学位論文要旨



No 126180
著者(漢字) 三島,真理
著者(英字)
著者(カナ) ミシマ,マリ
標題(和) 東シナ海のサンゴ骨格から復元される東アジアの気候システムおよび海洋環境の変動
標題(洋) Changes in the East Asian climate and ocean environments reconstructed by using coral skeletons from the East China Sea
報告番号 126180
報告番号 甲26180
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第597号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川幡,穂高
 東京大学 教授 須貝,俊彦
 東京大学 教授 茅根,創
 東京大学 准教授 米田,穣
 東京大学 准教授 天川,裕史
内容要旨 要旨を表示する

Abstract 造礁サンゴの骨格には海洋環境(海水温、塩分など)の記録が刻まれており、酸素同位体比(δ18O)などの化学分析により高い時間分解能(数週間~数ヶ月)での環境復元が可能である。本研究では北西太平洋亜熱帯域における以下2つの異なる時代/種類のサンゴ骨格試料;1)琉球列島沖で採取された最終氷期(約16,000年前)のキクメイシ科サンゴ(MYK90)および2)1998年に採取され165年分の年輪を保持するハマサンゴ属サンゴ(98IY03)、の分析を行い当時の海洋環境を復元した。まずMYK90試料により、当時の水温が約5°C低く、塩分は酸素同位体比にして0.2‰高かったことが示され、東アジアモンスーン(EAM)と呼応した海洋環境について議論された。これは西太平洋で信頼性の高い海水温と塩分をキクメイシ科化石サンゴから復元した初の報告である。また、98IY03試料を用いて100年を越える近過去の水温変動を考察した。この骨格記録には1900年代初頭に急激な寒冷化が見られ、この現象と冬季EAM指数に代表される各種気候指標との関係が示唆された。また、この寒冷化が20世紀初頭の小笠原諸島周辺海域における急激な低塩分化現象と関連している可能性が示された。

1. 背景

地球温暖化問題が深刻に議論される昨今、より信頼性の高い将来の気候予測に向けて、観測データが十分に存在しない時代や領域の環境情報が重要である。しかし,日本付近の北西太平洋は100年を超えるような長期にわたる環境情報が少ない海域である。また研究対象域である東シナ海周縁部の南琉球列島はEAMをはじめとして様々な気象現象の影響を受けており、それらの複雑な気候システムに対する理解が望まれている。

2. 研究目的

サンゴ骨格の分析により北西太平洋の古海洋環境情報を復元することを目的とする。さらに1)一般的に用いられてこなかったキクメイシ科化石サンゴの古環境プロキシとしての有用性の検討、および2)近過去において現存する観測水温記録並びに各種気候指標との比較検討を試みる。

3. 分析・解析手法

1) キクメイシ科の化石サンゴ(MYK90)は24°43'N, 124°03'Eの宮古島西部海域で採取された(Fig.1)。年代は16.17±0.52 kaである。またこの化石試料と比較考察するため、小笠原諸島父島で採取されたキクメイシ科サンゴ(CJK01)も解析された。

2) ハマサンゴ属の長尺サンゴコアが石垣島北部安良崎(24°20'N, 124°10'E)で採取された(Fig.1)。X線写真において約165年の年輪が確認された。

上記両試料は板状に切断された後、成長軸に沿って切削、順次微量粉末が採取された。分析間隔は、MYK90では約20日、また、98IY03では2ヶ月以下であるが、1890年以前についてはより低頻度の部位がある。1)、2)については炭酸塩前処理装置付同位体比質量分析計によってδ18O、δ13Cが、1)についてはこれに加えて誘導結合プラズマ発光分析法によってSr/Ca比も分析された。なお, 本研究で主に議論するδ18Oは水温と塩分の混合プロキシ、Sr/Caは水温単独のプロキシとして使用した。2)の98IY03のδ18Oは他の水温記録(NOAA Extended Reconstructed Sea Surface Temperature, ERSSTおよび気象庁による石垣港水温記録と比較された。またEAWMやエルニーニョ南方振動(ENSO)の指標であるEAWM指数(WMI)や南方振動指数(SOI)とδ18Oの関係を考察した。

4. 結果および考察

1) Fig. 2にMYK90、CJK01それぞれから得られた水温と塩分の指標であるδ18Oと、水温のみの指標であるSr/Ca比を示す。MYK90から得られた記録の年平均値は、CJK01より寒冷/高塩分環境を示唆した。 また16kaにおける明瞭で規則的な季節性が見られたがその振幅は先行研究に見られるサンゴに記録された結果に比較すると小さかった。これは骨格内で環境記録を平均するような作用が働いていたからではないかと思われる。年平均のδ18O、Sr/Caデータについては、どの属のサンゴにも比較的似たSSTとの相関があることが知られている。そこで、化石MYKサンゴを用いた水温及び塩分の推定はSSTとの相関平均化作用を考慮し、Sr/Ca比の温度依存性については-0.0600 mmol/mol °C-1, δ18O比の温度依存性については-0.022 ‰ °C-1という、サンゴ骨格気候学において広く用いられている値を適用した (Correge, 2006)。結果,当時の琉球列島海域ではSSTが約5℃低く、塩分がδ18Oに換算して約0.2‰高かったと推定された。

これは、16,000年前においてLGM(最終氷期最盛期)の後ではあるがかなり寒冷な環境であったことと/夏の降水減少や冬の東アジアモンスーン強化により、東シナ海東部が高塩分環境にシフトしていたのではないかと思われる。また、当時は氷床が発達していて海面が低かったため,東シナ海西部では中国大陸の河川起源の陸水の影響で低塩分環境だったと報告されているが、これらを総合すると16000年前における陸水の影響は琉球列島には及んでいなかったと考えられる。(Mishima et al. 2009)

2) 過去165年間の海水の酸素同位体比には顕著な変化がなかったと考え、δ18Oを水温指標として環境復元を行った。δ18O 、ERSSTおよび石垣港水温記録(Fig.4)を比較すると互いに、概ね良い相関を持っていた。

さて、IY9803から得られたδ18O記録で最も顕著だったのは, 1900~05年の寒冷化である。日本の観測史上の最低気温(旭川)や石垣島の月平均最低気温が1902年の冬に記録されている。さらにこのδ18OシフトはWMI, SOI両指標の増大と同時に起こったことが明らかになった(Fig.4)。

このWMIの遷移はEAWMの強度の増加を、SOIの遷移はエルニーニョからラニーニャへの変化を意味する。急激な寒冷化は、当時の偏西風が弱まり、シベリア高気圧が発達したことによってもたらされた可能性がある。さらに偏西風の弱化と、太平洋西岸低緯度域における南北方向の熱輸送の活発化および偏西風蛇行が同期していたのと考えられる。また、この寒冷化はFelis et al. (2009)によって報告された小笠原諸島海域での低塩分化と関連する。(Mishima et al. submitted)

Correge, T. (2006) Sea surface temperature and salinity reconstruction from coral geochemical tracers. Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology , 232, 408-428.Felis, T., Suzuki, A., H. Kuhnert, Dima, M., Lohmann, G. and Kawahata, H. (2009) Subtropical coral reveals abrupt early-twentieth-century freshening in the western North Pacific Ocean, Geology, 37, 527-530Mishima, M., Kawahata, H., Suzuki, A., Inoue, M., Okai, T. and Omura, A. (2009) Journal of Quaternary Science, doi:10.1002/jqs.1268.Mishima, M., Suzuki, A., Nagao, M., and Kawahata H. (submitted) Geophysical Research Letters.

Fig. 1 Coral-sampling locations of MYK90 (Al) and 98IY03 (A2). Location of Ishigaki and Ogasawara Islands along with the typical EAWM pressure distribution.

Fig. 2 Data distribution of fossil coral MYK94 (left) and modem coral CJK01 (right). Solid and open profiles show Sr/Ca (mmoVmol) and d 1 O(per mil), respectively. Open arrows show the components responsible for tha gap between fossil and modem corals.

Fig. 3 lime series of the annual averged ERSST (A), coral ono (B), and observed SST at Ishipki Island (C). Bold lines indicate 3-year musing manes. The shaded vertical bar indicates the period of abrupt coohng.

Fig. 4 3-year running averages of annual δ18O (A), winter alto (B), observed winter SST (C), the East Asian winter monsoon Index (vim (D), and the Southern Oscillation Index (501, average over April-Angust). The vertical gray lines show the tittitig of the chmate regime shifts suggested by iffnobe (1997] and Tsunoda et al. VON] The shaded vertical bar indicates the period of abrupt cooling.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなる.第1章は研究の背景と目的であり,古環境復元の重要性とサンゴ骨格の有用性について述べられている.地球温暖化問題が深刻に議論される昨今,より信頼性の高い将来の気候予測に向けて,観測データが十分に存在しない時代や領域の環境情報が重要である.しかし日本付近の北西太平洋は長期にわたる環境情報が少ない海域である.最終氷期と現代のサンゴ骨格の分析により北西太平洋の古海洋環境情報を復元し,海洋環境および東アジアモンスーン(EAM)に代表される気候システムの変動を考察することが本論文の主旨である.

第2章では最終氷期と現代について研究対象海域である東シナ海の環境が述べられている.東シナ海および周辺は,EAM地域の一部であり,EAMの挙動はこの地域の気候と密接に関わっている.研究対象域はEAMを含む複雑な気候システムや黒潮の影響などの下にあり今日その更なる理解が望まれている.また最終氷期における東シナ海も以下のような理由により古海洋学的にたいへん興味深い海域である.1)東アジアモンスーンはこの領域の気候に強い影響を与えるが,最終氷期には夏季東アジアモンスーンが劇的に弱まっていたこと. 2)氷期には海水準が現在より約120m低かったこと.

第3章では最終氷期のキクメイシ科サンゴを用いた環境復元について述べられている.キクメイシ科の化石サンゴ(MYK90)は24°43'N, 124°03'Eの宮古島西部海域で採取された.年代は16.17±0.52 kaである.またこの化石試料と比較考察するため,小笠原諸島父島で採取されたキクメイシ科サンゴ(CJK01)も併せて酸素同位体比(δ18O)とストロンチウム・カルシウム比が解析された.これらサンゴ骨格分析の結果,当時の琉球列島海域ではSSTが約5℃低く,塩分がδ18Oに換算して約0.2‰高かったと推定された.このことから当時寒冷な環境であったことと弱い夏季EAM(EASM)による降水減少により,東シナ海東部が高塩分環境にシフトしていたことが考えられる.また,当時は氷床が発達していて海面が低かったものの中国大陸の大河川を起源とする陸水の影響は琉球列島には及んでいなかったと結論づけた.

第4章では石垣島沖から (24°20'N, 124°10'E)で採取された過去165年間の年輪を保持するハマサンゴ科サンゴ骨格のδ18O記録を用いて行った環境復元について述べられている.この骨格から得られたδ18O記録で1890年以降最も顕著だったのは, 1900~05年の寒冷化シフトである.さらにこのδ18Oシフトは冬季東アジアモンスーン(EAWM)指数(WMI), 南方振動指数(SOI)両指標の増大と同時に起こったことが明らかになった.このWMIの遷移はEAWMの強度の増加を,SOIの遷移はエルニーニョからラニーニャへの変化を意味する.急激な寒冷化は,当時の偏西風が弱まり,シベリア高気圧が発達したことによってもたらされたと思われる.さらに偏西風の弱化と,太平洋西岸低緯度域における南北方向の熱輸送の活発化および偏西風蛇行が同期していたと考えられる.

第5章では第4章で用いられたハマサンゴ科サンゴ骨格のδ18O記録や各種気候指標について行われたスペクトル解析およびウェーブレット解析について述べられている.サンゴ骨格のδ18O記録とWMIはともに対流圏準二年振動(TBO)と思われる2.3~2.4年のスペクトルピークを示した.また,過去165年にわたりサンゴ骨格のδ18O記録にはENSO変動の傾向が反映されている可能性が示された.

第6章では最終氷期と現代のサンゴ試料から得られた結果を総合し,長期的なモンスーン変動との関係を議論している.また各章の結果をまとめた要約が述べられている.

本研究は,東シナ海を対象海域として最終氷期においてはキクメイシ科サンゴを用いて当時の水温塩分を推定,近過去においては165年分というハマサンゴ長尺コアを用いてδ18O分析やそのスペクトル解析によって20世紀最初頭の寒冷化イベントをはじめとする環境復元を行ったものである.これらの研究は全球的な気候システムの中で重要な役割を担う東アジアモンスーン変動の復元において南琉球列島のサンゴ骨格が大きな役割を果たす可能性を示した点で貴重であり,将来の気候予測の高精度化にむけて環境情報が少ない日本付近の北西太平洋における貴重な情報となると言える.

なお,本論文は提出者が主に検証・解析を行ったもので提出者の寄与は十分であると判断する.

以上の理由により,審査委員会は本論文を提出した三島真理氏に博士(環境学)の学位を授与できると認めた.

UTokyo Repositoryリンク