学位論文要旨



No 126307
著者(漢字) 林,成根
著者(英字)
著者(カナ) イム,ソンクン
標題(和) 高齢化と福祉政治の日韓比較 : 医療保険制度改革と介護保険制度導入の政治過程
標題(洋) Aging and Welfare Politics in Japan and South Korea : Political Process of Health Insurance Reform and Long-Term Care Insurance Introduction
報告番号 126307
報告番号 甲26307
学位授与日 2010.06.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1008号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,淳子
 東京大学 准教授 内山,融
 東京大学 准教授 木宮,正史
 JICA研究所 所長 恒川,惠市
 早稲田大学 教授 久米,郁男
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、比較福祉国家論の枠組みを意識しながら、マレス、ボールドウィンらのリスク分配モデルを活用し、日韓の医療保険制度改革と介護保険導入を比較分析したものである。医療保険制度を「高齢低所得型保険」「低齢高所得型保険」などの4類型に区分してそれぞれのアクターの対立構図を、資源動員論、階級交差連合論などの枠組みも使いながら分析し、その結果、日本における財政調整アプローチと韓国における一元化アプローチの相違を導き出す組み立てとなっている。

本稿は次のように構成される。

序章の第1節では、日本と韓国の高齢化と、その対策の変化を概略的に叙述しながら高齢化が政策課題として登場してきていることを述べた。そして韓国と日本の高齢化形態を高齢化のスピード、人口構成比の変化という観点から比較し、両国の類似性を確認した後、それにもかかわらず医療保険制度改革と介護保険制度導入においては互いに異なる選択をしたことを指摘して研究の必要性を提起した。第2節では、比較福祉国家研究において東アジア国家を対象にする研究が登場した背景を説明し、その研究動向を整理した。そして日本と韓国で行われた日韓比較福祉国家研究の成果と限界を述べ、最近関心が高まっているにもかかわらず課題を多く抱えていることを指摘した。特に比較研究学的な分析能力の向上と分析枠組みの提示が求められていると主張した。第3節では、日本と韓国の医療保険制度改革と介護保険制度導入を分析するための枠組みを提示した。分析枠組みを構築するために先に既存のいくつかの比較福祉国家理論に関して検討し、マレスやボールドウィンなどの議論を参考し、医療保険制度を高齢化率と所得を基準とし、四つの類型に分類した。

また日本と韓国の福祉政治の対立軸の特徴を確認し、分析枠組みを建てた。

第1章では、日本の医療保険制度改革過程、具体的には1982年の老人保健法導入過程を探った。それ以前の1960年代初めに国民皆保険が実現されて以後、政管健保の財政赤字問題を解決するための方案として提案された制度間の財政調整案が退けられる過程、そしてその代案として提示された老齢者のみを対象とした財政調整案(老齢保険案)が廃案される過程を叙述した。そして、そのような流れとは異なる経路を辿り、老人医療費無料化案が登場して制度化される過程を叙述した。そして高齢者医療費に限定して医療保険制度間の財政調整を規定した老人保健法の制定過程を詳細に考察した。この章では60年代、70年代には健康保険連合会などの反対に会い、導入できなかった制度間の財政調整制度がどのようにして導入されるに至ったかに焦点を当てた。特に80年代初頭から政府と自民党が大企業の経営者側の支持を得て推進した行政改革と、その過程で大企業の経営者側と労働勢力の一部の間に形成された連携に注意を払った。

第2章では、韓国の医療保険制度改革過程を扱った。医療保険制度導入において大企業の経営者団体が大きく関わる過程を探り、それが労働運動に対する対応策としての意味もあったことを明らかにした。そしてその前に政府内部ではどのように医療保険制度導入が議題化され、保健社会部官僚は政策化のために如何なる戦略を駆使したかに焦点を当てた。そして医療保険制度の適用範囲を拡大していくうち、財政赤字組合問題が浮上し、制度間の財政調整などが行われる過程も考察した。また、韓国の医療保険制度一元化改革過程を分析した。1980年から2003年に至る長い期間を分析範囲にしているが、1980年代後半の民主化以後の労働運動、農民運動、そして市民運動の急成長とそれらの連携に焦点を合わせた。

第3章では、日本で介護保険制度が導入される過程を分析した。老人保健法制定とその後の改正を通して形成された老人医療費に対する100%財政調整などの医療保険制度の改革結果が介護保険制度導入に如何なる影響を与えたのかを考察した。そして連立政権の下で法案成立のため動いた官僚、労働運動、市民運動、そして法案に反発した市町村、経営者団体などの間で繰り広げられた政治過程をみた。

第4章では、韓国で老人長期療養保険制度が導入される過程を分析した。医療保険制度一元化過程においては形成された労働運動と農民運動の連携が老人長期療養保険制度導入過程においても現れたかを確認した。

終章では、本稿の内容を要約した後、研究成果と課題を提示した。

具体的な分析においては、財政基盤の制度的格差を解消するための政治の対立軸を「低齢高所得型保険」側と「高齢低所得型保険」側の関係と考え、その両側の関係者、即ち、労働勢力、経営者団体、農民勢力などの状況を確認し、階級同盟論、階級交叉連合論を用いた。

戦後日本では階級同盟論が想定する、労働者と農民との同盟が形成されなかっただけでなく、むしろ保守党が農民を支持勢力化したことが既に他の研究からも指摘され階級同盟論を適用する余地はなかった。一方、経営者団体と一部労働勢力は階級交叉連合を形成して1980年代の福祉改革に深く関わった。そして老人保健法案に対しては総評系労働組合が反対したのに対して同盟系労働組合は経営者団体と一体となって支持した。

介護保険法の導入過程においては老人保健法制定過程で見られたような労働勢力と経営者団体との連携、即ち、階級交叉連合は形成されなかった。その代わり、市民団体と自治労の積極的なコミットが働いた労働勢力との連携が目立つ。さらに自社さ連立などから窺えるように保守政党と革新政党との連携も介護保険制度導入に寄与したと言えるだろう。保守政党である自民党が包括政党の色合いが強く、大企業の利益のみならず中小企業や農民などの利益も代弁してきたことがあり、その保守政党と革新政党との連携の性格は曖昧な面がある。そして労働者の利益を代弁していた社民党、民主党と、農民などの利益を代弁していた保守党(自民党)との連携は赤と緑の同盟を思わせる。それを階級同盟であると言い切るのは困難だとしても介護保険制度が「高齢低所得型保険」側に配慮し、部分的一元化が図られた政策であることは間違いない。さらに介護保険制度導入過程においては階級交叉連合がはっきりと否定されたことを考えると、一元化改革は階級交叉連合が形成されなかった時に成功する可能性が高いと推測できる。

韓国の事例の考察にあたってもやはり階級同盟論や階級交叉連合論を参考にしたが、韓国の場合には保守政権によって労働運動が早くから抑圧、排除される中、右派労働勢力の活動のみ限定的に保障されてきた時期に関してはそれらの理論の適用は到底考えられなかった。ところが1980年後半に民主化が成し遂げられ、進歩的な労働運動も保障され始めたことによって状況が変わっていった。進歩的労働勢力と農民勢力は各々全国組織を創設し、相互に連携して運動を展開する様子も見られた。そしてこのような連携が医療保険制度一元化過程において重要な役割を果たすことになる。

韓国の医療保険制度改正過程においては、市民団体が進歩的労働勢力と農民勢力との連携を仲介した。このような市民団体の活動は、もしかしたら北欧で福祉国家化初期に労働勢力と農民勢力の同盟を引き出した社会民主党の役割とも比肩されるかもしれない。このように韓国においては(一部の)赤と緑の同盟を仲介する政党組織が存在しかったため、代わりに市民団体がその機能を担ったが、これは階級同盟の成立の新しい形を示すものである。

ところが、そのような韓国的とも言える階級同盟はその後の老人長期療養保険制度導入過程においては限界も見せた。即ち、市民団体は老人長期療養保険制度導入にそれほど利害を持っていなかった農民勢力を運動に積極的に参加させることができず、独自の利害を持っていた進歩的労働勢力も連携運動に十分動員することもできなかった。

このような観察を通じて本稿は、少なくとも日韓の事例のおいては赤緑連合のような階級同盟や階級交叉連合は時によって揺れ動いたことが明らかになった。そして日韓の事例からは「階級同盟論」は普遍主義的政策を生む傾向があり、「階級交叉連合」は組合主義的政策を生む傾向があることが窺える。しかし、普遍主義的政策と言ってもイギリスの年金制度が普遍主義的政策でありながらその給付水準が低かったゆえに実際には普遍性が薄まった事例もあり、韓国の医療保険制度の普遍主義的性格もそれに近いと考えられる。それは韓国の階級同盟が十分でなかったからである。即ち、階級同盟に労働組織の半分しか参加しなかったこと、労働政党と農民政党が未発達だったことなどがその背景にあると考えられる。

以上のように本稿は欧米から開発された分析道具を使って日韓の事例を分析したものである。それは東アジア特殊の要因を持ち出して分析をしてみたところで比較研究にはなれず、一般化は目指せないと考えたからである。西欧の理論を東アジア(他の地域においても)に適用することには最初から限界があるかもしれないが、理論がぴたりと当てはまることまでは求めず、なぜ、どのような部分に当てはまらないのかを解明しながら、その経験から既存理論の普遍性を問い直し、さらなる理論化に向かうしかないだろう。

本稿は高齢化と老人医療費との関連を明らかにし、それを一つの基準として採用し、高齢化が医療保険制度において持つ意味を探ることができた。また高齢化と併せて所得という基準を持ち出して医療保険制度の財政基盤の脆弱を区別し、制度の類型を分類し、制度改革の対立軸を明らかにした。それによって日韓両国の医療保険制度改革をめぐる政治が一層理解しやすくなった。そして本稿の分析の結果からは、日韓においても医療保険制度の財政調整(老人保健法)や一元化のような根本的な制度改革が実現するためには対立軸の主要メンバー間の連携、協力が必要条件であることが明らかになった。これにより東アジアの中で少なくとも日本と韓国の福祉国家研究が東アジア特殊論を退け、福祉国家一般論の観点から捉える可能性の提示ができたと考える。

<財政基盤による医療保険制度類型>

< 分析枠組み >

審査要旨 要旨を表示する

本論文「高齢化と福祉政治の日韓比較―医療保険制度改革と介護保険制度導入の政治過程―」は、日本と韓国の福祉政策をめぐる政治を、高齢化と保険制度間格差という共通の背景的要因に着目しながら、医療保険制度改革と介護保険制度導入を事例として分析したものである。本来、日本と韓国は、産業化と民主化のタイミングが異なることから、特に民主主義制度や福祉国家という観点から直接比較することは難しいと考えられていた。一方で、東アジアの国々と、歴史的文化的要因を共有しない欧米の国々とを比較することにも様々な問題が存在するとされていた。本論は、このような、民主化と産業化のタイミングが異なる国の比較及び異なる歴史文化的背景を持つ国の比較といった比較政治研究の重要課題に、事例研究によって正面から取り組んだ労作である。

序章は、まず、ともに高齢化が政策課題となっている日本と韓国が、高齢化のスピード、人口構成比の変化などにおける類似性にもかかわらず、医療保険制度改革と介護保険制度導入において互いに異なる選択をしたことを指摘する。そして、東アジア国家を対象とした比較福祉国家研究の動向を整理した上で、既存の日韓比較福祉国家研究の成果と限界を指摘している。その上で、日本と韓国の医療保険制度改革と介護保険制度導入を分析するための枠組を提示する。すなわち、マレスやボールドウィンなどの議論を参照しつつ、医療保険組合を高齢化率と所得を基準にして四つの類型に分類し、日本と韓国の福祉政治の対立軸の特徴を描き出している。

こうした枠組に基づき、第1章では、日本の医療保険制度改革過程が分析される。まず、1960年代以後の、政管健保の財政赤字問題の解決を目的とした制度間の財政調整案が退けられる過程、その代案として提示された、老齢者のみを対象にして財政調整を行おうとする案(老齢保険案)が廃案となる過程、そのような流れとは異なる経路を辿り、老人医療費無料化案が登場して制度化される過程を叙述している。その上で、高齢者医療費に限定して医療保険制度間の財政調整を行った1982年の老人保健法の制定過程を詳細に考察している。そこでは、60年代と70年代には健康保険連合会などの反対により導入できなかった制度間の財政調整制度がどのようにして導入されたかが焦点となっている。また、80年代初頭から政府と自民党が大企業経営者側の支持を得て推進した行政改革と、その過程で大企業経営者側と労働勢力の一部の間に形成された連携が重要であることが示されている。

第2章は、韓国の医療保険制度改革過程を扱っている。政府内部でどのように医療保険制度導入が議題化されたか、保健社会部官僚はその実現のために如何なる戦略を駆使したかに焦点を当てつつ、医療保険制度導入において大企業経営者団体が大きく関わったことを明らかにしている。財政赤字組合問題に対応するために制度間財政調整が行われる過程なども考察されている。また、1980年から2003年までの期間における韓国の医療保険制度一元化改革過程を分析し、1980年代後半の民主化以後の労働運動、農民運動、市民運動の急成長とそれらの連携が重要であることを指摘している。

第3章は、日本で介護保険制度が導入される過程を分析している。老人保健法制定や、老人医療費に対する100%財政調整などの医療保険制度の改革結果が介護保険制度導入に如何なる影響を与えたのかが焦点となっている。そして、連立政権の下で法案成立のため動いた官僚、労働運動、市民運動、法案に反発した市町村、経営者団体などの間で繰り広げられた政治過程が分析されている。この改革では、老人保健法制定過程で見られたような労働勢力と経営者団体の連携の代わりに、市民団体と自治労を中心とする労働勢力の連携が目立った。この相違が、介護保険制度導入においては、老人保健法の場合と異なり、高齢低所得保険に配慮した部分的一元化が行われたことを説明すると考えられる。

第4章では、韓国で老人長期療養保険制度が導入される過程を分析している。医療保険制度改革過程においては、市民団体を仲介として労働運動と農民運動の連携が形成され、制度一元化を積極的に支持し、制度一元化が行われたのに対して、老人長期療養保険制度をめぐる政治は大きく異なるものとなった。老人長期療養保険制度導入過程においては、制度一元化はすでに改革の前提となり、焦点は国庫負担の割合や地方自治体の役割となっていた。これは、韓国においては、組合主義を支持する階級交叉連合が意味をもたなくなったことを示している一方、労働者と農民の同盟も政治勢力として定着しなかったことを示している。

以上の事例研究に基づいて、終章では、本論文の研究成果と課題を提示している。財政基盤の制度間格差を解消するための政治における主要な対立軸は「低齢高所得型保険」側と「高齢低所得型保険」側の対立であることを示した上で、労働勢力や経営者団体といった主要なアクターが形成する関係について、欧米の福祉国家研究において指摘されてきた階級同盟論と階級交叉連合論が日韓両国にいかに適用されるかという観点から考察している。それに加えて、政党政治の状況や政治体制の変動のような個別のコンテキストを加味する必要性も指摘した。

戦後日本では、階級同盟論が想定する労働者と農民との同盟が形成されなかっただけでなく、むしろ保守党が農民を支持勢力化したことから、階級同盟論を適用する余地がないと考えられてきた。一方、経営者団体と一部労働勢力が階級交叉連合を形成してきたことは部分的に観察される。すなわち、老人保健法成立以前の医療保険制度改革において、労働勢力は総評系・同盟系共に経営側と協力して保険制度間の財政調整などに反対してきたが、老人保健法については総評系労働組合が反対したのに対して、同盟系労働組合は経営者団体と連携し支持した。介護保険制度導入においては、同盟系の主導で統一された労働組合は経営者団体と対立的関係にまわった。日本でこのように階級交叉連合が流動的なものであった理由は政党政治にあると考えられる。日本では農民勢力を支持勢力とした政党は自民党という保守政党であり、さらにその自民党は経営者団体を仲介して一部の労働勢力とも協力関係にあった。とはいえ、自民党は労働勢力を代表する政党ではなく、その上、労働勢力が一様ではなかったため、自民党と労働勢力との関係、あるいは経営者団体と労働勢力との関係は不安定であった。1980年代末になり、同盟系労働勢力と総評系労働勢力は統合されたが、それによって同盟系労働勢力と経営者団体の間に形成されてきた連携はかえって弱まる結果となった。

韓国の場合には、保守政権によって労働運動が抑圧され、右派労働勢力の活動のみ限定的に保障されてきた時期に関しては、階級同盟論や階級交叉連合論の適用は考えられなかった。ところが、民主化が成し遂げられ、進歩的労働運動も観察され始めた1980年後半頃から、進歩的労働勢力と農民勢力が、各々全国組織を創設し、市民団体を仲介として相互に連携して運動を展開する過程が見られるようになった。既存の保守的労働勢力と経営者団体の連携に対抗するこのような連携が、医療保険制度一元化過程においては重要な役割を果たしたのである。しかしながら、老人長期医療保険制度導入では、農民勢力は積極的に参加せず、独自の利害を持っていた進歩的労働勢力も十分に動員されなかった。階級同盟に労働組織の半分しか参加しなかったこと、労働勢力や農民勢力を支持母体とする政党が未発達だったことなどがその背景にあると考えられる。このような韓国においては赤(労働勢力)と緑(農民勢力)の同盟を仲介する政党組織が存在しなかったため、代わりに市民団体がその機能を担った。このような市民団体の活動は、北欧で福祉国家化初期に労働勢力と農民勢力の同盟を引き出した社会民主党の役割とも対応すると考えることができる。しかし韓国の市民団体が政党ではない以上、その影響力が社会的運動を通して発揮されるもの以上になることは困難であった。それ故に老人長期療養保険制度導入過程では限界を表したのである。

本稿の貢献は、以上のとおり、赤緑連合のような階級同盟論や階級交叉連合論の限界の指摘から、さらに一歩進めて、日韓の事例比較をする中で、階級内部の分裂や政党政治の態様に特徴づけられる福祉制度改革の政治を明らかにしたことである。具体的には、国例かを老人医療費と関係づけ、高齢化と併せて所得という基準を導入して医療保険組合の財政基盤の脆弱性を区別し、制度改革の対立軸の相違を明確にすることを出発点として、両国の制度改革の帰趨を説明したのである。

このように、本稿は、日韓の福祉政治の事例研究として意義を持つばかりでなく、欧米福祉国家を特徴づける理論枠組の限界を指摘しつつ、新しい福祉国家の分析視角を提示したものである。しかしながら、本論文にも問題点はある。第一に、階級同盟論と階級交叉連合論といった欧米福祉国家の事例を基に発達した枠組を批判的に吸収しつつも、日韓の事例を超えて自己の理論的枠組を一般化するにあたっては、いまだ不十分な点が残っている。その批判的検討が、事例と緊密に結びついているため、日韓両国の二事例を詳細に理解しない限り、本稿の貢献や主張が分かりにくい点が多々見られる。第二に、日韓を同じ分析枠組で比較しているが、高度経済成長期が終焉する直前に福祉国家化を進めた日本と、全く異なる国内・国際政治経済環境で福祉国家化を進めた韓国との相違が、韓国の民主化や高齢化のタイミングのずれに収斂して表れており、著者の示す枠組だけで二国間の相違を説明できるかという点も疑問が残る。しかし、これらの問題は、本論が比較政治研究上の重要課題に正面から取り組んだことの表れでもある。日韓の福祉政策を比較する際に、「アジア型福祉国家」という根拠の薄い特殊性要因に逃げ込むのではなく、あえて欧米福祉国家論から出発して、高齢化・保険組合間格差といった日韓社会保険制度に関わる共通要因に注目しつつ比較を行うという独自のアプローチを取り、福祉政治分析の新たな枠組を提示した。しかも、この理論的な挑戦は詳細な日韓事例研究に支えられている。したがって、本審査委員会は、博士(学術)の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

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