
内容要旨 要旨を表示する

近年地球温暖化に伴う海面上昇について議論が行われている.特に島嶼や沿岸域においては,海面上昇に伴い,自然災害リスクが増大することが懸念されている.過去にも幾度も海面変動が起こっていたことは明らかになっており,人為によらないより長期的な海面変動と,それに伴う島嶼・沿岸域の応答の解明が求められている.安定地域において,最終氷期以降のグローバルな海水準変動をより高精度に明らかにすることが試みられている.しかし,実際には,隆起・沈降などのローカルな場の条件が,海進・海退の規模や広がり方に大きな影響を与えている沖積平野に,多くの人口や産業が集中している.このことから,沖積平野のようなダイナミックな環境変動が起こっている地域において,グローバルな海面変動やローカルな地理的条件の違いを復元しうる手法の開発が必要である.また,指標の変化からグローバルもしくはローカルな違いを判別するには,その地域固有の場の条件が明らかになっている必要がある.しかし,多くの場の条件が明らかになっている地域は少ない.また,堆積作用の活発な地形変化の激しい地域では,粗粒物質が堆積することが多いために,有用な指標が他地域よりも少ない.本研究では,変化の激しいデルタ卓越型平野である濃尾平野において,後氷期の海進過程やデルタの前進による平野の埋積過程を含めた完新世の環境変遷を,より直接的に明らかにすることを試みた.また,TOC,TN,TOC/TN,δ13C,TS,C/S,ECの各地球化学的指標の変化が,ダイナミックに変動する地域において,何を示しているのかを考察し,それらの環境復元における有用性について検討を行った.

第1章では,本研究の背景と目的を述べた.

第2章では,対象地域である濃尾平野の自然条件及び,これまでの濃尾平野における既往研究について,特に地下層序について述べた.

第3章では,80の14C-AMS年代値から詳細な堆積曲線が作成されている,4本のボーリングコアを対象に行った珪藻分析の結果について述べた.4本のコアに含まれる珪藻からのべ65種以上が同定された.各々の種を淡水生種,淡水~汽水生種,汽水~海水生種,海水生種の4つのグループに分類した.コアごとに5%以上含まれる層準がある種を対象として,ヒストグラムを作成した.ヒストグラムを作成した種を対象に,4つのグループの組成比を求め,示した.それらの優占度とその時間変化を基に,珪藻群集組成から5つのzoneを認定した.各珪藻帯と堆積相との関係を検討した.その結果,以下の点が示された.

・4本のコアは、コアによって欠落があるものの、概ね淡水生種が優占する時期-海水生及び汽水~海水生が優占する時期-淡水生種が優占する時期という同様のシークエンスを示した.コアの時間変化を鑑み4本のコアに共通する5つの珪藻帯を認定した.淡水生種が優占するzone 1,海水生種及び汽水海水生種が増加するzone 2,海水生種が優占するzone 3,海水生種及び汽水海水生種が減少するzone 4,淡水生種が優占するzone 5である.

・これらの珪藻帯は層相と緊密に関連している.即ち,zone 1と2は河川低地堆積物,zone 3は内湾またはプロデルタ堆積物,zone 4は主にデルタフロントスロープ堆積物に,zone 5はデルタフロントプラットフォーム堆積物,デルタプレーン,氾濫原堆積物に対応する.

・ 海進と海退の海岸線の移動速度と珪藻群集の変化速度を比較すると,海進ではより速く内陸側への海岸線の移動が起こったが,珪藻群集の変化は漸次的であった.一方海退時には,外洋側への海岸線の移動はゆっくりだったものの,珪藻群集の変化は急速であり,数百年で淡水生種の割合が急激に増加した.

・氷河性海水準変動のような全球的な要因だけでなく,ローカルな地理的要因もコア中の珪藻群集記録に影響を与えている可能性がある.

第4章では炭素安定同位体比(δ13C),全有機炭素含有量(TOC),全窒素含有量(TN),TOC/TN,全イオウ含有量(TS),TOC/TS,堆積物混濁水の電気伝導度(EC)の各地球化学分析を行い,各化学分析値と堆積相との対応関係を検討した.その結果以下の点が示された.

・各化学指標は,グローバルな海水準変動による海進とデルタの前進による海退に伴う環境変化に対し,調和的な変化傾向を示した.また海進・海退で環境が大きく変化した際には,複数の指標で値が大きく変化した.

・C/Nを除く各指標値では,各コアで海進・海退に伴う変化を読み取ることができた.

・堆積相別の各指標の変化は以下のようにまとめられた.内湾堆積物では,δ13C,TOC,TN,TS,ECが高く,C/N,C/Sが低い.デルタフロントスロープ堆積物では,δ13C,TOC,TN,C/Sが低く,TSが高い.デルタフロントプラットフォーム堆積物では,δ13Cが高く,TOC,TN,TSが低い.デルタプレーン堆積物では,δ13C,TOC,C/Sが高く,TSが低い.

第5章では,第3章,第4章で提示したことをふまえ,各分析値からみた海進・海退の違いや,各分析値に反映されたグローバルや海水準変動及びローカルな地理的影響について論じた.その結果以下の点が示された.

・複数の指標を用いることで,平野の堆積環境を詳細に面的に復元することができた.また詳細な深度-年代曲線を用い,特に,海進・海退期など急激に堆積環境が変化する時期においては,数十年~100年スケールでの環境変遷も明らかにすることができた.

・各指標は,海進・海退時に異なる傾向を示すことが明らかになった.珪藻群集の変化同様,海退時には急激に,海進時には徐々に変化する.海退時を推定できる指標は多いものの,海進時について明らかにできる指標は少ない.化学指標のみで検討する場合は,TS,EC,TOC,TN,C/N,など複数の指標を用いる必要があることが示された.

・堆積物が堆積した当時の地形のみならず,コア掘削地点における海・陸からの相対的な距離や,水深などローカルな場の条件もC/NやEC値などによって明らかにできる可能性があることが示された.

審査要旨 要旨を表示する

人口や産業が集積し,自然災害を被りやすい臨海沖積平野における脆弱性の評価は,国際的な重要課題である.臨海沖積平野は,グローバルな氷河性海水準変動とローカルな地殻変動や河川作用の影響を受けて形成されてきた.本研究は,典型的なデルタ卓越型の沖積平野である濃尾平野を対象として,沖積層の珪藻分析及び地球化学分析を行い,両者を統合して,後氷期のグローバルな海進やデルタの前進にともなう古地理古環境の変遷を高時間空間分解能で復元したものである.

本論文は,6章から構成されている。1,2章は全体の導入部であり,3章と4章において珪藻分析と化学分析による古環境復元が行われ,両分析の成果を踏まえた総合考察に5章が充てられ,6章が結論となっている.

第1章では,研究の背景と意義,目的について論じるとともに,本論文の構成が示されている.

第2章では,対象地の地形地質の概要を紹介している.対象地の特徴として,河川作用と沈降運動が活発で地形変化が激しいこと,地下に地層が連続的に堆積しているため,高時間分解能で古環境を復元しうること,ただし,粗粒物質が卓越しているため,分析手法に工夫が必要なこと,などを指摘している.

第3章では,まず,本研究で扱ったオールコアボーリング4本の諸元を説明し,これらのコアの岩層記載,放射性炭素同位体年代に基づく高精度の堆積深度一年代モデルの提示がなされている.そして,コア試料から産出する珪藻遺骸群集を海生種,汽水生種,淡水生種に分類し,これらの種組成の特徴から5つ珪藻帯を認定している.さらに,各珪藻帯の出現時期を4本のコア間で対比し,海進・海退に伴う古地理変遷を復元し,以下の知見を得ている.すなわち,海進時には一気に海域が湾奥へ拡大したが,海退時の海岸線の前進速度は海進期の数分の1であったこと,各コア地点における珪藻群集の変化は海進期には千年程度の時間を要したが,海退期には2百年程度と短いこと,さらに,海域が最も拡大した時期においても,湾奥では塩分濃度が相対的に低く,河川水の流入の影響が強かったこと,外洋の高塩分水は反時計周りに湾内を循環していた可能牲が高いこと,などである.

第4章では,ボーリングコア堆積物における安定炭素同位体比(δ13C),全有機炭素(TOC),全窒素(TN),全硫黄(TS),堆積物混濁水の電気伝導度(EC)の各化学指標の時間変化を明らかにしたうえで,各化学指標値の古環境復元上の意味を考察し,堆積相との対応関係を検討している.その結果,各化学指標は,海進・海退に伴う環境変化を連続的かつ相互補完的に記録していること,ただし,化学指標による古環境復元においては,複数の指標によるクロスチエックが不可欠であることを指摘している.具体には,安定炭素同位体比およびCN比の変動をもとに,河川が運搬する陸源物質が内湾の埋積に大きく貢献してきたことを明らかにしている.また,TS値とCS比の変動をもとに,デルタフロントスロープ下部では,デルタフロントの前進に伴い多量の土砂が急激に供給されたため嫌気的環境が出現した可能性を論じている.

第5章では,等時間面で見た濃尾平野の古環境変遷を総括し,各分析値からみた海進と海退の違いやローカルな地理的影響を実証的に論じている.珪藻遺骸群集ならびに地球化学指標の時空間変動を解析することによって,コア掘削地点における海岸線からの距離や水深などの条件を復元可能なこと,陸源物質の堆積過程と水深変化とを独立に復元することによって,沿岸低地から浅海域に至るゾーンの環境傾度とその時空間変動を明らかにできること,を指摘している.

第6章は5章までの結論となっている.

このように,本研究は,珪藻遺骸群集の分析を軸として,地球化学的分析手法を駆使し,それらを組み合わせることによって,高い時間空間分解能で,臨海沖積平野における堆積環境変遷を総合的に復元している.さらに,各化学分析指標のもつ古環境復元上の意味や適用可能性を評価している.なお,本論文の第3章の一部は,共同研究であり,申請者を筆頭著者とする原著論文として国際誌に掲載済みであり,共同研究者からは,その成果を申請者の博士論文研究として使用することの承諾を得ている.

以上の成果は,臨海沖積平野における古環境復元の研究上,重要な新知見であり,博士(環境学)を授与するに値すると認めることができる.

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