学位論文要旨



No 126330
著者(漢字) 野,さやか
著者(英字)
著者(カナ) タカノ,サヤカ
標題(和) ポスト・スハルト期インドネシアの法と社会 : 北スマトラ州メダン市の地方裁判所からみる国家法と慣習法の動態
標題(洋)
報告番号 126330
報告番号 甲26330
学位授与日 2010.07.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1012号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 山下,晋司
 東京大学 准教授 名和,克郎
 東京大学 准教授 渡邊,日日
 首都大学東京 准教授 石田,慎一郎
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、法人類学においてこれまで分析の中心となってきた慣習法が、国家法や司法制度と現在どのようにかかわりあっているのかについて、インドネシアの地方裁判所をおもな事例として議論するものである。

法人類学は、国家なき社会を律する慣習法研究から出発し、ローカルな紛争処理の過程の記述に注目した時期を経て、ひとつの社会に複数の法システムが併存しているという、法多元主義に立った議論を蓄積してきた。法多元主義が国家法と他の規範との共通性を強調する一方で、環境問題や知的所有権などに関わる現代型訴訟などについて人類学者は、法では解決できない現状の複雑さを指摘している。法の人類学的研究は、この二つの視点のくいちがいにどう取り組むか、という課題を抱えているのである。本論文ではこの課題に対して、慣習法について分厚い研究蓄積があるインドネシアにおいて、現在、国家法と慣習法がどのように運用され、両者がどのような関係にあるのかを明らかにすることを、問題として設定した(第1章)。

この問いに答えるためにまず、インドネシアにおける国家法(フクム)と慣習法(アダット)の概念について検討した(第2章)。インドネシア語の「フクム」は一般に、国家による制定法を典型とする、成文化された公的な規範の意味で使われる。一方「アダット」は、「慣習」と訳されるほか、「伝統」、「儀礼」、「適切なふるまい」の意味にもなる、幅広い概念である。近年では、ポスト・スハルト期における地方分権に影響を受けたアダット復興運動が注目を集めており、また司法改革をめぐる国内の議論や、国際的な法整備支援をめぐる議論では、フクムを補完するものとしてのアダットの再評価がみられる。従来の研究はこのアダットを、インドネシアの多元的な法体制の重要な柱であると理解して、その変化と継続性、およびフクムとの対立、葛藤を考察してきた。

これに対して本論文では、そうした理解がフクムおよびアダットの特定の側面を強調したものであることを指摘して、両者の関係を歴史的な流れの中で再検討することを試みた。アダットを法として位置づけたのはオランダ植民地支配期の法学者だが、アダットは以後現在に至るまで、インドネシアを民族集団に分ける役割も、そして逆に国家としてまとめる役割をも果たしてきた。アダットのこの両義的な役割をふまえて本論文では、フクムとアダットを等しく法的なものとして並置するのではなく、両者がより複雑な関係を形成しうるものとして、特にアダットの位置づけがどのようになっているのかを見直しながら、議論を進めた。

続く第3章では、調査地であるメダン市について概観し、特に植民地支配期以降の都市としてのメダンの発展を整理した。スマトラ島東岸部に位置する小さな集落だったメダンは、オランダ植民地支配期のタバコ・プランテーション開発をきっかけに、スマトラ島最大の都市に成長した。本論文でメダンを取りあげるうえでの重要な点として、メダンが多民族都市として発展してきたことがある。アダットを担う単位としては、インドネシア国内に200以上存在するという民族集団が想定されるが、ジャワやバリにおける状況と異なり、メダンにおいては、どの民族集団のアダットも優勢であるとはいいがたい。このため、メダンにおいては、これがメダンのアダットである、と呼べるものがなく、メダンにおけるアダットは、地域の固有性としてアダットを復興する運動や、司法政策におけるアダットの再評価のなかで期待されているようなアダットのありかたと適合しないのである。

以上に基づいて、第4章以降では、メダンにおけるフクムとアダットの関係を明らかにすることをめざした。まず第4章では、メダン地方裁判所に対象を設定して、そこでどのように裁判が展開しているのかについて論じた。地方裁判所は、法人類学の観点からは、「裁判所」という日常から隔絶された特殊な空間として、また法整備支援の観点からは、中央からの統制が行きとどかない「地方」の裁判所としてとらえられる。このようなみかたに対して第4章では、メダン地方裁判所の空間配置や、日常的な業務の様子について説明し、裁判所が周囲の社会と地続きである側面について検討した。そのうえでこの章では、ある刑事訴訟の過程を記述した。ここでは、夫婦間のいさかいという、アダットを持ちだしてもおかしくない内容であるにもかかわらず、当事者も判事も積極的にアダットを援用しようとはせず、あくまでもフクムによる解決をめざしていた。フクムとはいっても、周辺的状況、つまり日常的な感覚に基づく価値判断も、判事にとっては重要なものであり、周辺状況の考慮という手続きはフクムのなかに取りこまれている。裁判の過程で名指されるアダットの領域は限定的なものになっており、したがってメダン地方裁判所においては、フクムとアダットがぶつかりあう、という図式は成立していないのである。

つぎに第5章では、司法制度のありかたをめぐる国際的な議論が、メダン地方裁判所にどのようなかたちで現れているのかを通じて、フクムとアダットのかかわりを別の側面から考察した。具体的には、民事訴訟法の概念であるADR(Alternative Dispute Resolution、裁判外紛争処理)を取りあげた。ADRとは、民事紛争を解決するための、裁判官による判決以外の手法、たとえば調停、仲裁、交渉などを総称する用語で、特に1990年以降その重要性が議論されるようになり、アメリカ合衆国を中心に世界へと広がっている。インドネシアにおいては司法制度改革の一環として、紛争の効率的な処理のために導入されたが、ADRについての司法政策は、国家法を補完するものとしての慣習法、すなわちアダットの役割を大きなものと位置づけている。この章では、この制度がメダン地方裁判所において、効率的な紛争処理の実現という当初の趣旨とは異なる展開をしていることが明らかになった。つまり、統計上の和解・調停の成立件数に目立った増加はないが、当事者にとって判決以外の選択肢がないわけではなく、訴訟提起後も交渉は継続している。裁判というプロセスにはアダットは介在しないが、裁判官や事務員などとのやりとりによって情報を共有しながら進むものであって、判決だけでなく、取り下げや放置という手段も、紛争の収束に一定の意義を持っているのである。ここでもやはり、フクムとアダットを並置するような枠組みが有効ではないことを示した。

そして事例部分の中心となる第6章では、取下げにも保留にもならず、最高裁まで争われた土地紛争の事例について扱った。問題となっている土地はいずれも、19世紀後半にタバコ農園として開発されたもので、独立前後の混乱期を経て、インドネシア政府が1960年土地基本法によって国有化した。住民と政府、および政府が土地の利用を認めたプランテーション会社のあいだには継続的な緊張関係があり、住民は敷地内への集団移住やデモなどによって土地についての権利を主張してきた。しかし近年、プランテーション用地をめぐる紛争は法廷に場所を移しており、土地紛争の過程においては、土地に対する争点の移動が観察できた。

東スマトラの土地問題は、フクムによってたつ政府および国営農園会社と、民族集団ムラユのアダットを旗印にした先住民団体の対立という、インドネシア各地で起きている「アダット復興」の事例のようにもみえる。しかし、問題の経過を詳しく検討すると、争点は住民団体「待つ民の会」が軸にしてきた「アダットの土地」から、植民地期にプランテーション会社と、当時のデリ王国のスルタンは契約を結んだ土地としての「スルタン租借地」へと変化している。メダンにおけるアダットは第3章で述べたように、はっきりとした像を結ぶものではなく、表面的にはアダットをよりどころとする主張も内部に対立を内包しており、フクムの枠組みに依拠しているのである。

本論文が繰り返し取りあげたのは、インドネシアにおいて、フクムとアダットを並置する枠組みがさまざまな場面で登場すること、そしてそれぞれの場面において、フクムとアダットが異なるかたちで発現していることである。このような事例をとらえるには、国家法をある種の仮想敵として、あるいは国家法をかっこにいれたかたちで行われる紛争処理過程研究には、限界があるのではないだろうか。国家法の一部を慣習法に対立するものとして描くことと、フィールドの現実に追いつけない法制度を批判するアプローチに共通しているのは、ある堅固さを備えた国家法と、共有されている慣習法を前提に議論を始めることだろう。しかし、国家法と慣習法という領域は、あらかじめ存在していて、そのあいだに境界線が引けるわけではない。また複数の境界線も、何が争点となっているかに応じて絶えず引きなおされる。こうした状況においては、国家法と慣習法が規範として同等であるのか否かという法多元主義の論点よりも、むしろ国家法と慣習法の手続きや、どちらかを援用することがもたらす効果における差異こそが、重要なものとして現れてくるのである。

この視点に立つと、いままでの法人類学が、法をめぐる問題において国家法と慣習法を領域としてとらえ、両者がひとつの境界線をはさんで争っているように議論してきたといえるのではないだろうか。本論文の法人類学の蓄積に対する貢献は、この「不断に引きなおされる境界線」という視点にたつことで、法が社会の中でどのように生み出され、運用され、また利用されているのか、についての研究を前進させたことにある。

審査要旨 要旨を表示する

高野さやか氏の論文、『ポスト・スハルト期インドネシアの法と社会 ―北スマトラ州メダン市の地方裁判所からみる国家法と慣習法の動態―』の目的は、インドネシア社会の法人類学的研究において、これまで中心的なテーマとなってきた慣習法、アダットが、現在、国家法や司法制度と、相互的に、どのようにかかわりあっているのかについて、同国スマトラ島のメダン市における地方裁判所と、そこでの訴訟を主たる事例として考察するものである。

本論文のデータは、インドネシア共和国、北スマトラ州メダン市およびその近郊における、2004年8月から2006年7月と、2008年2月に行われた、裁判所を中心とする現地調査から得られた。

本論文は、全7章の本文と、写真資料、参照文献表から成る。第1章では、国家法と慣習法の関係を明らかにし、問題を設定した。第2章では、インドネシアにおけるフクムとアダットの概念について検討した。「フクム」は国家による制定法、成文化された公的な規範を意味する。一方「アダット」は、「慣習」、「儀礼」から「適切なふるまい」の意味も持つ、幅広い概念である。近年では、ポスト・スハルト期におけるアダット復興運動と、司法改革におけるアダットの再評価が注目されている。従来の研究はこのアダットをフクムとの対立、葛藤において考察してきたが、そうした理解がフクムおよびアダットの特定の側面を強調しすぎたものであることを指摘する。第3章では、メダン市を概観し、メダンが多民族都市であることについて述べる。アダットを担う単位は、民族集団であるが、メダンには優勢な民族集団がないため、これがメダンのアダットである、と呼べるものがなく、インドネシアの他の地域とは異なる状況にある。

第4章では、メダン地方裁判所に対象を設定する。論者は、裁判所の空間配置や、日常的な業務の様子について生き生きと記述することで、裁判所が周囲の社会と隔絶されてはいない、地続きである様相を明らかにした。また、夫婦間のいさかいといった訴訟においても、当事者や判事は積極的にアダットを援用しようとはせず、あくまでもフクム、国家法による解決をめざしていることを論述した。つまり、アダットの領域が限定的なものになっている一方、周辺的状況や日常的な感覚に基づく価値判断がフクムのなかに取りこまれているのだ。第5章では、インドネシアにおけるADR(Alternative Dispute Resolution、裁判外紛争処理)が紛争の効率的な処理のために導入されたことが取り上げられる。そこではアダットの役割が、国家法を補完する、大きなものと位置づけられている。しかし、メダンでは、ADRの導入がうたわれても、統計上の和解・調停の成立件数に目立った増加はない。むしろ、裁判というプロセスの中に、裁判官や事務員などとのやりとりによって情報を共有しながら進む状況や、判決だけでなく取り下げや放置という手段も、紛争の収束に一定の意義を持っているという、「裁判外」の紛争処理といってもよいものが見られる。ここでも、フクムとアダットを並置するような枠組みは必ずしも有効ではない。

第6章では、土地紛争の事例が扱われている。問題となっている土地は、19世紀後半にタバコ農園として開発され、インドネシア政府が1960年の土地基本法によって国有化し、プランテーション会社が土地の利用を認められた。住民はタバコ農園時代以来の土地の用益権を主張し、敷地内への集団移住やデモなどによって土地についての権利を主張してきた。しかし近年、住民団体は「アダットの土地」としての権利主張から離れ、その土地はスルタンが植民地期にプランテーション会社に「フクム」に基づいて契約を結んで貸したものだ、という「スルタン租借地」運動との共闘を始めている。この事例は、フクムに拠って立つ政府および国営農園会社と、アダットに基盤を持つ先住民団体の対立という、インドネシア各地で起きている「アダット復興」とは異なるものである。第7章では、本論文の内容をまとめ、結論づける。

上記の内容を持つ本論文は、以下の三点において、文化人類学に対する貢献が顕著である。第一に、国家制度の調査という困難な作業を遂行し、地方裁判所に勤務する、あるいは地方裁判所を利用する人々の日常についての民族誌的記述を通じて、ポスト・スハルト期における法のありかたと、その変化の萌芽を微視的にとらえた。第二に、これまでインドネシアにおいて、固有の法規範として研究が積み重ねられてきた「アダット」の現在を、従来のように国家を単位とする法制度との対立に注目するのではなく、実定法と相互に参照しあうことによってその多様な現れが生成するプロセスを明らかにした。第三に、いくつかの紛争事例における、実定法やアダットをふくむ複数の価値基準の発現とその収束を描き出し、インドネシアという特定の事例を扱いながらも、生活の中で起きるさまざまな解決困難な問題に対して、法がどのように現れるか、という、より一般的な問題を考察した。

むろん、本論文にも問題点はある。審査委員からは、この分野の重要文献が必ずしも網羅的に取り扱われていないこと、ポスト・スハルト時代における激しい社会変容という背景が、事例解釈の中で十分に関連づけて検討されていないこと、などが指摘された。

しかしながら、こうした点は、本論文の本来の価値をそこなうものではなく、本論文は文化人類学の研究に対して重要な貢献をなしていると判断された。したがって、本審査委員会は、全員一致で、本論文提出者は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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