学位論文要旨



No 126186
著者(漢字) 佐藤,裕和
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ヒロカズ
標題(和) 流域の一体的管理による超過洪水を前提とした治水のあり方に関する研究 : 利根川水系を対象として
標題(洋)
報告番号 126186
報告番号 甲26186
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第603号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 教授 鬼頭,秀一
 東京大学 准教授 黄,光偉
 東京大学 講師 鯉渕,幸生
内容要旨 要旨を表示する

わが国の近代的治水は、明治29年の河川法制定によりそれまでの低水工事に取って代わる本格的な高水工事が始まり、この河川法に森林法、砂防法(ともに明治30年制定)を併せたいわゆる治水三法を法的基軸に、その黎明期には諸外国の近代的土木技術によりながら、日常的な水害を克服することに成功し、高度経済成長を支える基盤作りに寄与するとともに、世界屈指の経済大国としての現在のわが国の骨格を形成させるほどの高い技術的水準に達したといえる。しかしながら、国家の近代化とともに右肩上がりに増加し続けてきた人口と、このような治水を前提に展開されてきた流域内の都市化は、本来の氾濫原である沖積平野を覆い尽くし、ひとたび河川が氾濫すると未曾有の水害なって、われわれの社会史にその記憶を刻んできた。すなわち、洪水を河道から一滴も溢れさせないという近代的治水思想は、水害頻度の激減と同時に、洪水流量の増加と水害ポテンシャルの増大という新たな問題に直面して破綻をきたしたのであり、これを鑑みて建設省は、流域の雨水貯留を促進する総合治水対策(昭和52年)を流域治水の嚆矢に、高規格堤防(スーパー堤防)の整備を軸に洪水氾濫を前提とした治水策を唱えた超過洪水対策(昭和62年)を河川審議会答申などで打ち出し、平成9年の河川法改正では河川環境の整備と保全を命題に、河川整備に流域住民の意見を取り組むことを可能にしながら、氾濫水の流勢を緩和するとされる樹林帯(水害防備林)の整備を促進する旨がうたわれた。洪水が河道からあふれることを前提とした治水対策の必要性が、河川管理者からも明確に認識されてきていることがわかる。さらに、近年では経済状況の悪化、環境問題の浮上などの理由から従来のような大規模治水施設への積極的投資は難しくなってきており、気候変動などの影響で高い強度の降雨の発生頻度が増え、洪水流量が増大するといった懸念も指摘なされてきている。

その一方、洪水氾濫が意識された治水対策(超過洪水対策)が実施されている例は、スーパー堤防では大都市の一級河川の部分施工に過ぎず、水害防備林の整備も阿武隈川水系や十勝川水系などに見られるに過ぎず、また市町村単位で洪水ハザードマップを整備することが義務化されてきているが、その利用率や内容についても課題が多く、避難指示・体系そのものの問題点も近年の水害事例から浮き彫りになってきている。全国的に見れば河川整備の達成度は整備目標に達していない場合がほとんどであり、河道の流下能力という観点から見れば常に超過洪水の脅威にさらされており、また、水害頻度の減少、すなわち水害経験の喪失から地域の水防意識も失われていることも併せ、このような超過洪水に対する脆弱性がわが国の治水上の最大の問題点と考えている。本研究では上述のような問題点を踏まえ、現在のわが国の治水上で最も脆弱な部分、すなわち超過洪水による洪水氾濫を、どのようなかたちで治水計画あるいは河川計画に織り込んで反映させていくことができるのか、またそれはどのような手法が考えられるのかについて検討・考察を行っていくものである。実際に洪水氾濫が生じてもできる限りその規模を縮小させ、また氾濫そのものを抑制する視点で治水計画を検討しようとするものであって、実現可能性が全くない画餅といえる計画とならない方法について考究することも本研究に課せられた大きな課題である。

治水のおよぶ範囲は流域であって、上流域から下流域で超過洪水を捉え、そのリスクを流域の一体的管理によってどのように受容し、被害を緩和させていくかについての解を提示することを試みる。また、対象とする流域の固有の治水対策だけでなく、どのような流域でも適用可能な普遍的な方法あるいは技術的手段の有効性についても提案を行う。

対象は流域内に首都圏を抱え、自然的にも社会的にも複雑な利根川水系を選び、現状の利根川治水の問題点を整理し、流域単位で超過洪水を受け持つことの意義を明確にし、超過洪水を前提にした新たな治水方法について考察・提案することを目的にする。利根川流域は日本で最も難解な治水の問題を抱えており、利根川流域における超過洪水を前提とした治水対策を提案し、その有効性が実証できれば、部分的にでも他流域の治水問題の参考にもなりえると考えたからである。

本論文の各論は以下のような構成をとっている。

第1章では、研究の背景と目的、研究手法について述べている。

第2章では、利根川治水について概観し、利根川治水の問題点を指摘している。

第3章では、洪水氾濫時の危機管理として、堤防を自主決壊して氾濫水を河道還元させる方法の有効性について論じている。

第4章では、堤防整備をどのように効率的に行い、洪水氾濫による被害額を減少させるのに効果的であるか検討を行っている。

第5章では、既存の治水施設の運用を工夫し、治水効率を高めることによる洪水氾濫の抑制効果について検討を行っている。

第6章では、期待被害額の観点から治水整備の遅れる利根川下流部の治水策として、新しい放水路案を提案し、その効果を検討している。

第7章では、各章で得られた知見を統括し、超過洪水を前提とした、あるべき利根川流域治水についてまとめている。

これらの検討より得られた結果を総括して述べると以下のようである。

現在計画中の治水対策を単に進めるだけでなく、実施効果の高い対策を吟味した上でそれを優先的に行うこととし、実際に洪水が河道から溢れた場合の危機管理として、第3章で示した堤防自主決壊による氾濫水の河道還元を治水計画の中に内包しておく。どのような治水の整備段階にあっても、それ以上の超過洪水は発生しえるし、氾濫水の処理をポンプ対応以外にも講じておくことは有意である。この方法は利根川のみならず、天井川でなければ普遍的に効果が得られるものであるし、河道還元以外にも相対的に被害の少ない場所での自主決壊によって、下流都市部の洪水流量を減らし氾濫を防止するという視点からも、事前シミュレーションの上計画論の中枢に位置付けることが肝要であると考える。洪水氾濫に対するリスクの緩和は、堤防自主決壊を念頭に置いておきながら、効率的な治水施設の整備を行うために、第4章で示したように優先すべき堤防整備箇所を細かくシミュレーションしておき、被害軽減に効率的で整備が容易な箇所から整備を進めていくことが肝心であると考える。一方、堤防整備が可能でもそれを実施することで氾濫箇所が他所へ移行した場合に氾濫被害額が桁違いに増大するような場合にはその整備を行わないという方法もありえよう。その場合でも、利根川洪水による破堤氾濫であれば被害額が1000億円オーダーにもなりえるため、破堤はさせないように堤防強化や水害防備林を可能な限り設置することが望まれる。治水整備段階の過程で比較的容易に治水効率を高められると考えられるのが、第5章で検討を行った既設の越流堤天端への可動堰設置による調節池の治水容量の有効利用である。これは鬼怒川合流部の3調節池に限定され、受益地が局所的であるが、小貝川へ新設が計画されている遊水地や、母子島遊水地の容量増加が将来可能であればこれを適用することが可能であり、また烏川の河道内遊水地を本格的に調節池するのであればこれが適用可能である。取手・我孫子両市での検討で氾濫抑制効果が見られたように、調節池近傍に限定されるかもしれないが、都市部での氾濫抑制がなされるから、建設の即行性も合わせて一定の意義はあるものと思われる。

利根川固有の治水問題である江戸川と本川分流問題であるが、これに対しては第6章で示した新放水路案によってかなりの洪水流量のカットが期待でき、関宿から放水路地点までの約80kmの区間で洪水流下能力が高められれば、将来にわたっても江戸川との分流比率は計画以上であっても利根川下流の治水にとって問題ないばかりでなく、江戸川筋の氾濫可能性も低下させたままにしておくことができ、江戸川右岸の堤防強化策と併せて首都圏への氾濫を防止できるため、流域全体としても被害額を大きく減ぜられるメリットがある。換言すれば、新放水路を前提とした場合に利根川流域の中で、重点的に河道整備を行うべくは関宿から佐原までの約80kmの区間で、ここの河道整備を優先的に行うことが流域全体の超過洪水に対する最も効率的な方針となるのではないかと考えている。この区間には前出の鬼怒川合流部の3調節池も含まれており、調節池の治水容量の増大がなされ、さらに越流堤への可動堰設置による治水容量の有効利用によってこの区間の治水効率も向上するものと思われる。また、調節池内の湛水頻度減少による効果で大洪水以外は調節池内の農地被害も減るためその方面の被害軽減にも貢献できるものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

河川の洪水災害は未だに頻繁に発生し深刻な被害をもたらしているが、それに対する対策は必ずしも十分に進んでいるとは言えない。想定される洪水の水準に対する防災施設建設の完成は当分見込めないし、また、将来懸念されている地球温暖化によって豪雨の発生規模・頻度が上がる可能性がある。そもそも、異常現象の上限は設定が容易でないことから、どのような設定をしてもそれを超える異常現象が発生する可能性を否定することはできない。このようなことから、治水対策において、想定外の出水に対しても粘り強く効果を発揮する対策を検討することは意義のあることである。本研究は、流域の一体的管理による、超過洪水を前提とした治水のあり方について、利根川を事例として論じたものである。

第1章は序論であり、河道から洪水を溢れさせないという従来の治水思想の問題点を指摘するとともに、超過洪水に対する体制をそなえることの重要性を述べている。

第2章は利根川治水の概要と問題を記述している。明治時代に完成したとされる利根川の東遷事業、浅間山の噴火の影響による水害の激化、足尾鉱毒事件など、自然的・人為的影響により複雑な治水の経緯を述べるとともに、200年確率の洪水への対応が現在の治水の目標であるのに対して、今後30年で対応できるのは本川でも50年確率、支川では30年確率に過ぎないことを述べ、別の治水方針の必要性を指摘している。

第3章では、堤防の自主決壊により、氾濫した河川水を河道に還元することを目的として、数々の数値シミュレーション結果を示し、議論している。まず、モデル地形については、山地、扇状地、移化帯、三角州のモデル地形について、自主決壊の効果を検討している。すべてのケースで、適切なタイミングで自主決壊を行うことで氾濫水を河道還元できることが示された。実際の利根川に対しては、内閣府の中央防災会議で想定されている6パターンの洪水氾濫に対して、自主決壊の効果について検討している。その結果、適切な自主決壊地点を選定すれば、多くのケースで総氾濫流量の7割以上を速やかに排水することが可能となった。ただし、氾濫水が河道から離れる場合には、自主決壊の効果は小さくなった。

第4章では、堤防整備による洪水氾濫被害額の縮小効果を論じている。利根川では堤防整備の進捗度にばらつきがあるが、どこを優先して整備するかによって、被害額の軽減に対する効果を高めることができる。想定したケースは5ケースであり、氾濫地先によって被害額が大きく異なること、したがって、効果的な堤防整備の順序を検討することの必要性が理解できる。

第5章では、既存治水施設の高度利用という視点から、越流堤天端に可動堰を設置した場合の効果を論じている。可動堰を閉鎖状態にすることにより、氾濫直前まで越流を起こさせないで遊水池への水の侵入を避けることができ、氾濫後に氾濫水を蓄えるための容量を目一杯にとることができる。これにより、氾濫地域の湛水深を若干ではあるが低下させることができた。

第6章では、関宿分派地点より下流の本川の氾濫を防ぐための、新放水路を検討し提案している。放水路は利根川下流から霞ヶ浦、北浦を経て鹿島灘に向かうものである。これは、洪水発生前の予測に基づいて、霞ヶ浦の水位をあらかじめ下げておくことにより、洪水が発生した場合に霞ヶ浦へ向かう流量を増すことにより、下流の氾濫を防ぐというものである。これにより、佐原地点において約2,500m3/sの流量、約1.2mの水位上昇をカットできる可能性が示された。

第7章は以上をとりまとめ、得られた知見を総括している。まず、現在の治水計画の中で実施効果の高いものを優先させながら、洪水氾濫時の危機管理として、堤防の自主決壊による氾濫水の河道還元を治水計画の中枢に位置づけておく。氾濫を前提とはしても、破堤を回避することが望ましい。越流堰への可動堰設置は、若干ではあるが遊水池の効果を向上させることができる。また、新放水路により、本川と江戸川の分流比率を現状のままとしても、本川の佐原から下流の氾濫危険性が大幅に軽減される。したがって、関宿から佐原までの治水整備が有意義となる。

以上の研究成果は、利根川を事例として、従来の治水計画では欠けていた超過洪水を前提とした治水のあり方を論じたものであり、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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