学位論文要旨



No 126284
著者(漢字) 白井,良成
著者(英字)
著者(カナ) シライ,ヨシナリ
標題(和) 履歴情報の外在化とインタラクション
標題(洋)
報告番号 126284
報告番号 甲26284
学位授与日 2010.05.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7326号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀,浩一
 東京大学 教授 御厨,貴
 東京大学 教授 廣瀬,通孝
 東京大学 准教授 杉本,雅則
 東京大学 准教授 赤石,美奈
内容要旨 要旨を表示する

本研究は,人・物・場所に関するインタラクションの履歴を人工的に蓄積し,それらを活用していくための環境History-Enriched Environment (HEE)を提案するものである.本論の目的は,HEEを実現するにあたって必要となる,履歴情報の外在化表現および外在化表現とのインタラクションの決定を支援する,"HEEの枠組み"を構築することである.

本研究で提案するHEEという概念は,自然環境における足跡や擦り切れといった痕跡の有する情報の有益性と可能性に着想を得たものである.人は,自然環境での痕跡から,すなわち,多種多様な出来事に関して自然環境が蓄積した履歴の物理的な表出から,様々な恩恵を受けてきた.人や物,あるいは場所といったオブジェクトに表出した痕跡を見ることによって,その人や物,あるいは場所が過去に関わってきた出来事について知り理解することができる.人間は,自然環境における痕跡を通して,意思決定,危険予知,記憶想起,事物やタスクの理解など,様々な認知的活動をおこなう上での助けとしてきた.しかしながら,現代の人々が主として活動する都市部の家や学校,オフィスといった人工的な物理環境では,物理的な痕跡が少なくなり,痕跡からの多大なる恩恵を失ってしまっている.

本研究では,痕跡の恩恵に乏しいこれらの人工環境において,情報技術を利用して人・物・場所に関しての履歴を蓄積し活用することによって,情報空間での痕跡から恩恵を受けることができる環境をHEEとして実現することを目指す.本論で提案するHEEの特徴となるのは,「人や物や場所の履歴情報の,直接的かつ持続的な外在化を行う」「外在化される履歴情報に対しての,インタラクティブな操作を実現する」という二点である.

HEEにおいて取り扱う履歴情報がベースとするのは,自然環境における個々の痕跡が,ある特定の出来事が生じた際に,自然法則に則って蓄積されるという点である.空間的には,人や物あるいは場所に対して何らかの表現として直接的に刻まれ,また,時間的には,ある程度の期間に渡って持続的に保持される.このことは,人が履歴情報を利用するHEEという人工環境においても,保持すべき重要な点であると考え,HEEの第一の特徴とした.

HEEの第二の特徴となるのは,履歴情報の操作である.人工的に提示された履歴情報は,利用する人が必要に応じてインタラクティブに操作することによって,自然法則に基づいた物理的な世界では膨大な知識や経験が必要であったり不可能であったりした利用の仕方が可能である.ある履歴情報からその詳細や関連する履歴を段階的に取得したり,複数の履歴情報から演算による特徴の抽出や因果関係の推測をおこなったり,時間的な同時性によって他の履歴情報を探ったり,といった多様な活用が可能となる.

本論文は,このような特徴を有するHEEの構築を支援するための共通の土台として,HEEの枠組みを構築することを主要な貢献とする.HEEの枠組みは,「時間に着目した履歴情報の外在化モデル」,「履歴情報の段階的外在化指針」,「HEEインタラクションパターンカタログ」から成る.

「時間に着目した履歴情報の外在化モデル」は,個別の環境の特徴に依存して構築される履歴情報の外在化とインタラクションを,時間軸の観点から比較し解釈するための共通の基盤として構築した.本モデルにおいて,外在化する履歴情報は,特定の履歴情報の特定の時区間(履歴セグメントと呼ぶ)を抽出したものである.人による履歴情報の操作は,履歴セグメントの変更として表す.

「履歴情報の段階的外在化指針」は,HEEにおいて,人や物や場所などのオブジェクトに外在化された履歴情報を必要な人が快適に取得できるだけでなく,必要としない人もその外在化によって煩わされないように,履歴情報の外在化表現とその操作を構築するための設計指針として構築した.本指針は,人が情報を取得する際の認知的プロセスに基づいてデザインした履歴情報の段階的な提示方法(存在の提示,識別子の提示,詳細な提示)を基盤とする.そして,段階的な提示方法の各段階における履歴情報の外在化とインタラクションを,外在化する場所,時間,表現,操作という4つの観点から考察し,要件として整理した.

構築したモデル及び指針の検証を行うため,モデル及び指針に基づいたシステムの構築を重ねた.構築したシステムをそれぞれOptical Stain,HCB tool,IHTracerと呼ぶ.Optical Stainは,オフィスの廊下に設置された掲示板の履歴を利用の対象として構築したHEE システムである.HCB toolは,Web ページの閲覧履歴を利用の対象として構築したHEE システムである.IHTracerは,複数のオブジェクトの履歴情報を利用の対象として構築したHEEシステムである.

構築したシステム群が実現した履歴情報の外在化表現とその操作を比較することで,複数のシステムに共通する特徴,各システム固有の特徴を抽出し,「HEEインタラクションパターンカタログ」として整理した.「HEEインタラクションパターンカタログ」は,履歴情報の外在化とインタラクションに関する18種類の特徴から成る.

「HEEインタラクションパターンカタログ」と,「履歴情報の段階的外在化指針」を比較することで,「履歴情報の段階的外在化指針」を再構築した.再構築した「履歴情報の段階的外在化指針」は,何を外在化するか,どの場所に外在化するか,どのぐらいの時間外在化するか,どのような表現を用いて外在化するか,人にどう操作してもらうか,に関する,13の指針から成る.最後にHEEの枠組みの貢献について述べ,HEEの将来を展望する.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「履歴情報の外在化とインタラクション」と題し、13章からなる。

自然環境においては、人々や動物の行為の履歴が、自然な形で残され、人々はそれを活用することができる。たとえば、人や動物が歩くと歩いた場所に足跡や体毛、においなどが履歴として残り、動物が草木を食べれば、草木に歯形等の食痕が残る。これらの履歴を見た人は、履歴を通して過去に起きた出来事の一部を知ることができ、それを未来に向けた行動の手助けとすることができる。ところが、人工物があふれた現代の環境においては、このような履歴が残りにくくなっており、したがってそれを活用することも難しくなっている。それは、金属やコンクリートなどの履歴の残りにくい材料で環境が覆われてしまったからである。

本論文は、このような人工物があふれた現代の環境の中に積極的に人々の行為の履歴を残しその活用を図ることを可能にするための枠組みについて、理論的に考察しいくつかのシステムを実装することにより実験を行った結果を述べたものである。従来から、情報技術の研究分野においては、履歴情報を蓄積しそれを活用するための研究が行われてきたが、本論文の特徴は、人々の行為の履歴を行為が行われたその場の実環境に残すための枠組みを構築しようとすることにある。たとえば、監視カメラによりある場所に誰がいたかという履歴情報が取得されている時、従来の研究においては、その履歴情報はその場所とは別のコンピュータ上の世界に蓄えられ活用されたが、本論文の研究においては、その履歴情報を実環境のその場にさりげなく残し、あとからその場を訪れた人がそれを活用できるようにすることをめざしている。

実環境中に履歴を残す場合には、その履歴情報を必要としない人々の妨げとならないよう配慮しなければならない。また、永遠に履歴を残すのではなく、自然界の足跡などと同様に自然に消えていくことが望まれる場合が多い。そのような実環境の制約を考慮した上で履歴を実世界中に残し活用する方法について本論文は詳細に検討している。

第1章は序論であり、本論文の目的について述べている。

第2章と第3章においては、本論文の提案するHEE(History-Enriched Environment)の概念を説明している。実環境に履歴情報を残すことの意味について、その全体像を示している。

第4章と第5章においては、History-Enriched Environmentを実現するための理論的な枠組みについて述べている。そこでは、まず、履歴を残す対象となる世界を論じるための理論を提案している。さらに、その理論に基づいて、History-Enriched Environmentの構造を規定する、履歴情報の外在化の場所、外在化の時間、外在化のための表現、および履歴の操作形態などの要素について論じている。

第7章から第8章においては、第5章までに述べた理論的枠組みに基づいて実装したシステムについて述べている。掲示板の閲覧を支援するOptical Stain、Webページの再訪を支援するHCB tool、複数のオブジェクトを利用して作成したコンテンツの理解を支援するIHTracerという3種類のシステムを構築して実験を行っている。

第9章から第11章においては、上述の3種類のシステムの実験に基づいて、History-Enriched Environmentの枠組みの妥当性の評価を行っている。さらに、理論的枠組みを詳細化するとともに、History-Enriched Environmentを実装するための方法のカタログを与えている。

第12章においては、History-Enriched Environmentの将来像を示すとともに、プライバシー保護に関する見解を与えている。

第13章は結論であり、本論文の研究の成果を総括している。

以上要するに、本論文は、主として自然界のみに存在した類いの履歴情報を人工物環境においても残して活用する世界の概念を提案し、システムの実装と実験によりその有用性を示したものであり、工学上寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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