学位論文要旨



No 126182
著者(漢字) 山,祐三
著者(英字)
著者(カナ) タカヤマ,ユウゾウ
標題(和) マイクロ加工技術を利用した細胞分化過程の評価・制御に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 126182
報告番号 甲26182
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第599号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 人間環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神保,泰彦
 東京大学 教授 鳥居,徹
 東京大学 教授 佐久間,一郎
 東京大学 教授 杉浦,清了
 東京大学 准教授 染矢,聡
内容要旨 要旨を表示する

疾患, 虚血, 外傷等によって損傷を受けた中枢神経系(Central Nervous System; CNS)の機能回復には, 損傷を受けていない組織による機能代行の促進(リハビリテーション)が現時点で有望な手段であると考えられており, その先には脱落した神経細胞を外部から新しく移植して神経回路網を再構築させる「神経再生医療」の実現が期待されている. 神経再生実現に向けて鍵となるのは幹細胞から神経細胞を新生させるハンドリング技術, 及びそれを生体へと移植する技術の開発である. しかし, 現状, 幹細胞の神経再生への臨床応用は, i) 幹細胞より誘導された神経細胞が生体CNSと同様に神経回路網を構築し, 機能的なネットワーク・ダイナミクスを示すかは不明である, ii) 幹細胞由来神経細胞と生体CNS神経細胞との間の結合様式, 相互作用についての知見が少ない, iii) 幹細胞から人為的に分化誘導を行った際の目的細胞の最終効率が低い, といった大きな3つの問題点から発展していない. この問題点を解決するために, 幹細胞より人為的に誘導された神経細胞及びそれが構成する神経回路網が示すネットワーク・ダイナミクスをシステム的に捉えるための計測・評価技術, 及び幹細胞の分化誘導過程における内因性・外因性シグナルの細胞への働きを精密に制御するための技術の提案・開発が求められている.

そこで, 本論文では, 幹細胞から神経細胞への分化過程, 及び誘導された神経細胞が神経回路網を形成する過程における現象を, マイクロ加工技術をベースにした工学的アプローチにより計測・制御する技術を提案することを目的とした. 本研究では実験対象となる幹細胞としてP19EC細胞を選択し実験・解析を行った. これは, P19細胞の継代培養法 (未分化状態の細胞を増殖させる作業を指す)及び神経分化誘導法が既に確立されており, ES細胞系と比較してもよりシンプルかつ高い分化効率を持つという優位性を考慮したことによる.

まず第1章では, 研究背景と先行研究についてまとめ, 本研究の目的と論文全体の構成についてまとめた.

第2章では, 幹細胞由来神経細胞による回路網構築とその発達過程における自発電気活動計測について実験を行った. 最初に神経細胞が発生する電気信号とその計測手法につき概説を行い, 次にネットワーク・ダイナミクスに焦点を当てる立場からマイクロ加工技術を応用した計測デバイス(MEA)による細胞外信号計測手法についての背景と実験方法について説明を行った. マウス胚性腫瘍細胞株P19を用い, これをMEA上で培養して分化誘導後1ヶ月間にわたって自発電気活動を観測した. 大脳皮質初代培養系の発達段階に特徴的な活動とされている周期的同期バーストに類似した活動が観測されることから, 幹細胞由来神経細胞がネットワーク・ダイナミクスの視点からも機能を発現していることが示された. 薬理操作実験により, この系で機能する主要な化学伝達物質が, 初代培養系と同様グルタミン酸(興奮性)とガンマアミノ酪酸 (γ-amino butyric acid; GABA,抑制性)であることを明らかにした (図1).

第3章では, 幹細胞由来培養神経回路とマウス大脳皮質初代培養神経回路の共培養法ついて検討した. 2つの神経回路間におけるネットワーク・ダイナミクスの相互作用に焦点を当てる立場から, マイクロ加工技術を応用し作製した培養チャンバーを用いた神経回路の共培養法の提案した. 2つの細胞培養部を高さ5 μmのマイクロトンネルで接続した構造を有するPDMSベースの培養チャンバーの作製を行った. 作製した共培養チャンバーにおける共培養試料におけるCaイメージング結果・自発電気活動計測結果から, マイクロトンネル構造を有する培養チャンバーを適用することで幹細胞由来神経回路と生体由来神経回路の機能的な結合をin vitro系において再現・構築可能であることを明らかにした (図2).

第4章では, マイクロ加工技術, 物理刺激印加技術を応用した幹細胞分化過程の人為的制御の可能性について検討した. 細胞分化に影響する要因とされている細胞内因性のシグナル伝達及び細胞外因性因子による細胞活性化の2つを人為的に制御する立場から, マイクロ加工技術を適用して特定サイズ・形態の幹細胞胚様体に対して多数同時に電気刺激を印加可能な刺激デバイスの作製を行った. 透明導電性基板上に作製したマイクロキャビティアレイ構造を用いることで, 多数のP19細胞胚様体に対して一括して電気刺激を印加し, 細胞内Ca濃度変化応答を誘導することに成功した (図3).

以上, 本研究では, 神経系の再生医療実現に必要な要素技術に関して, 工学技術, 特にマイクロ加工技術を積極的に利用する立場から問題解決のための基礎的な検討を行った. その結果, 本論文で設定した3つの課題についてそれぞれ,

i) MEAシステムを用いた多点同時計測により, 幹細胞由来培養神経回路におけるネットワーク・ダイナミクスを観測した.

ii) マイクロ構造付チャンバーの利用により, 幹細胞由来神経回と初代培養神経回路の共培養系を確立し, ネットワーク・ダイナミクスを観測した.

iii) マイクロキャビティアレイ構造を用いた胚様体多数同時電気刺激系を開発し, 分化誘導に対する効果につき検討した.

という結果を得た. これらの結果は, 工学技術を応用した神経再生医療実現に向けて大きな礎となることが期待できる.

図1 P19由来培養神経回路網の活動計測

MEA基板上にP19細胞より誘導した神経細胞とグリア細胞(MAP2,GFAPにそれぞれ陽性)を培養し活動計測を行った結果, 初代培養神経回路網の特徴的活動である同期バースト現象の発生を確認した. 左下図は64点電極を通じて得られた電位波形を, 右下図はそれをラスタープロット表示したものである.

図2 マイクロ構造チャンバーを用いた幹細胞由来神経細胞と初代培養神経細胞の共培養

神経線維のみを通過する微小トンネル構造により, 2種の神経回路の共培養が可能となった.

図3 胚様体電気刺激基板の作製

多数の胚様体を同時にかつ均一的に電気刺激が可能な刺激デバイスを, マイクロ加工技術を用いて作製した. 右図は胚様体を刺激した際の細胞内Ca濃度変化を規格化し表示したものである.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、第1章では研究背景並びに関連分野の動向に関する考察に基づき、目的と具体的な課題が提示されている。すなわち、神経系の再生医療実現に向けて鍵となる要素技術について、特にマイクロ加工技術を積極的に利用する立場から基礎的検討を行うことが本研究の立場であり、(1)分化誘導細胞により形成される神経回路の機能評価、(2)分化誘導細胞群と生体系の結合、(3)細胞分化誘導制御、の3課題について新たな手法を提案、その有効性を検証することを目的として設定している。

第2章、第3章、第4章は、設定した3つの課題に対応する研究結果である。

第2章では、多分化能を有する細胞株であるP19胚性腫瘍細胞から神経細胞への分化誘導操作を行った細胞群が形成する神経回路について、集積化電極アレイを用いた自発電気活動時空間計測を試みた結果につき記述している。集積化電極アレイはマイクロ加工技術を利用して製作する電極付細胞培養皿であり、神経細胞が発生する活動電位を細胞外電位として計測するため、多数の細胞の活動を同時に、かつ長時間にわたり計測できる点が特徴である。培養開始から1ヶ月間の自発電気活動を観測した結果、大脳皮質初代培養系に典型的に見られる電気活動―同期バースト―に類似した活動が、特に培養開始後2-3週目に顕著に発生することがわかり、分化誘導細胞群が形成するネットワークにおいて、神経回路としての信号伝達機能が発現していることが確認できた。さらに、薬理操作を適用した実験により、この同期現象にNMDA受容体、GABA-A受容体が主要な役割を果たすことを明らかにした。

第3章では、分化誘導神経細胞と初代培養神経細胞の結合を試みた結果が述べられている。マイクロ加工技術、特にソフトリソグラフィの手法を積極的に導入し、集積化電極基板上に2つのマイクロチャンバと両者を結ぶマイクロトンネル構造(神経突起は進入するが細胞体の移動は起こらない)を有する特殊な細胞培養皿を作製した。それぞれのチャンバに分化誘導神経細胞群と初代神経細胞群を播種し、両者を異なる蛍光色素で染色した状態で培養した。蛍光画像による形態観察から、両組織の細胞体群は分離したままの状態で神経突起が伸長、コンタクトしていることが確認された。シナプス小胞を特異的に標識する免疫染色実験によるシナプス結合形成の確認、自発電気活動計測における同期活動の観測により、両組織間の機能的な結合形成が証明された。同時にこの機能的結合の形成が発達のある時期に限定したものであるとの知見が得られ、分化誘導細胞で形成した組織と生体内組織の結合を長期間安定に保持する観点からは新たな検討課題が存在することが明らかになった。

第4章は、細胞分化制御の可能性に関する基礎的検討結果である。多分化能を有する細胞に対する分化誘導は、現状、薬理操作が一般的な手法であるが、これに対して本研究では物理的な操作の可能性につき検討した。物理操作として、制御パラメータが多く、精密な条件設定が可能な電気刺激を想定し、マイクロ加工技術を利用して多数の試料に一定条件の電気刺激を同時に印加するデバイスを試作した。電極付き基板上にPDMSを用いてマイクロキャビティを18X18のアレイ状に配置した構造を作製し、このキャビティ内で自己組織的にサイズのそろった胚様体が形成されるプロセスを考案した。開発したデバイスによる電気刺激実験を行い、多数の細胞群が同様に応答することを細胞内Caイオン濃度計測により確認した。電気刺激により誘起される細胞内代謝過程の結果として発現する遺伝子、合成されるタンパク質等、物質レベルでの変化を検出する検証プロセスを提案、有望な結果を得た。

以上、設定した3つの課題に対して得られた研究結果に基づき、第5章で結論と今後の展望について総括している。なお、本論文第2章、第3章、第4章は、神保泰彦、小谷潔、森口裕之、齋藤惇との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、博士(科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク