No | 126276 | |
著者(漢字) | 石松,愛 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イシマツ,カナ | |
標題(和) | 分節時計における移動波の出現メカニズム | |
標題(洋) | Emergence of traveling waves in the segmentation clock | |
報告番号 | 126276 | |
報告番号 | 甲26276 | |
学位授与日 | 2010.04.26 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5567号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | Introduction 心臓の拍動や概日リズムに代表されるように、多くの生命現象においてリズム、すなわち振動現象は重要な意味をもつ。特に、多数の振動子が協調的に振動することは、組織もしくは個体として統一的なリズムを刻むために重要である。本研究では、体節形成に利用されるリズムの協調に焦点をあてた研究を行った。 体節形成過程では、多数の振動子が集団で協調的に振動することで、移動波という時空間パターンが形成される。本研究では、移動波の出現メカニズムを、ゼブラフィッシュをモデルに、数理解析と実験解析を組み合わせることで明らかにした。 脊椎動物における体節 (図1a)は、未分節中胚葉 (presomitic mesoderm; PSM)という連続した組織に、一定時間おきに一定間隔で、切れ目が入ることで形成される (図1b)。この時間的/空間的周期性を支配するのは、PSMで機能する分節時計と呼ばれる分子時計である。分節時計は細胞を単位とする振動子の集合体であり、個々の細胞内では、her1という転写抑制因子が、自身の転写を抑制することで、転写のON/OFFを繰り返す。この細胞振動子 (cellular oscillator)は、振動子間で協調した位相差を作ることで、移動波と呼ばれる波状のパターンを示す (図1c)。この波は、PSM後端で現れ、徐々に前方に移動し、PSM前端で停止するが、この停止のタイミングと位置が、分節がおこるタイミングと位置の情報に変換されると考えられている。過去の研究により、分節時計の構成要素に関する知識は蓄積しているが、移動波形成におけるシステムレベルの理解はほとんど進んでいなかった。本研究では、発生過程初期における移動波出現過程に着目した研究を行い、そのメカニズムを明らかにした。 Results 1-1. 局所振動から移動波への状態遷移 高感度in situ hybridizationによりher1発現の時系列解析を行ったところ、her1の空間振動パターンは、原腸形成期に、大きく変化することが明らかになった。振動開始直後のher1は胚と卵黄の境界領域 (マージン領域)で局所的に同調振動を示す。数サイクルの局所的な同調振動の後、それまでher1を発現していなかった前方領域の細胞が、後方から順に振動を開始し、移動波に切り替わる(図2)。 1-2. 移動波出現はFgfによる二通りの制御を受ける 薬剤処理や過剰発現実験から、この切り替えにはFgfが必須の役割を果たしていることがわかった。さらに、以下に示すように、Fgfは、her1の発現開始時の「初期位相」と「振動周期の空間勾配」を同時に制御することで、移動波を生み出すことが明らかになった。前方へ進行する波が形成されるには、初期位相、すなわち、振動開始時の位相が前方ほど遅れていること、もしくは、振動周期が前方ほど長いことが必要である。いずれの場合にも、移動波を生じうることが理論的研究から明らかになっている (図3)。 1-2-1. Fgf活性の領域拡大によってher1の初期位相差が作られる her1の振動領域は、移動波の進行に伴って拡大する。Fgfの活性の時系列変化を調べたところ、her1振動領域と同様、マージン領域から徐々に拡大する、という時系列変化を示した。また、Fgfはher1の振動を誘起できる(図4)。これらは、Fgf活性が後方から前方に向かって徐々に拡大することによって、her1の振動が後方から前方に向かって徐々に開始することを示している。その結果、振動開始時における初期の位相差が与えられるのである。 1-2-2 Fgfはher1振動周期勾配形成を制御する 薬剤処理によりFgfの活性を空間一様に減少させたところ、her1移動波の空間パターンが変化し、より後方に細いストライプが形成されることがわかった。数理モデルを用いて計算機シミュレーションを行ったところ、この変化は振動周期が長くすることで再現された (図5)。すなわち、Fgfはher1の振動周期勾配も制御していることが示された。 以上から、振動子集団の初期位相と振動周期がFgfによる制御を受けることによって (図6)、分節時計における移動波の発生が実現されていることが明らかになった。 2. 振動周期に空間勾配を与えうる2つのメカニズム 現在までに、Fgfがどのようにして振動周期に勾配を与えているかは全く不明である。そこで、数理モデルを用いて振動周期に勾配を与えうる方法を探索したところ、2つの方法が見つかった。 一つめは、単純に、個々の細胞がもつ固有の振動周期に空間的勾配を与えるというものである。この結果、観測される振動周期にも空間的勾配が生じる (図7 a)。 もう一つは、境界条件を利用する方法である。具体的には、PSM前端に振動しない細胞を配置し、振動する領域と相互作用させる。この相互作用の結果、たとえ細胞固有の振動周期には空間的勾配を与えなくとも、観測される振動周期には空間的勾配が生じることが予測された (図7 b)。どちらの場合にも、結果として生じる空間振動パターンは、her1の振動パターンをよく再現する。 さらに、これら2つの可能性を生体で検証するための実験も提唱する。これは、振動しない細胞の一部を、振動する細胞集団内に異所的に配置する、というものである。これにより、振動しない細胞と振動する細胞の間に積極的な細胞間相互作用があるかを検証することができる。もし、相互作用がなければ、細胞固有の振動周期にもとから勾配が与えられている可能性が高く、相互作用があれば、境界条件が重要であることが示唆される。今後、この予測をもとに、モデルの検証がおこなわれ、her1の空間振動パターンを形成するメカニズムの理解がさらに進むことを期待する。 以上のように、数理的解析を、実験結果の解釈・実験のデザインのツールとして用い、実験的解析と組み合わせることで、多数の振動子からなる波という複雑な空間ダイナミクスの理解を大きく進めることができた。 図1 体節形成・移動波の模式図 図2 移動波の出現過程 図3 初期位相差/振動周期勾配による移動波形成のシミュレーション 図4 Fgfによるher1移動波の誘導 図5 Fgf阻害実験とシミュレーションの比較 図6 移動波出現過程における初期位相・振動周期のモデル図 図7 振動周期に空間勾配を与える2つのメカニズム | |
審査要旨 | 本論文は2章からなる。第1章では、分節時計における移動波出現に関する基本的なメカニズムを明らかにした。脊椎動物における体節は、円柱状の細長い組織 (PSMと呼ばれる)に、一定の時間おきに一定の間隔で前方より切れ目が入ることで形成される。この時・空間的周期性を支配するのは、PSMで機能する分節時計と呼ばれる生物時計である。分節時計は細胞を単位とする振動子の集合体であり、個々の細胞内ではher1という遺伝子が自己転写抑制により発現のオン/オフを繰り返す。この細胞振動子は、振動子間で協調した位相差を維持することで、移動波を形成している。移動波はPSM後端で30分に一度生じ、前方へ進行したのち、PSM最先端で停止する。この停止の位置とタイミングで分節がおこることから、移動波は分節ダイナミクスを決定する重要な現象であると考えられている。しかし、移動波の出現過程およびそのメカニズムについては多くが不明であった。 本論文ではまず、詳細な観察により、移動波の出現過程を高い時間/空間解像度で記述した。その結果、移動波出現前には、局所的な同調振動が数サイクル観察されること、そしてその後、状態の遷移がおこり、移動波が出現することが明らかになった。次に、移動波出現のメカニズムに迫るため、分節時計における移動波が、振動場における波であるということを実験的に明らかにした。具体的には、波のトリガーが存在しない状況に正常細胞を暴露しても (her1/7欠失変異体に正常細胞を移植)、正常細胞は移動波出現時と同様、位相差をともなう振動を開始したのである。さらに、振動場において、移動波の出現の引き金となるのはFgfという細胞外拡散性因子の前方への分布拡大であるということを明らかにした。まず、Fgfビーズの移植により、異所的にher1の振動を誘起することに成功し、Fgfはher1の振動を開始させる物質であることを示した。次にFgfの空間分布の時間変化を、her1発現の空間分布の時間変化と詳細に比較することで、その2つは非常に良く一致したふるまいを示すことがわかった。これは、Fgfの分布拡大に伴って、Fgfによって開始されるher1の振動領域も拡大する、すなわち初期位相差が与えられることを示している。一方、移動波は、振動数の空間勾配によって形成されることも知られており、分節時計の移動波においても振動数の空間勾配が存在することが近年報告されている。そこで、Fgfが振動数勾配形成にも寄与するかを調べるため、数理シミュレーションと実験の比較をおこなった。まず、シミュレーションにより、振動数を空間一様に減少させた場合の空間振動パターンを予測した。次に、阻害剤によりFgfの活性を空間一様に減少させ、その時のher1の空間振動パターンを調べた。その結果、シミュレーションと実験の結果は非常によく一致することが判明した。この結果は、Fgf活性阻害によっておこったことは振動数の減少である、すなわちFgfはher1の振動数も制御している、ということが強く示唆された。以上から、第1章では、移動波出現においては、Fgfが中心的役割を担っており、初期位相と振動数勾配形成に同時に寄与していることを明らかにした。 第2章では、振動数勾配形成に関して、数理シミュレーションを用いた解析を行った。振動数勾配形成に関しては、Fgfが重要であることは第1章からわかっているものの、どのようにして形成されるかは未だ不明である。振動数勾配は、振動子が固有にもつ固有振動数の勾配により形成することができる。しかし、現時点では、固有振動数の計測は困難であり、実際に固有振動数がFgfからの制御を受け、勾配を形成しているかは不明である。本論文では、固有振動数に加え、前方境界条件にも注目して、振動数勾配形成にはどのようなメカニズムがあり得るのかを考察した。本論文で想定した境界条件は、境界細胞が自由に振動できる自由端と、位相が固定されている固定端の2つである。それぞれの場合について、生体で観察される空間パターンに近い波を再現するには、どのような固有振動数勾配が必要かを、位相モデルにもとづいて作成した数理シミュレーションを用いて予測した。その結果、自由端の場合には、固有振動数は、必ずPSM前端で0近くに低下する必要がある一方、固定端の場合にはたとえ固有振動数に空間勾配が存在しなくても、生体に近い波が再現できた。この結果は、固定端の方が固有振動数の変化に対してよりロバストに移動波を形成できることを示唆する。これまで分節時計に関して、境界条件に着目した研究は一切なく、本研究は移動波形成のメカニズムを考える上での境界条件の重要性を示唆する最初の研究である。 本研究により、移動波出現に関する基本的なメカニズム、さらにそれに関する境界条件の重要性が明らかになった。集団振動の時空間ダイナミクスは、様々な生命現象にわたって広く存在するが、その出現過程を記述し、メカニズムにまで迫った研究は、本研究が初めてであり、高く評価できる。 なお、本論文は、高松敦子氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士 (理学)の学位を授与できると認める。 | |
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