学位論文要旨



No 126192
著者(漢字) 西舘,崇
著者(英字)
著者(カナ) ニシタテ,タカシ
標題(和) 1990年代の朝鮮半島における日米韓の安全保障協力の条件 : 両性の闘いからの分析
標題(洋) The Condition for Trilateral Security Cooperation among the U.S.A., South Korea and Japan in the 1990s on the Korean Peninsula : An Analysis from the Battle of Sexes
報告番号 126192
報告番号 甲26192
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(国際協力学)
学位記番号 博創域第609号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 国際協力学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柳田,辰雄
 東京大学 教授 中川,淳司
 東京大学 教授 飯田,敬輔
 東京大学 准教授 佐藤,仁
 東京大学 准教授 木宮,正史
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、1990年代の朝鮮半島を巡る日本、アメリカ合衆国(以後、米国)、大韓民国(以後、韓国)による安全保障協力の条件を明らかにするものである。分析の中心概念は各国の政策決定者らにおけるイメージであり、分析の基本モデルは「両性の闘い(The Battle of Sexes:以後、BS)」である。

1990年代の朝鮮半島における日本、米国、韓国のそれぞれの政策決定者らは、公式・非公式な場において朝鮮民主主義人民共和国(以後、北朝鮮)の脅威に対抗するため、あるいは朝鮮半島の平和と安定を維持するために、三カ国による緊密な協力が必要だと主張してきた。日米、米韓、日韓の二国間による共同声明等でも、このことは常に確認され公表されてきた。にもかかわらず、日米韓の三カ国は北朝鮮の脅威が最も高まった時期に対立的であり、危機が終息していく1990年代後半になるにつれて協力的になっていくという状況を呈した。

本研究は、1990年代における三カ国の協力の条件を明らかにすることを目的とし、同時期における日米韓での安全保障協力の推移を説明する。協力は「政策協調」であり、Keohane(1984[=1998])を援用して「二つ以上の政府によるそれぞれの政策が対立的状況にある時、各国政府が妥協点を見出して一緒に行動すること」と定義する。

本研究は、この条件を明らかにする上で、四つの支配的な見方に挑戦している。一つ目は、米朝交渉の成否を説明する一要素として、日米韓の協力関係を捉える見方である(石黒2002等)。二つ目は、日米、米韓における二つの同盟関係の力学から三カ国の協力関係を捉える見方である(Cha2000等)。三つ目は、アジアの政治的、文化的特殊性に注目することが、北東アジアの安全保障協力の条件を考える上で重要であるとの見方である(Acharya1999等)。四つ目は、外的な脅威や共通利益といったものが、三カ国の協力を説明する上で重要であるとの見方である(Walt1987等)。本研究は、これらの見方は日米韓の協力を十分に説明出来ないと指摘する。

代りに本研究が着目するのは、日米韓のそれぞれのイメージである。イメージはJervis(1970)を援用して、「様々な状況のもとで、相手がどのように行為するかについての予測に影響を与える、政策決定者の当該問題や相手国に対する信念」と定義する。政策決定者とは、政府高官や交渉代表者らを含むものとするが、本論では特に大統領(米韓)と内閣総理大臣(日本)に注目する。イメージには二つのタイプがある。一つは「争点イメージ」である。これは問題の対象や問題の全体像に対するイメージであり、本研究では「北朝鮮の核問題」等がそれに該当する。もう片方は「相互イメージ」である。これは三カ国間における相互のイメージである。ここには歴史、経済、文化に関する様々なものが含まれると考えられるが、本研究では主に、安全保障協力のパートナーとしての相互イメージを扱う。イメージが表象されるものとして本研究が注目するのは、(1)政府間における公式的な外交文書、(2)大統領と首相らによる公式的な発言内容、(3)政府の公式的な外交、及び防衛に関わる報告書等、(4)公式見解に至る前の会議や交渉等での発言、(5)政策担当官の人事、である。

本研究は、各国のイメージが調整された場合に、三カ国は緊密に協力し得ると主張する。イメージが調整されている状態とは、ある国のイメージが相手国のそれと対立したり、矛盾したりせずに、国家間において共有されている状態である。イメージが調整されていない状態はイメージの乖離である。「争点イメージ」「相互イメージ」が共に調整された場合の協力は、片方だけが調整された場合の協力よりも、持続的で、緊密な協力が為されると予測する。

第1章では、研究の背景、研究の目的・問い・仮説を説明した上で、三つのタイプの先行研究(「米朝交渉を中心とした研究」「同盟研究からのアプローチ」「大国間協調との比較と戦略文化論」)の問題点を指摘した。その上で本研究の特質を述べ、「イメージ」やBSを事例分析に用いる際の問題点と対策を説明した。分析事例の選択における論拠も提示した。

第2章では、既存の国際政治学における国家間協力の理論を概観し、囚人のジレンマ(Prisoner's Dilemma:以後、PD)を分析の基本モデルとする理論的枠組みの問題点を指摘した。本研究が用いるのはPDではなく、BSである。BSは「幾つかの好ましい協力の仕方から、プレイヤー間で一つを選定する問題」をモデル化しているが、Luce and Raiffe(1957)によって紹介されて以降、政治学や経済学等の分野でほとんど注目されて来なかった。BSにおいて均衡を導くためには、厳密なゲームモデルの行動原理とは異なった前提や要素を必要とする。BSでは、プレイヤーの合理性だけでなく、プレイヤーが置かれた社会的な環境や文化、歴史、さらには相手プレイヤーとの関係性等、様々な要素への分析を研究者に要求する。本研究ではBSの解決法を「動機的」「戦略的」「構造的」解決に分けて説明した。

第3章から第5章までは事例分析の章である。事例は「北朝鮮による核疑惑の発覚」(第3章)、「北朝鮮によるNPT脱退宣言」「米朝枠組み合意」「KEDOの設立」(以上、第4章)、「軽水炉提供問題」「潜水艦侵入事件」「テポドン発射問題」「TCOGの設立」(以上、第5章)である。各章では、まずイメージに焦点を当てた過程追跡法によりこれらの事例を分析し、次にBSからの説明を行った。

1990年代の安全保障問題における日米韓の協力は、イメージの調整と乖離によって条件付けられる。例えば、相互イメージの乖離は、1990年代初頭における日米の対立的状況をもたらした。日本は、米国だけに拠らない多角的な安全保障戦略を模索した。米国は、湾岸戦争時における日本の様子から同盟国としての日本を疑った。1990年代中頃から後半における米韓の対立的状況は、主に争点イメージの乖離によりもたらされた。韓国は、北朝鮮を民族同胞であり、統一後のパートナーとして捉える一方で、北朝鮮の核問題を北東アジアにおける韓国のリーダーシップへの挑戦として見なした。米国は、北朝鮮をNPT体制に違反した犯罪者(国)であり、さらにはすぐに崩壊する国家だと捉えた。そして米国は、北朝鮮の核問題を世界的な核不拡散体制への挑戦と見なした。

日米における相互イメージの乖離は、日米同盟の再定義交渉とガイドライン法、及びガイドライン関連法の制定によって調整され、1990年代中頃から後半にかけての緊密な日米協力をもたらした。日米における相互イメージの調整はまた、日韓における相互イメージの調整を補完した。1990年代初頭の日韓では、日本による過去の戦争に対する公式的な謝罪が為され、日本を加害者として捉えていた韓国との相互イメージの調整が部分的に為された。しかし韓国は、日本が再び帝国主義化することを懸念し続けた。日米同盟の再定義交渉とガイドライン関連法等の制定は、日本の自衛隊が「(軍国化を目的としない)制約された軍事力」であるとの認識を韓国に持たせた。この認識は、日韓における安全保障協力の進展を部分的にもたらした。また、1990年代後半の米国は、北朝鮮がすぐに崩壊せず、今後も存続し得ると捉え始めた。この変化は、米韓でのイメージ調整をもたらし、米韓の協力関係を促進した。

各BSでの解決は、協調が達成された二国間による提携を可能にし、提携国が他の一国への圧力をかけることで、三カ国の協力関係を促した。1990年代初頭では、米韓が提携し、日本の単独的な日朝国交正常化交渉を牽制した。「潜水艦侵入事件」では日米が韓国を、「テポドン発射問題」では米韓が日本を、協力の枠組みに戻るよう説得した。BSでの構造的解決の一典型例であるTCOGは、「熟慮の制度」としてそれぞれの二国間協調を促進した。TCOGはまた、三カ国の対等な関係構築の場を提供し、それぞれの争点イメージと相互イメージの調整を促進した。

以上のような事例分析から、本研究は結論(第6章)として次の点を主張した。1990年代の朝鮮半島における日米韓の安全保障協力は、イメージの調整と乖離によって条件付けられる。イメージの調整は二国間でのBSを解決する上で重要な役割を果たした。二国間での協調が、提携の形成をもたらし、三カ国の協力を促進した。朝鮮半島の危機の最中において、日米韓が協力的でなかったことは、脅威に対するイメージの乖離と相互イメージの乖離によってもたらされた。危機が終息したにもかかわらず、1990年代後半以降に進展した三カ国の協力関係は、乖離していたイメージの調整に拠るところが大きい。

本研究の主要な貢献の一つは、BSの再評価である。BSからの分析により、日米韓の協力関係を協調問題としての側面から捉えることが可能になった。BSはまた、協力と対立を巡る議論の深化と広がりを示唆している。PDでは「将来の影(the shadow of the future)」(Axelrod1984[=1998])がプレイヤー間の協力と対立にとって重要であるが、BSではむしろ行為の履歴としての「過去の影(the shadow of the past)」が重要となる。最後にBSは、国際政治学における政策決定者らのイメージに対する分析の有用性を示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、両性の闘い(BS)を使い、1990年代の朝鮮半島における日本、アメリカ合衆国と大韓民国による安全保障協力の条件を探る。同年代の三国の協力は、時の経過と共にその関係が改善していくが、北朝鮮の核疑惑が注目され始めた同年代初頭以降、三国が常に協力の必要性を主張し、90年代末になって初めて協力が達成されたことは不可解である。このことは、また、既存の国際政治学における諸理論でも説明が難しく、さらに朝鮮半島問題に関する幾つかの先行研究でも十分には解明されていない。

本論文は、日米韓の各イメージという視点を提示し、イメージが調整された場合に、三国は協力し得ると主張する。イメージとは、相手がどのように行為するかの予測に影響する政策決定者の当該問題や相手国への信念である。イメージは二つあり、一つは争点イメージで、もう一つは協力の相手国との相互イメージである。イメージが調整されると、相手国のそれと対立したり矛盾したりせず、国家間で共有される。調整されていないとは、イメージの乖離である。イメージの表象は5つある。一つは政府間の外交文書、二つは大統領と首相を含む政府高官の発言、三つは政府の外交防衛に関わる報告書、四つは公式見解に至る前の会議や交渉での発言、そして、5つが政策担当官の人事である。

分析では、1990年代を三つの時期に区分し、各時期で代表的な事例を扱う。第一期は90年代初頭から北朝鮮の核拡散防止条約からの脱退宣言直前までの93年2月までで、北朝鮮による核疑惑の発覚を、第二期は93年3月から95年3月初頭の朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)設立までで、北朝鮮による核拡散防止条約(NPT)脱退宣言、米朝枠組み合意とKEDOの設立を、そして第三期は1995年3月以降から2000年までで、軽水炉提供問題、潜水艦侵入事件、テポドン発射問題と日米韓の政策調整グループの設立(TCOG)を扱う。

これらの事例ではまずイメージに焦点を当てて過程追跡法で分析され、次にBSによって説明される。1990年代の安全保障における相互イメージの乖離は、同年代初頭における日米の対立をもたらした。日本は米国に頼らない安全保障を模索し、米国は湾岸戦争時における行動から同盟国としての日本を信頼できなかった。90年代中頃から後半における米韓の対立は、争点イメージの乖離である。韓国は北朝鮮を統一後の同胞国として捉え、北朝鮮の核問題を北東アジアにおける韓国への挑戦と見なした。米国は北朝鮮を条約に違反した犯罪者であり、すぐに崩壊する国家だと捉え、北朝鮮の核問題を核不拡散体制への挑戦と見なした。日米における相互イメージの乖離は、日米同盟の再定義交渉等よって調整され、90年代中頃から後半に協力をもたらし、日米における相互イメージの調整は、また、日韓におけるそれの調整を補完した。90年代初頭の日韓では、過去の戦争への謝罪により日本を戦争加害者として捉えていた韓国との相互イメージの調整が為された。韓国は日本の再軍国化を懸念したが、日米同盟の再定義交渉により自衛隊が制約された軍事力であると韓国に認識させ、日韓における安全保障上の協力が進展した。また、90年代後半には、米国は北朝鮮がすぐに崩壊せず今後も存続し得ると捉え、この変化がイメージ調整をもたらし米韓の協力を促した。

このように、二国間の提携は他の一国へ圧力をかけ、三国の協力関係を促した。90年代初頭では、米韓が提携し、日本の日朝国交正常化交渉を牽制し、潜水艦侵入事件では日米が韓国を、テポドン発射問題では米韓が日本を、協力の枠組みに戻るよう説得した。TCOGは、熟慮の制度として各々の二国間協力を促し、三国の関係改善の場を提供し、争点イメージと相互イメージの調整を促した。

本論文の主要な貢献はBSの再評価である。BSで日米韓の協力を分析することは、第一に、三国の各々が北朝鮮の脅威や朝鮮半島の平和と安定といった共通利益をどのように捉えているのかという分析を可能にした。第二に、異なる視点を持つ三国がどのように協力したのか、なぜ協力できずに対立であったのかを、イメージを用いより説得的に示した。1960年代以降BSは注目されず、国家間協力についての諸モデルの一部として紹介されたが、事例研究に用いられることはなかった。恋愛関係にあるプレイヤーを想定することは、BSが非協力ゲームではなく、協力ゲームとしての側面を持つことを示唆しているが、愛や感情をモデル上で扱うのが難しいため、PDの非協力ゲームに大きな注目が集まり、協力ゲーム的な側面は無視されてきた。初めから協力して利得の配分を達成しようとするプレイヤーを想定するBSを用いる研究は、政治的分析を深化させる。政治における問題の多くは、プレイヤー間の共同の利得が複数の戦略から得られるが、選択された均衡次第で利得の分配が異なる状況である。この状況で均衡を得るには、文化、慣習や歴史、さらには愛や権力といったものが関連する。これらの前提は、数理ゲームモデルの行動原理とは明らかに異なる。

両性の闘いもイメージも本論文による独創ではないが、本論文の独創性は従来あまり重要視されてこなかった両性の闘いという分析枠組に「争点」と「相互」イメージを追加し、過程追跡法を利用して1990年代の日米韓の三国関係を実証的に捉えたことにあり、今後の関係者への面接調査により、一層の理論分析の検証が期待される。

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