学位論文要旨



No 126188
著者(漢字) 神野,有生
著者(英字)
著者(カナ) カンノ,アリヨ
標題(和) 可視近赤外画像による浅水域の水深分布推定法
標題(洋) Shallow Water Depth Estimation Methods with Visible and Near Infrared Imagery
報告番号 126188
報告番号 甲26188
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第605号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 鯉渕,幸生
 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 准教授 丸山,祐造
 東京大学 准教授 黄,光偉
 東京大学 講師 竹内,渉
内容要旨 要旨を表示する

1背景と目的

沿岸域・湖沼・河川などの水深分布は,水環境に支配的影響を及ぼすため,水域の利用や管理に欠かせない基盤情報である.船舶による音響測深が難しい浅い水域については,上方から衛星・航空機が撮影した可視近赤外画像を用いる水深分布の予測星法が,数多く開発されてきた,これらは,センサに到達する放射輝度が,水深の増減とともに変化することを利用した方法である.このとき放射輝度は,図1に示すように太陽光が水中で散乱された成分,底面で反射された成分を含むため,水深の増加に伴い増減することになる.このような予測は,精度が水深の他に底質・水質・波浪・大気の状態に強く依存する一方で,広域の分布を同時に,均一かつ高い空間密度で得られる利点があり,実用性に優れた予測法の開発が期待される.

既存の予測法の中で,必要な情報,物理的な根拠,および簡便さの点で実用性に優れ,適用例も多いのが,Lyzengaの予測法2である.これは,水深を各バンドの対数補正放射輝度3で説明する線形回帰予測であり,マルチスペクトル画像と,いくつかの水深が既知の画素のみを要する.また,放射伝達方程式の近似解析解である次式の放射伝達モデルに依拠している.R=R∞+(Tsrb-R。∞)e-kh

ここにRは水面直上における,水中から大気中に射出される光に関するリモートセンシング反射率,R∞はその無限水深における値,Tsは水面の透過に関する係数,rbは底面反射率,kは実効消散係数hは水深である.しかし,次のような問題点が,Lyzengaの予測法の適用可能性・予測精度を制限していると考えられる,

A.放射伝達モデルの成立性が,基礎的に検証されていない,

B.水・大気の光学特性に関する強い空間的均一性を仮定する.

C.底質の種数が可視バンドの数を超えないことを仮定する.

D.最良の予測を与える回帰係数が,最小二乗推定によって得られる保証がない.

そこで本研究では,Lyzengaの予測法の拡張や改良により,これらの問題点を解決・緩和したより実用的な予測法を提案することを目的とする。

2放射伝達モデルの検証

問題点Aを解決するため,モンテカルロ法によって放射伝達方程式の直接解を計算し,放射伝達モデルの成立性を検証した.計算においては,放射伝達モデルの導出の際と同様に,底面を水平かつ均一なLambert面,水の固有光学特性を空間的に均一,偏光・蛍光・非弾性散乱を無視できるものと仮定した.これらの仮定下で,リモートセンシング反射率Rは,水面に降り注ぐ放射輝度の方向分布,水面の双方向性散乱分布関数,単一散乱アルベド,光学的深さ,および底面反射率のみに依存する.本研究ではこの一般性を利用し,これらの光学条件を様々に設定して検証を行った.水面の双方向性散乱分布関数は,表面張力波を重視した波数スペクトルモデルに基づく光子追跡シミュレーションに基づいて構築した.

その結果,放射伝達モデルは一般によく成立するが,内部反射成分4を無視しているため,内部反射成分が大きい,つまり光学的深さが小さく底面反射率が大きい条件下で成立性が低下することが明らかになった.具体的には,図2に例示するように,実効消散係数kが,kと独立であると仮定される光学的深さや底面反射率に,顕著に依存することが示された.

一方本研究では,代数的なアプローチにより,Lyzengaの予測法自体は,内部反射成分の影響を直接的には受けないことを示した.内部反射成分に起因する放射伝達モデルの不成立性に対処するため,実効消散係数の光学条件を精度よく表現したモデルや,内部反射成分を考慮した成立性の高い放射伝達モデルも開発したが,3で述べる予測法の開発では,成立性と代数的な扱いやすさのトレードオフを考慮し,従来の放射伝達モデルを用いた.

3水深分布予測法の開発

問題点B,C,Dを緩和した複数の予測法を開発した.これらはマルチスペクトル画像と水深既知画素のみを要し,放射伝達モデルに依拠する点で,Lyzengaの予測法の長所を踏襲している.

水・大気の光学特性に関する強い空間的均一性を仮定するという問題点Bに対しては,光学特性の空間変動を,近赤外バンドを用いた新たな変数で説明することにより,仮定を緩和した線形回帰予測法を導いた,

底質の種数が可視バンドの数以下である必要があるという問題点Cに対しては,許容される底質の種数を任意に設定できる2つの予測法を導出した.1つは,指数・対数関数の非線形性を利用した非線形回帰予測法である.もう1つは,底質指標5の様々なテクスチャ特徴量が,底質の分類に有用であるという解析結果に依拠する.すなわち,これらの特徴量を仮想的なバンドとして扱い,説明変数に用いる線形回帰予測法である,さらに,底質を有限の種数に分類しない立場から,放射伝達モデルの底質依存項を底質指標のノンパラメトリック関数で表現した,セミパラメトリック回帰に基づく予測法をも導出した.

回帰係数の最小二乗推定量が最良の予測を与えるとは限らないという問題点Dに関しては,回帰モデルの誤差項に現れる空間的自己相関性に着目した.対策の例として,Lyzengaの線形回帰モデルに,ノンパラメトリックな空間トレンド項を追加する予測法および,確率場の概念に基づくKriging with External Driftを応用した予測法を提示した.

4実水域への適用

開発した予測法とLyzengaの予測法をいくつかの実水域に適用し,RMSE(Root Mean Square Error)などの予測誤差の統計肚によって予測精度を検証した.図3に,各予測法をサンゴ礁水域のQuickBird画像に適用した際の,予測のRMSEの200回の試行に関する平均を例示する.空間的自己相関性を考慮しない予測法の平均RMSEは,水深既知画素の増加とともに減少し,予測法に依存する値に漸近する傾向を見せた.一方,空間的自己相関性を考慮した2つの予測法は,水深既知画素の増加とともに,放射輝度に基づく予測から空間位置に基づく予測に遷移するため,少なくとも水深既知画素が240個に達するまで,平均RMSEの顕著な減少が続いた。

図3からわかるように,予測精度やその水深既知画素の数への依存性は予測法により異なるが,水深既知画素が十分にあるとき,開発した各予測法はLyzengaの予測法と比べて高精度となった.また,Lyzengaの予測法自体も,同じ線形回帰であるが物理的根拠のない予測法と比べれば高精度となり,物理的根拠を考慮することの重要性が確認された.

開発した予測法のいくつかは,組み合わせて用いることもできる。実用においては,状況に適した予測法やその組合せを選択する必要がある,本研究では,選択の指針として,まず各予測法の仮定の成立性,工夫の有効性を考慮した絞り込みを,次にCrossValidationによるRMSEの期待値の推定などに基づく統計的な選択を行うことを提案した.

5今後への提案

本研究の結果から,予測誤差の原因として,放射伝達モデルの不成立性よりも,放射伝達モデルから予測法を導く際に置かれる諸仮定の不成立性が,より重要であることが示唆される.これらの諸仮定は画像に基づく検証が困難であるため,今後の予測法の開発では,近年の潮流である放射伝達モデルの精緻化よりも,諸仮定の不成立性に対する頑健化が重視されるべきである.

統計学の用語.時間軸を連想させるため,題目では日常的な用語「推定」を用いた.D. R. Lyzenga, et al. : Multispectral bathymetry using a simple physically basedalgorithm, IEEE Trans. Geosci. Remote Sens., vol. 44, pp. 2251-2259, 2006.可視バンドの放射輝度,近赤外バンド,及び深水域の画素集合から計算される変量.図 1に示した,水面における内部反射を経た放射輝度成分.2バンドの対数補正放射輝度を用いて計算される,水深に依存しない変量.

図 1. 浅水域を撮影した可視近赤外画像に含まれる主な放射輝度成分の模式図

図 2. 実効消散係数の,光学的深さ・底面反射率に対する依存性

図 3. 各予測法による500回の予測に関する予測誤差のRMSの平均

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,衛星・航空機などが浅水域を撮影した可視近赤外画像を用いて,水深の空間分布を推定する手法について,従来法の問題点を緩和した新しい方法群を提案したものであり,全5章で構成される.

第1章は背景と目的を述べた序論である.はじめに,沿岸域・河川・湖沼における水深分布の重要性,特に浅い水域における音響測深の非効率性を根拠に,可視近赤外画像を用いた方法の工学的な重要性を述べている.次に,従来の方法をレビュー・分類し,Lyzenga et al.による方法が,必要な情報(可視近赤外域のマルチスペクトル画像と一部の画素の水深のみ)が比較的入手しやすく,物理的な根拠をもつ点で,比較的実用性に優れていると結論している.さらに,Lyzengaの方法の原理を説明し,精度や実行可能性を制限する問題点を指摘している.具体的には,次の4点である:A. 物理的な根拠である放射伝達モデルの成立性が,基礎的に検証されていないこと.B. 水深を推定する浅い領域と,隣接する深い領域を通じて,水・大気の光学特性に関する強い空間的均一性を仮定すること.C. 底質の種数が利用する可視バンドの数以下であると仮定すること.D. 回帰モデルの誤差項に含まれる空間的従属性によって,回帰係数の最小二乗推定量が,最良線形不偏推定量にはならないこと.最後に,これらの問題点の解決・緩和を,本論文の目的として掲げている.

第2章では,問題点Aを解決するため,水中の光の伝搬を支配する放射伝達方程式のモンテカルロ法による数値計算に基づいて,放射伝達モデルの成立性を検証している.その結果,放射伝達モデルは一般によく成立するが,内部反射成分(衛星・航空機に観測される前に,水面の水中側における反射を経た放射輝度成分)を無視していることが原因で,内部反射成分が大きい,つまり光学的深さが小さく底面反射率が大きい条件下で,成立性が低下することを明らかにしている.さらに,内部反射成分を考慮した成立性の高い放射伝達モデルも開発している.ただし同時に著者は,代数的なアプローチにより,Lyzengaの方法自体は,内部反射成分の影響を直接には受けないことを示しており,第3章における推定法の開発では,代数的な扱いやすさに優れた従来の放射伝達モデルに依拠している.

第3章では,Lyzengaの方法の問題点B, C, Dを改善した複数の方法を導出し,各方法の実水域への適用例を併せて示している.いずれの方法も,必要な情報の種類と放射伝達モデルに依拠する点でLyzengaの方法と同じであり,Lyzengaの方法の長所を継承している.

水・大気の光学特性に関する強い空間的均一性を仮定するという問題点Bに対しては,光学特性の空間変動を新たな変数で説明することにより,仮定を緩和した方法を導いている.テイラー近似の利用により,回帰モデルは簡便さを継承した線形モデルとして提案されている.

底質の種数が可視バンドの数以下である必要があるという問題点Cに対しては,許容される底質の種数を任意に設定できる2つの方法を導出している.1つは,指数・対数関数の非線形性を利用した非線形回帰モデルに基づく方法である.もう1つは,底質指標 の様々なテクスチャ特徴量を,仮想バンドとして説明変数候補に含める方法である.さらに,底質を有限の種数に分類しない立場から,放射伝達モデルの底質依存項を底質指標のノンパラメトリック関数で表現した,セミパラメトリック回帰モデルに基づく方法をも導出している.

回帰モデルの誤差項に含まれる空間的従属性によって,回帰係数の最小二乗推定量が,最良線形不偏推定量にはならないという問題点Dに関しては,対策の例として,Lyzengaの線形回帰モデルにノンパラメトリックな空間トレンド項を追加したセミパラメトリック回帰モデルに基づく方法,及び,誤差項の空間的従属性をバリオグラムとしてモデル化するKriging with External Driftを応用した方法を提案している.

第4章では,第3章で導出した各アルゴリズムを,Lyzengaの方法とともに同じ水域・画像・データに適用し,交差検証法により推定精度の相互比較を行っている.水深が既知の画素が十分にある場合,開発した各方法が,Lyzengaの方法よりも高精度となることを示し,第3章における開発の有効性を確認している.特に高精度となったのは,空間的従属性を考慮した2方法であった.ただし著者は,各アルゴリズムの予測精度の優劣が,状況 に強く依存することを強調している.

第5章はまとめの章であり,研究成果を総括している.また,今後の開発の展望として,底面の双方向性反射率分布関数や,水・底面の偏光特性の考慮・利用の可能性について解説している.

いずれの章においても、共同研究者の寄与は、水深実測値の提供、画像の提供などに限られており、論文提出者の寄与が十分に高い。

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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