学位論文要旨



No 126215
著者(漢字) 小杉,康宏
著者(英字)
著者(カナ) コスギ,ヤスヒロ
標題(和) 変電設備監視のための異音自動検知方式の開発
標題(洋)
報告番号 126215
報告番号 甲26215
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第282号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 電子情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅見,徹
 東京大学 教授 廣瀬,啓吉
 東京大学 教授 石塚,満
 東京大学 教授 相田,仁
 東京大学 教授 相澤,清晴
 東京大学 准教授 峯松,信明
内容要旨 要旨を表示する

電力設備などの設備の異常検知において、音は重要な要素の一つである。 従来、電力会社では熟練技術者が巡視点検を行い、設備の音による経験的な異常検知が行なわれて来た。しかしながら、この様な技能を持つ現場のエキスパートは減少する傾向にある。

一方、電力会社における電力設備の保全業務においては従来TBM(Time Based Maintenance)により、定期的な点検および部材の交換が行われて来た。このTBMによる保全方法では、一般的に部材の寿命よりも短い点検間隔が設定され、まだ利用可能な部材も交換すると言う不経済な事象が多く発生している。この解決方法として電力会社では機器の状態を監視し、その状態に対応した保全を行うと言うCBM(Condition Based Maintenance)に力を注いでいる。CBMにおいては設備の運転を継続させながら機器の状態を正しく判定する必要がある。そこで機器の状態を判定する方法として、振動診断、赤外線サーモグラフィ診断が有効な手段とされているが、近年では音響診断が着目されつつある。音響診断の特徴としては、振動診断と比べセンサーを機器に密着させる必要が無い点が挙げられ、電力設備における変圧器などの高圧充電部の計測も容易に行えるメリットがある。一方でマイクロホン等の音響デバイスによる音響データの収集においては対象機器から発生する音以外に、人の足音、館内放送、車の通過音等の外来音が集音される可能性があり、外来音の除去方法が重要な課題となる。

設備へ音響診断を行った例としては回転機に対する音響診断、変圧器における音響診断が挙げられる。変圧器における音響診断では現場において巡視者が手作業で対象機器から発生する音を録音・収集し、音響データを持帰った後に事務所のPCにおいて診断を行うと言う手順を持つオフライン処理を行っている。このケースにおける外来音の除去は、録音時に外来音が入り込まない様に慎重に収集する、且つ外来音が入り込んだ場合には人間の手作業による編集作業で外来音部分を取り除くと言う方法であり、手間と時間が必要となる。手作業により音響データの収集および編集を行うプロセスに対し、診断の即時性、作業の効率化の観点から音響診断の自動化即ちオンライン処理が求められている。オンライン処理においては人間が手作業で行っていた外来音の除去をシステムが自動的に行うことが求められる。

外来音の除去方法について、一部の回転機における転がり軸受けの診断では異常発生時の信号発生パターンが回転数および軸受けの物理的パラメータから明確に推定される場合があり、診断時に外来音を除外出来るケースもある。しかしながら現在導入が進められている変圧器の音響診断においては機器ごとに平常時の音響データを事前に採取、登録しておき、これと診断すべき音響データとの統計的な距離から異常の判定を行う手法をとっている。この診断手法においては、診断すべき音響データに外来音が混入した場合、診断を誤るケースが多く発生することが想定される。

そこで本論文では変圧器のオンライン音響診断を目的した外来音の除去方法、即ちマイクに変圧器から平常音以外の音が入力された場合にそれが変圧器からの異音であるか、外来音であるかの識別を行う異音自動検知方式の研究開発を行った。この様な異音自動検知について、従来のオフライン処理による音響診断では手作業で行うことが想定されていたために、これまで検討されたことは無かった。また設備から発生する音の到来方向推定技術が検討されている文献はあるが、実際の変圧器の音響診断を対象として異音検知の研究を行った例はこれまでに無い。

異音自動検知の対象となる変圧器異音と外来音の想定は次の通りである。

変圧器異音:(1)機械的な異常振動音(1~10kHz)、冷却ファン、鉄心や端子の締付けのゆるみ等により発生する機械的な異常振動に起因する音

(2)放電音(10kHz以上)、絶縁部における放電に起因する音

外来音:車両の通行、クラクション、人の通行、虫の鳴き声等

これらの音の性質により変圧器異音と外来音を識別する方法も考えられるが、外来音の種類を限定することは困難であり、隣接する変圧器からの異音も対象とする変圧器としては外来音となることから、本論文では次に示す集音方式と信号処理フローによる異音自動検知方式の提案を行った。

集音方式:マイク数2~3個によるマイクロフォンアレーを変圧器に近接して垂直に配置

信号処理フロー:平常音除去、有意音検出、到来方向推定を主とする処理フロー

この異音自動検出方式の実現を目的として、信号処理フローの主な処理である平常音除去と到来方向推定に関する適用可能な従来技術の調査検討を行い、更にそれらの技術の適用性評価を行うために実環境において採取された音響データを基に実験を行った。

以下は検討の対象とした平常音除去と到来方向推定技術である。

平常音除去: 周波数サブトラクション、ハイパスフィルタ、くし型フィルタ

到来方向推定:(1)時間遅延推定:

GCC(Generalized Cross Correlation)、LMS(Least Mean Square)法、AED(Adaptive Eigenvalue Decomposition)法

(2)ビームフォーミング:

ビームフォーマ法、対向するビームフォーマによる振幅比

これらの技術について、変圧器前で外来音を発生させ採取した音響データ、および強反射素材としてアルミ板を用いた模擬実験システムにより採取した音響データを利用し、評価を行った結果は次の通りである。

(1) 平常音除去

・周波数サブトラクション、ハイパスフィルタ、くし型フィルタの各抑圧フィルタは変圧器による平常音の信号パワーを平均で20dB程度減衰させることが可能

・くし型フィルタはビームフォーミングとの組み合わせにおいて、他の抑圧フィルタと比べ異音識別のための指標値のばらつきが大きい

(2) 到来方向推定(時間遅延推定)

・変圧器による反射の影響が無い外来音のスタートポイントにおいては、AED法を除き信号の周波数成分に関わらずCGG又はLMS法で確度のある安定的な時間遅延推定値が得られる

・ 変圧器の表面による反射の影響が出始めるスタートポイント以降では、GCC、LMS法ともに、信頼性のある時間遅延推定値を得ることが出来ない

(3)到来方向推定(ビームフォーミング)

・ ビームフォーマ法は定常音の処理において異音識別のための指標値が安定しない

・ 対向するビームフォーマの振幅比により、パラメータの調整を行うことで、2マイクロフォンアレー(マイク間隔5cm)では3.0kHzまで、3マイクロフォンアレー(マイク間隔2.5-2.5cm)では7.5kHzまでの定常音に対し、変圧器の異音または外来音の識別が行える可能性がある

検知の対象となる変圧器の10kHz以上の放電音は、異常の初期において間欠的な発生となる。これは周波数に依存しない時間遅延推定により検知、識別が可能と考えられる。

一方の機械的な異常振動音は一般的に10kHz以下の広帯域信号であり、連続的な異音の発生が想定される。これは3マイクロフォンアレーのビームフォーミング(マイク間隔2.5-2.5cm)を用いて7.5kHz以下のピークを利用することにより、異音の識別が可能であると考えられる。更にマイク間隔を2.0-2.0cmとすることによる9kHz程度までの高周波域への対応と、よりロバストな識別方法としての複数ピークを用いた判定方法も考えられる。

以上の結果より本論文では提案する集音方式と信号処理フローの組み合わせにおいて、

平常音除去: ハイパスフィルタまたは周波数サブトラクション

到来方向推定:(1)識別の対象とする信号が間欠的である場合 時間遅延推定(GCCまたはLMS法)

(2)識別の対象とする信号が連続的である場合 ビームフォーミング(対向するビームフォーマによる振幅比)

とすることにより、変圧器のオンライン音響診断を目的とした異音自動検知方式の実現は可能であると結論付けた。今後の課題としては、変電所の現場ごとに対応可能な変圧器異音と外来音識別のための時間遅延推定及びビームフォーミングのパラメータ設定方法が挙げられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「変電設備監視のための異音自動検知方式の開発」と題し、変電所の異常監視を自動的に行うため、変圧器からの異常音を環境雑音等から効果的に分離するシステムの実現可能性を、既存の信号処理技術を基に検討したものであって、全6章からなる。

第1章は「序論」であって、現在の電力会社による設備の保守が人手による定期的な点検に基づいて行うTime Based Maintenanceであり、これを、機器の常時監視によるCondition Based Maintenance (CBM)に移行することが求められていることを述べた上で、変圧器の異常監視を音響信号に基づいて行うシステムの構築に向けた異常音分離検出が重要であることを指摘し、本論文の意義、目的が、異常音分離検出のための信号処理手法の構築にあるとしている。

第2章は「設備の音響診断と音響計測」と題し、まず、電力機器の音響診断として、回転機、変圧器を取り上げ、従来行われている技術を取り上げている。次に、本論文は、この前段の処理である異常音の分離検出を、常時、自動で行う手法を示したものであることを明確にし、分離検出を人手に頼っている従来方法との違いについて言及している。さらに、統合的な音響診断として火力発電などの例を述べている

第3章は「異音検知方式の概要」と題し、本論文で提案する異常音分離検出システムに課せられた諸条件を検討した上で、少数(2程度)のマイクロフォンによる音響信号収録と信号処理による平常音除去・環境雑音分離からなるシステムの基本構成を示している。特に、変圧器表面における反射の影響について詳細に検討している。

第4章は「平常音除去アルゴリズム」と題し、まず、変圧器の平常音の特徴について述べた後、平常音を抑圧する手法として、周波数サブトラクション、ハイパスフィルタ、くし型フィルタを挙げ、それらの性能について、議論している。実験の結果、周波数サブトラクションの性能が最も良いものの、異常監視の目的からは、3方法とも可能であるとしている。

第5章は「到来方向推定アルゴリズム」と題し、変圧器からの異常音を、環境雑音から分離して検出する信号処理手法について、比較検討している。有用な方法として、時間遅延推定とビームフォーミングがあることを整理した上で、まず、前者については、Generalized Cross Correlation法、Least Mean Square法を、取り上げ、定常的な環境雑音では、変圧器からの反射によって分離が不能になる可能性を指摘している。次ンに、そのような場合に有効な手法として、後者についてビームフォーマ法を検討し、対向するビームフォーマの振幅比に基づく手法を提案している。

第6章は「実験による方式の検討」と題し、実機での音収録の結果に基づき模擬実験システムを構築している。模擬実験システムは、変圧器表面をアルミ板で模擬したものであるが、変圧器表面の強反射の特性を十分再現でき、実験目的に叶うものである。第4章、第5章で提案した手法について、模擬システムによる性能評価を行い、時間遅延推定では、異常音開始時の分離、ビームフォーミングでは、それ以降の分離に効果があること、を示した後、マイクロフォン間の距離によるビームフォーミングによる分離の周波数限界について言及している。

第7章は「ビームフォーマの特性改善のための検討」と題し、ビームフォーミングによる分離の上限周波数の改善について述べている。前章までの2マイクロフォン、5cm間隔の条件では、上限が4kHz程度で、異常音によっては検出不能となる問題点を指摘し、3マイクロフォン、2.5cm間隔の構成を提案し、問題点が解消されるとしている。

第8章は、「結論」であって、実験結果に基づく、各手法の性能について整理した上で、変圧器の異常音として想定される、放電音については、時間遅延推定、機械的異常音については、ビームフォーミングを行うことにより、異常音の環境雑音からの分離検出が可能であると結論している。

以上を要するに、本論文は、変電設備のCBMを実現する上で、不可欠の技術である異常音の分離検出を行う手法について、実環境に適合した手法を提案してその性能を検証したものであって、従来、手動により行われていた手順を自動化することにより、電力業務における大幅な省力化を可能とするものである。従来の信号処理技術を組み合わせることにより、変電設備のCBMに道を開いたものであり、電子情報学に貢献するところが少なくない。

よって本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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