No | 126185 | |
著者(漢字) | 阿部,敬 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | アベ,サトシ | |
標題(和) | 後期旧石器時代の九州地方における技術構造の変容 | |
標題(洋) | Change of Technological Structure in Upper Palaeolithic Kyushu | |
報告番号 | 126185 | |
報告番号 | 甲26185 | |
学位授与日 | 2010.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(環境学) | |
学位記番号 | 博創域第602号 | |
研究科 | 新領域創成科学研究科 | |
専攻 | 社会文化環境学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | はじめに 現在発見されている数々の考古学的証拠によれば、私たちの直接の祖先であるホモ・サピエンスが日本列島に移住してきたのは今から約3万5千年前である。彼らはその時点から既に列島固有の環境に適応し、移動生活を繰り返しながら地域的資源の開発を行っていた。本論はその始まりを後期旧石器時代の開始と捉え、地域生態への適応過程を石器技術を軸とする技術構造の変化の様態から解き明かそうとする試みである。対象となる地域は、氷河期の海面低下で陸続きとなっていた古本州島西端部、現在の九州地方(以下、九州と略す)である。 第1章 序論 列島の旧石器時代資料は、土壌環境の影響により有機質のものが非常に残りにくく、腐食に耐性のある石製遺物=石器がほぼ全てといってよい。このため旧石器時代研究の中心は文字通り石器研究に大きく依存している。九州の研究動向におけるこれまでの主要な関心は器種(道具の種類)の製作技術、器種組成、編年、石材組成、石材産地探索などで、それらの研究目標はモノそれ自体の変遷を明らかにする「モノの文化史」の構築であった。しかし、旧石器研究において最も重要なことは、モノとヒトとの関係的な歴史の解明、あるいはモノを媒介とする「ヒトの行動史」の解明にあると考えられるので、モノの共時・通時の配列を考案するだけでは明らかに不十分である(第1節 問題の所在)。 行動論的歴史叙述のためには石器群を秩序立てて説明するためのの新しい理論と方法論とが必要である。本論では、列島の石器群を包括的に説明するための基本的視座として、佐藤宏之の「二極構造論」を採用した。これは、後期旧石器時代前半期における主要な石器群が個別の地域や時期において多様な変化を見せているのは、同時共存して選択性のある二つの技術系列が地域生態に応じて相互関係的に影響しあいながら推移するためであり、その根底には二項化された不変の行動原理が存在するという構造主義的見方である。二項化されているのは石器群ばかりでなく、その製作技術や運用技術もまた同様であるから、それらの全体性もまた二項化分析を通じて明らかにしていくことが出来るだろう、と考えるのである。 もうひとつ重要な概念として石器モード論を重視した。石器モードとは、石器石材の獲得から剥片剥離過程を経て製品の製作に至る全過程を、旧石器時代の主要な石器群を構成する4種に識別し、その相互関係から技術構造の体系性を読み取る方法論である。この創案は田村隆や安斎正人によってまとめられており、筆者は九州の石器群の分析に適用し、これを以下の4種、剥片モード、石刃モード、細石刃モード、両面体モードで捉えることにした(第2節 研究の視座)。 第2章 石材環境と地域区分 石材の産出場所とそれを利用した遺跡との位置関係がわかれば、旧石器時代の生業域の範囲を明らかにすることができる。考古学的に知られている石材採取場所はしかし、岩体形成から地形形成過程を通じて初めて知ることが出来るもので、もともとどこの岩体から産出したものなのかがよくわかっていなかった。そこで既往の石材採取地探索の成果と地質学文献とを照らし合わせながら石材産出岩体の情報を収集、整理し、主として火成岩石材の産出岩体とその分布を明らかにした(第1図)。その結果、これまで複数の産地があると認識されてきたものが実はひとつの岩体から地形形成過程により派生的に出現したものである可能性などが推測された(第1節 石材環境)。 移動性の高い狩猟採集民の生業域には様々なレベルがあると思われるが、それは各遺跡で利用された石材の構成比率と遺跡の空間的位置との関係から、階層的に構成されたふたつの生業域に分けることが出来る(第2図)。一方は比較的狭い空間内の反復移動で特徴付けられる日常的な生業域で(同図の○と□)、もう一方は複数の日常的な生業域の集合的・広域的な生業域である。本論では、九州の石材研究で予測されている日常的な生業域の範囲がこのような階層性と無関係に捉えられていることへの疑問と、地域により粗密の差が大きい資料的現状を鑑みて、通時期的に観察可能な後者の広域的な生業域をまず重視し、九州を4つの地域にまずわけた。そのうえで、それぞれの内部に日常的な狭い生業域を認めうる時期が存在する点に言及した(第2節 地域区分)。 第3章 石器群の分類と編年 石器群をどのように分類し、どのように編年するかは、行動論の内容を根底において決定付ける重要事項である。ここでは既知の資料のほかに独自に収集した資料とこれまで顧みられていなかった資料との評価を通じることで、新たな編年を構築した。結果として、学史的に懸案となっていた前半期前葉の編年は台形様石器の型式学的検討と組成石器との関係から、編年研究の進んだほかの地方の変遷に対応する3期に区分できたほか、資料精度の問題から編年構築が困難だった西北九州についても、東南九州との対応関係を明示することが出来た(第1節 資料の予備的検討)。 次にその成果を踏まえつつ、先の構造主義的視座に立つ石器モード論を土台として、石槍を主体とする石器群を再定義し、その系列的関係を重視する新型の構造編年案を提示した(第3図:より下方が最も古い後期旧石器時代前半期前葉で、最上段は縄文時代草創期に接している)。石器モードは、序論でも述べた4種である。結果的に、剥片モードに4群7種、石刃モードに3群5種と、ほか暫定的な数種の石器群を抽出した(第2節石器群の分類)。 この編年ではまた、時期を画する指標としてモードの転換を重視し、この転換が個別石器群の出現イベントとは別の次元にあることを強調した。モードの転換は同図のA1~3で、これは従来のモード編成そのものが置き換わることによって形成される、石器群構造の変革期を示す画期であり、したがってヒトの行動生態の大きな変化を示唆する可能性が高い。また、図には示していないが、個別石器群の出現によって画される画期B群が想定可能である。様式的に際立った特徴を有する石器群の出現などがこの画期の抽出によってクローズアップされる。B群はA群よりは社会的な関係の読み解きに有効な設定かもしれない。いずれにしても、石器モード論による構造編年は従来の単線的段階編年にかわりうる方法として有効である考えられる(第3節 構造編年と画期)。 第4章 技術構造の変容 以上の検討作業と共に、大きく二つの時期に関して技術構造論的考察を行った。まず後期旧石器時代前半期前葉(未較正年代で約33000-2900BP)の代表的な石器群の構造分析を行い、剥片モード一色と理解されてきた石器群には、それと密接な状態で萌芽的な石刃モードが存在していることを明らかにした。この解釈により、直後に続く時期における石刃モード(背部加工尖頭形石刃石器群A)の出現が外部からの一方向的な影響によるものではなく内部的な移行過程によるものであることが推定できた(第1節 二極構造の成立)。 次に、後半期前葉から中葉(未較正年代で約24500-20000BP)にかけての東南・西南九州を対象として、モードの転換を伴う石器群構造の変容について考察した。具体的には、石刃モードの基部加工尖頭形石刃石器群A(剥片尖頭器)と剥片モードの切出形石器群を示標とする明瞭な二項的モード期の前葉から、前者の剥片モード化した石器群(基部加工尖頭形剥片石器群)を伴いながら、石刃モードの背部加工尖頭形石刃石器群B(中・大型ナイフ形石器群)と、剥片モードの異系列・系統にある横打剥片製石器群(国府系石器群)・角錐状石器群とが技術的に親和性を強めた中葉石器群への劇的な変貌(第4図)の過程を焦点とした。 検討にあたって特に重視したのは、石刃モードにおける基部加工尖頭形石刃石器群Aから背部加工尖頭形石刃石器群Bへの移行についての石刃生産技術と石器形態との関係が生業域における資源開発密度に関連して変化したという適応的進化過程と、前者とは全く異質に見える角錐状石器群の製作システムとの間に共通するリダクション(変形)・システムである。これらは共に、得られた石材からより多くの刺突具を生産することを共通の目的とした技術的組織の進化の方向性である。さらに、このような前葉から中葉への移行に際して、刺突具に利用される石材が頁岩やホルンフェエルスから、それまで利用されていなかった斑晶の多い黒曜石、チャート、玉髄といったかなりコントロールの難しい石材にまで拡大・多様化している現象と、それら石材の産地が西南九州の広い範囲に散在している事実は、上記の石器の技術的組織の変化の方向性と一致して、生業領域内の資源開発が空間的に高密度化したことを示唆していると捉えられた。角錐状石器群の一部を含み、非常に多くの削器類(加工具)が各遺跡に組成することからすれば、こような資源開発の高密度化には植物質資源の獲得と加工処理とが大幅に組み入れられていた可能性が高いと考察した(第2節 技術構造の変容)。 第5章 結論 生活全体の中でいえば極々部分的でしかない資料体からヒトの行動史を明らかにするとき、モノとその荷担者であるヒトの行動との関係性がどのようなシステムにおいて結び付けられているのかを解釈するための様々なモデルが必要である。構造はこのようなモノとヒトとの行動論的関係システムを秩序立てて説明するための基礎理論として大変有効であった。本論ではその視座から様々な二項的システムの関係網から石器を中心とする技術構造の変容過程の解明を目指し、概ね良好な考察が行えたと考えている。 第1図 石器石材の産出する火成岩の分布 第2図 利用石材と生業域の階層的変異についての概念模式図 第3図 石器群の構造編年模式図 第4図 前葉から中葉への刺突具の変化 | |
審査要旨 | 本論文は、石材消費戦略論に基づく行動論と石器群のモード論・リダクション戦略論という最新の現代考古学の諸理論に基づいて、九州地方の後期旧石器時代初頭から後半期中葉にかけて展開した膨大な石器群を対象に、その年代編成と相互関係態を明らかにし、さらにその形成要因を追求して構造変動論的説明を与えることに成功した、意欲的かつ完成度の高い論文である。 本論文は、5章から構成されている。第1章序論では、これまでの研究では、特徴を異にする諸石器群が狭い九州島内で複雑に分立し、あるいは併存して展開する考古学的現象を有効に解釈する手段をもたなかったため、諸説が乱立する現状を批判して、その原因が有効な理論的・方法論的枠組みの欠如にあることをあきらかにし、研究史を丁寧に解題しながら、そのための理論と方法を整理する。その結果、社会生態考古学理論に基づく研究方法の階層化が果たされていないという既存研究の問題点を指摘して、石材消費戦略の具体相の解明を出発点に据える。 まず第2章では、考古学的に有効な石材の分布環境を明らかにすることを目指して、九州島内の表層地質の解析に基づき、有効石材環境の利用範囲と遺跡分布を根拠とした地域生業圏を設定する。当該石材を産出する岩体の分布地近辺で、旧石器人は石材を入手し、遊動の過程で石材を消費しながら狩猟採集活動を行ったはずであるから、石材の受給戦略が、まずは行動を規定する第一要因になったとする考察が前提とされる。続く第3章では、対象資料の抽出と編年的検討を行い、これらの石器群を石器モード論の立場から、石材消費戦略の異同を根拠として、石器製作技術行動の束に編成する作業を周到に展開している。石器モードは、利用可能な石材種とその形状、運搬コストと形態、目的とする石器器種の製作技術およびリダクション戦略等の運用方法等の相互関係態として規定されるので、石器モードの構成には、先史集団の技術的環境適応行動が濃密に反映される。この研究法は、これまでの九州島内の研究では意識されてこなかったので、本研究に重厚さをもたらす一因となった。 結論に当たる第4章と第5章では、第3章までの分析によって明らかにされた石器群(石器モード)の構造編年を再度確認し、特に南九州における後期旧石器時代後半期の出現という画期の形成要因とその変容過程を、石材消費戦略を含む適応戦略行動の変化と石器製作運用技術の応答関係という視点から、構造変動論的な説明と解釈を与えることに成功している。 従来九州地方の後期旧石器時代を対象に、これらの最新理論に基づく革新的で具体的な研究を展開した例はなく、その意味では、ひとり九州地方の地域研究にとどまらず、今後の旧石器時代研究の地平を切り開く新たな研究事例を提供したと評価できよう。ただし、本論文が、当該期の九州が現在の本州・四国とともに古本州島という一つの島をなしていた以上、本州西部・四国地域との関係性に関する分析が必要と思えるにもかかわらず、その評価が手薄なこと、さらに文化的影響関係が濃密と考えられる朝鮮半島の当該期資料との比較に関する言及が不足していること等、不満を感じさせる点もなくはないが、本論文の意義を損ねるほどではない。論文提出者の今後の課題であろう。 従って、本委員会は、博士(環境学)の学位を授与するにふさわしいと認めるものである。 | |
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