学位論文要旨



No 126334
著者(漢字) 五野井,郁夫
著者(英字)
著者(カナ) ゴノイ,イクオ
標題(和) 世界政治と規範変容 : 重債務貧困国の債務救済における国際規範形成をめぐって
標題(洋)
報告番号 126334
報告番号 甲26334
学位授与日 2010.07.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1016号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山脇,直司
 東京大学 教授 森,政稔
 東京大学 教授 遠藤,貢
 成蹊大学 教授 遠藤,誠治
 駒澤大学 講師 山崎,望
 大阪経済法科大学 特任教授 武者小路,公秀
内容要旨 要旨を表示する

序論

本論文の目的とは,近年の国際規範形成にさいしての国境を越えて連携した人々らの参加と,影響力行使の手法について,貧困国重債務救済キャンペーンの事例分析から理論化を試み,世界政治における規範変容の動態を明らかにすることである.(約12000字―註含む、以下同)

第1章 グローバル市民社会:その概念と役割

本論文はまず第1章で分析の出発点をグローバル市民社会にもとめ,その定義と冷戦後の位置づけの変化についての類型化を行った上で,アドボカシー・キャンペーンを行うさいのグローバル市民社会をめぐる政治的機会構造の特徴を明らかにする.そして政治的機会を利用したグローバル市民社会の世界政治における影響力行使の手法を分類し,グローバル市民社会論の新たな視座を提供する.(約34000字)

第2章 グローバル市民社会と国際規範形成の理論

第2章では,世界政治においてアリーナにおけるグローバル市民社会による国際規範形成の理論を検討する.まず規範をめぐる国際関係理論の先行研究を概観したうえで,国際関係論における社会構成主義アプローチを採用して説明をおこなう.規範形成の方法としてアドボカシー・ネットワークの役割につき,既存の規範に対して新たな規範を打ち立てることで「規範の競合」が生じることを重視したい.これまでの規範のライフサイクル論では注目されてこなかった法典化なき非条約合意と既存の合意形成を阻止する規範に注目することで,グローバル市民社会の働きかけのもとに行われた,各国政府による「(1)条約合意規範形成」と「(2)非条約合意規範形成」,「(3)合意阻止規範形成」という国際的規範形成の理論にかんする3類型を提示し,国際規範形成の理論に刷新を試みる.(約48000字)

第3章 重債務貧困国の重債務問題をめぐる先進諸国らの取り組み

第3章では,まずこれまでの重債務貧困国の重債務問題と債務救済をめぐる歴史的側面と国際経済学の理論における先行研究の側面から概観し,各先進諸国政府間ならびに国際機関による取り組みの側面から同問題を明らかにする.とくになかでも重債務貧困国(Heavily Indebted Poor Countries:HIPCs)の債務問題の解決には,先進諸国のサミット外交にくわえてパリ・クラブ,世銀,IMFのような国際金融機関が様々な交渉や政策決定のアクターとして取り組んでおり,債権国らがそれに応じることで国際規範形成と規範変容が可能になった経緯を論じる.とくに1989年のトロント・タームから1999年のODA債権の帳消しに合意したケルン・タームまでの重債務削減に向けたテクニカルな交渉の歩みも含めサミット外交とパリ・クラブの政治過程を中心に検討する.(約37000字)

Intermezzo 軽い主権

Intermezzoでは,債務救済の結果,債務救済を受けた国々が引き受けた代償ついて,「軽い主権(sovereignty lite)」という新たな概念を提示する.(約7000字)

第4章 重債務救済キャンペーンの展開:ジュビリー2000を事例にして

第4章では,重債務問題をめぐる債務国の主張と要求を先進諸国に対して代弁したのがグローバル市民社会諸力によるとの視座のもと,グローバル市民社会による国際規範形成としてトランスナショナルなアドボカシー・ネットワークの事例である貧困国の重債務救済キャンペーンたるジュビリー2000(Jubilee2000)のキャンペーンを,政治的機会や社会構成主義の理論と史的展開との往復から検討する.くわえて,これまで国際関係論では先行研究の乏しかったカトリック教会のApostolic Lettersや同キャンペーンにかかわった枢機卿や大司教らへのインタビューとアーティストらの世界政治への参与も取り上げることで,ジュビリー2000の活動とサミットでの合意について,非条約合意規範形成の理論的文脈のなかで包括的な説明を行う.さらに国際協調の場である首脳会合において各国主導者らが主導権争いで卓越を求めるといった,サミット内でのパワー追求の力学の側面も,現実の「規範のカスケイド」による国際規範の普及に手伝っているとの理解を提起した.同時期にはG7各国政府や世銀・IMFが,これまでの重債務救済を掲げてきたジュビリー2000がアドボカシーで頻繁に使用していた標語"faster, deeper, and broader debt relief"を使用するようになったが,この使用こそがグローバル市民社会により提示された規範を各国政府が学習し,グローバル市民社会の規範を内面化したことの現われと見なしうる点も提示する.これらからグローバル市民社会がアドボカシーを通じて「規範の競合」を引き起こすことにより言説として「途上国重債務=経済問題」から「重債務救済=人道規範」という認識の変化を人々に浸透させ,それを受容した市民らのアクションを促すことで規範をグローバルなアリーナまで迅速に押し上げ,国際協調が可能となった経緯を明らかにする.(約52000字)

第5章 近年の世界政治における運動とその主体

第5章では,まずグローバル市民社会諸力の正当性について,ジュビリー2000の「南」のキャンペーンが1999年にはジュビリー・サウスとして離脱したことから,「南」と「北」の人々における当事者性と声にかんする「二重の僭称」が生じている点を熟議民主主義における利害当事者(stake holder)概念とF. ジェイムソンの「包摂の戦略」,I. ヤングの「内的排除」の説明から論じ,ある地勢と位置性にとって適格とされないものの主張を予め封殺する機能を有するという規範の内在的批判も行う.グローバル市民社会諸力が自称していた動員の実体については,近年のグローバル公共圏において普通の人々が日常感じている正義感をもとにして形成されているグローバル・ジャスティス運動というポスト・デモクラシー下での社会運動による規範形成の動きとして「消滅する媒介」概念から見てゆくことで,新たな連帯のかたちを検討するとともに,合意阻止規範形成をグローバル・ジャスティス運動と結びつけることで最貧国の重債務救済の事例に当てはめ,非条約合意規範形成としての説明の側面にくわえて,グローバル・ジャスティス運動と世界政治における規範変容の紐帯について,新たな知見を提示する.

さらに新しい社会運動における近年のフェス的なレパートリーという既存の社会運動論からすればたんに前近代的と見なされがちな動員の要素を,既存の規範のコードに挑戦することで既存の規範に対して「規範の競合」を引き起こす極めて重要な概念として捉え直す.そのさい,一時的自律空間(TAZ)の性質を帯びた「フェス公共圏(festival public sphere)」の生成を発見し,その基底をなしている規範変容的文化(transnormative culture)によって,過去の社会運動のレパートリーをリミックスし再興させる側面を見出すことが可能であるという,社会運動論に再配置をもたらす新たな視座も提供し,近年のグローバル・ジャスティス運動自体が,規範変容的文化によって牽引されているものであることも示す.(約50000字)

第6章 グローバル・ジャスティス運動の展開と規範形成

第6章では,重債務救済キャンペーンにおける人々の動員について,各国政府やNGOを中心としたグローバル市民社会だけではなく,さほど組織化されておらず既存の研究ではまだ捉えきれていない普通の人々からなるグローバル・ジャスティス運動に光を当てることで,グローバル市民社会による単なる宗教運動や政治運動という側面のみならず,規範変容的文化を基調とした日常性(everyday life)からなる文化運動が,実際の重債務救済キャンペーンにおける動員を支えていたことを明らかにする.規範変容的文化は,大きな物語によって従属される立場とされていた人々の歴史経験たる「剥奪された情況」の反映であるがゆえに,誰でも気軽に参加可能な文化として世界中に広まるきっかけとなり,文字通り民族や国家,人種の壁をも軽々と越えて行き現在に至っている.

また,規範変容的文化を基底とした新たなレパートリーや要素が新しい社会運動に入っていったこと,それらのアクションを行うさい動員をかける側が脱中心化を指向して「消滅する媒介」を動員の仕組みとして採用したことが,現在のグローバル・ジャスティス運動の形成に寄与している点について,その源泉を1968年五月革命とパラレルであった1960年代後半のサマー・オブ・ラブ(Summer of Love)の差延である1980年代後半のセカンド・サマー・オブ・ラブ(Second Summer of Love)に求め,それを分水嶺としてラブ・パレードやリクレイム・ザ・ストリートから派生したグローバル化するストリート・パーティ,たとえばバーミンガム,ケルンでのサミットにあわせて世界同時多発で行われた「グローバル・ストリート・パーティ(Global Street Party)」,そして,シアトルの反WTO闘争とそれ以降の出来事に有機的な連続性を見出すという視座を,近年の政治理論と文化研究の成果,そしてWTO History Projectやインタビュー調査等の一次史料をもとに提示する.(約33000字)

結論と展望

結論と展望ではグローバル市民社会による非条約合意規範形成の成果にくわえて,類縁集団ベースで「フェス公共圏」を指向し非暴力を掲げる直接民主主義のネットワーキングが新たな解放のロジックとして2010年代の現在まで継続されていることを再確認している.すなわち,類縁集団ベースで権力と資本の文法をもしたたかに活用して生成される「フェス公共圏」による規範形成とは,皆が楽しむことを目的とした非暴力でDIY的な性質を帯びたメイン・ストリームでもカウンターでもない第三項的な世界政治への参加の動態なのである.(約18000字)

審査要旨 要旨を表示する

冷戦体制における国際政治学では、世界政治を動かすアクターとして主に国家、特に米ソを両極とする覇権国家が想定されていた。しかるに1980年代以降、急速に台頭したNGOは、国連や各国政治の単なるオブザーバーから、徐々にパートナー的な位置を占めるようになり、冷戦大戦後の1990年代以降は、世界政治を動かす規範形成の重要なアクターとなるまでに至った。それとパラレルに、グローバル市民社会論やグローバルな公共圏などというテーマも、アカデミックなイシューとなり始めている。本論文は、そうした新しいイシューを十分に整理しつつ、自らが依拠する方法論を明示した上で、1990年代に進行したジュビリー2000という事例に焦点を合わせながら、国際規範形成の変容を実証的に解明し、さらに新しい社会運動の可能性を指摘した労作である。

論文は全6章から成るが、内容は、グローバル市民社会の概念と理論を論じた第1章と第2章、重債務問題を論じた第3章と第4章、世界政治の新たな規範形成のアクターとしてのグローバル・ジャスティス運動を論じた第5章と第6章、の三つに分かたれると言ってよい。それらを順に紹介していこう。

まず第1章では、主に国内政治のレベルで語られてきた市民社会がグローバルなレベルでも主題化されるようになった昨今の状況を踏まえつつ、グローバル市民社会の概念と役割が論じられる。その際に五野井氏(以下、著者と表記)が立脚するのは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス市民社会研究センターの年次報告書と、R.フォークの「非営利的な性質の個人および集団の市民的なイニシアティブによる行為領域」というグローバル市民社会の定義である。この分野ではNGO論を中心とした先行研究が1990年代以降多く存在する。しかしそこでは、NGOが世界政治にとって善となるような規範を打ち立て、それを国際規範形成として各国政府や国際機関に働きかけていくという想定が一般になされる傾向が強かった。それに対して著者は、そのようなNGO性善説に与することなく、NGOが本当に世界中の人々の利益のために活動しているのか、それとも特定の国家や企業、ネーションなどの集団のために活動しているのかという判断基準に基づいてNGOの形態や性質を捉える必要を指摘する。その上で、職能団体や労働組合、生活協同組合、地域ボランティア団体、研究機関などを含めた多様な「非営利・公益を目的とした非政府・民間団体」としてNGOを捉え、それが、リチャード・フォークが定義したグローバル市民社会において、様々な現場における活動やアドヴォカシーを通して世界政治に大きな影響を与える時代に入っている現状を、実動型NGOとアドヴォカシー型NGOに分類しながら的確に整理する。

第2章では、そうしたグローバル社会がどのように規範形成を行い世界政治に参与しているかが、論じられる。その際に著者が着目するのは、規範形成のプロセスとしての「社会的影響」と「社会的説得」である。パワーポリティックスに立脚するアングロアメリカ圏の国際政治学では、覇権国が自由主義的な国際制度を提供するという覇権安定型パラダイムが支配的であり、倫理を力の関数とみなす観点とあいまって、GATTやIMF、世銀などによる国際規範形成論に偏りがちであった。そのような視座に対し著者は、NGO、個人、活動家、さまざまなネットワーク、専門知識や特殊技能を有する個人や団体から成る知識共同体などが規範企業家となって社会的影響を与えるという視座を対峙させる。前者がリアリズムと呼ばれるのに対して、それはコンストラクティヴィズムと呼びうる視座であり、さらにその規範を社会的説得によって内面化するための方法として、ハーバーマスが展開した熟議民主主義論の有効性が指摘される。すなわち、ハーバーマスが民主主義的な熟議の条件として挙げたところの、知識の真理性、規範の正しさ、主観的誠実が、国際社会での社会的説得においても、規範企業家や知識共同体が提供する知識や事実の整合性、新たな規範の提唱者の主張が既存の規範や社会通念とどのように整合性がとれるかの確認、アクターの熟議における発言の誠実さという形で重要な役割を担うとみなされるのである。そしてさらに著者は、M.フィネモアとK.シキンクの「規範のライフサイクル」をも援用する。それは、「規範企業家(norm entrepreneur)」による「規範発生」段階から、規範の競合によって注目されたある規範に一定の支持が発生すると、ある時点を境にして堰を切ったように各国政府による規範への支持が増大し、社会的影響のもと世論とその時々のトレンドに迎合するかたちで規範が急速に広まり認知されていく「規範のカスケイド」段階、規範が実際に政策化される「規範の内面化」段階の三つの過程である。そうした視座や方法を援用しつつ、著者はこの章の末尾で、グローバル市民社会による国際規範形成を、条約規範形成、非条約規範形成、合意阻止規範形成の3類型に分類する。

このような論考に続く第3章は、大きな歴史的事例として、重債務貧困国の問題をめぐる先進諸国らの取り組みが考察される。国際的に大きな債務問題は、中南米などの中所得国とサブサハラアフリカの最貧国とに大別されるが、著者が主要な対象とするのは後者の債務問題である。実際に当初は、中南米の債務問題は国際経済問題の一環としてしばしば深刻に取り上げられたのに比べ、サブサハラアフリカ諸国の債務問題が国際的に重視されることはあまりなかった。しかし1980年代以降、アフリカの貧困救済のためのアーティストらのチャリティやメディアの問題喚起にともなう国際世論の盛り上がりから、債務問題が道義的・倫理的な問題として捉えられるようになった。しかし、二国間公的債務の返済負担軽減のための債務編成を協議し合う非公式の会合であるパリ・クラブが債務救済に乗り出したものの、当時のG7諸国や世銀・IMFは消極的であり、その態度が一変するのは1999年開催のケルン・サミット以降である。そこでG7諸国は史上初めてODA債権の100%放棄を決定したが、その際に重債務諸国の主張と要求を代弁したのは、グローバル市民社会の諸力であり、その影響力行使の方法は、非条約的合意形成に基づくものであったことを著者は強調する。

第4章では、そうしたグローバル市民社会の諸力の中でもカトリック教会が率先して行ったジュビリー2000が事例として論じられる。英国キール大学教授のマーティン・デントのキャンペーンに単を発したジュビリー2000は、銀行とパリ・クラブを中心とした債権国と国際機関に対して現状変革を呼び掛けた1986年のカトリック教皇庁の「正義と平和評議会」の声明によって急速に国際世論の関心を呼び起こした。これを受けて1990年に全アフリカ・キリスト教会協議が、「キリスト生誕2000年という聖年にアフリカ貧困国の重債務を帳消しにしよう」という声明を発し、さらに1994年のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が「最貧国の対外債務の帳消し」を声明することによって、この運動は大きな広がりをみせる。それは1998年のバーミンガム・サミットの際に約8万人も参加した「人間の鎖」をはじめ、グローバル市民社会による各国政府への説得や討議によって、各国政府がこの問題の重要性を認識し、規範を内面化することにより、1999年のケルン・サミット以降、規範意識が堰を切ったように広まる。それはまさに「規範のカスケイド」現象と呼びうる現象であり、最初は冷淡であった非キリスト教国の日本政府でさえ、ODA債務の100%帳消しの実施について、市民社会と協議してゆくことを公言するに至ったのである。著者は、こうした一連の出来事を、国際社会の協調にグローバル市民社会が大きく寄与した歴史的事例とみなすが、それを単に大きな成功例として見るだけでなく、そのプロセスの中で、ジュビリー・サウスの分離など深刻な問題も生じたことを指摘し、それを次の第5章のテーマに据える。

かくして著者は第5章で、グローバル市民社会を代表する人々は重債務に苦しむ人々の声を僭称していないだろうか、という問いを立てながら、ジュビリー2000のキャンペーンが掲げてきた主張とその動員の仕方に関わる問題を論じていく。その際まず再検討されるのは、グローバル市民社会の世界政治へ参与する「正当性(legitimacy)」の基盤となる熟議民主主義である。上述したハーバーマス流の熟議民主主義は、利他的な人々が腹蔵なく議論し合って合意形成をめざす公共圏の存在を前提としているとすれば、「グローバル公共 圏」での熟議は、自己の帰属国や地域中心の規範を考えないことを前提にしなければならないはずである。しかしそうした理想とは裏腹に、グローバル公共圏が特定の層によって占有されている現状を、著者は問題視する。実際に、ジュビリー2000のキャンペーンでは、現在まで続くさまざまな形の植民地支配に言及した「南」の市民社会による主張が「北」のキャンペーン推進者らによって退けられ、キャンペーンが南北に分裂し、それ以降、「南」のラジカルな声が引き継がれることがなかった。そうした問題を乗り越えるために、著者は北のNGOベースではないグローバル・ジャスティス運動の動向に注目する。その動向とは、NGOの錦の御旗のもとに集合するのではなく、自発的に集まった場で正義(ジャスティス)を主張し、お祭り騒ぎ(フェスタ)をした後にさっと消えていなくなるような「消滅型媒介」型の社会運動の台頭である。NGOベースではないこの運動の多くは、第2章の末尾で挙げた三番目の「合意阻止規範形成」型の運動であり、それが規範変容文化をもたらすことによって、NGOエリートたちによるグローバル公共圏の占有を阻止しうると著者はみなす。

こうした観点の下、最終章(第6章)では、ベルリン発祥のラブ・パレードがベルリンからロンドンのリクレイム・ザ・ストリート運動へと広がり、特定の指導者のいない自発的運動として、1998年のバーミンガム・サミットや1999年のケルン・サミットでの運動や1999年11月のシアトルでのWTO開催反対運動へと繋がっていたことが指摘され、それらがNGOの動員ではなく、頗る自発的社会運動であったことが強調される。しかし多くのマスメディアはその実態を捉え損ない、暴徒や無政府主義者の烙印を押していた点を、著者は指摘する。著者によれば、それは「非暴力的な直接行動」をめざした運動だったのであり、いわばフェス公共圏(festival public sphere)と呼びうるような公共圏を創出する運動であった。今後のグローバル市民社会は、NGO主導の運動のみならず、そうした新たな運動と公共圏の創出によって、その行方が大きく左右されるであろうと著者は結論づける。

以上のような本論文は、次のような点で高い評価に値しよう。まず第一に、単なる抽象的理論にとどまらず、最貧国債務帳消し運動という具体的事例に即して、多くの資料やインタビューを基に、グローバル市民社会の実態とその規範形成過程を、これまでの研究では十分明らかではなかった領域にまで分け入って詳細に解明したこと。第二に、こうした検討においてこれまで分断されることが多かった国際政治をめぐる規範理論と実証研究をブリッジするような独創的な視座を切り開いたこと。そして第三に、債務帳消し運動を単なる成功例として総括するのではなく、その過程に内在していた特定の組織や人々による「市民の声の僭称」という問題をも取り上げて論じ、それを乗り越える検討の必要性を啓くような道を示唆したこと、を挙げることができる。

とはいえ、本論文には次のような疑問も残る。それは最後の箇所で論じられた「消滅型媒介」の運動による「合意阻止規範形成」が、著者が考えるようにグローバル市民社会で真に実効性をもちうるかどうかという疑問、制度化されないことで運動が持続的意義を持ちえるかどうかという疑問である。これに関しては特に、グローバル金融資本に対抗するためには、もっと規律を持った運動が必要ではないかという点が審査員から指摘された。

しかしこの疑問は、本論文の価値を貶めるものではない。本論文で展開されたオリジナルな論考は、本大学大学院総合文化研究科の博士(学術)の学位を授与するに十分ふさわしいと、六名の審査員全員が一致して判断した次第である。

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