学位論文要旨



No 126230
著者(漢字) 朝比奈,泰子
著者(英字)
著者(カナ) アサヒナ,ヤスコ
標題(和) 医師・薬剤師を核とした健康食品の適正使用のあり方
標題(洋)
報告番号 126230
報告番号 甲26230
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学際情報学)
学位記番号 博学情第34号
研究科 学際情報学府
専攻 学際情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 堀,里子
 東京大学 教授 石崎,雅人
 東京大学 教授 佐倉,統
 東京大学 准教授 山内,祐平
 東京大学 准教授 池谷,裕二
内容要旨 要旨を表示する

【背景と目的】

近年、健康食品の使用が拡大しているが、健康食品による健康被害も問題となっている。その背景には、健康食品の定義の曖昧さ、科学的エビデンスの不足、正しい情報源の不足、情報の氾濫、不適正な表示・品質、被害情報収集・共有システムの不備といった健康食品そのものの課題と、健康食品を使用する消費者の認識・知識の不足といった課題がある。これらの課題に対してとられたこれまでの対策はいずれも不十分であり、とりわけ重大な課題である科学的エビデンスの不足に至ってはほとんど対策がとられてこなかった。他方、健康食品のリスクを理解し、評価・判断を下すためには高度な科学的知識水準が必要だが、一般の人々がそのような水準に至るのは難しい。したがって、消費者の知識・認識に関する問題があったとしても被害を最小限に抑える仕組み、すなわち、専門家が消費者の意思決定をサポートし、適正な使用を実現させるような仕組みを確立することが有用だと考える。医師・薬剤師は十分な科学的素養を有すること、情報の評価・対応に必要な個人情報を入手できること等から、医薬品のみならず健康食品についても対処できる専門家となりうる。彼らが健康食品による被害を発見・報告・共有することで、類似被害の防止や新たな科学的エビデンスの創製にもつながると考えられる。しかし現状では、彼らが健康食品に関する専門知識を得る機会が少ない、情報収集・共有の仕組みが確立されていない、健康食品に関する医療従事者-消費者間コミュニケーションについて本邦ではほとんど報告がなく、医師・薬剤師が専門家として働くにあたって改善すべき点について十分に議論されていない、といった課題がある。以上を踏まえて、本研究では、(1)医師・薬剤師を対象とした健康食品情報の提供・収集、(2)健康食品に関する薬剤師-患者間コミュニケーションの現状と課題の検討、(3)健康食品を安全に使用するための体制づくりに向けた課題の検討と提言を通じて、医師・薬剤師を核とした健康食品の適正使用のあり方を明らかにすることを目的とした。

【方法】

(1)インターネットを介した薬剤師間情報交換・研修システム(i-PHISS)、医師間情報交換・研修システム(i-MEDISS)1を活用して、医師・薬剤師に対する健康食品情報の提供と有効性・安全性情報の収集・共有を行った。収集された事例については調査・評価を行い、場合によっては、非臨床試験を実施してさらに詳細な情報を得た。<第2章>

(2)消費者・薬剤師を対象としたワークショップ、患者・薬剤師・医師を対象としたアンケート調査、薬剤師を対象としたインタビュー調査を実施し、健康食品に関する薬剤師-患者間コミュニケーションの現状と課題を明らかにした。<第3章>

(3)(1)(2)で実証研究、調査研究を通して得た結果および文献調査を踏まえて、健康食品の適正使用を実現するための医師・薬剤師の理想的な位置づけと課題を明らかにし、その実現に向けた具体的なアクションを提言した。<第4章>

【結果と考察】

(1)医療従事者のニーズを考慮した健康食品情報(健康食品素材に関するモノグラフと医薬品と健康食品の相互作用に関する創作事例)を作成し、2008年1月から継続的にi-PHISS、i-MEDISSを介して配信した。医師・薬剤師の知識・意識を高めるために、健康食品に関する定期的な情報提供、事例形式の情報、規格化された情報が有用であることを示した。また、これらの活動によって、健康食品に対する医師・薬剤師の関心を喚起することができた。一方で、情報提供による医師・薬剤師の意識や行動の変化には個人差があった。

情報提供と並行して、医師・薬剤師から健康食品による健康被害情報を収集し、調査・評価したのち会員間で情報共有した。限定された会員間での情報共有、簡易化された投稿機能が医師・薬剤師からの情報収集を促進させることを明らかにした。また、引き続き類似事例を収集・蓄積し、非臨床試験を実施することによって、より信頼性の高い健康食品情報が創製できることを示した。具体的には、グルコサミンサプリメント中のカリウム含有量の分析により、一部のグルコサミン硫酸塩含有サプリメントには高用量のカリウムが含まれていることを示し、カリウム摂取制限が必要な患者は当該サプリメントの摂取に注意が必要であることを明らかにした。さらに、本邦でもグルコサミンの関与が疑われるワルファリンの作用増強が頻繁に起きている可能性が示され、今後、積極的に使用経験調査や前向き調査を実施する必要があると考えた。

(2)一連の調査から、一部の薬剤師によって健康食品による健康被害や不適当な使用が見出されている一方で、医療従事者-患者間で健康食品に関するコミュニケーションが取られることは少ないと示した。薬剤師は医師よりも積極的に患者に対して健康食品に関する働きかけを行っていたが、一部の患者からは健康食品について相談すべき相手ではない、そもそも自分の健康・疾患について相談すべき相手ではないと認識されていた。薬剤師側にも、患者にコミュニケーションを働きかけるにあたって、情報・エビデンスの不足、健康食品は自己責任で使用するものだという考え、安全性への懸念といった様々なバリアがあったが、職業上の責任感、総合的なケアの重視、被害時に備えての準備などがファシリテーターとなっていた。一方で、一部の患者では薬剤師との間にコミュニケーションの齟齬が生じていることを明らかにした。その背景には薬剤師による健康食品使用の確認は患者が新患の際など限られたものであることや健康食品の定義の曖昧さなどがあると考えられた。

(3)(1)(2)から、健康食品そのものの課題、健康食品を使用する消費者の課題に対して、医師・薬剤師が専門家としての役割を果たしうることを示した。健康食品の適正使用に向けては、医師・薬剤師が患者の相談を受けて健康食品に関する意思決定をサポートすること、さらに薬局薬剤師が地域社会の健康を担うアクセシビリティの高い医療専門家として、健康人、軽症者からも健康食品に関する相談を受け、アドバイスを行うことが有用だと考えた。このような体制の実現にあたって、i-PHISS、i-MEDISSは、医師・薬剤師が患者の意思決定をサポートする際の判断基準となる情報を提供する仕組みとして位置づけられる。また、(1)で示したように、健康食品による被害の発見・共有と新たな科学的情報の創製においても有用だと考える。

一方で、医師・薬剤師が健康食品の専門家として機能するにあたってはいくつかの課題がある。まず、彼らは健康食品の科学的な情報あるいは信頼性の高い情報源が不足している中で患者に対応しなければならない。また、健康食品に関する医療従事者と消費者のフレーミングの相違(健康食品に対する両者間の考え方の枠組みの相違)についても明らかにしていく必要があるだろう。医療従事者と消費者との接点が少ない、医師・薬剤師の無関心といったコミュニケーション以前の課題もある。さらに、「薬剤師は不完全な専門職である」という課題も挙げられる。その原因としては、薬局業務の営利的側面、技術依存の増大、医師への依存、特に本邦においては歴史的に薬学と薬局制度とが分離しているという点がある。これは健康食品についての薬剤師-消費者間コミュニケーションを検討する際にも無視できない要素であり、専門職としての薬剤師の役割・位置づけを再考し、より包括的な視点で薬剤師、患者、医師などの関係を考え直すこと、すなわち、薬剤師の再専門職化が必要だと考える。また、医師・薬剤師と他の関与者(消費者、メーカー、行政、他の医療従事者等)との連携も必要だが、現状では、メーカーの義務・責任が不明確であること、収集される被害情報の不足、「健康食品」という名称の曖昧さやその語感が与える誤った安心感といった課題もある。

以上を踏まえて、私は、医師・薬剤師-患者間での適切なリスク・コミュニケーションの実現(EBMの実践教育、患者の健康食品使用に関わる「経験」の共有、医療従事者・患者によるリスク・コミュニケーションのプロトコル共創、健康食品の曖昧さの解消、メーカーによる情報提供)、医師・薬剤師・患者間のコミュニケーション促進(健康食品に関する医師・薬剤師の役割分担、消費者の啓発)、薬剤師の再専門職化(薬局薬剤師の職能拡大、薬剤師の調剤業務の軽減)、情報収集の促進(公的な情報収集システムとi-PHISS、i-MEDISSの連携、メーカーによる情報収集)について提案した。

【まとめ】

本研究より、医師・薬剤師が健康食品の専門家として機能することは、健康食品の適正使用の実現に向けた課題の解決に寄与すると示した。とりわけ薬局薬剤師が中心となって、他の医療従事者、関与者と協働しながら消費者のサポート、リスクの管理を行っていくことが有用だと考える。薬局薬剤師は、医薬品のみ、あるいは健康食品のみの専門家となるのではなく、地域医療を総合的に担う医療専門職として自らを位置付け、健康食品に関する活動も業務の一端として関与していくことが理想だろう。ただし、その実現に向けては、薬剤師の医療専門職としての位置づけ、患者との具体的なコミュニケーションの進め方、医師-薬剤師間の連携、制度の不備、消費者の意識、健康食品に関する情報の不足など様々な課題がある。これらの課題を一つ一つ解決していくようなアプローチではなく、医療システム全体における健康食品の位置づけ・課題を認識し、関与者の役割を明確にすることによって、健康食品の適正使用実現に向けてより実効性の高い体制作りが可能になると考える。

1 i-PHISS、i-MEDISSは、インターネットを介して医師・薬剤師から臨床現場で起きた医薬品に関するアクシデント・インシデントを収集し、それらの事例に解説を加えてメール・インターネットで配信する登録制のシステムである(2008年1月時の登録者数はi-PHISS 8,614名、i-MEDISS 1,395名)。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、(1)医師・薬剤師を対象とした健康食品情報の提供・収集と新規情報の創製、(2)健康食品に関する薬剤師と特にリスクの高い患者間コミュニケーションの現状と課題の検討、(3)健康食品を安全に使用するための体制づくりに向けた課題の検討と提言を通じて、医師・薬剤師を核とした健康食品の適正使用のあり方を明らかにしたものである。

本論文は以下の4章からなる。

第1章では、健康食品に関する現状と問題点が概説され、本研究の目的が述べられている。健康食品の使用が拡大している一方で、健康被害も報告されている。その背景には、健康食品そのものの課題(健康食品の定義の曖昧さ、科学的エビデンスの不足、正しい情報源の不足、情報の氾濫、不適正な表示・品質、被害情報収集・共有システムの不備)とそれを使用する消費者の課題(消費者の認識・知識の不足)がある。そして、健康食品に関して専門家が不在であるという点を指摘し、消費者が健康食品を適正に使用するために、医師・薬剤師が医薬品のみならず健康食品についても対処できる専門家として機能することを提唱した。

第2章では、インターネットを介した薬剤師間情報交換・研修システム(i-PHISS)、医師間情報交換・研修システム(i-MEDISS)を活用して、医師・薬剤師に対する健康食品情報の提供と収集・共有を実施した。情報提供においては、健康食品に関する定期的な情報提供、事例形式の情報、規格化された情報の有用性が示された。情報収集・共有においては、医師、薬剤師が遭遇した健康食品に関する有効性・安全性情報の収集と医療従事者間での情報共有だけでなく、類似事例の投稿機能を付加することで類似被害の情報を蓄積することが可能になった。さらに、本研究では蓄積された情報に基づき非臨床試験を実施した。この結果に基づき、「カリウム摂取制限が必要な患者においてはグルコサミン硫酸塩を含むサプリメントの摂取には注意が必要である」という科学的知見に基づく提言を行った。以上から、構築したシステムにおける情報収集・共有を非臨床試験と組み合わせることにより、より信頼性の高い情報が得られることを示した。

第3章では、消費者・薬剤師を対象としたワークショップ、患者・薬剤師・医師を対象としたアンケート調査、薬剤師を対象としたインタビュー調査を実施し、健康食品に関する薬剤師-患者間コミュニケーションの現状と課題が示されている。一部の薬剤師によって健康食品による健康被害や不適当な商品の使用が見出されている一方で、医療従事者-患者間で健康食品に関するコミュニケーションが取られることは少なかった。薬剤師は医師よりも積極的に患者に対して健康食品に関する働きかけを行っていたが、一部の患者には健康・疾患について相談すべき相手ではないと認識されていた。薬剤師側にも、患者にコミュニケーションを働きかけるにあたって、情報・エビデンスの不足、安全性への懸念といった様々なバリアがあった。しかし、健康食品に対して積極的な働きかけを行っている薬剤師では、職業上の責任感、総合的なケアの重視、被害時に備えての準備が行動のモチベーションとなっていた。一方で、一部の患者では薬剤師との間にコミュニケーションの齟齬が生じており、その背景には薬剤師によるモニタリングの不十分さ、健康食品の定義の曖昧さなどがあると考えられた。

第4章では、医師・薬剤師を核とする健康食品の適正使用のあり方やその実現のためのアクションについて論じられている。健康食品の適正使用のためには、医師・薬剤師が患者の健康食品に関する意思決定をサポートすること、さらに薬局薬剤師が地域社会の健康を担うアクセシビリティの高い医療専門家として、健康人や軽症者からも健康食品に関する相談を受け、アドバイスを行うことが有用である。しかし、その実現に向けては、健康食品の科学的な情報や信頼性の高い情報源が不足している中での対応、健康食品に関する医療従事者と消費者のフレーミングの相違、医師・薬剤師の無関心といった課題がある。さらに、薬局の営利的な側面、技術依存の増大、医師への依存、薬局制度と薬学の分離などを背景とした薬剤師の専門性の不完全さは、健康食品についての薬剤師-消費者間コミュニケーションを検討する際にも無視できない。さらに、他の関与者(消費者、メーカー、行政、他の医療従事者等)に関連して、メーカーの義務・責任の欠如、収集される被害情報の不足といった課題も挙げられた。引き続き、これらの課題解決のためのアクションとして、医師・薬剤師-患者間での適切なリスク・コミュニケーションの実現、医師・薬剤師・患者間のコミュニケーション促進、情報収集の促進、薬剤師の再専門職化の具体案が提言されている。

以上を踏まえて、医師・薬剤師が健康食品の専門家として機能することは、健康食品の適正使用の実現に向けた課題の解決に寄与すると示されており、とりわけ薬局薬剤師が地域医療を総合的に担う医療専門職として自らを位置付け、健康食品に関する活動を担っていくことが理想であると結論づけている。

本論文は、医療従事者を対象とした健康食品情報の提供・収集システムの構築・運用を介して、医師・薬剤師が定期的に健康食品について研修する機会を創出し、その有用性を明らかにした点、収集した情報に基づき実施した非臨床試験により健康食品の科学的情報を創製した点で高く評価できる。また、医師・薬剤師が健康食品の専門家として機能することが健康食品の適正使用実現に向けて重要であることを示し、それをふまえてその課題とアクションについて論考している。本研究は、患者等の健康食品使用の高リスク群に対して高い実効性を示すと考えられるが、医師・薬剤師との接点をもたない消費者に対する健康食品の安全は担保するためには検討すべき点が残されている。しかしながら、本論文は、本邦において研究領域が確立されていない健康食品を対象として、健康食品の科学的情報の創製、医療従事者-患者間コミュニケーションをはじめとする健康食品の適正使用のあり方について多くの知見を得たという点で多大な学術的貢献を果たすと考えられる。さらに薬学、医療社会学といった本研究の周辺分野の発展にも寄与するものである。よって、本審査委員会は、本論文が博士(学際情報学)の学位に相当するものと判断する。

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