学位論文要旨



No 126252
著者(漢字) 脇本,竜太郎
著者(英字)
著者(カナ) ワキモト,リュウタロウ
標題(和) 存在論的恐怖が友人関係の維持関連反応に及ぼす影響 : 存在脅威管理理論に基づく定量的検討
標題(洋)
報告番号 126252
報告番号 甲26252
学位授与日 2010.04.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第165号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 南風原,朝和
 東京大学 教授 市川,伸一
 東京大学 准教授 針生,悦子
 東京大学 教授 恒吉,僚子
 東京大学 准教授 能智,正博
 学習院大学 准教授 伊藤,忠弘
内容要旨 要旨を表示する

死は個人にとって重大な脅威であり,それが不可避であるという認識は存在論的恐怖を喚起する。この存在論的恐怖を管理し,自己の生と死を意味づける作業は我々にとって重要である。闘病記や極限体験の手記,また悲嘆過程に関する少数事例研究などでは,存在論的恐怖への対処において対人関係が重要な役割を果たすこと,存在論的恐怖が対人関係の捉え方に影響を及ぼすことが示唆されている。それら既存の知見は有益ではあるが,一般化可能性や客観性を担保できないという問題点も抱えている。また,面接等の質的方法で得られたデータは,面接対象者が注意を向けている側面のみを反映するという問題がある。これら既存の知見の問題点を補完し,存在論的恐怖が対人関係に及ぼす影響について精緻に理解するためには,明確な理論的枠組みの下,実験的・定量的な方法で検討を行う必要がある。

本論文では,そのような枠組みとして存在脅威管理理論に依拠する。存在脅威管理理論は,存在論的恐怖に対する防衛という観点から,社会的行動の統合的説明を志向する理論である。第1章では,当該理論およびそれに基づく研究を概観し,当該理論の歴史的背景,理論の骨子,発展の経緯,研究の展開,理論の独自性について明らかにした。その中で,当該理論は多くの実証研究を生み出しているものの,対人関係に関する検討は未だ萌芽期にあることも示された。第2章では,特にそのような対人関係に関する研究およびそれに関する議論について批判的検討を行った。その結果,現状の研究について(1)対人関係全般についての議論を行いながら,恋愛関係を中心に検討が行われている,(2)新しい関係の形成に焦点化しており,関係の維持という側面についての検討が不足している,という2つの問題を明らかにした。その上で,検討対象を恋愛関係に限定する合理的理由がないこと,対人関係の維持という側面について検討をする必要があることを指摘した。このような問題意識に基づき,本論文では,友人関係を取り上げ,存在論的恐怖が関係維持関連反応に及ぼす影響を検討することを目的とした。

存在脅威管理理論の文脈では,友人関係は着目されてこなかった。そのため,一連の検討の第1歩として,存在論的恐怖が友人関係の継続意図(コミットメント)に影響を及ぼすかを確認する必要がある。また,恋愛に関する先行研究では,恋人から否定的な評価を受ける状況でも存在論的恐怖がコミットメントを高めることが示されている。そこで,第3章(研究1)では,存在論的恐怖が友人から賞賛,行動についての文句,人格の批判を受ける状況でのコミットメントに及ぼす影響を実験的に検討した。その結果,友人からのフィードバックに関わらず,存在論的恐怖はコミットメントを高めることが示された。これは恋愛関係についての先行研究の結果と一貫するものであった。

存在論的恐怖が関係維持の願望を強めることから考えれば,それは関係維持促進のための方略となるような認知的変化をも生ぜしめると予測される。そのような対人関係の方略の検討においては,目標の表象についての考慮が必要である。ある目標は,肯定的な結果の獲得という視点(促進焦点)もしくは否定的結果の回避という視点(予防焦点)によって表象可能である。そして,それぞれの視点の目標は,各々に対応した促進的方略,予防的方略によって追求される傾向にある。先行研究は新しい関係の形成という促進焦点で表象された対人目標を扱い,促進的な方略を検討してきた。一方,本論文が着目する関係維持は,否定的結果(関係の崩壊)を避けるという,予防的な形で表象された対人目標である。それゆえ,方略についても「関係に悪影響を及ぼす行為を避ける」という予防的方略が用いられやすいと考えられる。この具体的な予防的方略として,本論文では謙遜反応に着目した。第4章(研究2)では,謙遜の一種として成功に対する否定的態度を取り上げて検討を行った。成功は個人にとって肯定的事象ではあるが,妬みを買うなど対人関係に悪影響を及ぼしうる。それゆえ,存在論的恐怖は成功への態度を否定的方向に変化させると考えられた。しかしながら,この予測を支持する結果は得られなかった。これを受け,第5章(研究3)では,性格特性による反応の調節の可能性と従属変数のリアリティの問題を考慮した上で,再度存在論的恐怖が成功への態度に及ぼす影響を実験的に検討した。具体的な調節変数としては対人志向性,従属変数には研究2同様の成功への否定的態度および場面想定法による成功後の否定的感情を取り上げた。その結果,対人志向性が強い者は,存在論的恐怖が顕現化する状況で,より強い成功への否定的態度および否定的感情を示すことが明らかにされた。この結果が他の様態の謙遜反応で再現されるか検討するため,第6章(研究4)では相対的自己卑下・他者高揚(他者と比較して自分をより低く評価すること)に対する存在論的恐怖の影響を検討した。その結果,自分が他者に対して調和的に振舞っているという信念が強い者が存在論的恐怖に対して相対的自己卑下を強める反応を示し,対照的にそのような信念が弱い者は相対的自己卑下を弱める傾向があることが明らかになった。

第4章から第6章までの研究は,関係維持に関わる自己の認知に主眼をおいて,存在論的恐怖が関係維持関連反応に及ぼす影響を検討している。一方で,対人関係は2者以上の間で成立するものであるので,相互作用相手となる他者に関する認知に焦点を当てた検討も必要である。なぜならば,他者の望ましさや他者が提供する利得の期待は,関係維持の意図に強く影響すると考えられるからである。また,謙遜の表明は,関係維持機能を持つ反面,自我脅威という心理的コストを伴い得るものである。それにもかかわらずそのような関係維持の方法が採用されるのは,それが他者からの支援的反応の期待と結びついているためと考えられる。実際に,日本人は自己卑下的帰属(自己の成功を外的,失敗を内的に帰属するという形態の謙遜)を示しつつ,一方で親しい他者からは支援的な反応(成功を内的,失敗を外的に帰属)が得られるという期待を持つことが知られている。これらのことから,存在論的恐怖は他者から得られる利得の認知を高めることが予測される。そこで第7章(研究5)では,存在論的恐怖が自己卑下的帰属と友人からの支援的帰属の期待に及ぼす影響を実験により検討した。また,第5章および第6章で存在論的恐怖が関係希求に及ぼす影響が個人差変数によって調節されていたことから,愛着回避・不安傾向を調節変数として取り上げた。さらに,成功・失敗の想起順序,自己と親友の帰属の回答順序といった実験手続き上の変数の影響も考慮した。その結果,失敗経験を成功経験より先に想起する場合には,愛着不安傾向の強い者が存在論的恐怖に対して自己卑下的帰属と支援的帰属の期待双方を強めることが明らかとなった。また,親友からの支援的帰属を先に回答している場合は,愛着不安傾向の強い者に加え,愛着回避傾向の弱い者も同様の反応を示すことが明らかとなった。これらのことは,存在論的恐怖が,他者から得られる利得の期待にも影響すること,そのような他者関連反応と自己関連反応が結びついていることを示している。

第7章までの研究で,存在論的恐怖が関係維持に資するような自己および他者に関わる認知的変化を生じさせることが示された。それら研究では特に時制は考慮しなかったが,対人関係の維持に焦点を当てる場合,過去の時制での自己および他者に関連する認知に着目することが重要である。既に関係が形成されている他者とは,ある程度経験を共有しているものである。そして,そのような過去経験の認知は,関係を維持しようという意図や,将来関係が維持されるという期待に影響を及ぼすと考えられる。ゆえに,過去経験の検討は重要な意味を持つ。第8章(研究6)から第10章(研究8)では,特に過去経験の主観的時間的距離(過去の経験を遠くに感じる,近くに感じるという主観的感覚)に着目し,存在論的恐怖が過去経験の認知に及ぼす影響を検討した。まず第8章では3つの調査を通じて親友から肯定的な働きかけを受けた経験の主観的時間的距離とその親友との関係評価の関連について検討した。その結果,当該経験を主観的に近く感じているほど,関係評価が肯定的であることが明らかとなった。さらに,この相関関係が客観的な経過時間や記憶の鮮明さ,望ましさ等の変数に媒介されないことも確認した。第9章では,存在論的恐怖が,親友から肯定的働きかけを受けた経験の主観的時間的距離に及ぼす影響を実験により検討した。その結果,存在論的恐怖が顕現化する条件で,統制条件よりも当該経験が主観的に近く感じられることが明らかになった。さらに,第10章では自己が親友に対して肯定的行為,否定的行為を行った経験の主観的時間的距離について,存在論的恐怖の影響を実験的に検討した。その結果,存在論的恐怖が顕現化する状況で,自己の肯定的行為は主観的により近く感じられていた。一方で,否定的行為については影響が見られなかった。これら研究は,存在論的恐怖が過去の自己および他者に関する認知を関係維持に資する方向で変化させることを示している。

第11章では以上の研究の成果を総括した。本論文は特に関係維持という側面に着目した。このことが,対人関係に及ぼす存在論的恐怖の影響の様態の理解を精緻化する作業に,いかに寄与するかを論じた。また,それらが存在脅威管理理論の意味付けに与える示唆を,進化および文化の問題との関連から考察した。最後に,今後検討が望まれる事項について論じ,将来の検討の方向性について論じた。

審査要旨 要旨を表示する

社会心理学の研究において,さまざまな社会的行動が,「自尊心の維持」という基本的な動機によって説明されうることが示されてきた。本論文が依拠する「存在脅威管理理論」は,「ではなぜ人は自尊心を必要とするのか」というより根源的な問いに答えるべく提出され,多くの実証研究によって支持されてきた理論であり,死の不可避性の認識によって生じる存在論的恐怖に対する防衛という観点から統合的説明を試みるものである。

存在脅威管理理論は,自尊心の維持と同様に多くの社会的行動の基本動機とされる「他者との関係性への動機」をも説明するとされ,この観点から対人関係に関する研究が積み重ねられてきた。しかし,これまでは対人関係のうち恋愛関係に焦点が当てられ,また新しい関係の形成が主に取り上げられてきた。本研究は,「恋愛関係以外の対人関係」および「関係の維持」について検討することの重要性を指摘し,存在論的恐怖が友人関係の維持に関連する行動に及ぼす影響について,実験的方法を用いて多角的に検討したものである。

まず第I部では存在脅威管理理論の歴史的経緯や実証研究の発展を概観したうえで,友人関係の維持に関連する行動をこの理論のもとで検討することの意義を述べている。第II部では,以後の研究の前提となる「存在論的恐怖によって友人関係維持へのコミットメントが高められる」ということを実験的に確認した。第III部では,友人関係維持のための重要な方略と考えられる「謙遜反応」を取り上げ,対人志向性や他者と調和的に振舞っているという信念の強い個人において,存在論的恐怖が謙遜反応を強めることを示した。第IV部では,関係維持の意図に影響を与えると考えられる「相手から得られる心理的利得の期待」に注目し,愛着不安傾向の強い個人や愛着回避傾向の弱い個人において,存在論的恐怖が相手から得られる心理的利得の期待を高めることを示した。第V部では,「時間」という新たな視点を導入し,まず相手との過去の肯定的経験を時間的に近く感じるほど,関係の評価が肯定的となることを確認した。そのうえで,存在論的恐怖によって,相手からの過去の肯定的働きかけの経験および自分自身の過去の肯定的行為の経験を時間的に近く感じるようになり,関係維持に資する方向の変化が生じることを見出した。

本研究は,存在論的恐怖が友人関係の維持に関連する行動に及ぼす影響のあり方を,手堅い実験研究によって明らかにした点に独自性が認められ,「時間」という視点を導入した点もオリジナリティが高く評価された。また,存在論的恐怖が与える影響が,対人志向性など個人特性によって異なることを明らかにしたことは,理論的な意義だけでなく,「死の準備教育」などにおける実践的意義も大きいと考えられる。研究の対象が大学生に限定されていることから,文化や階層を超えた一般化可能性に関する確認の必要性が指摘されたが,本研究がこの領域で重要な貢献をなすものであり,博士(教育学)の学位を授与するにふさわしい論文であるという点で,委員の判断が一致した。

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