学位論文要旨



No 126313
著者(漢字) 坂梨,夏代
著者(英字)
著者(カナ) サカナシ,ナツヨ
標題(和) 北東アジアにおける細石刃石器群の研究 : アムール川中流域セレムジャ遺跡群ウスチ・ウリマ遺跡の再検討
標題(洋)
報告番号 126313
報告番号 甲26313
学位授与日 2010.06.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第615号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,宏之
 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 教授 鬼頭,秀一
 東京大学 准教授 清水,亮
 東京大学 准教授 清家,剛
内容要旨 要旨を表示する

シベリアの旧石器時代の研究は、世界の考古学者にとって注目されている問題のひとつである。旧大陸から新大陸への現生人類の移動に際して、その移動ルートは、現在チベット・ヒマラヤ経由のいわゆる南方ルートとアルタイ、南ロシア経由の北方ルートが考えられている。後者はシベリアという寒冷地を通過して、新大陸へ移動した点において、熱帯地域で誕生した人類が北方地域にどのように適応していき、特に後期旧石器時代の最寒冷期をいかに乗り越えていったかという問題も含まれる。

日本列島にはサハリン、沖縄、朝鮮半島からの移動が考えられ、特に後期旧石器時代に日本列島でみられる細石刃石器群の期限を考える上で、その発生地のひとつとしてバイカル湖周辺が指摘されている(佐藤 2008)。このバイカル湖周辺で発生したと考える細石刃石器群が、どのように日本列島に移動してきたのか、その中間地点であるアムール川中流域のセレムジャ遺跡群の意義は非常に重要である。セレムジャ遺跡群の中で、唯一年代値が与えられているウスチ・ウリマ遺跡を検討することは、人類の移動や北方適応がいつ、どのようにおこなわれ、細石刃石器群が日本列島にはいってくる過程でどのような変化があったのか知ることができる非常に重要な意義を持つ。

シベリアにおける旧石器研究は主に三つの段階に分かれる。最初の段階は1870年代~1920年代にあたり、文明以前のより古い時代に属する遺跡や遺物に関心がよせられた時代である。このような状況の中で初めて更新世に属すると考えられるキャンプサイトが発見され、人類に関するさまざまな仮説が提案されたことが特徴としてあげられる。

第二段階は、1920年代末から1960年代初めにあたり、シベリアに分布する旧石器文化の系統性の追求に向けられた。その開始にはマリタ―ブレチコンプレックスの発見が重要な位置を占めている。

第三段階は1960年代初めに開始され、前期旧石器時代コンプレックスの発見と旧石器文化の編年体系の整備に力が注がれた。

このような旧石器研究の発展の中で細石刃文化研究は始まり、旧石器文化の系統性や旧石器時代編年案の構築の中で、細石刃石器群についての細分化や細石刃石器群の系統と拡散に関する議論が注目され始める。特に1937年アラスカ大学のキャンパス遺跡での細石刃核の発見は旧大陸と新大陸における人類の歴史を結び付ける重要な資料となり(Nelson 1937)、これらがモンゴルのみならず、シベリアにおいても存在していることを指摘されると、シベリアにおける細石刃石器群は新大陸への人類集団の移住を示す資料となった。

シベリアのクサビ形細石刃核の分布は、大きくアンガラ川流域以東とエニセイ川以西という地域的様相がみられる。シベリア西部(エニセイ川以西)地域の細石刃核は多様なバリエーションを持っており、シベリア東部(アンガラ川流域以東)地域にみられる細石刃核の製作過程は北東アジアの広い地域で共通性がみられる。(加藤 2003)。

東シベリアは調査実態に隔たりがあるものの、比較的遺跡が集中して分布している地域である。出土する細石刃核は木村氏のいう技法Aや技法Cの製作工程とから作られた削片系細石刃核が顕著に見られ、共通して比較的幅広の木葉形両面体をブランクとしている傾向が強くみとめられる。一方ヤクーツク周辺では、アルダン川流域(ジュクタイ洞窟、ウスチ・ミリ遺跡、イヒネ遺跡等)にMochanov, Y.A.が新大陸への移住集団の母体になったという仮説を提唱しているジュクタイ文化がある。その年代の古さから、細石刃文化の発生源のように扱われたが、寒冷地における凍土地質作用による層位移動や年代測定試料の再堆積の可能性といった地質学的な問題点、性格のよくわからないわずかな資料での文化を規定することの希薄さ、そしてそれらを裏付ける確固たる年代測定があいまいであることなどから賛同を得ていない。シベリアにおける14C年代測定値をそのまま信頼するのは、北方地域特有の凍上現象により難しさが残るが、近年Kuzminがおこなった各地域の14C年代測定値の蓄積は、クサビ形細石刃核の出現した年代にある程度のまとまった傾向を示す結果を得ている(Kuzmin 2007 佐藤 2008)。それによるとアルタイの年代が最も古く30kaを超える例が見られ、バイカル湖に向かうにつれて年代的傾斜がおこっている。シベリア南部や中国北部の広範囲に20ka以前の年代値があることからも、20ka頃にはこれらの地域を中心に、クサビ形細石刃石器群が確立していた可能性が高く(佐藤 2008)、このクサビ形細石刃核も、削片系の細石刃核が多数を占めている。

佐藤宏之氏は、シベリアの細石刃石器群がその初現からさまざまな細石刃製作技術を保有していた可能性について言及している(佐藤2008)。東シベリア、特に細石刃石器群の中でも古く捉えられているバイカル湖周辺における初期細石刃石器群の型式には、北方地域に広く分布する削片系細石刃核と非削片系細石刃核が同時に存在していることが確認されており、シベリアにおいて遺跡から出土する細石刃核は初現から多様な組み合わせをもって共存しているという指摘をしている(佐藤2008)。

本論では後期旧石器時代における大陸から日本列島への文化・集団の移動の問題を明らかにするために、石器群の比較検討が可能となる資料体となりうるウスチ・ウリマ遺跡の石器群の再検討をおこなった。

ウスチ・ウリマ遺跡は極東で唯一の14C年代(19360±65B.P.(SOAN-2019))が出ており、木葉形尖頭器とクサビ形細石刃核が出土している細石刃石器群である。4つの文化層編年に分けられ10.5~2.5万前までの年代が与えられている。

ウスチ・ウリマ遺跡で報告された結論には議論しなければならない問題点が多々存在し、当初の結論と違う見解が得られた。

少なくとも細石刃核のなかに、報告書に書かれている下層から上層にかけての"技術の発達"は見られず、どの文化層からも、素材や打面形成の方法が同じように作られた細石刃核が出土している。素材は両面調整が多く、スポール剥離による打面形成をおこなっており、これらの特徴をもった細石刃核が、本遺跡の細石刃石器群の特徴の一つであることを、改めて理解することができた。

石器のデータ分析からは、ウスチ・ウリマ遺跡の石器群の特徴として(1)細石刃核は多様な型式が存在している、(2)槍先状の両面調整体をブランクとしたいわゆる湧別技法による細石刃核が出土している、(3)(2)以外の削片系細石刃核は総じて小型で、細石刃剥離の頻度が進んでいるものが多い、(4)(2)を想定できる一次削片、二次削片が出土しているにもかかわらず、細石刃核はない(接合例は1点のみ)ということが理解できた。

また石器製作工程の主体をなすのは、両面調整石器の製作を中心とした細石刃核素材の調整から細石刃剥離に至る工程と両面調整尖頭器製作の工程であり、加えて剥片石核製作作業の工程が考えられる。両面調整体を製作する工程および剥片石核で得られた剥片などを素材として、掻器、彫器、削器などが製作されている。両面調整尖頭器と細石刃核は両者の石材比率が異なることや両面調整尖頭器はその調整痕から想定されるような剥片があまり見られず、石材も全体比率と比較しても異なった比率をしめしていることからいわゆる湧別方式で打面作成を端部まで抜けるような削片剥取でおこなう型式の細石刃核や両面調整尖頭器の搬出、搬入の可能性が想定されると考えられる。

ウスチ・ウリマ遺跡には多様な削片系細石刃核が存在している。その出土状態は佐藤氏が指摘するように、バイカル湖周辺等の初期細石刃石器群に峠下・蘭越などの北方系細石刃核の各種や幌加型等の非削片系細石刃核が同時に存在し、多様な組み合わせによって共存している状況と同様である。特に湧別方式とした両面調整体の尖頭形を母型とし、端部まで抜けるような連続した削片を剥取するタイプはバイカル湖周辺から東部に広がる特徴的な細石刃核である。ウスチ・ウリマ遺跡では、このような湧別方式とした両面調整体の尖頭形を母型とし、比較的細身で槍先状の両面調整体を使用しているものがある。細身の槍先状の両面調整体を母型とした細石刃核をもちその加工技術の中に掻器・彫器等の素材作出技術が取り込まれている特徴的な運用技術は、より長距離移動行動戦略に適した技術構造であったと考えられる(佐藤 1992)。

細石刃石器群の詳細な研究がおこなわれている北海道においては、その豊富な原産地を背景に後期旧石器時代を通じて広範囲の形質の原石材への適用性が原石材の形質に応じた選択的適用性に変化し、やがてそれが原石材の形質や分布に応じた地域的適応性へ変化していくといったような多様な適応性をもった細石刃石器群が確立されていくが(山田 2006)、システムという概念に着目すると、シベリアにおける細石刃石器群は「前期前葉の細石刃製作技術は、広い範囲の形質の原石材や素材を適用範囲に含む保守性の高い技術システム」(山田 2006)である可能性が高い。つまり特定の細石刃核製作に特定の石材を使用せず、様々な形質の原石材を利用するため、細石刃核製作は非常に流動的であると考えられる。

シベリアにおいては、さまざまな型式の細石刃核を製作する技術を持っているが、石材産地には恵まれず、そのため広い範囲の形質の石材で細石刃製作をおこなうシステムが維持される画一的な状況をもって存在し、やがてそのようなシステムを持った人類集団が日本列島、特に北海道に移動し、石材環境を背景に特化していくのではないかと考えられる。ウスチ・ウリマ遺跡の状況は、原石の大きさや質に乏しい地域であり、細石刃剥離を何度も繰り返しおこなっているような頻度が進んだ細石刃核が多い。しかしながら在地石材の中で良質な石材は、両面調整体で端部まで削片が抜けるような湧別方式で製作し、細石刃核は遺跡から搬出して利用していた状況が想定され、ある程度の原石材の形質に応じた選択的適用性があったのではないかと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、更新世末の日本列島を広く覆った大陸起源の細石刃石器群の起源地と考えられながらも、これまでほとんど科学的調査が行われてこなかったロシア極東地域にあって、ほぼ唯一と考えられる組織的な発掘調査を実施したセレムジャ遺跡群中の主要遺跡であるウスチ・ウリマ遺跡出土資料を、今日的な視点と方法に基づいて再分析した結果、従来明らかにされていなかった同遺跡の石器製作技術構造を具体的に解明した、独創的かつ貴重な研究である。

本論文は、9章から構成されているが、第I章「はじめに」と第IX章「おわりに」を除く7つの章が主要部分となる。第II章研究史および第III章では、シベリアにおける旧石器時代研究の歴史をその最初から記述し、本研究の研究史上の位置づけを確認した後に、その意味について述べられている。これまでの諸説では、縄文文化の大陸起源説が支配的であり、更新世末の日本列島に大陸から伝播し展開した細石刃石器群をその候補とみなす見解が有力であった。しかしながら、従来起源地にもっとも近いロシア極東地域の細石刃石器群の調査・報告例はきわめて少なく、代表的な遺物だけが報告されていた程度であった。そのため、本研究では、まずは出土資料の全体像を、現代考古学の問題構制に適合可能な形で報告し分析を加えることが目指されている。

第IV章と第V章では、ウスチ・ウリマ遺跡出土資料に関する具体的な記載と再分析が展開されている。まず第IV章では、既報に頼ることなく、資料全点の再実測と計測等の基礎作業に基づいた文化層の内容の整理結果が報告されている。2年間にわたる留学時の研究活動をまるまる費やしたその成果は、多数の水準の高い正確な実測図や各種の分析図表類の提示に結実しており、今後の細石刃石器群研究の進展に、きわめて大きな貢献をなしたと評価できる。そして第V章では、ウスチ・ウリマ石器群の主体をなす、細石刃・掻器・削器の個別分析に当てられている。この研究により初めて、ウスチ・ウリマ石器群の実態が明らかになったと言えよう。

結論にあたる第VI・VII章では、第V章までの分析成果に基づいて、ウスチ・ウリマ石器群の基本構造の解明が試みられている。従来大陸系細石刃石器群に両面体(尖頭器)石器群がどのように関係付けられているか不分明であったが、本論文によって、この両者がともに、ひとつの石器製作・運用構造を担っていることが明らかとなった。これはウスチ・ウリマ例にとどまらず、大陸系細石刃石器群の多くが分有する性格である可能性が高く、日本列島北部に展開する細石刃石器群の基本構造とも異なっている。とすれば、列島の細石刃石器群は、単に大陸の細石刃石器群がそのまま流入したわけではなく、伝播プロセスの過程で何らかの変容を起こしていたことを端的に示している(第VIII章)。

本論の成果によれば、従来の素朴な縄文文化大陸起源説は成立の余地はない。ただし、本論文が、ウスチ・ウリマ遺跡の実態とその分析に集中するあまり、少ないながら報告されているロシア極東の他遺跡との比較分析に手薄なこと、列島北部、特に北海道の細石刃石器群との関係性に関する評価に具体性が足りない等、不満を感じさせる部分もなくはないが、本論文の意義を損ねるほどのものではない。むしろ、論文提出者の将来の課題とすべきであろう。

従って、本委員会は、博士(環境学)の学位を授与するにふさわしいと認めるものである。

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