学位論文要旨



No 126329
著者(漢字) 山泉,実
著者(英字)
著者(カナ) ヤマイズミ,ミノル
標題(和) 節による非飽和名詞(句)のパラメータの補充
標題(洋)
報告番号 126329
報告番号 甲26329
学位授与日 2010.07.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1011号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 大堀,壽夫
 東京大学 教授 坂原,茂
 東京大学 准教授 西村,義樹
 国語研究所 所長 影山,太郎
 明海大学 教授 西山,佑司
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、現代日本語を対象として、非飽和名詞、及びそれを主要部とする名詞句(以下、非飽和名詞(句))と、非飽和名詞(句)が節によってパラメータを補充される際に特徴的な文法的現象について分析・考察したものである。

まず、非飽和名詞とは何かを、非飽和名詞「社員」と飽和名詞「会社員」を例に説明しておく。「社員」は先行文脈無しに単独で用いると「?私は社員です。」のように語用論的に不自然であり、パラメータと呼ばれる非飽和名詞(句)の意味的変数(「社員」であれば帰属する会社x)を補充して初めて「私は任天堂の社員です。」のように解釈可能となる。これは、飽和名詞「会社員」が単独で「私は会社員です。」と自然に使えることと対照をなしている。このような非飽和名詞(句)の外延を決定するための意味的変数としてのパラメータは、意味的・談話的条件によっては省略可能であるが、省略されない場合には、「任天堂の社員」のように属格名詞句だけが表すと想定されてきた。そのため、非飽和名詞は、「「Xの」というパラメータの値が定まらないかぎり、それ単独では外延(extension)を決めることができず、意味的に充足していない名詞)」と、非飽和名詞を提唱した西山 (2003: 33)によって定義された。

以下、論文の章立てに従って、その概要を述べる。

1章「序論」では、研究の対象・目的・理論的立場・論文の構成を述べた。

対象は前述の通り、現代日本語の非飽和名詞(句)と、それが節によってパラメータを補充される際に特徴的な文法的現象である。

研究の第一の目的は、非飽和名詞(句)のパラメータの補充が節によっても行われることを示すことである。同時に、その際に見られる様々な興味深い文法的な振る舞い(統語現象と文解釈の特異性)が、非飽和性を考慮に入れることで、適切に理解できることも明らかにした。非飽和名詞は、英語などにある不可算名詞と同様に名詞の下位類を構成するものであるから、本研究は新たな名詞の下位類をその振る舞いについての知見と共に言語理論に付け加えることになる。研究の第二の目的は、記述した現象に対する説明である。何故ある条件下では本論文で示したような非飽和名詞(句)の解釈がとられるのか、そしてある構造に解釈上の制約があるのか、という点に対して説明を試みた。説明に用いたのは、主にLambrecht 1994の情報構造理論である。研究の第三の目的は、説明に用いた Lambrecht 流の情報構造理論を発展させることである。現象を説明する際に、この理論では不充分であったり、事実と食い違っているとわかった点を修正した。

本研究が採用した記述理論は、記述的言語学者の間で自然発生的に成立してきた記述理論である Basic Linguistic Theory(Dixon 2010)、及び認知言語学的記述理論である構文文法(Fillmore 1988、ゴールドバーグ 2001[1995] など)である。研究対象とする現象に関してこれらの記述理論を拡充すること、と研究の第一目的は換言できる。

2章「名詞 (句)の非飽和性」では、主に語・句のレベルで非飽和性の概念を考察した。まず、非飽和名詞という概念を上の理論的定義を挙げつつ紹介した。

次に、非飽和性を反映した言語現象として、カキ料理構文(例 カキ料理は広島が本場だ。)、「XをYに、…する」構文(例 地図をたよりに、人をたずねる(村木 1983 : 267))などを紹介した。その後、通言語的に有効と思われる非飽和名詞の操作的定義・テストを複数示した。例えば、先行文脈無しに「あの人/これは~[裸名詞]ですか?」と問うこと、「ある種の[裸名詞]」という表現が不可能なものは非飽和名詞であると判断される。

この章で述べた重要なこととして次のことがある:飽和・非飽和の区別は、概念・捉え方のレベルに還元することが不可能な文法的なものである。例えば「会社員」も「社員」同様、概念的には所属先の会社が不可欠である。従って、飽和・非飽和の区別は何らかの非言語的で認知的な区別が直接反映したものではなく、言語抜きにしてはあり得ない。ある名詞が非飽和名詞かどうかは、最終的には慣習として決まっている。「嫁」 「妻」 「先妻」 「後妻」 「寡婦」 「未亡人」という語を例にとると、これらの語が適用できる女性には、いずれも(過去か現在の)夫がいるはずであるけれども、このうち、夫をパラメータとする非飽和名詞は前の2つだけで、後ろの2つは飽 和名詞であり、先行文脈無しでも「あなたは~ですか?」と問える。

そして、パラメータ補充に関する非飽和名詞の振る舞いを説明するのに役立つ分類を提示した。それは、非飽和名詞のパラメータと前景的語義(語義からパラメータを捨象して残った部分)がそれぞれモノかコトか時空間か、タイプかトークンかという観点からの交差分類である。その後、非飽和名詞の概念と類似の概念を比較し、非飽和性を他の何かに還元できるという見通しは今のところないことなどを述べた。最後に、非飽和性に関する本質的な問題を論じ、非飽和性は語彙

レベルだけの特性ではなく、句レベルでも非飽和化することがあること、構文を構成する特定のNPが非飽和性を担い得ることを主張した。

3章「節による非飽和名詞(句)の修飾の先行研究」では、本稿の主題である節による非飽和 名詞(句)のパラメータの補充と解釈できる現象についての先行研究、寺村 1992[1975-1978]、益岡 2000、Matsumoto 1997、野村 2001・Nomura 2000を検討した。そして、寺村の指摘した「外の関係の相対的補充」(例 花子が遅刻した理由)は、修飾節が主名詞のパラメータを補充しているとみなせることを主張した。その後で、寺村の相対的補充に対する益岡、Matsumoto、野村の対案は不充分であることを議論した。

4章「パラメータを補充する名詞修飾節構造」では、節が修飾する非飽和名詞のパラメータの値を表す場合を論じた。内の関係を中心に、非飽和名詞を修飾する節やその一部が、パラメータの値を表し得る(例 一朗を殺した犯人)ことを論じた。特に、パラメータ補充の関係節構造は 述定化するとパラメータの解釈が維持できなくなる(例 犯人が一朗を殺した。)ことが、非飽和名詞のパラメータがトークンの場合に多いことについて掘り下げて議論した。また、述定の場合に、非飽和名詞と同一文中のある部分が表すものがパラメータの値として解釈できるか否かに、格や語順が関与することも示した。非飽和名詞に修飾節が付いた場合に修飾節の表すことがパラメータの値と解釈されるための制約も論じた。一般的な制約として、非飽和名詞と同一文中の要素が表すものがパラメータの値として解釈されるには、その要素が焦点領域にあってはならないということを主張した。最後に、パラメータ補充の関係節は、従来の名詞修飾節の分類にはあてはまらず、寺村 1992[1975-1978]の枠組を拡張すれば、内の関係の相対的補充節とも言うべきもので、しかも制限的関係節でも非制限的関係節でもないことを示した。

5章「間接疑問と潜伏疑問が共起する構文」では、「[なぜ一朗が飲み会に来なかったのか]、理由を教えて下さい。」や「[誰が一朗を殺したのか]、犯人がわからない。」のような、間接疑問節(以下、IQ)と潜伏疑問名詞句(以下CQ)が共起している構文(以下、ICQ)を扱った。この構文の分析をした部分では、最初に論題(I)-(VI)を提示し、前章で論じた名詞修飾節構造と比較しながら構文の諸相を分析した。ICQは左方転移構文であるというのが1つの結論である。

論題(I) ICQ構文の成立条件、特に意味的要件に対しては、章全体をもって、それが完璧では ないことは承知の上、筆者の辿り着いた答えとしたが、最も重要なのは、IQもCQも変項を含 んだ命題(以下、OP)を表していて、2つのOPはほとんど同じでなければならないこと、CQのパラメータはIQ(かその一部)が表しているもので埋められなければならないことである。(II) ICQにおける IQとCQの関係は、左方転移要素とそれを受ける前方照応代名詞的要素の関 係であると主張した。(III) ICQのIQと主節の関係、及びIQの統語的ステータスは、IQは左方 転移要素であると示して明らかにした。(IV) ICQのIQとCQが表している2つのOPがほとん ど同じでなければならない理由は、2つのOPを表すIQとCQが、左方転移要素とそれを照応 する前方照応代名詞的要素の関係にあるからである。(V) ICQではほとんど同じ2つのOPが同 一文中にあるにも関わらず、「1つの叙述において同じ意味役割が2度埋められてはならない」

という基本的な意味論的適格性条件(Lambrecht 2001: 1067)に違反して不適格とならないのは なぜかという問題に対しては、ICQは実際にはその適格性条件に反していないと答えた。左方転移されたIQは続く節の外にあり、節内のCQだけが意味役割を担っているからである。(VI) ICQと名詞修飾節構文によるパラフレーズの違いは、ICQには、左方転移が持つ「話題のアナウンス」(Lambrecht 2001)という談話語用論的機能があることである。

以上の論題に答えた後、左方転移の機能を再検討した。日本語では、話題でなく焦点をアナウ ンスする左方転移も可能であるとわかったからである。

最後の6章は結論で、議論のまとめと、今後の課題である理論の精緻化と名詞修飾節構造の類 型論に向けた他言語の研究について述べた。

Dixon, Robert M. W. 2010. Basic Linguistic Theory, Vol. 1: Methodology. Oxford: Oxford University Press.Fillmore, Charles J. 1988. The mechanisms of 'Construction Grammar'. BLS 14: 35-55.Goldberg, Adele E. 1995. Constructions: A Construction Grammar Approach to Argument Structure. Chicago: The University of Chicago Press. (ゴールドバーグ, アデル・E. 2001. 河上 誓作 他 訳.『構文文法論:英語構文への認知的アプローチ』 研究社.)Lambrecht, Knud. 1994. Information Structure and Sentence Form: Topic, Focus and the Mental Representations of Discourse Referents. Cambridge: Cambridge University Press.Lambrecht, Knud. 2001. Dislocation. In Martin Haspelmath et al. (eds.), Language Typology and Language Universals: An International Handbook, Vol. II, 1050-1078. Berlin/New York: Walter de Gruyter.Matsumoto, Yoshiko. 1997. Noun-Modifying Constructions in Japanese: A Frame-Semantic Approach. Amsterdam/Philadelphia: John Benjamins.Nomura, Masuhiro. 2000. Toward a better understanding of 'relative clauses': with special reference to 'internally-headed relative clauses' (Review article of Matsumoto 1997). English Linguistics 17(1): 193-219.寺村 秀夫. 1992[1975-1978]. 連体修飾のシンタクスと意味:その1-4.『寺村秀夫論文集1 日本語文法編』pp. 157-320. くろしお出版.西山 佑司. 2003.『日本語名詞句の意味論と語用論:指示的名詞句と非指示的名詞句』ひつじ書房.野村 益寛. 2001. 相対性名詞再考:主要部内在型関係節の観点から.『日本認知言語学会論文集』1: 121-131.益岡 隆志. 2000.『日本語文法の諸相』くろしお出版.村木 新次郎. 1983.「地図をたよりに、人をたずねる」という言い方. 渡辺 実(編). 『副用語の研究』pp. 267-292. 明治書院.
審査要旨 要旨を表示する

山泉実氏の博士論文「句による非飽和名詞(句)のパラメータの補充」の審査結果について以下に報告する。

本論文の学術的意義については、以下の審査結果が得られた。

第一に、「飽和名詞」、「非飽和名詞」という意味理論において近年注目を集めている対照について、その本質を深く掘り下げ、多くの具体例によってきわめて洞察力に富んだ分析を提示している。第二に、名詞の飽和性と情報構造との関係に注目し、非飽和名詞句の解釈における語用論的制約を提示することに成功している。第三に、情報構造の理論を潜在疑問文の分析に適用し、名詞の飽和性との関連について有意義な考察を行っている。これらはいずれも創見に富み、意味理論の新たな展開を開くものである。

審査においては、特定の理論的枠組みへのより強いコミットメントが必要ではないかという指摘や、非飽和名詞のパラメータ補充は名詞修飾節ではなく変項の導入によって行われるのではないかという代替案も示され、非常に掘り下げた討議が行われた。また、一部の例文の判断や分析について批判もなされたが、これらは本論文の学術的価値をそこねるものではない。

以上、本論文は新たな観点から日本語における名詞句の意味論的・語用論的解釈について従来なされなかった貴重な観察、分析、理論化を提示した。学術的価値がきわめて高く、この分野における優れた研究成果として高く評価すべきものと判定する。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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