学位論文要旨



No 126266
著者(漢字) 福田,武史
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,タケシ
標題(和) 訓読される『日本書紀』 : 「倭訓」の創出による『日本書紀』の変換
標題(洋)
報告番号 126266
報告番号 甲26266
学位授与日 2010.04.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第993号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神野志,隆光
 東京大学 教授 菅原,克也
 東京大学 准教授 齋藤,希史
 東京大学 講師 徳盛,誠
 和光大学 教授 津田,博幸
内容要旨 要旨を表示する

成立当時の『日本書紀』のテクスト、あるいは「奈良時代の『日本書紀』」とも呼べるものは、漢字文だけで充足するものとして成立した。しかし、現在のわたしたちは、全体が訓読されたテクストとして『日本書紀』をもっている。訓読を伴う『日本書紀』はどのように成立し、どうしてこのようなかたちをとるのであろうか。これは元来の『日本書紀』が、平安時代に変換されてつくりだされたかたちであった。ここで「変換」と言ったのは、平安時代における訓読を通じて『日本書紀』が異質なものになった事態を指す。『日本書紀』の訓読が制度化された由来とその意義を論じるのが本論文の目的であり、そのために『日本書紀』全体の訓読を最初におこなった平安時代の「日本書紀講書」を分析の対象とする。その本質を端的にいえば、平安時代における『日本書紀』訓読はテクストの理解を目指したものではなく、テクストの背後にあった自分たち固有の伝承、固有の言語表現の復元を目指したものであった。

第一章では、日本書紀講書の基礎資料となる「日本書紀私記」の性質を明らかにするとともに、講書がどのように運営され、そこで何が問題となったのかという点を総合的な把握のもとに概観した。平安時代を通じて六回行われた講書の一貫した関心事は『日本書紀』の訓読にあった。その訓読は音読を排除して全体を原則として徹底的に和語化するものであったことを明確にした。

和語化という方法でおこなわれた訓読の意味は何であったのか。その問題を明らかにするために、第二章では『日本書紀』神代上の「溟幸」「葦牙」「洲壌浮漂」という語句をめぐる講書の問答を具体的にとりあげて分析をおこなった。ここで展開されているのは、かれらが「倭訓」あるいは「倭語之訓」という術語で呼ぶ、『日本書紀』がもとにしているとされる和語の表現を『日本書紀』のどこにあてはめていくのかという議論であった。たとえば、「溟幸」や「洲壌浮漂」を「くらげなすただよへる」と訓読すべきかどうかが講書で論議されるのだが、そのよみは『古事記』の表現に基づくもので、『日本書紀』の語句の字義や文脈理解とは離れて導き出されたものである。「倭訓」で『日本書紀』をよむべきだという考えは、『日本書紀』が『古事記』などの「仮名本」の表現に依拠して成立したテクストだという彼らの確信に基づいている。このような立場で全体を訓読することで、漢字テクストとして充足していた『日本書紀』はフィクションとしての「倭訓」の物語に変換されるのであった。

当然、「倭訓」に依拠することによって不合理なよみが生みだされていくのだが、講書では博士たちのよみが代々の講書を通じて伝えられてきたという理由で権威化されていくことを第三章で見届けた。訓読のよりどころとして講書ではしばしば「先師相伝」説に言及され、旧説が破棄されずに相副えて保存されるというかたちで「先師説」は尊重されていく。それは、『日本書紀』撰録の翌年におこなわれたとする養老講書が仮構され、『日本書紀』撰者だとされた太安万侶をその養老講書の博士に設定することによって、講書のよみは古いよみ(「古説」)を正統に受け継いできたものだとして納得しようとするものであった。

第四章では、「先師」を通じて伝承されてきたと位置づけられた『日本書紀』の訓が「古語」としての権威を持つようになった経緯を明らかにした。『日本書紀』の訓が「古語」であると捉えるにあたっては、『日本書紀』訓注の語を「古語」と注記する『古語拾遺』の果たした役割が大きかった。伝承された「古語」の物語にもとづくと自らを定位することで『古語拾遺』は文字テクストに対抗しようとした。日本書紀講書はその「古語」の論理を受け入れることで、『日本書紀』を「古語」の書として新たに根拠づけたのである。こうして、固有の根源的なことばを表わしたものとして『日本書紀』の訓が尊重されていく。そのような日本書紀講書の成果から派生する問題として、『日本書紀』のよみが「古語」として平安時代以降も生き続け、そこから和訓集的な「日本書紀私記」が成立し、広く利用されることになったことを今後の展望として見届けた。

『日本書紀』を和語化するのは、『日本書紀』の文字の向こう側に相伝された「倭訓」・「古語」の物語を仮装するためのものであったと把握される。訓読を伴う『日本書紀』テクストを用いるとき、現在のわたしたちはいまだに「倭訓」や「古語」の制度のなかに生き続けているのではないかと反省することが必要であろう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「訓読される『日本書紀』――「倭訓」の創出による『日本書紀』の変換――」は、元来漢文として書かれ、漢文として読まれた『日本書紀』が、平安時代における講書では訓読されるものとなったことを、『日本書紀』の変換としてとらえようとしたものである。

平安時代には、九世紀初から十世紀後半まで、六度におよぶ『日本書紀』の講書が朝廷主宰のもとにおこなわれた。講書では、徹底して和語で読むことがなされた。それは、漢文テキストの訳読ではなく、テキストの背後にあった固有のことば(和語)をもとめる営みであったととらえられる。漢文として発想されたものだから、和語をもととしたものではありえないが、あったはずのものとして和語を創り出すのである。その和語(講書では「倭訓」と呼んでいる)をテキストのもとにあったものだと、いわば倒立させてしまう。そうした和語化をテキストの本質的変換としてとらえるのが、本論文の主題である。

本論文は、序章「はじめに」、第一章「日本書紀講書という場」、第二章「「倭訓」の物語としての『日本書紀』」、第三章「古語の相伝という制度―「先師説」をめぐって」、第四章「「古語」の創出」、終章「おわりに」から成る。講書の場を具体的に展望しつつ(第一章)、そこにおいて和語で読むことの制度化を認め(第二、三章)、その意味にせまる(第四章)という論の構成である。

まず、序章では、漢文として書かれ、読まれた『日本書紀』が訓読されるということをテキストの根本的な変換として見るべき問題としてたしかめる。そして、その変換の現場として講書を見ることにむかうのであるが、第一章は、「日本書紀私記」をつうじて、講書の場を概観し、そこで何が論議されたかを「私記」を読み解いて示してゆくなかで、講書において一貫していたのは、全体を徹底して和語化することであったということを明確にする。

第二章は、その訓読の論議にたちいり、それが、『日本書紀』の語句の字義や文脈理解から離れたものとなっていることをあきらかにした。かれらが「倭訓」ないし「倭語之訓」というのは、『古事記』の仮名書き表現に見出したものであり、それを『日本書紀』のどこにあてはめるかを論議するのであったという。第三章では、そうした読みがどのように根拠づけられていたかをめぐって考察し、代々の講書をつうじて博士たちの読みが伝えられてきたという理由で権威化されるのであったと見届けられる。「私記」のテキストに即して丁寧に読み解く態度を徹底することによって、それは果たされる。

第四章では、その訓が自分たちの固有のことばであったとして、「古語」として意味づけられたことを見る。『日本書紀』は「古語」の書として根拠づけられ、その訓は、歌学書などで、自分たちの固有のことばをあらわしたものとして尊重されることをたしかめるのである。終章は、訓読の制度化が現在にまでおよんでいることを、わたしたちの問題としてふりかえる。

本論文の意義は、第一に、講書における和語化が、『日本書紀』のテキストの変換であったことを明確にしたことにある。「日本書紀私記」を読み解くことをつうじて講書の現場をうかびあがらせ、その本質をあきらかにしたのである。「私記」に即して、論証は実証的に綿密で、叙述は説得的である。本論文ほど丁寧に「日本書紀私記」を読み解いたものは従来ないのであり、その努力は高く評価される。また、『日本書紀』テキストの変換という視点は斬新で、『日本書紀』研究に新たな問題を投げかけるものとして評価される。『日本書紀』を、歴史のなかで変換されつつ生きてゆくテキストとして見ることは、今後の研究にとって必須の視点となるであろう。さらに、それが、当たり前のように訓読文をならべて『日本書紀』を読むということそのものを問い返し、現在の研究の立場の根幹のふりかえりをせまるものであることも、見落とすことはできない。本論文は、そうした諸点においておおきな意義があると評価される。

ただ、平安時代の講書にしぼったことの明快さとうらはらであるが、中世・近世について展望にとどまったことに物足りなさがのこること、また、論述において、用語(述語)のゆれが見られ、安定を欠くところがあることなどの指摘もあった。しかし、それらは本論文の価値をそこなうものではないというのが審査委員の一致した評価であった。

したがって、審査委員会は全員一致して、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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