学位論文要旨



No 126304
著者(漢字) 林,立梅
著者(英字)
著者(カナ) リン,リーメイ
標題(和) 中国語"X (gei) Y VP"構文の意味ネットワークの形成についての認知言語学的研究
標題(洋)
報告番号 126304
報告番号 甲26304
学位授与日 2010.06.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1005号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 楊,凱栄
 東京大学 准教授 吉川,雅之
 東京大学 准教授 西村,義樹
 東洋言語文化学院 教授 クリスティーン,ラマール
 筑波大学 准教授 佐々木,勲人
内容要旨 要旨を表示する

問題提起:

中国語の"X 〓(gei) Y VP"構文(以下"〓(gei)"構文)は意味用法が多岐にわたり、その意味用法、および意味用法間の関連についてこれまで数多くの研究がなされてきた。本論文は、従来の研究における"〓(gei)"構文の意味記述について、以下の三つの問題を提起する。

1. なぜ「受益」も「被害」も表すのか? 構文が「受益」も「被害」も表すことは、構文の意味制約とどのような結びつきをもつのか? 構文の意味制約として佐々木1994、木村2000a が指摘したVPの対象とYの「密接・直接的な関係」にはどのような判断基準があるのか?

2. "〓(gei)"構文それ自体の意味特徴によって動機付けられた「受身用法」の拡張ルートは何か?

3. "〓(gei)"構文それ自体の意味特徴によって動機付けられた「処置用法」の拡張ルートは何か?

研究目的:

本論文は、認知言語学の立場に立ち、特にLangacker2000 が提唱する「動的使用依拠モデル(Dynamic Usage-Based Model)」の理論に基づいて、"〓"構文が対応する複数の用法について、それぞれの用法の意味構造および用法間にある関連を明らかにする。これにより"〓"構文が対応する多義ネットワークの記述を提示することが目的である。

研究方法:

本論文の考察は通時的なコーパス調査に基づいて行った。コーパスは北京出身の作家の文学作品で統一した。通時的な考察を可能にするため、時代別に以下に示す三つの文学作品を選んだ。

十八世紀半ばの《〓楼梦》 [庚辰本(前80 回)〓程甲本(後40 回)](86 万字余)

十九世紀半ばの《儿女英雄〓》(約55 万字)

二十世紀末の現代作家の作品(80 万字余)

考察内容:

本論文は、コーパス調査に基づき、まず時代の異なる三つのコーパスを通して高い定着度を見せる意味構造を中心的意味スキーマとして記述し、次に通時的な拡張プロセスについて考察した。

中心的意味スキーマは二つ観察された。一つは〈(Xに意志的に引き起こされるY への)モノの移動〉スキーマ、もう一つは〈参照点構造〉スキーマと記述した。

〈(Xに意志的に引き起こされるY への)モノの移動〉スキーマ(以下、〈モノの移動〉スキーマ)は、VPによるプロファイルに応じて三つの下位スキーマに分かれる。一つは、「事物の転送・付加」と「情報の伝達・提供」を具現事例とする移動段階プロファイルであり、一つは、「事物の製作・取得・用意」を具現事例とする準備段階プロファイルであって、一つは、移動物の使い道を具体的に示す利用段階プロファイルである。これら三つの下位スキーマは、「モノの移動」事象連鎖を構成しており、準備段階が移動段階を目的とし、移動段階が利用段階を目的とする、という関係にある。

〈参照点構造〉スキーマとは、「受益者」や「被害者」を含む「間接関与者」を導く"〓"とする従来の研究に代わって、本論文が提示した意味構造である。〈参照点構造〉スキーマは、〈Xの動作対象〉がY(を参照点として喚起される)の支配域に同定されると記述される。〈Xの動作対象〉とは、構文が表す事態におけるXの動作行為VPとYとの関係を記述するために、本論文が導入した意味要素である。

〈参照点構造〉スキーマという二つ目の中心的意味スキーマの記述により、先行研究に指摘された構文の意味制約が、実は"〓"構文に内在するこの特定の意味構造だけで説明できるということが解明された。

また本論文は〈参照点構造〉スキーマを内在する用例の表す事態の特徴について、「Yとの社会的関係におけるXの役割遂行」であるとの記述を提起して、この特徴づけを中心に、(〈参照点構造〉スキーマを内在する用例の表す)事態の呈するバリエーションについて統一的に捉えることができた。従来の研究における「受益」や「被害」の位置づけは、〈参照点構造〉スキーマを内在する用例の表す事態に対する二次的な解釈に過ぎないということを示した。

二つの中心的意味スキーマ間の関連については、意味変化を動機付ける原理の一つである《経路焦点⇔終端焦点》のイメージ・スキーマ変換によって示した。つまり、〈Xの動作対象〉は、〈モノの移動〉スキーマではYの支配域に向かって移動するので《経路焦点》であり、〈参照点構造〉スキーマではYの支配域の中に位置するので《終端焦点》である。コーパス調査で通時的な拡張が観察されたのは、(移動段階プロファイルを内在する)「事物の転送・付加」、「利用段階プロファイル」、〈参照点構造〉スキーマである。

(移動段階プロファイルを内在する)「事物の転送・付加」を表す用例については、意志的な意味領域から非意志的な意味領域への漸次拡張プロセスを提示した。まず「X が動作者として自らの意志によって、事物をYに転送・付加する」甲類があり、「VPを引き起こすX 自体は動作者が意志的に行う行為であるが、その動作者はVPの表す事物の転送・付加に対して意図を持たない」乙類を経て、X が無生名詞である丙類に至る。

利用段階プロファイルを内在する用例の表す事態は、Yの行うVP がモノの授与・提供という〈Xのコントロール〉下にあるという特徴がある。このような事態において、「非難」や「弁解」の表現機能およびXの意に反する状況や結末という事態の意味特性によって動機付けられ、「〈Xのコントロール〉が相対的に弱い周辺的事態」が適用される。その結果、〈Xのコントロール〉が相対的に強いプロトタイプ的事例と〈Xのコントロール〉が相対的に弱い周辺的事例からなる強弱の傾斜を形成する。事態における〈Xのコントロール〉の強弱の傾斜を基盤に拡張が起きているのである。拡張については、〈Xのコントロール〉が失効する事態を経由して、X がVPの表す動作行為や状態変化を蒙る事態に至るまで〈Xのコントロール〉が段階的に弱化し、〈Xのコントロール〉の強弱のスケールを形成すると特徴付けた。

〈参照点構造〉スキーマを内在する用例には、主要拡張ルートと副次拡張ルートの二つの拡張プロセスが観察された。主要拡張ルートは、(もともと参照点であった)Yと(目標であった)〈Xの動作対象〉が同一化するというイメージ・スキーマ変換により、〈同一配置〉スキーマに拡張するプロセスである。副次拡張ルートは、意味構造および事態の特徴が非人間領域へ投射されるプロセスである。

本論文が提示した"〓"構文の意味ネットワークをまとめると下図に示すとおりになる。実線の矢印で示されたカテゴリー化関係(二つの中心的意味スキーマ及びその関連)は《〓楼梦》においてすでに確立している。点線の矢印で示されている拡張関係は、通時的な拡張である。

現代作品に形成した"〓"構文の意味ネットワーク

審査要旨 要旨を表示する

本論文は認知言語学の観点から"給"によって構成されるいくつかの構文の異なる文法的な意味を考察し、その複数の意味ネットワークの形成及び関連を明らかにしようとするものである。論文はそれぞれの構文のもつ中心的な意味と時代の変遷に伴う意味の拡張を考察するため、ほぼ300万字にのぼる三つの時代の文学作品(それぞれ、18世紀の小説《紅楼夢》、19世紀の小説《児女英雄伝》、20世紀の現代小説)から構成されるコーパスデータを調査し、分析を行った。

論文は7章から構成され、序論では従来の"給"による構文の説明とその問題点を提起すると同時に、研究目的や研究方法並びにデータの抽出方法について説明した。第2章から第6章にかけてはコーパスより抽出した用例と用法の分析を踏まえた上で、"給"によるいくつかの構文の文法的意味を大きく以下の二つの中心的スキーマにまとめた。一つはX(動作主)によるY(受け手)へのモノの移動スキーマであり、いま一つは参照点構造スキーマである。モノの移動スキーマには更にVP(述語)によるプロファイルのし方に応じて「事物の転送・付加」、「情報の伝達・提供」を中心とする移動段階プロファイル、「事物の製取得・用意」を中心とする準備段階プロファイル、移動物の使い道を具体的に示す利用段階プロファイルの三つの下位スキーマに分けられる。これら三つの下位スキーマは、「モノの移動」事象連鎖を構成しており、準備段階が移動段階を目的とし、移動段階が利用段階を目的とするという関係にあると指摘した。

一方、〈参照点構造〉スキーマは、Xの動作対象がY(を参照点として喚起される)の支配域に同定される事態を反映し、これは従来「受益者」や「被害者」と言われてきた「間接関与者」を導く"給"の文法的意味をも含めた意味構造をも示すものである。そしてこの二つの中心的なスキーマは互いに関連性があり、前者〈モノの移動スキーマ〉は〈経路焦点〉をプロファイルし、後者〈参照点構造スキーマ〉は〈終端焦点〉をプロファイルし、両者は意味的に連続性を持つと指摘した。そして、それぞれの構文の意味拡張についても触れ、モノの移動スキーマはXによる意図的な行為から非意図的な行為への拡張プロセスが観察され、参照点構造スキーマではYとXの動作対象が同一化するということが観察されたことを明らかにした。最終章の第7章ではそれまでの観察と分析のまとめとして、それぞれの構文の意味構造とその関連性を図式で示した。

本論文の最大の特徴は実際のコーパスを用いて、三つの時代にわたる実例の用法を詳細に調べ、認知言語学の枠組みを使って実例に基づいた意味の分類と説明を行い、統一的に説明しようとするとことにあるということができる。その結果、従来の研究では見落とされがちな用法や時代による意味の変化及び構文間の意味的関連を有機的に捉えることができた。

しかし、論文に不備や問題がなかったわけではない。審査員から理論的な枠組みを十分に生かしていないところがあり、用語の使用により慎重を期すべきであり、また用例の分類基準は意味に基づいているため、曖昧な部分があり、論証をより厳密に行うべきであるという指摘があった。しかし、これらの問題は本論文の学術的価値を損ねるものではない。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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