学位論文要旨



No 126286
著者(漢字) 大辻,都
著者(英字)
著者(カナ) オオツジ,ミヤコ
標題(和) フランス語作家マリーズ・コンデとアフリカ―アメリカ―アンティユの往還
標題(洋)
報告番号 126286
報告番号 甲26286
学位授与日 2010.05.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1000号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 森山,工
 東京大学 教授 石井,洋二郎
 東京大学 教授 鈴木,啓二
 東京大学 名誉教授 工藤,庸子
 早稲田大学 教授 立花,英裕
内容要旨 要旨を表示する

カリブ海アンティユ諸島のフランス海外県グアドループに生まれたマリーズ・コンデはフランス語を第一言語として育ち、フランス語で創作をおこなってきた作家であるが、この作家がそのような環境に育ち、創作の言語にフランス語を選択したということには、過去にさかのぼる歴史の偶然が多分に関与している。

南北アメリカ大陸およびアンティユ諸島が15世紀末に「発見」されて以来、ヨーロッパの国々は競ってこれらの土地に入植し、熱帯産品を生産するため、アフリカから労働力としての奴隷を運び込んだ。200年にわたる奴隷制時代、「白人」植民者と「黒人」奴隷はこの新しい土地に共存し、両者の混血の人口も増加する。

仮にグアドループがフランス以外の国に占領されていたら、祖先を乗せた奴隷船の向かう先がフランス領でなかったら、祖先が奴隷狩りを免れ、部族の言語を捨てずにすんだら、コンデは別の言語で書いていたかもしれない。このようにコンデがフランス語で書くことは、大西洋をはさんだ広大な地理的空間を舞台とする歴史の経緯と切り離すことができない。

出生した時点からこうした歴史的経緯をその身に被っているだけでなく、作家コンデはその個人的な生においても複数の場所と関わってきた。

1950年代半ば、パリの高校に留学したコンデは、ファノンが『黒い皮膚・白い仮面』において述べたような、他者からの視線にさらされる。その頃、同じアンティユ出身の詩人エメ・セゼールの長編詩『帰郷ノート』とネグリチュードの世界観を知り、自らアフリカに赴いて10余年を過ごす。アイデンティティを求めてのこの滞在は挫折に終わるが、作家としてのコンデはこの地点から始まっている。その後コンデは故郷グアドループへの帰還を果たし、さらにアメリカ合衆国へも向かい、アンティユと合衆国を行き来しつつ創作を続けてきた。

タイトルである「アフリカ――アメリカ――アンティユの往還」とは、作家マリーズ・コンデの現実の移動であるとともに、彼女の創作における想像力の射程と運動とを意味する。アフリカ、アメリカ、アンティユのそれぞれは本論で考察する作品の拠りどころとなるが、これらはある期間身を置かれ、通過されて終わる場所ではなく、作品にとっての進化・発展の段階を表わしているわけでもない。マリーズ・コンデとは、広大な時空間におよぶ歴史の痕跡と現実の移動がおよぼす影響を自らの身体と言語に刻みつけた作家ということができ、本論では、そのような作家の身体性と創作が深く関わっていることを明らかにする。

また、本論には上記以外の目的もある。フランスでは80年代終わり頃から、コンデを含むアンティユ出身作家たちをグループとしてとらえ、「クレオール文学」と名指す潮流が生まれた。アンティユのプランテーションで発達した口承言語であるクレオール語とそれに基づくクレオール文化に価値を見出し、フランス共和国的な普遍性に対置されるものとしての「多様性」や「クレオール性」という造語を編み出して、アンティユの新たなアイデンティティのあり方を提示したパトリック・シャモワゾー、ラファエル・コンフィアンらの著書『クレオール性礼賛』(1989)がその契機となる。

しかし、同じフランス語を用いて表現をする作家でありながら、個人と言語との関係はそれぞれに異なっている。「クレオール文学」においては、何よりもクレオール語が重視されるが、同化主義傾向の強い家庭で育ったコンデの場合、ダイグロシアの島にありながら、私的空間においてもフランス語が第一言語であり、個人と言語との関わり方は他のアンティユ作家と異なっている。また、「クレオール性」の作家たちがマルチニック出身であり、アンティユ世界をマルチニックをモデルとして考えた上で発信しているのに対し、コンデの場合、人種構成や歴史的経緯において差異のあるグアドループ出身だという点での違いもある。

さらにコンデが女性の書き手であることにも言及しないわけにはいかない。歴史的に、アンティユの女性たちがヨーロッパ人男性の一方的な性的興味の対象とされ、一定のイメージをもたれてきたこと、そしてそのような対象であった存在が現在書き手に転じているのだという事実は指摘しておくべきだろう。またこのことと関連するが、奴隷制を経たアンティユ社会の問題はしばしばはっきりジェンダー化されたかたちで表出してくる。アンティユの男性作家が焦点化しない要素をていねいに掬い上げ、そこから想像力を広げるコンデの作品に向き合うことには十分に意味があり、日本においてフランス語圏アンティユ文学を、さらにはフランス語文学を読解するにあたり、一助になると考える。

本論文は2部構成である。第1部では作家マリーズ・コンデを生み出したアンティユについて述べる。

第1部第1章では、20世紀以降のアンティユ思想史をふり返る。セゼール登場以前の1920年代に遡り、「黒人」知識人台頭時のパリの状況を概観し、セゼールのネグリチュード、ファノンによるアンティユ人の精神分析、グリッサンと「クレオール性」の作家たち、さらにコンデらが「クレオール性」宣言に対して投げかけた批判までの流れを検討する。第2章では、アンティユの女性たちがヨーロッパ人たちによりどのように表象されていたかを過去の文献にたどり、また彼女たちがどのように自ら筆をとったのかを見る。植民地時代の宣教師や航海家の記述を確認するとともに、19世紀を生きた3人のヨーロッパ人作家――クレール・ド・デュラス、ラフカディオ・ハーン、ギ・ド・モーパッサンが描く文学作品の中のアンティユ女性が検討される。

第3章は、描かれる対象としてのアンティユ女性をテーマとした第2章を受け、19世紀後半以降に現れたアンティユ女性作家に焦点を当てて、その文学史を構成する。特に1920年代以降に現れた何人かの重要な作家:シュザンヌ・ラカスカード、シュザンヌ・セゼール、ミシェル・ラクロジル、シモーヌ・シュヴァルツ=バルトについては個別に取り上げて論じる。彼女らの作品の中にはネグリチュードの萌芽というべきテーマもあれば、「クレオール性」に先んじたクレオール的価値の肯定も見られ、現代アンティユ文学を準備する先達の作品群として言及するにふさわしい。あるいはアンティユ女性作家特有の問題系も存在する。母子関係が強調されるアンティユ独自の家族形態は、母という観点から複数の作家たちにより扱われており、また、クレオール社会におけるアンティユ女性とフランス文化の近親性がテーマとされることも多い。

第2部では、全5章を通じてコンデの主要な6作品について考察する。第1章にあてられている「アフリカ」、第2章、第3章にあてられている「アメリカ」、第4章、第5章にあてられている「アンティユ」の大タイトルは、作品の中心となる場所を示しながら、それぞれの作品には同時に他の場所との関連も見出せる。作品が必ずしも発表順に論じられないのは、この3つの場所への志向により作品を分類しているためである。

第1章では自伝的ともいわれる最初の小説『ヘレマコノン』を取り上げ、アフリカ大陸にアイデンティティを求めてやってきたアンティユ女性の挫折体験――すなわちアンティユとアフリカの文化的齟齬の体験について検討する。第2章ではいくつかの「アフリカもの」を経たコンデが試みた、実在の奴隷女性をモデルとする歴史小説『わたしは魔女ティチューバ』を取り上げ、アンティユ文学では重要なテーマとされる英雄としてのマロン[逃亡奴隷]に対する批判ともいうべき母子関係から見るマロナージュについて検討する。第3章では高貴なアフリカの血を拠りどころとする夫婦を扱った『最後の預言王たち』に、アンティユ人とアフリカ系アメリカ人の接点と距離を見る。また両者が共有するものとして、口承で伝わる民話のアナンシ[蜘蛛の姿をしたトリックスター]にも言及するが、このアナンシの形象はアンティユ帰還以降のコンデ作品を読み解く鍵として、続く章でも引き続き扱ってゆく。第4章ではあるアンティユの一族の人々をめぐる年代記、『悪辣な生』を扱う。世界を彷徨しつつ生きる人物たちとそのアイデンティティのあり方を考察しながら、一族の娘である語り手による語りが生むアナンシ的形象――アンティユから外の世界へ散らばる人々のネットワーク――についても検討する。第5章では、90年代のコンデの作品に顕著である複数人物たちによる多声的で断片的な語りについて考察する。この最後の章では、この特徴がそれぞれ表れているふたつの小説、『マングローヴ渡り』と『移り住む心』を同時に扱っている。前章、前々章で扱ったアナンシの糸の形象は、ここではマングローヴの水平的な形象へと引き継がれる。またその形象のもとに表される周縁的人物たちの連帯的関係は、第2章で提示されたマロナージュの形態とも結びつけて考えうる。

作品を概観してわかるように、コンデはアンティユの文学を強く意識して創作にのぞむ一方で、他の作家とは異なり、クレオール語をその基盤にしようとはしておらず、また、クレオール性の作家らが明確に示したような理念や理論への志向は見られない。彼らの理念形成にフランス共和国への対抗意識が関与するのはまちがいないが、コンデにおいては、共和国は乗り越えるべき何かとして措定されていない。そこに見られるのは、共和国という父ではない自らの父を立ち上げようとの欲求――あるいは自らの名を獲得しようとする意志――をもたないまま、世界との関係を生きようとする自由な作家の姿である。

審査要旨 要旨を表示する

大辻都氏の学位請求論文『フランス語作家マリーズ・コンデとアフリカ─アメリカ─アンティユの往還』は,カリブ海アンティユ諸島のグアドループ(現フランス海外県)出身の女性作家,マリーズ・コンデの小説群の横断的な読解を通じて,そこにおける創造性と想像力の運動を体系的に跡づけるとともに,その創作活動をフランス語圏アンティユ文学の潮流に位置づけたものである。本論文は序論と結論を除いて2部から構成されており,第1部に3つの章が,第2部に5つの章が,それぞれ配置されている。以下ではまず,この構成に則して本論文の内容を略述する。

序論は,コンデという作家が身体に根差して創作活動を展開していることに着目し,コンデ自身の身体的な移動と創作とのかかわりという,本論文を動機づける問題意識を提示する。それを受けた第1部は,アンティユの人口構成がアフリカからの奴隷の搬送という歴史にもとづくことを踏まえながら,エメ・セゼールの「ネグリチュード」概念からエドゥアール・グリッサンの「アンティユ性」概念を経て,パトリック・シャモワゾー,ラファエル・コンフィアンらの「クレオール性」概念へといたるアンティユの思想史・文学史の包括的な理解を示し,それによってコンデの創作活動を論ずる上での枠組みを形成するものである。また,ヨーロッパ人作家によるアンティユ女性の表象の系譜をたどった上で,描かれる対象としての女性から描く主体としての女性への転換に焦点を当て,シュザンヌ・ラカスカード,シュザンヌ・セゼール,ミシェル・ラクロジル,シモーヌ・シュヴァルツ=バルトなど,アンティユ女性自身が作家として創作に従事した動向を追いながら,コンデという作家を本論文に導き入れている。

第2部は,コンデの主要な6つの小説作品を取り上げ,作品が中心的に志向している場所という観点から,それらの作品を「アフリカ」,「アメリカ」,「アンティユ」に類別化して,作品の詳細な読解と分析を提示するものであり,本論文の中心をなす部分である。まず,「アフリカ」への志向性を呈する作品として,自伝的小説ともいわれる『ヘレマコノン』を取り上げた章では,アンティユにとって起源とアイデンティティを求める場所であるアフリカと,そのアフリカにおけるあるアンティユ女性の挫折経験を通して,アンティユとアフリカとの文化的隔たりがいかに作中で対象化されるのかを検討している。次いで,「アメリカ」への志向性を有する作品として,『わたしは魔女ティチューバ』と『最後の預言王たち』とに着目した2つの章では,アフリカとアンティユとが交差する位置からさらにアメリカへと移動する作中人物に焦点を当て,アンティユとアメリカとの接触と両者の懸隔とを分析の俎上に乗せている。このうち,『わたしは魔女ティチューバ』については,英雄としてのマロン(逃亡奴隷)というアンティユ文学にしばしば登場する重要なテーマに対して,コンデが母子関係という要素を前景化していることを考察しており,また『最後の預言王たち』については,アンティユとアメリカとの地理的な連関を含めた相互的な連関を,地理的に拡散してゆく作中人物たちのネットワークという観点から把握している。

最後の2つの章では,「アンティユ」への志向性をもつ作品として,『悪辣な生』,『マングローヴ渡り』,『移り住む心』の3作品を取り上げている。『悪辣な生』については,母子関係の連鎖と,世界を彷徨しつつディアスポラを生きる作中人物たちのネットワークという論点を引き続き追究しつつ,クレオール的なフランス語を創作に導入することによるコンデの文体の特質を検討している。『マングローヴ渡り』と『移り住む心』については,複数の作中人物たちの,それ自体としては断片的な語りを積み重ねることによって多声的な語りの世界を構成するという,90年代のコンデ作品に顕著となる創作のあり方について考察している。それを通じて,アンティユから外部に拡散するとともに,外部からアンティユへと環流する人々が織りなすネットワークについて,さらに考察を深化させている。

結論においては,アンティユの思想史・文学史の大きな潮流を体現するセゼールのネグリチュード論やグリッサン,シャモワゾー,コンフィアンらのクレオール諸理論が,普遍主義によって差異を捨象しようとするフランスの共和制理念への対抗意識から発したものであるのに対して,そうした対抗意識から自由であり,かつ共和国という「父」にかわる独自の「父」を立ち上げたいという欲求からも自由なコンデの姿勢を確認しつつ,アンティユ文学に新たな境地を開拓したものとしてコンデの創作活動を位置づけている。

以上のような構成と内容を有する本論文の学術的意義としては,次の諸点を挙げることができる。第一に,コンデの作家としての動向を広範な視野のもとに把握し,体系的な作家論・作品論を展開した学術論文としての価値である。コンデに関するこのような学術論文は,日本語で執筆されたものとしては先例がなく,本論文がそのはじめての本格的な研究を提示するものであって,この点での学術的な貢献には多大なものがあると評価される。

第二に,本論文がコンデの創作活動を狭義の国民文学という枠を超越した地平から意味づけるとともに,ネグリチュード論やクレオール諸理論との対比において,それをフランス語圏アンティユ文学の動向のなかに的確に位置づけていることである。これは日本におけるコンデ研究のみならず,日本におけるアンティユ文学研究をも確実に前進させる創見であり,大きな学術的貢献を果たすものと評価される。

第三に,本論文が多様な論点を複眼的に盛り込みながら,各部・各章が照応し合い,全体として緊密な論考が構築されていることである。なかでも,フランス共和国への対抗意識や共和国コンプレックスから創作活動を展開するアンティユ男性作家たちとは異なり,そうした呪縛から解放され,自由な個人として世界との関係を生きる作家としてコンデの本質を把捉したことと,第2部において小説のもつ空間的志向性によって小説を分類し配列するという独自の構成方法を取ったこととは,フランスの外部である「アフリカ」,「アメリカ」,「アンティユ」という複数の地域を浮かび上がらせるという意味で有機的に結びついており,論述内容と論述構成との連関がとれた,説得力の豊かな論述を展開したものと評価される。

第四に,クレオールの民話的世界がコンデの創作に及ぼす影響や,コンデ作品における歌の重要性に着目したことなど,本論文がコンデ作品を理解する上で新しい独自の知見を提供していることである。とりわけ,コンデ作品に民話の形象であるアナンシ(蜘蛛)と,それが紡ぎ出す糸による紐帯というイメージを読み取ったことは,ディアスポラにおける人の移動と拡散をネットワークとして把握する本論文の立論にかかわる重要な着眼であり,きわめて独創的なものがあると評価される。

もちろん,本論文に不十分な点があることもまた確かである。審査の席では,以下の点が指摘された。コンデが構想する共同体や共同体のアイデンティティについてより踏み込んだ考察をほどこすべきであったこと。コンデ作品における愛の問題が軽視されており,愛を通して境界を踏み越え,異なる文化のあいだを往来する女性という像が看過されていること。第2部が全体として諸小説の分析の並列であり,平板で山場のない論述に終始しているため,これらの小説群のなかでもより高く価値づけられるコンデ作品を焦点化するべきであったこと。「歴史」や「記憶」といったいくつかの理論的な概念について,本論文が参照している理論家たちの行論と本論文の論旨展開とが必ずしも整合的でない場合があること。コンデ作品を翻訳して引用する際,訳語の適切性を再考すべきものがあること,などである。

しかしながら,本論文が大きな問題設定のもとで,コンデ作品とアンティユ内外の文学作品との適切な比較を行いつつ,緻密かつ丁寧な記述と分析を積み上げた野心作であり,高度な学術的水準に達した論文であるとの見解で本審査委員会は一致しており,以上のような諸点も本論文の基本的な価値を損なうものではないと判断される。したがって本審査委員会は,本論文提出者が博士(学術)の学位を授与されるにふさわしいものと認定する。

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