学位論文要旨



No 126326
著者(漢字) 森,健
著者(英字)
著者(カナ) モリ,ケン
標題(和) 腸管組織におけるautotaxin (ATX)の発現とその意義について
標題(洋)
報告番号 126326
報告番号 甲26326
学位授与日 2010.07.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3557号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬戸,泰之
 東京大学 教授 矢冨,裕
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 准教授 植木,浩二郎
 東京大学 講師 大須賀,穣
内容要旨 要旨を表示する

Autotaxin (ATX)はStracke, Liottaらによって、1990年代に同定された100kDaの糖蛋白質で、autocrine motility factor (AMF)の一つである。彼らは、高い転移能を有するヒト培養メラノーマ細胞(A-2058)の培養上清に、A-2058細胞自身の運動能を促進する活性を見出し、その分子を精製して、Autotaxinと命名した。実際、肺癌、乳癌、腎細胞癌などでは、ATXのmRNAは過剰発現しており、癌の進展に関与していると考えられていた。しかし、ATXが癌の進展に関与するその機序は不明であった。

一方、リゾホスファチジン酸(LPA)は、リン酸-グリセロール-脂肪酸というきわめて単純な構造を持つリン脂質であるが、細胞増殖、血小板凝集抑制、平滑筋収縮効果、癌の浸潤促進効果など非常に多岐にわたる薬理作用を有している。LPAの作用は、細胞表面のG蛋白質共役型受容体を介して細胞内に伝達されるが、現在までEDE ファミリーの属する、LPA1(EDE2)、LPA2(EDE4)、LPA3(EDE7)等の受容体の他、LPA4(p2y9/GPR23)やLPA5(GPR92/GPR93))が同定されている。LPAは、これらの受容体を介して様々な生理作用を誘導するとされ、血小板活性因子(PAF)やスフィンゴシン1リン酸(S1P)とともに、リゾリン脂質メディエーターの一つと認識されるようになり、癌の進展にも深く関与していることが指摘されている。

近年、血中のLPAは主に、血漿中に多量に存在するlysophosphatidylcoline (LPC)から、lysophospholipase D (lysoPLD)により変換されることが示され、さらに、ウシ胎児血清から精製されたlysoPLDがATXと同一の物質であることが証明された。この事実から、ATXの生理活性の多くの部分は、実はLPA産生を介している可能性が考えられるようになった。現在、ATXの機能に関しては詳細に解明されつつあるが、ヒトの組織におけるATXの発現や、細胞レベルでのATXの分泌に関しては十分な情報が得られていない。本研究では、消化管組織におけるATXの発現パターンを解明し、その生理作用やがんに対する影響を推定することを目的として、下記の検討を遂行した。

まず、ATXに対するモノクローナル抗体を用いて、ヒト腸管組織の連続切片を免疫組織染色したところ、腸管組織の粘膜下層の間質に、抗ATX抗体により細胞質が茶色に染色される楕円形の細胞が存在し、連続切片で比較すると、ATXで染色される細胞の多くは、抗トリプターゼ抗体で染色される肥満細胞と形態学的に類似していた。

ATXを発現する細胞は肥満細胞のサブタイプである可能性が考えられたため、FITC標識抗ATX抗体と、rhodamine標識抗トリプターゼ抗体で二重染色し、共焦点レーザー顕微鏡で観察した。ATXを発現する細胞は緑色に染色され、トリプターゼを発現する細胞は赤色に染色されたが、merged viewでは、緑色に染色されるATX陽性細胞はすべてトリプターゼ陽性を示し、黄色蛍光として検出された。一方、marged viewでもいくつかの細胞は赤色に染色された。この事実から、腸管組織においてATXを発現する細胞は、トリプターゼを発現する肥満細胞の一部の分画であることが確認された。さらに、rhodamine標識抗キマーゼ抗体を用いて同様に免疫蛍光二重染色を行った。キマーゼで赤色に染色される細胞のほとんどが、merged viewでは、黄色を呈していた。異なる20視野で観察し、トリプターゼあるいは、キマーゼを発現する細胞のうち、ATXを発現する細胞の割合をカウントすると、キマーゼを発現する細胞の92%がATXを発現しており、トリプターゼを発現する細胞の68%がATXを発現していた 。これまでの報告では、トリプターゼを発現する肥満細胞は、粘膜および粘膜下に存在し、キマーゼを発現する肥満細胞は粘膜下にのみ存在することが知られており、この結果は、腸管粘膜下の肥満細胞がATXを強く発現するということを示唆していると考えられた。実際、トリプターゼ陽性肥満細胞のうち、ATXを発現する細胞の割合を胃、大腸、小腸で、粘膜、粘膜下、筋層において、それぞれカウントすると、粘膜下層ではいずれの組織でも50%以上の肥満細胞がATXを発現していた(胃:52%、小腸:63%、大腸:56%)のに対し、粘膜層、筋層では、ATXを発現する肥満細胞の割合は低い傾向を認めた(胃:7.1%,8% 小腸:6.7%,8% 大腸:14%,4.1%)。

この事実を更に詳しく検証するために、正常胃、大腸壁に存在する肥満細胞を分離して、その分析を行った。がん患者の切除標本の正常腸管壁から、4ステップ酵素組織分離法により、約1%の肥満細胞を含む遊離細胞が約2x106個程度の細胞分画が採取された。さらにauto MACSシステムによりCD117 陽性細胞を抽出したところ、磁気的に抽出されたほとんどの細胞がアルシアンブルーで青色に染色され、肥満細胞リッチな分画を得ることに成功した。さらに、抽出した細胞をスライドグラスに散布、固定し、抗トリプターゼ抗体および、抗キマーゼ抗体による免疫組織染色を行ったところ、約82%の細胞はトリプターゼ陽性細胞であったのに対し、抗キマーゼ抗体により染色される細胞の数は17%であることが確認された。

次に、この肥満細胞リッチな分画を固定後、肥満細胞と好塩基球の特異的表面抗原(CD203c)に対する抗体 およびFITCで標識した抗ATX抗体により2重染色し、フローサイトメトリー法により解析した。70%以上の細胞が、CD203c陽性であり、CD203c陽性細胞のうち約20%が有意に細胞内にATXを発現していることを確認した。

さらに、この肥満細胞リッチな分画を用いて、トリプターゼ、キマーゼおよびATXに対する抗体を用いて、Western Blot 法による検討を行うと、CD117を用いてポジティブに抽出された細胞は、トリプターゼ、キマーゼおよびATXを発現していた。一方 ネガティブに抽出された細胞には、いずれの蛋白の発現もみられなかった。すなわち、腸管より分離したCD117陽性肥満細胞がATXを発現していることが確認された。

最後に細胞上清のATXを検討した。磁気的に抽出したCD117陽性肥満細胞を8mlのRPMIにて48時間培養した。上清液を100 μmlに濃縮し、Western Blot法を用いてATXの発現を検討した。肥満細胞リッチな分画の上清中には有意なATX蛋白質が確認されたが、CD117陰性の細胞群を用いた群では有意なATXシグナルは検出できなかった。以上より、この腸管内肥満細胞は、無刺激の状態でも一定量のATXを細胞外に分泌していることが確認された。

本研究により、ヒト腸管組織においては、粘膜下層の結合組織型肥満細胞が、ATXの主な供給細胞であり、肥満細胞から分泌されるATXにより産生されたLPAが腸管粘膜における様々な生理学的・病理組織学的現象に深く関わっている可能性が推測された。ヒト腸管の粘膜下の肥満細胞がATXを分泌するという新しい知見を出発点とし、この肥満細胞におけるATXの発現、分泌の調節メカニズムや、癌や炎症性腸疾患における臨床病理学的因子との関連性を明らかにすることによって、癌組織の近傍に浸潤する肥満細胞(tumor-associated mast cell)をターゲットとする新しい治療法が生まれる可能性があると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はautotaxin(ATX)に対するモノクローナル抗体(2A12, 4F1)を用いて、正常腸管組織におけるATXの発現を免疫組織染色、蛍光免疫2重染色、フローサイトメトリー法、ウェスタンブロット法を用いて、蛋白質のレベルで解析されており、以下の結果を得ている。

1.ATXに対するモノクローナル抗体(2A12)を用いて、ヒト腸管組織の連続切片を免疫組織染色したところ、腸管組織の粘膜下層の間質に細胞室が茶色に染色される楕円形の細胞が存在し、連続切片で比較するとATXで染色される細胞の多くは、抗トリプターゼ抗体(AA1)で染色される肥満細胞と形態学的に類似していた。

2.ATXに対するモノクローナル抗体(4F1)をFITCで標識し、トリプターゼに対する抗体(AA1)およびキマーゼに対する抗体(CC1)をロダミンで標識し、免疫蛍光2重染色を行うと、ATXを発現する細胞はトリプターゼおよびキマーゼで染色される肥満細胞の分画であることが確認された。

3.ATXを発現する細胞は肥満細胞の分画であるという事実をもとに、トリプターゼ陽性肥満細胞のうち、ATXを発現する細胞の割合を胃、大腸、小腸で、粘膜、粘膜下、筋層においてそれぞれカウントすると、粘膜下層ではいずれの組織でも50%以上の肥満細胞がATXを発現していた。粘膜層、筋層ではATXを発現する肥満細胞の割合は低い傾向であった。

4.正常胃切除標本より、4ステップ酵素組織分離法およびCD117抗体を用いた、auto MACS システムにより肥満細胞を抽出した(purity: 70%以上、viability: 80%以上)。抽出した肥満細胞を免疫組織染色すると、約82%の細胞はトリプターゼ陽性細胞であった。一方キマーゼ陽性細胞は約17%であった。さらに、抽出した肥満細胞を肥満細胞の特異的表面抗原であるCD203cに対する抗体および、FITCで標識した抗ATX抗体により2重染色し、フローサイトメトリー法により解析すると、70%以上の細胞はCD203c陽性であり、CD203c陽性細胞のうち約20%が有意に細胞内にATXを発現していた。

5.正常胃切除標本より抽出した肥満細胞は、ATXを発現していることが、ウェスタンブロット法により確認された。さらに、抽出した肥満細胞を48時間培養し、その上清液のATX蛋白をウェスタンブロット法により検討すると、細胞上清にも有意なATX蛋白が確認された。

以上、本論分は正常腸管組織において、粘膜下層の結合組織型肥満細胞がATXの主な供給細胞であることが発見された。これまで、ATXの発現に関しては、mRNAのレベルでの研究は行われているが、蛋白レベルでの研究はなされていなかった。肥満細胞は、ヒスタミン、ヘパリン、TNFα、VEGFなどのメディエーターを放出することは知られているが、ATXを発現し、細部外に分泌するということは全く新しい知見である。今後、腸管組織における肥満細胞の生理学的・病理組織学的役割の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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