学位論文要旨



No 126297
著者(漢字) 榎本,一郎
著者(英字)
著者(カナ) エノモト,イチロウ
標題(和) 超高分子量ポリエチレンの放射線グラフト重合に関する研究
標題(洋)
報告番号 126297
報告番号 甲26297
学位授与日 2010.06.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7328号
研究科 工学系研究科
専攻 原子力国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 准教授 工藤,久明
 東京大学 准教授 鈴木,晶大
 東京大学 准教授 沖田,泰良
 早稲田大学 教授 鷲尾,方一
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

放射線グラフト重合は高分子材料の新機能付与法の一つであり、研究の始まりから約50年が経過し、生活の中にこの技術を使った製品を眼にする機会が増えてきた。対象となる素材は多種に及んでいるが、ポリエチレンは最もよく利用される素材の一つである。

超高分子量ポリエチレン(Ultra High Molecular Weight Polyethylene ; 以下UHMWPE)は汎用のポリエチレンと同じエチレン(CH2=CH2)の重合体であるが、分子量が大きく異なり、特性も異なる。これまでこの素材が放射線グラフト重合の対象とならなかった背景には、素材の扱いにくさが原因している。分子量が極端に大きいことに加え、形態は、粉末状、ブロック状、シート状、繊維状であり、研究でよく利用されるフィルムに成形されたのは3年程前からと歴史が浅い。本研究においても、厚さ1mmのシート状及び極細の繊維状UHMWPEを対象とした。

放射線グラフト重合は機能性付与に有効であるが、現状では放射線利用施設が限られることや照射後酸化等による影響のため、実用化には課題も多い。このため、放射線施設の利用に伴う移動や照射条件の影響を受けにくい放射線グラフト重合の研究を行った。

第2章 超高分子量ポリエチレンへのMMAの放射線グラフト重合におけるハイドロパーオキサイドの役割

放射線グラフト重合は、不活性ガス雰囲気及び減圧下、或いは低温環境で行われることが多い。照射によるラジカルの挙動を調べるためにはこれらの条件下での研究が重要であるが、一方で利用する側からすると、現実的な条件ではない。このため、大気中室温という環境下で照射を行い、グラフト重合にどのような影響が生じるかを詳しく調べる必要がある。

本研究では、大気中室温でCo-60γ線を照射した超高分子量ポリエチレン(UHMWPE) 内でのグラフト重合のメカニズムを明らかにするため、ESRや顕微FT-IRを用いて系統だった測定を行った。試料は、それぞれ大気中で10、25、40kGy照射した後、大気中に室温で所定日数保管したものを使用した。モノマーにメタクリル酸メチル(MMA)を用い、70℃でグラフト重合を行った。グラフト率は線量及び反応時間の増加に伴って増加し、特定の保管日数でグラフト率の最大値を示した。線量25 kGyの試料では、グラフト率の最大値を示した保管日数は反応時間によって異なり、反応時間2時間では照射後2日から5日辺りまでグラフト率が増大し、その後減少に転じた。例えば70℃での反応時間が4時間、6時間、8時間では、それぞれ保管期間5、7、10日で最大グラフト率87、120、143%となった。

大気中室温でUHMWPEにCo-60γ線を照射すると、照射直後にはアルキルラジカルと見られるスペクトルが現れるが、このスペクトルにはアルキルラジカルの他にアリルラジカルや酸化物由来のラジカルが含まれていると考えられる。試料に捕獲されたラジカルは保管日数の増加に伴って著しく減少し、照射後10日では明確なスペクトルが確認できなくなった。さらに日数が経過して30日頃になると、過酸化ラジカルと思われるスペクトルが現れ、60日頃になると明確なシングルピークになった。

照射直後のUHMWPEを70℃で2時間熱処理すると、保管日数10日のラジカル量と同等になった。この結果から、照射によって生成するアルキルラジカルはグラフト重合の主要な開始ラジカルではないことがわかる。何故ならこのラジカルは保管日数の経過と共に著しく減少し、8時間のグラフト重合のとき10日でグラフト率が最大となる結果に対応しないからである。このことをさらに詳しく調べるため、試料に導入されたカルボニルとハイドロパーオキサイドの深度分布を顕微FT-IRで測定した。グラフト生成物とハイドロパーオキサイドの深度分布の類似性から、保管期間におけるハイドロパーオキサイドの深度分布の変化がUHMWPE へのMMAの放射線グラフト重合に影響を与えていると結論付けた。

本研究において、大気中への保管期間とグラフト率との関係が明らかになり、照射からグラフト重合を開始するまでの猶予期間を把握できたことは、放射線利用を促進する上で非常に意義のあることである。

第3章 放射線グラフト重合による超高分子量ポリエチレン繊維の表面改質と染色性

ハイドロパーオキサイドを利用した放射線グラフト重合を繊維の染色性改善に適用した。モノマーにはメタクリル酸メチル(MMA)、アクリル酸(AA)及びスチレン(St)を用いた。保管期間に対するグラフト率を求めたところ、それぞれ異なった反応挙動を示した。MMAは10日保管するとグラフト率が低くなったが、反応時間が長くなると350%と十分なグラフト率が得られた。AAは保管期間に伴い高いグラフト率が得られたが、230%とMMAほどのグラフト率ではなかった。Stのグラフト率はMMAやAAのグラフト率と比較して、10日保管した試料で10時間反応のとき、22%と極めて低かった。

表面処理の効果を染色によって調べたところ、MMAグラフト化繊維は分散染料及びソルベント染料で染色可能であったが、汎用的なカチオン染料や酸性染料では染色できなかった。AAグラフト化繊維は、カチオン染料と半均染性の酸性染料で染色可能であった。AAグラフト化繊維のグラフト率はカチオン染料での染色濃度に影響しないが、酸性染料による染色では、グラフト率の高い試料で濃色になった。Stグラフト化繊維はクロロスルホン酸と四塩化炭素(1:100)の液に浸してスルホン化した後、カチオン染料で染色可能であった。Stグラフト化繊維のグラフト率はAAグラフト化繊維のそれより低いが、スルホン化処理によってカチオン染料で濃色に染めることができた。これら染色物の摩擦に対する染色堅牢度は良好であった。

カチオン染料とAAグラフト化繊維及びスルホン化Stグラフト化繊維との染着機構は、染料のカチオン部とグラフト物のアニオン部とのイオン結合が主である。カチオン染料は構造に塩基性のアミノ基を持っている。これに対してAAグラフト化繊維とStグラフト化繊維のスルホン化物は、それぞれカルボキシル基(-COOH)及びスルホン酸基(-HSO3)が溶液中で、-COO-と-SO3-とになって、染料のカチオン部分と結合する。

一方酸性染料はアニオン性であり、本来羊毛や絹などアミノ基とイオン結合をして染色される。このため、アニオン性のカルボニル基を持つAAグラフト化繊維とはイオン結合しない。このことをX線回折により構造から解析した。グラフト化繊維では結晶の配向性が失われ結晶化度が低くなっていた。このことから、グラフト物の非結晶領域に染料が侵入して、分子間力によって安定化していると考えられる。

照射後の保管期間に伴いUHMWPE繊維は引張強度が低下した。γ線照射では未照射試料に対して10日保管で約2割低下し、電子線照射では約1割低下した。しかし、依然として高強度は保たれており、実用化における支障は少ないと考えられる。

これまでもUHMWPE繊維の染色は試みられてきた。しかし特殊な染色方法を用いるなど、一般的ではなかった。この研究において、各種モノマーと各種染料の組み合わせが明らかとなり、使用する染料及び染色方法に応じてUHMWPE繊維にグラフトするモノマーを選択することができる。グラフト化繊維の染色は、従来の染色方法及び設備が利用可能である。

第4章 低エネルギー電子線の深度線量分布と超高分子量ポリエチレンへの影響評価

低エネルギー電子加速器は広く普及しているが、厳密な線量評価はいまだ不十分であった。繊維やフィルムのような素材に対しては、エネルギーの低い加速器でも十分に対応でき、省エネルギーの効果も大きい。

そこで、本研究において商業用電子線加速器をモデルとして、EGS5コードによる低エネルギー電子線の深度分布をシミュレーションし、実測値との比較を行った。その結果、チタン箔、窒素ガス層、被照射物の3層で構成される電子線加速器のモデルにおいて、80から250keVのエネルギーの電子線を照射したとき、100keVのエネルギーの電子線はチタン箔と窒素ガス層に約6割のエネルギーを付与し、被照射物へのエネルギー付与はわずか2割程度だった。

ポリエチレン多層膜中における200keVのエネルギーの電子線の深度分布シミュレーションは、ESRによるラジカル濃度の深度分布とよく一致した。

EGS5コードを利用した電子線シミュレーションはこれまで、MeV、GeVレベルで行われていたが、本研究で低エネルギー電子線にも適用できることが確認できた。この領域のエネルギーは電子線リソグラフや薄膜の改質などに利用されていることから、今後一段と重要性が増す評価方法となる。

第5章 結論

放射線グラフト重合は、高分子素材へ機能性を付与する手法の一つとして発展してきたが、この手法を実際に利用するためには、放射線施設や照射条件、後処理の問題等を解決しなければならない。

本研究において、ハイドロパーオキサイドを重合開始剤に利用する方法について詳細に研究し、グラフト重合に最も適した照射後の保管時間が明らかになった。このことにより、放射線施設から離れた施設でもグラフト処理が可能であり、場所の制約が少なくなる。また、照射による生成ラジカルの減衰を抑制するため、液体窒素温度での保管がなされていたが、酸化を促進させるためにこの処理が不要となる。一方で、酸化による強度劣化が生じるので対策が課題となる

フィルムや繊維を対象とした場合、300keV以下の電子線加速器での処理が可能であり、Co-60γ線処理と比較して効率的である。しかし、エネルギーの低い電子線の深度線量分布の評価が十分ではない。本研究で試みたモンテカルロシミュレーションを利用することにより、最適な照射条件を得ることが期待できる。しかしあくまでもシミュレーションであるので、結果の正当性を評価しなければならない。エネルギーの低い電子線に対しては殆ど報告がなされていない。この部分を解明していくことが、次のステップであると考える。

審査要旨 要旨を表示する

放射線グラフト重合は高分子材料への新機能付与法の一つであり、研究の始まりから約半世紀が経過し、日常生活の中にもこの技術を使った製品を多く見る。対象となる材料は多種に及ぶが、ポリエチレンは最もよく利用される材料の一つである。

超高分子量ポリエチレン(Ultra High Molecular Weight Polyethylene ; 以下UHMWPE)は汎用のポリエチレンより分子量がはるかに高く、優れた諸特性を持つ。しかし、これまでUHMWPEは放射線グラフト重合の対象とならなかった。形態が、粉末状、ブロック状等に限られるためであり、グラフト重合でよく利用されるフィルムに成形されたのは約3年前である。本研究においては、厚さ1mmのシート状及び極細の繊維状UHMWPEを対象とした。

放射線グラフト重合は機能性付与に有効であるが、現状では放射線利用施設が限られ、照射後酸化等による影響のため、実用化には課題が多い。このため、本研究では、放射線グラフト重合における、試料の保管期間の影響とメカニズムを検討している。また、放射線グラフト重合による改質として染色性を、また放射線利用のさらなる展開として低エネルギー電子線の適用の可能性を研究している。

本論文は全4章から構成される。

第1章は、序論であり、放射線グラフト重合の歴史と現状、ポリエチレンの開発・製造と利用の現状等、本研究の背景と目的が述べられている。

第2章では、UHMWPEへのメタクリル酸メチル(MMA)の放射線グラフト重合のメカニズムにおける過酸化物の役割について、電子スピン共鳴(ESR)法や顕微赤外分光分析(FT-IR)法を用いて、詳細に検討している。

ガンマ線照射した後、大気中に室温で保管した試料に、MMAをグラフト重合したところ、グラフト率は線量及び反応時間とともに増加するが、グラフト率が最大となるのは、ある程度の保管日数を経た試料であった。一方、照射直後にはアルキルラジカルのESR信号が認められたが、保管日数とともに著しく減衰した。さらに、照射直後に熱処理すると、保管日数を経た場合と同様にラジカルが減衰した。これらの結果から、照射により生成するアルキルラジカルはグラフト重合の開始種でないとした。

このことを詳しく調べるため、試料に生成したカルボニル基と過酸化物の深度分布を顕微FT-IR法で測定している。グラフト物と過酸化物の深度分布の類似性から、保管中における過酸化物の深度分布の変化がUHMWPEへのMMAの放射線グラフト重合に影響を与えていると結論づけている。

第3章では、放射線グラフト重合によるUHMWPE繊維の染色性等について検討している。

過酸化物を利用した放射線グラフト重合を、繊維の染色性改善に適用している。モノマーにはMMA、アクリル酸(AA)及びスチレン(St)を用いている。MMAグラフト化繊維は、汎用的なカチオン染料や酸性染料では染色できなかったが、AAグラフト化繊維は、染色可能であった。Stグラフト化繊維はスルホン化後にカチオン染料で染色可能であった。

染色物の摩擦に対する染色堅牢度は良好であり、また、照射後の保管に伴いUHMWPE繊維の引張強度は1-2割程度低下するが、十分な強度が保たれており、実用化における支障は少ないことを示した。

第4章は、結論であり、本研究で得られた知見を総括するとともに、放射線グラフト重合、放射線プロセスの開発の将来展望等が述べられている。

また、付録として、低エネルギー電子線のUHMWPEへのエネルギー付与とその深度分布について検討している。低エネルギー(300keV以下)電子加速器は、繊維やフィルムにも十分に適用でき、省エネルギーの効果もあるため、広く普及しているが、厳密な線量評価は不十分であった。商業用電子加速器をモデルとして、汎用計算コードを用いて低エネルギー電子線の深度分布をシミュレーションし、実測値との比較を行っている。その結果、チタン箔、窒素ガス層、被照射物の3層で構成されるモデルにおいて、低エネルギー電子線を照射したとき、被照射物へのエネルギー付与は2割程度であることを明らかにした。また、PE中におけるエネルギー付与の深度分布シミュレーションは、ESRによるラジカル濃度の深度分布とよく一致した。

以上を要するに、本研究では超高分子量ポリエチレンへの放射線重合について、メカニズムの解明、実応用に重要となる染色性とその耐久性、放射線プロセスの設計の基礎となる低エネルギー電子線のエネルギー付与等を検討したものであり、原子力・放射線学における、放射線・量子ビーム利用分野への寄与は大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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