学位論文要旨



No 126312
著者(漢字) 井上,誠
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,マコト
標題(和) アジアモンスーン域における成層圏対流圏結合
標題(洋) Stratosphere-troposphere coupling over the Asian monsoon region
報告番号 126312
報告番号 甲26312
学位授与日 2010.06.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第614号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 准教授 今須,良一
 東京大学 教授 中島,映至
 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 教授 高薮,縁
内容要旨 要旨を表示する

アジアモンスーン域における成層圏対流圏結合についての研究を行った。ここで成層圏対流圏結合とは、成層圏と対流圏が連動した関係性を持つことと定義する。本論文は、「夏季アジアモンスーンの強化に伴う下部成層圏大気の変動」と「成層圏準2年振動(QBO)と秋季アジア域における対流圏循環との関係」の2部で構成されている。

まず、アジアモンスーンと下部成層圏との関係を調べた。対象とする期間は1980~2004年の夏季(6~8月)とし、降水量についてはCMAPを、その他の大気の各物理量にはNCEP/NCAR再解析データを使用した。Webster and Yang (1992)のモンスーンインデックスによりモンスーンの強い年を6年抽出し、さまざまな物理量のコンポジット解析を行ってモンスーン強化年における大気循環場の特徴を調べた。

その結果、モンスーンの強い年には日本、イラン付近2 か所の下部成層圏に相当する100hPaで有意な高圧偏差が現れることを見出した。渦度収支解析によると、日本上空の高圧偏差には伸縮項と水平移流項の両方が関係し、イラン付近の高圧偏差は水平移流項に大きく依存することが明らかになった。このことから、東アジア域では傾圧性が重要であり、中央アジアでは順圧的な効果が支配的であることが示唆される。モンスーンの強化に伴う降水量分布を調べると、フィリピンとインドを中心とする地域で多雨偏差となり、逆に日本付近では少降水の傾向になることが分かった。

さらに、Takaya and Nakamura (2001)による波活動度フラックスと擾乱の全エネルギーの時間発展方程式を用いて、東アジアと中央アジアの波活動及びエネルギー変換を見積もった。東アジア域では、低緯度フィリピン近海の下部対流圏で基本場から擾乱の運動エネルギーへの変換が正、中緯度上部対流圏では傾圧性に伴う基本場から擾乱のポテンシャルエネルギーへの変換が正であった。そして、それらに矛盾しないように波活動度フラックスが熱帯下部対流圏で顕著な北向き、中緯度のモンゴル付近で上向きとなっていた。傾圧変換項をさらに細かく解析した。北に向かうほど低温になる気候場の状況で、東アジア中緯度域の対流圏から下部成層圏にかけての領域においてモンスーンの強化に伴う北向きの熱フラックスが確認され、傾圧擾乱が卓越しやすい場であることが分かった。一方、中央アジアの中緯度域対流圏界面付近では傾圧エネルギー変換よりも順圧エネルギー変換の方が支配的である。アラル海付近はアジアジェットの入り口に相当し、それに付随して基本場南北流の東西勾配が負、基本場東西流の南北勾配が負を示す。そのような気候場のもと、モンスーンに伴う順圧擾乱が重なることにより運動エネルギーが維持されやすい場となっており、それが中央アジア上空の高圧偏差の形成に関わっていると考えられる。波活動に着目すると、中緯度での上向きフラックスは上部対流圏付近で東アジアと同様に認められるものの、インドの多降水域において対流強化と関連した明瞭なフラックスは認められない。このような東アジアと中央アジアの違いを明らかにするために定常ロスビー波の伝播特性を調べると、フィリピン付近から日本にかけての地域では定常波の伝播に好都合な場となっていることが示された。それに対して、中央アジアでは定常波が伝播しにくい状況であり、上空の高圧偏差はインドの多雨域とはそれほど関係していないようである。

以上の結果から、東アジアの下部成層圏に形成される高圧偏差はフィリピン付近の水平風分布と関係した波動とモンゴル付近の傾圧的な効果の両方と関係付けられることが示された。それに対してイラン上空の高圧偏差は、アラル海付近の内部力学過程の影響を強く受けて維持されていると考えられる。このように、モンスーンの強化によって下部成層圏に作られる2つの高圧偏差の形成プロセスは異なっていることを明らかにした。

後半では、成層圏QBOに伴う北半球、特に秋季アジア域の対流圏循環の変動を調べた。北半球冬季において、QBO が東風(西風)のときに極夜ジェットが弱化(強化) する傾向にあることが知られており、Holton-Tan 振動と呼ばれている。本研究では、このようなQBOに伴う顕著な循環パターンを秋季にまで遡って季節発展的に解析し、その形成維持メカニズムを明らかにすることを目的とする。

まず、1980年3月から2005年2月の25年を対象期間とし、季節別にQBOの位相が東風である年、西風である年に振り分けた。そして、そのコンポジット偏差を計算して有意性の検定を行うことにより、QBOと北半球大気との関係を調べた。秋季(9~11月)において地球一周帯状平均した東西風の分布を調べてみると、QBO が東風のときに対流圏から成層圏にかけての高緯度で東風偏差(Holton-Tan 振動に対応)、中緯度で西風偏差、低緯度で東風偏差になることが確認された。東西風偏差の形成プロセスを調べるために変形オイラー平均(TEM) 方程式の各項を見積もると、秋季、冬季ともに大気波動が風速偏差の形成に重要な役割を果たしていることが示唆された。半月という短いタイムステップで時間発展的に解析を行うと、Holton-Tan 振動が秋季の10月頃に現れ始めて北進しながら顕在化していき、冬季に最盛期を迎えることが明らかになった。また、QBOと循環場のラグ相関解析により、QBOを先行させると循環場に有意な応答が現れやすいことも確かめられた。また、子午面循環に着目すると、QBO が東風のときにQBO がみられる高度30~70hPaの低中緯度域で有意な南風偏差、そして20°~35°Nの下部成層圏から中部対流圏にかけての領域で顕著な下降流偏差となっていた。

次に、アジア域における循環場の特徴に着目する。まず200hPaの東西風分布は、QBO が東風のときに高緯度ユーラシア域で東風偏差、中国北部や日本を含む中緯度で有意な西風偏差、台湾を中心とする低緯度で東風偏差を示しており、地球一周の帯状平均場と対応した3 極構造になっていた。渦度場や温度場にも、顕著な偏差が現れていた。北半球全体の分布から、このようなQBOのシグナルは特にアジア域において顕著であることが示唆された。さらに、局所的な子午面循環について解析した。QBOの位相が東風のとき、アジア域の低緯度下部成層圏において顕著な南風偏差、下降流偏差となり、これらの有意なシグナルはインド付近の対流圏にまで伸びた構造を持つことが確かめられた。熱収支解析により、QBO が東風のときにインド付近の対流圏で下降流による断熱加熱の傾向となり、それとバランスする非断熱冷却偏差となっていた。温度と東西風の偏差分布をみると、温度風の関係が満たされていた。また運動量収支の解析により、アジア域の東西風偏差の維持には大気波動も大きく関わっていることが示唆された。さらにエネルギー収支を見積もると、QBO が東風のときにインドを中心とする亜熱帯域で降水活動の弱化が認められ、対流圏全層でエネルギーのシンクになっているこの地域の南側で定常波のクリティカルラインが存在し、北からの波活動度フラックスが顕著な収束偏差となっていた。中緯度域ではフラックスの発散傾向が明瞭であり、このような状況がアジア域に有意な循環偏差をもたらしている可能性が示唆された。

最後に、アジア域と北半球の他地域との比較解析を行った。その結果、秋季のアジア域は熱帯成層圏から中緯度対流圏にかけてつながったようなQBO シグナルが現れやすい地域であることを確認した。成層圏QBOは、アジア域の子午面循環や波活動を介して、対流圏中緯度の循環と関係しうることが示唆された。さらに、そのようなアジア域の循環と波活動の局所的特徴は、グローバルな構造にも部分的に反映されているようである。

このように、本論文ではアジアモンスーン域において成層圏と対流圏の力学的リンクが存在する可能性を提示した。

審査要旨 要旨を表示する

近年、成層圏オゾンホールと関連して、成層圏と対流圏の結びつきや成層圏の気候への影響が話題となっている。冬季の成層圏対流圏結合に関しては、全球スケールの惑星波動が鉛直に伝播し興味ある現象を引き起こすことで多くの研究がある。本研究は、夏季や秋季における、領域的スケールのアジア域での成層圏と対流圏の結びつきを研究している。この論文の特徴は、様々な解析をおこなうことにより結合の実体解明がなされたことである。

論文は、5つの章からなっている。第1章は、これまでの研究と問題の背景が述べられている。第2章は用いたデータや解析手法が述べられている。第3章では、アジア域の夏季モンスーンと下部成層圏との関係を調べている。モンスーンが強化された年を抽出し、さまざまな物理量のコンポジット解析を行いモンスーン強化に伴う成層圏の応答を調べている。

モンスーンの強い年には日本、イラン付近2 か所の下部成層圏に相当する100hPaで有意な高圧偏差が現れることを見出した。東アジア域では、低緯度フィリピン近海の下部対流圏で偏差への運動エネルギー変換が、中緯度上部対流圏では傾圧性による偏差へのポテンシャルエネルギー変換が正のセンスにあり、高圧偏差が維持されている。一方、中央アジアの中緯度域対流圏界面付近では順圧的エネルギー変換の方が支配的である。アラル海付近はアジアジェットの入り口に相当し、そのような気候場の特徴的な構造にモンスーン強化に伴う偏差が重なることにより、中央アジア上空の高圧偏差の維持に関わっていると考えられる。このように、モンスーンの強化によって下部成層圏に作られる2つの高圧偏差の形成プロセスが異なっていることを明らかにしている。

第4章では、成層圏準2年振動(QBO)に伴う北半球、特に秋季アジア域の対流圏循環の変動を調べている。北半球冬季において、QBO が東風(西風)のときに極夜ジェットが弱化(強化) する傾向があることが知られている。本研究では、このようなQBOに伴う顕著な循環パターンを秋季にまで遡って季節発展的に解析し、その維持メカニズムを明らかにしようとした。秋季(9~11月)において地球一周帯状平均した東西風の分布を調べてみると、QBO が東風のときに対流圏から成層圏にかけての高緯度で東風偏差、中緯度で西風偏差、低緯度で東風偏差になることを確認している。半月という短いタイムステップで時間発展的に解析を行うと、この構造が秋季の10月頃に現れ始めて北進しながら顕在化していき、冬季に最盛期を迎えることを明らかにした。

アジア域における循環場の特徴として、200hPaの東西風分布は、QBOが東風のときに高緯度ユーラシア域で東風偏差、中国北部や日本を含む中緯度で有意な西風偏差、台湾を中心とする低緯度で東風偏差を示しており、地球一周の帯状平均場と対応した3 極構造になっていた。局所的な子午面循環については、QBOの位相が東風のとき、アジア域の低緯度下部成層圏において顕著な南風偏差、下降流偏差となり、これらの有意なシグナルはインド付近の対流圏にまで伸びた構造を持つことを確かめている。運動量収支の解析により、アジア域の東西風偏差の維持には大気波動が大きく関わっていることが示唆されている。熱的バランスとして、QBO が東風のときにインド付近の対流圏で下降流による断熱加熱のセンスとなり、それとバランスする非断熱冷却偏差となっていた。また、この地域の南側で、北からの波活動度フラックスが顕著な収束偏差となっていた。このような状況がアジア域に有意な循環偏差をもたらしている可能性が示唆された。最後に、アジア域と北半球の他地域との比較解析を行い、秋季のアジア域は熱帯成層圏から中緯度対流圏にかけてつながったようなQBO シグナルが現れやすい地域であることを確認している。第5章は全体のまとめである。

論文提出者は、モンスーンの強い年に日本、イラン付近2 か所の下部成層圏に有意な高圧偏差が現れることを見出し、詳細に解析することで形成の要因が異なることを示した。様々な物理量のバランス解析をおこない、成層圏準2年振動のアジア域対流圏への影響を詳細に調べ、アジアモンスーン域において成層圏と対流圏の力学的リンクが存在する可能性を提示したのは本研究が初めてである。このことにより、力学的リンクのさらなる理解が進み、気候の予測精度を上げることにつながる。これらの研究は、アジア域での対流圏成層圏の結合という新しい側面を開拓したものであり、独創性が高く優れた研究と評価できる。

なお、本研究の成果の一部は高橋正明との共著論文として印刷済みであるが、論文提出者が主体となって問題の設定、データ解析をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、論文提出者に博士(環境学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50459