学位論文要旨



No 126213
著者(漢字) 藤田,祥
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,ショウ
標題(和) 透過的モバイルネットワークシステムのアーキテクチャに関する研究
標題(洋)
報告番号 126213
報告番号 甲26213
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第280号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 電子情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅見,徹
 東京大学 教授 浅野,正一郎
 東京大学 准教授 瀬崎,薫
 東京大学 准教授 中山,雅哉
 東京大学 教授 江崎,浩
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は,モバイルホストから構成される分散システムの構築と運用に関する課題を解決することである.モバイルホストは安定したネットワークに留まらないインターネットホストである.本論文では以下のような状況を考慮する.第一に,モバイルホストが,到達性が制限されたネットワーク中を移動してオーバレイアドホックネットワークを構成している状況である.ネットワーク間の到達性は,ファイアウォールやNATなどの機器により通信の開始できる方向が制限されていたり,ネットワークの運用障害やフィルタリングにより完全に遮断されていたりする.第二に,モバイルホストがIEEE802.11のIBSSのような無線リンクを利用する無線アドホックネットワークを構成する状況である.この場合,モバイルホスト間のリンクには双方向性,推移性,安定性があるとは限らない.つまり,我々はホスト間に安定した到達性がないことを前提とした分散システムについて議論する.

現在のインターネットアーキテクチャは,有線リンクとそこから移動しない固定ホストを前提として設計された.したがって,モバイルホストによって引き起こされる,IPアドレスの変更,ホスト間の到達性の変更,リンクブロードキャストの配送範囲の変更その他は系統的には対応されていない.これらの変更によって発生した問題は,個々のアプリケーションによって場当たり的に対応されているのが現状である.また,Mobile IPなど,これらの問題を部分的に解決するプロトコルが提案されているが,これらのプロトコルでは特定のホストへの安定した到達性を仮定しているため本研究の前提とする状況には適用できない.我々は,今後モバイルホストがインターネットの主要ホストになっていくことを考慮すると,モバイルホストが引き起こす変更を系統的に対応する新しいアーキテクチャが必要だと考える.

本論文では現在のインターネットアーキテクチャを拡張し,リンク層とネットワーク層の間に新たにリンク補完層を導入する.リンク補完層は,ネットワーク以上の層に対し,分散システム内のホストを含む,ブロードキャスト可能な仮想リンクを提供する.この仮想リンクの上では,アプリケーションはあるホストに対する一貫したIPアドレスによるユニキャスト送信と一貫したリンクローカルマルチキャストIPによるマルチキャスト送信が利用できる.これにより,現在のインターネットアーキテクチャのために作られた既存のプロトコルを再利用して分散システムがモバイルホスト上に構築できる.またリンク補完層は,ネットワーク以下の層に対し,他のホストへの到達性と品質の変化に適応する経路制御と中継機構を実装する.リンク補完層が分散システム内のモバイルホスト全体の到達性の維持に必要な処理を集約して実装しているので,複数のアプリケーションが独自に実装しなくても同じ機能を共有できる.特に,無線アドホックネットワークのリンク品質を評価するために,各モバイルホストが観測したフレームの時刻を同期するための手法を提案する.この手法によりリンク間の干渉や競合を検出に十分な精度の分散観測が可能になる.我々は提案アーキテクチャに基づくネットワークを実装し,被災地に向けの情報収集システム内で実際に運用を行った.これにより,提案アーキテクチャがモバイルホスト上の分散システムの構築に適していることを実証した.

本論文の貢献は以下の通りである.第一に,モバイルホストが到達性に制限があるネットワーク間を移動した場合の問題と無線アドホックネットワークの問題から,時間変化する有向グラフ上の経路制御という本質的な問題を抽出して解決した.これにより,両者とその混合ネットワーク上の到達性の問題を統一的に解決した.第二に,移動透過性を扱った既存研究がモバイルホスト,あるいはMobile IPのHome Agentのような中継ノードに安定した到達性があることを仮定していたのに対し,本論文では到達性に制限があるネットワーク間をモバイルホストが移動した場合の問題を扱って応用範囲を広げた.また,モバイルホストが協調して経路制御と中継を行った場合にモバイルホスト内の到達性を回復できる条件を明らかにした.第三に,モバイルホストによって通信リンクの設計の自由度が上がっても従来通りの一貫したインターフェースを提供できることを示した.

最後に提案したアーキテクチャに基づくシステムの実装し,実際のシステム内での運用に基づく考察を行った.その過程で無線アドホックネットワークの運用上の問題解決に役立つ分散観測手法を提案し,その動作を実証した.モバイルホストが主要なホストになる将来のインターネットにおいて重要なこれらの貢献によって,我々は将来のインターネットアーキテクチャが取るべき設計指針を示した.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,「透過的モバイルネットワークシステムのアーキテクチャに関する研究(英訳:ATMOS: Architecture for Transparent Mobile Networking Systems)」と題して,モバイルネットワーク上の分散システムの構築と運用の課題を解決する新しいネットワークアーキテクチャについての提案と評価を行なったものであって,全体で9章からなる.

将来のインターネットでは,アプリケーションが頼れる一貫したインターフェースがなく,結果として,アプリケーションをモバイルネットワークへの対応させるための負担が増え,本来取り組むべき問題に割かれる時間が減るなどの問題が起きている.本論文では,このモバイルネットワークに関する問題点を分析し,その問題点を系統的に解決する,透過型モバイルネットワークシステムのアーキテクチャ(ATMOS)を提案する.

第1章は「序論」,第2章は「従来ネットワークのモデル化」,第3章は「モバイルネットワークのモデル化」と題し,モバイルネットワークが登場する背景と従来ネットワークとの差異について述べている.Web,メール,その他のインターネット上のサービスは,我々の日々の生活における問題解決にも欠かせないツールとして定着している.そして,これらのツールをどこでも,いつでも利用するために,インターネットのカバレッジに対する要求が高まっている.カバレッジを向上させる手段の中でも1)複数のアクセスネットワークを使い分けるモバイルホスト,2)IPリンクモデルに適合しないアドホックリンクは一般的になると考えられる.本論文では,2)によってつながるホスト集合を無線オーバレイネットワークと呼び,現実のインターネットに広がりつつある3)NAPTやファイアウォールによる非透過的なネットワークによってつながる1)の集合をオーバレイアドホックネットワークと呼ぶ.これらのネットワークはより広いカバレッジを提供するが,従来のネットワークと同じようには扱えないという問題を持つ;従来のネットワークではホスト間に安定した直接の到達性が得られたのに対し,ホスト間に到達性が得られるとは限らず,またそれが時間の経過に応じて変化するからである.このような特性を持つネットワークを総称して本論文ではモバイルネットワークと呼ぶ.第2章では従来のネットワークから,第3章ではモバイルネットワークから,到達性に関する側面を抽出しモデル化し,その差異を比較している.

第4章は,「モバイルネットワークの課題と関連研究」と題し,第2章と第3章で導入した,到達性に関する2つのネットワークモデルの差異がアプリケーションに負担を与えていると指摘し,この差異を埋めるための既存研究を挙げている.Mobile IP, Name-Oriented Socket, Resilient Overlay Network, Mobile Ad-hoc Networkに関する研究を取り上げている.その中でモバイルネットワーク中では,アプリケーションインターフェースとしてマルチキャスト送信のインターフェースが一貫性を欠いていることとそれぞれの手法の適用性が限定されていることを指摘している.

第5章は「透過的モバイルネットワークシステムのアーキテクチャ」と題し,透過的モバイルネットワークシステムのアーキテクチャ(ATMOS)の提案を行なっている.ATMOSはインターネットアーキテクチャを拡張し,リンク層とネットワーク層の間にリンク補完層を導入している.リンク補完層は上位層に対して仮想リンクという一定のインターフェースを提供する.仮想リンクは,一定のIPアドレスを利用したユニキャスト送信だけでなく,一定のリンクIPブロードキャストアドレスやリンクローカルIPマルチキャストアドレスを用いたマルチキャスト送信を提供する.つまり,一貫した,多くの既存アプリケーションが利用している,マルチキャスト送信インターフェースが提供されている.また,リンク補完層は下位のネットワーク構造を隠蔽するオーバレイを構成する.このオーバレイによりモバイルネットワークから時間変化にする有向グラフという特性のみが抽出され,下位構造が無線アドホックネットワークなのか.あるいはオーバレイアドホックネットワークなのかに関係なく,ネットワークの到達性に関する特性のみを扱うアルゴリズムが適用できる.オーバレイ自体は自律分散的に構築されるため,自律分散的なアドホック経路制御アルゴリズムを利用すれば,全体として自律分散的にモバイルネットワーク上に従来ネットワークへの互換性を持つオーバレイを構築できる.

第6章は,「提案アーキテクチャの実装と評価」と題し,ATMOSを実装するプロトコルスタック(ATMOSスタック)の実装について述べる.ATMOSスタックは,既存アプリケーションとオペレーティングシステムの間のインターフェース変更を必要とせず既存アプリケーションにバイナリレベルの互換性を提供している.またリンク補完層の経路制御処理や中継処理などの処理はTUN/TAPデバイスを通してユーザ空間に実装されていたる,ATMOSスタックは拡張性と移植性を保持している.ATMOSスタック上にIETFで標準中の実用的なユニキャスト経路制御プロトコルであるDYMOと,同じIETFで標準中の実用的フラッディングプロトコルであるSMFをベースとした処理を実装し,半自律高機能移動ロボット群による被災建造物内の情報インフラ構築と情報収集システムの開発プロジェクトに統合し,運用を行なった.被災環境を想定した状況で作られた無線アドホックネットワークの上で既存アプリケーションがそのまま利用できること,またATMOSスタックは,ボトルネックにならず,無線ネットワークの性能を引き出せることを確認した.

第7章は,「無線ネットワークの自律分散観測フレームワーク」と題し,無線ネットワーク中の障害診断を目的とする自律分散観測フレームワークについて述べる.本論文では,既存研究は,無線ネットワークを構成するノードとは別に,観測用の機器とそれを接続する有線ネットワークを前提とするため,実際に運用されている無線ネットワークへの適用が現実的ではないと指摘している.そこで,無線ネットワークを構成するノード自体が自律分散的にネットワーク中を流れるフレームの送受信イベントを記録し,その記録情報を各ノードから収集,同期,結合し,無線ネットワーク中に何が起こっていたかを診断するフレームワークを提案する.無線ネットワークを構成するノードが観測した記録情報は,無線ネットワークデバイスの本質的な制約と現状のアーキテクチャ上の一時的な制約の両方によって,ネットワーク外部の観測用の機器によって得られる情報より少なくなる.このため,従来の手法では収集した記録情報を同期,結合ができなかった.本論文では,この問題を解決するために,プロトコルの固定間隔フレームに注目して記録情報の欠けている情報を補完し,正確な同期と結合が可能になるアルゴリズムを提案している.

第8章は,「議論」と題して,ATMOSが提供する仮想リンクという上位層へのインターフェースの問題点と自律分散観測フレームワークの今後について議論し,最後に第9章は,「結び」と題して,本論文の貢献をまとめている.

以上を要するに,本論文は,将来のインターネットで一般的なモバイルネットワークを総合的に分析し,個別の問題を解くだけではなく,多様なモバイルネットワークの問題を横断的かつ系統的に解決するネットワークアーキテクチャを提案しており、次世代インターネットアーキテクチャなど、電子情報学関連分野の今後の発展に寄与・貢献することが少なくない。

よって、本論文は,博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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