学位論文要旨



No 126272
著者(漢字) 川,俊彦
著者(英字)
著者(カナ) ヨシカワ,トシヒコ
標題(和) 変分クラスター法を用いた擬二次元ハバード模型の研究
標題(洋) Variational Cluster Approach to Quasi-Two-Dimensional Hubbard Model
報告番号 126272
報告番号 甲26272
学位授与日 2010.04.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5563号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 加藤,岳生
 東京大学 教授 常行,真司
 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 准教授 川島,直輝
 東京大学 准教授 溝川,貴司
内容要旨 要旨を表示する

強相関電子系における幾何学的フラストレーションの効果は、凝縮系物理学の分野において大きな注目を集めている。三角、カゴメ、スピネル、パイロクロア格子上の幾何学的フラストレーションを持つ量子磁性体や、グラファイト上のヘリウム3の三角構造に対する最近の実験的研究に関連して、幾何学的フラストレーションを持つ格子上のハバード模型の研究が精力的に行われている。

幾何学的フラストレーションは、系の磁気的性質に大きな影響を及ぼすことは広く知られている。それは、量子効果を増大させ、古典的な磁気的秩序を破壊し、量子スピン液体相のような非自明な量子相を出現させる効果がある。また、系の次元性も磁気的性質に強い影響を与えることが広く知られている。実際、三次元系がそれよりも低次元の系と比較して磁気的秩序化の傾向が強いことが知られている。したがって、系の磁気的性質に対する幾何学的フラストレーションの効果と次元性の効果は、互いに競合する関係にあることが理解できる。しかし、多くの場合において、その競合の結果現われ得る量子相の性質の詳細や、他相との競合関係については議論が行われている最中である。そこで、本学位論分では、幾何学的フラストレーションを持つ三次元ハバード模型における、幾何学的フラストレーションと次元性の競合と、それがもたらす磁気的性質への影響について調べた。

本学位論文では、正方格子が垂直方向に積層した擬二次元t-t'ハバード模型を考察した。この模型の格子構造と各ホッピングパラメーターをFigure 1に示した。計算は、ハーフフィリング、絶対零度の条件で行った。また、強相関における磁気的性質を調べるために、クーロン斥力の値をU/t=10に固定した。

ところで、高次元における幾何学的フラストレーションを持つハバード模型の理論的取り扱いは、多くの一般的な多体系の手法にとって困難である。実際、量子モンテカルロ法は、幾何学的フラストレーションが存在する場合、計算の実行が困難な場合がある。また、密度行列繰り込み群法や厳密対角化法は、少なくとも現在のところ、低次元系に対する適用に限られている。そこで、我々は、強い電子相関効果、幾何学的フラストレーションの効果、次元性の3つを取り扱うために、variational cluster approach(VCA、変分クラスター法)を用いた。

chapter 1で本学位論文全体のIntroductionを示した後、chapter 2では、VCAの理論的背景を述べた。VCAは、cluster perturbation theory(CPT)の変分原理に基づいた一般化である。その一般的な変分原理は、self-energy-functional theory(SFT)と呼ばれている。CPTでは、系を孤立したクラスターに分割し、各クラスターの問題を厳密対角化を用いて厳密に解く。そして、クラスターをstrong coupling perturbation theoryによって結合する。SFTに基づき、クラスターの自己エネルギーは変分的に最適化される。これによって、我々は自発的対称性が破れた相を取り扱うことができる。VCAの利点として、localの、および、off-siteの短距離の電子相関効果を厳密に取り扱うことができる。したがって、VCAは、我々の模型のように強い量子効果が支配する系を取り扱うために強力な手法となり得る。

chapter 3では、ハーフフィリング、基底状態における二次元t-t'ハバード模型についての既知の性質を紹介した。この模型は、我々の模型の特別な場合(t⊥=0)に相当するために重要である。我々が興味を持つ強相関領域では、反強磁性相やコリニアーな磁気秩序相のような古典的に予測される相とは異なった量子相が現われることが知られている。この量子相の性質の詳細については、議論が行われている最中である。

chapter 4では、我々の模型に対して我々が得た結果を示した。そこでは、競合する各相のエネルギーの比較、各相のオーダーパラメーター、t'-t⊥面内における包括的な相図(Figure 2)を示し、議論を行った。これまでVCAの適用は、主に一次元系および二次元系に限られていたが、我々は、VCAのQ-matrixに基づいた定式化を拡張し、Q-matrixの形式を維持したまま、三次元のsuperclusterを用いて元の三次元格子をtilingすることに成功した。これにより、三次元系に対する包括的な磁気相図を得ることができた。

我々の結果をまとめると以下のようになる。

・ t⊥<t⊥*(t⊥*/t~0.44)では、古典的な磁気秩序相である反強磁性相やコリニアーな磁気秩序相が、中間的なパラメーター領域(t'c1<t'<t'c2)において量子効果によって破壊されることが分かった。t'<t'c1では反強磁性相が現われ、t'>t'c2ではコリニアーな磁気秩序相が現われた。そして、その間では、常磁性モット絶縁体相が現われた。

・ t⊥>t⊥*では、次元性の効果から、常磁性モット絶縁体相は消滅し、反強磁性相からコリニアーな磁気秩序相への直接的転移が起こることが分かった。

・ 反強磁性相から常磁性モット絶縁体相への転移は二次転移であり、コリニアーな磁気秩序相から常磁性モット絶縁体相および反強磁性相への転移は一次転移であることが分かった。

Uが大きい極限では、対応するJ1とJ⊥は、それぞれJ1~4t2/UとJ⊥~4t⊥2/Uのように表される。したがって、t⊥*/t~0.44はJ⊥*/J1~0.19に対応する。このかなり小さなJ⊥*/J1の値から、次のことが明らかになった。すなわち、我々が得た量子相は、強い電子相関効果と幾何学的フラストレーションの効果によって引き起こされたものであるが、その安定性は、厳密に二次元の系では広いt'のパラメーター領域で安定であることから分かるように強固であるが、かなり小さな次元性の導入によって急速に不安定になり、その量子相は最終的に消滅する。これらのことよって、強い電子相関効果と幾何学的フラストレーションの効果に加えて低次元性の存在が、非自明な量子相の出現という魅力的な物理的現象の鍵を握っていることが分かった。さらに、現実の物質は層間のホッピングの存在によって厳密には二次元ではなく、もう一つの次元に対して非常に敏感であるので、現実の物理系における量子現象を正確に調査し、評価するためには、たとえその値が小さくとも、真実の次元性を考慮に入れることが常に必要であるということが分かった。

最後に、chapter 5では、本学位論文全体のまとめを示した。

Figure 1: (a)本学位論文で用いた三次元格子の構造。(b)二次元面内におけるホッピングパラメーターtとt'。面間のホッピングパラメーターt⊥も(a)に示した。

Figure 2: 我々の研究で得られたt'-t⊥面内の相図。反強磁性相(AF state)から常磁性モット絶縁体相(MI state)への転移は二次転移である(実線)。コリニアーな磁気秩序相(CM state)から常磁性モット絶縁体相および反強磁性相への転移は一次転移である(破線)。

審査要旨 要旨を表示する

強相関電子系分野において、幾何学的フラストレーションをもつ結晶格子の磁性は、最近特に注目を集めている研究課題である。実験的には三角・カゴメ格子などの擬2次元格子系や、スピネル・パイロクロア格子などのような3次元格子系が実現され、磁気応答に関する各種の測定が活発に行われている。中でも幾何学的フラストレーションの強い擬2次元系では、磁気秩序を持たないモット絶縁体相(いわゆるスピン液体相)が実現されると考えられており、その物理的描像も含め多くの理論研究が進行している。一方、現実の擬2次元結晶格子には小さいながらも面間相互作用が存在する。修士(理学)吉川俊彦提出の学位請求論文では、幾何学的フラストレーションを有する擬2次元t-t'-Uハバード模型において、面間の電子のホッピング効果を変分クラスター法(VCA)によって数値的に取り扱った。その結果、以下に述べるいくつかの知見が得られた。

本論文は英文で5章よりなる。まず第1章は序論であり、本研究の研究背景および論文の構成が示された。引き続く第2章では、VCAの基礎となるクラスター摂動論と自己エネルギー汎関数法のレビューが行われた後、VCAの手法およびこれまでに行われた応用例に関して説明が行われた。VCAでは、クラスター内の短距離相関については、厳密対角化によって厳密に取り扱われる一方、クラスターをまたぐサイトの相関については補助場を用いて近似的に取り入れられる。この章では、短距離で強い幾何学的フラストレーションがある系で、電子相関効果をある程度VCAによって取り込むことができることが強調された。

第3章では、本論文の出発点となる2次元t-t'-Uハバード模型の絶対零度・半電子充填密度(half-filling)の電子状態に関して、先行する理論研究で得られている結果のレビューが行われた。特にオンサイト相互作用Uがある程度大きく、フラストレーションが強い領域で現れる磁気秩序を持たないモット絶縁体相についての結果がまとめられた。他の数値計算手法に比べ、VCAは磁気秩序のないモット絶縁体相を比較的少ない計算量で取り扱えることが利点であることが指摘された。その一方で、ゴールドストーンモードなどの長距離相関はVCAで十分取り込むことはできず、またクラスターサイズ依存性にも注意を払う必要がある。これらの点を踏まえた上で、VCAによりt'が小さい領域でのチェッカーボード型反磁性秩序と、t'が大きい領域でのストライプ型反強磁性秩序の間に、磁気秩序を伴わないモット絶縁体相が得られるという先行研究の結果が説明された。

第4章で本論文の主要な結果が述べられた。2次元t-t'-Uハバード模型に面間ホッピングt⊥を加えた3次元ハバード模型について説明がなされたのち、この系に対するVCAの手法が述べられた。3次元系での計算ではクラスターサイズを大きくとることができないため、面に垂直な方向についてはスーパーセルを用意し、計算量を減らす工夫がなされた。まずVCAによる計算精度を確認するために、ハートリー-フォック(HF)近似との比較を行われた。VCAは、小さいUに対してはHF近似に近いエネルギーを与えるがUが大きくなるにつれてVCAの方がより低い基底エネルギーを与えること、t⊥を大きくして高次元性が強くなるとHF近似の基底エネルギーに近づくことなどが数値的に示された。また比較できる範囲内で、変分モンテカルロ法および補助場モンテカルロ法による基底エネルギーとの比較を行い、興味あるパラメータ領域ではこれらの手法の基底エネルギーに近い基底エネルギーをVCAが与えることが確認された。一方、VCAでは長距離相関が取り入れられていないことを反映し、反強磁性秩序相内の秩序パラメータの大きさは補助場モンテカルロ法に比べかなり大きい値をとることがわかった。

以上を踏まえ、第4章の後半ではVCAを用いた基底状態の相図が詳しく調べられた。まず電子間相互作用をU=10tに固定し、基底状態のエネルギーを比較することで、t'とt⊥についての相図が得られた。その結果、t⊥=0で得られていた磁気秩序のないモット絶縁体相は、t⊥が大きくなるにつれて抑制され、およそt⊥=0.4tで完全に消失することが示された。またチェッカーボード(ストライプ)型の反強磁性秩序相からモット絶縁体相への相転移は二次(一次)転移であることも明確に示された。これらの結果が本研究の主要な結論となっている。これはハイゼンベルク模型に対する近似計算に基づく先行研究の結果とよく一致する一方、ハバード模型からのアプローチによる研究として意義あるものと認められる。二重占有率のU依存性や秩序パラメータについての結果も詳細に示された。第5章では結果のまとめと今後の課題が述べられた。

以上、各章の紹介と共に本論文で得られた知見を解説した。本論文はフラストレーションの強い3次元強相関系にアプローチした数少ない研究の一つとして意義あるものと認められる。VCAで得られる磁気秩序のないモット絶縁体相の物理的描像や計算精度については注意を要し、さらなる研究が必要と考えられるが、今後の研究の第一歩として基礎物理学への十分な貢献が認められる。従って審査員全員が学位論文として十分なレベルにあり、博士(理学)の学位を授与できると判断した。なお、第4章の内容はPhysical Review B誌で公表されている。この論文では、第一著者である論文提出者が主体となって計算および結果の解釈を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。またこの件に関して、共同研究者の小形正男氏から同意承諾書が提出されている。

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