学位論文要旨



No 126190
著者(漢字) 杉本,賢二
著者(英字)
著者(カナ) スギモト,ケンジ
標題(和) 経済モデルと土地利用モデルの統合による将来の食料需給予測に関する研究
標題(洋) A Study on Integration of Economic Model and Spatial Model for a Prospect of Future Food Demand and Supply
報告番号 126190
報告番号 甲26190
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第607号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 教授 溝口,勝
 東京大学 教授 高橋,孝明
 東京大学 准教授 川島,博之
 東京大学 准教授 河端,瑞貴
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

人間が生活していく上で、農地から生産される食料は必要不可欠であり、人口が増加すると絶対的な需要量が増加する.また、経済成長に伴って畜産物の消費量が増加することにより家畜のえさとなる飼料用需要が増加する.さらに近年ではバイオ燃料の原料として穀物が使用されることで、食料か燃料かという競合が起きている.

一方、穀物生産は干ばつなどの異常気象が起きた際に単位収量は大きく減らしており、穀物生産は気候によって大きく左右される.また、今後の気候変動に気温の上昇や豪雨などによって影響を受ける.農業は人間が自然を改変することによって行われる土地利用であるが、環境資源の保全・持続的な利用が求められており、増加する人口単純に農地を拡大して解決することができない.

また、穀物市場は生産量に比べてその貿易量は少なく、輸出国も限られていることから生産量が減少した場合には価格が高騰するという脆弱性を持っている.

したがって、将来の食料事情には、増加する需要と不安定になる生産の構造があり、さらに需給が逼迫すれば価格が高騰する.こうした背景から長期の食料需給がどうなるかについて見通す必要があると考える.

論文構成

本論文の構成は以下の通りである.

第1章 序論

第2章 既存研究

第3章 モデルの概要

第4章 2030年までの食料需給予測

第5章 バイオ燃料政策による影響評価

第6章結論

第2章では、既存研究において需給に影響を与える要因がどのように考慮されているかについて考察する.第3章では、前章で得られた知見により構築されたモデルの構造について説明する.モデルは国・地域スケールでの経済モデルと、グリッドスケールでの空間モデルの統合による.空間モデルは収量を推定するEPICと、耕地利用について決定する土地利用選択モデルによって構成されている.第4章では、将来の気候変動について気候モデルによる計算結果を用いて、気候変動による将来の単位収量の変化について推計を行う.また、それを3章にて構築したモデルに組み込むことにより2030年までの食料需給予測を行う.第5章では、近年増加している穀物のバイオ燃料への利用について需給構造にどのような影響があるのかについて、バイオ燃料用需要を考慮した場合の予測を行うことによって明らかにする.第6章は結論、および今後の展望である.

成果

以下,本論文を構成する各章について,その成果をまとめる.

第2章では既存研究において食料需給を見通すために必要な要素についてどのように取り入れられているか述べた.過去に開発された部分均衡モデルから、経済モデルにおいては需要、供給を通じて価格を決定する仕組みを持っているが、穀物の生産関数において気候、土壌、資源条件といった地域によって差のある要因については、最小でも国単位でしか扱えていない.また、空間モデルではグリッドとしてデータを配列することにより生育条件を考慮した単位収量の推計と、価格と収量によって決まる収益によって土地利用が決定されることが可能となる.しかし、世界全体で同じ利潤関数を用いることになり、地域による特色がなくなることが問題となる.したがって、経済モデル、空間モデルを組み合わせることによって、それぞれの利点を生かしたモデルを構築する必要がある.

第3章では本論文で用いるモデルの構造について述べた.モデルは経済モデルと空間モデルを統合させたものであり、経済モデルでは需要、貿易量の決定と、需給の一致による価格決定を行う.空間モデルは北緯84度から南緯56.5度、東西180度までの範囲について0.1度(約10km)に区切ったグリッドによって構成され、単位収量を推計するEPICと、土地利用選択モデルによる.EPICでは気象、土壌、マネジメントといった作物成長における条件によって穀物の単位収量を推計する.土地利用モデルではそのグリッドにおける作物の多収量と組み合わせ、前年の生産者価格によって決定される効用から最も望ましい選択肢を選ぶことによって耕地選択を行う仕組みとなっている.効用関数には国ごとに推計された定数項を持っており、それによって国による特色をもつ関数となっている.

第4章では気候モデルMIROCによる2030年までの気象データを用いて穀物の単位収量を推計し、第3章で構築したモデルに取り入れた.将来の気象データとして使用するMIROCは解像度が1.125度(約100km)であり、そのままEPICに使用できないため、双一次補間法を用いた後、高解像度気候データWorldClimを用いて補正した.補正された気象データと、国別の肥料投入量の変化率を適用することにより2030年までの単位収量の推計を行った.肥料投入量を一定とした場合には小麦を除いて気温の上昇とともに減産となるが、肥料投入を増加させればある程度まで低減出来ることを示した.ただし、地域によって単位収量の変化は異なっており、東南アジアにおける米は南部で収量は減るのに対し、中国北部や北海道といった北部地域において増加する.また、小麦はヨーロッパ北部や東欧で単位収量が増え、気候変動が好影響を与えている.

さらにこの将来の単位収量の推計を用いて2030年までの食料需給予測を行った.穀物価格はとうもろこし、大豆については2030年までに70%上昇するものの、米についてはアジアにおける米需要量の伸びが鈍化し供給過多となるため、2030年には低下する.しかし、すべての地域において順調な増産となるわけではなく、特にアフリカにおける単位収量の伸びが他地域より低く、それによって増加する需要を賄えなくなる.

第5章では穀物を原料とするバイオ燃料政策によってどのような影響があるのかについて、2020年までの予測を行った.既往研究の検討において、2007、2008年における価格高騰は石油価格や投機などの要因もあるが、バイオ燃料政策も一因であることが明らかになった.このことから穀物のバイオ燃料用需要をシナリオとしてモデルに組み込むことにより、バイオ燃料による影響を明らかにした.バイオエタノールとして用いられるとうもろこしは食料需給に与える影響は大きく、バイオ燃料用需要が一定であると仮定したシナリオと比較すると、今後の需要拡大によって2020年までにとうもろこし価格が20%上昇することが示された.また、需要増分を埋めるだけの生産量の増加はアメリカだけでは困難であり、インドやブラジルにおいて耕地は拡大するものの需要過多となる.さらにアフリカにおいてとうもろこしは食用需要として利用されており、価格の上昇は一人あたり消費量を減少させ、栄養状況の悪化をもたらす.第2世代バイオ燃料の開発等、食料と競合しない原料を使用する必要があると考える.

審査要旨 要旨を表示する

幾何級数的に増加する人口が等比級数的にしか増えない食糧生産をいつか追い越し、世界的な食糧危機が訪れるのではないかという議論は過去長い間繰り返し行われてきた。特に近年はバイオ燃料の需要が政策的な支援もあって急伸し、トウモロコシなどの穀物価格が大きく上昇した結果、食糧危機に関する懸念が一層高まっている。食糧需給の逼迫は穀物価格などを通じて食料を輸入に頼っている最貧国にまず深刻な影響を与え、当該地域の政治情勢の不安定化を通じて世界システムに波及することが危惧されている。世界システムの安定性を確保する上からも食糧需給の安定化が必要である。

食糧需給の安定化に向けてのさまざまな政策の基礎の一つに、食糧危機がいつどの程度の規模生じ得るのかという定量的な将来シミュレーションがある。これらの多くは国ごとに推定された穀物等の需要関数、供給関数を用いて国内の需給量、価格を推定し、過剰供給や超過需要は国際市場での価格均衡を通じてクリアランスされるという部分均衡構造を有している。しかしながら供給関数、すなわち穀物の生産関数は国、あるいは国を束ねた地域全体での穀物生産量が価格の変化に応じて変動する構造となっているため、穀物生産に利用可能な土地資源の制約が明示的には反映されない。そのため穀物生産農地の拡大制約や穀物間の土地資源の競合、場所によって異なる気候変動のインパクトを穀物単収の変化などの形で取り込むことが困難であるといった大きな制約がある。こうした制約を克服するために地表面をグリッドに分割しグリッドごとの穀物生産性や利用可能土地面積を推定し、集計化して供給関数とする試みもあるが、穀物の種類が考慮されず「農業的土地利用」として一つにまとめられているなどまだまだ不十分である。

本論文は主要穀物(米、小麦、大豆、トウモロコシ)を対象に土地グリッドごとの単収モデル、作付面積推定モデルを開発し、それを集計することで生産関数とし、食糧需給の将来シミュレーションモデルを開発することを目的としている。穀物生産モデルを土地グリッドに適用することで、個々の土地グリッドに対する気候変動の影響、森林保全による農地の拡大抑制や都市の拡大による農地減少の影響、作目間の土地資源競合などを明示的に考慮することができる。特にバイオ燃料需要の増加が、食糧需要とどれだけ競合するのか、価格へのインパクトはどの程度あり得るのかを限られた土地資源の配分という観点から分析することができる。本論文では特にこの観点からの分析を行っている。

本論文は6章からなっている。第1章は序論であり、研究の背景や目的、研究の独自性をまとめている。第2章は既往研究であり、経済モデル、土地利用モデル、穀物生長モデル、統合モデルのそれぞれについて既往研究を整理している。経済モデルでは土地資源などの空間的な要素を取り込んでいないこと、土地利用モデルでは作付けなども含めた土地利用の変動をシミュレートしているものの、穀物市場などを内生化していないため需給バランスの変化、価格変動などを説明できないこと、穀物生長モデルは生物物理学的な成長のメカニズムをより精密に再現しているものの、作付けなどのメカニズムをモデル化しないと、将来シミュレーションには利用できないこと、統合モデルは空間的な要素も土地グリッドの形で取り込んだいくつかの大規模モデルが存在するが、農業的土地利用を集計的に扱うなど、バイオ燃料が食糧需給に与える影響をシミュレーションするなどの目的には適していないことなどが示されている。

第3章は開発されたモデルの基本構造を述べている。すなわち土地グリッドごとに土壌条件や気候条件、施肥条件などが与えられ、穀物生長モデルにより潜在的な単収が推定される。土地グリッドの潜在的な単収や穀物価格、交通条件などを加味してその土地に何を作付けするのかを土地利用モデルが決定し、それを集計することで当該国の生産量が決まる。生産量は需要量とマッチするよう国内価格で調整され、同時に国内需給のアンバランスは国際市場で価格調整され、最終的に国際価格と各国の農産物輸入・輸出政策を考慮した国内価格が決まる。その価格は次年度の穀物作付けを決定づける構造となっている。同時に過去の統計データ、作付けデータ、土地利用データなどを利用した感度解析、部分検証を行い、モデルの妥当性を評価している。

第4章は2030年までの食糧需給予測であり、将来の気候変動に関する予測シミュレーション(MIROCモデルによる結果)を予測の偏りなどを過去の気象データとの突き合わせにより取り除いたあと適用し、2030年までの主要作物の作付け分布、単収分布、穀物生産量、穀物ごとの国際価格を時系列的にシミュレーションしている。その結果、米の需要が将来伸びないことを反映して、価格がそれほど上昇せず米の作付面積は頭打ちになること、特に中国では米から小麦、とうもろこしへの転換が進むこと、それは気候温暖化が特に大きく影響する北部の地域において顕著になること、また小麦はヨーロッパで単位収量が伸び、それによってドイツやポーランドなど北部地域で耕地が拡大することなどが明らかになった。また国際価格の上昇にもかかわらず、開発途上国でも食糧消費量は増加し、栄養状態は改善されるものの先進国が輸出する農産物への依存度は増大することも示された。

第5章は バイオ燃料用需要による影響評価 であり、バイオ燃料需要に関する将来見通し(政策的な需要誘導も含む)の得られている2020年までを対象に食糧需給に対する影響を、シミュレーションを通じて分析している。その結果、トウモロコシに関しては16%の価格上昇が見込まれること、とうもとこし価格が上昇するとアメリカやインド、ブラジルでとうもろこしの耕地面積が増え、生産量は増加するが、土地が限られているために増産は限定的であること、その結果、先進国などでは消費量にほとんど影響はない一方で、アフリカなどにおいてトウモロコシ消費が減少することなどが明らかとなった。さらに将来の原油価格シナリオに基づいてバイオ燃料生産の経済分析を行い、政府からの補助金があれば経済的にも十分成立することが示された。

第6章は結論であり、今後の展開も併せてまとめられている。

以上をまとめると、本論文は食糧の需給モデルに空間的な要素を導入することで気候変動や土地資源制約の影響を明示的に取り込んだ将来シミュレーションを行うことを可能にしており、その結果、従来の食糧需給シミュレーションでは得られなかったいくつかの新たな知見が得られている。また作付面積や空間的分布が明らかになることは、都市拡大が食糧需給に与える影響分析や、農業活動の環境影響評価(例えば施肥、農薬散布など)を実現することを可能とし、さらに衛星画像などと付き合わせて穀物市況の短期予測を行うことできるなど、新たな展開の可能性を広げている。以上のことから、空間情報学の進歩に大きな貢献をしたと考えられる。また、本論文の成果は松村貫一郎、柴崎亮介、Wu Wenbinらと共著で公表されているが、論文提出者が主体となって研究を実施しており、論文提出者の寄与は十分である。したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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