学位論文要旨



No 126335
著者(漢字) 角木,基彦
著者(英字)
著者(カナ) カドキ,モトヒコ
標題(和) マウスモデルを用いたHIV-1複製機構の解析
標題(洋) The mechanism of HIV-1 replication in primary mouse cells of HIV-1 transgenic mice
報告番号 126335
報告番号 甲26335
学位授与日 2010.07.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5572号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 教授 坂野,仁
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 俣野,哲朗
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

エイズはHIV-1の感染により引き起こされる,後天性の免疫不全症であり,感染後約10年間の潜伏期間を経た後に発症する。HIV-1はT細胞およびマクロファージ(Mo)に感染後,自身のゲノムを宿主細胞内に組込むことで潜伏状態を維持する。近年,複数の抗HIV薬を併用するHAARTの導入により,エイズの発症率および死亡率は激減した。しかし,HAARTではHIV-1の潜伏感染細胞を除くことはできないため,感染者は生涯にわたり服薬を続ける必要がある。ゆえに,ワクチンをはじめとした,潜伏感染細胞を標的とした新たな治療法の開発が望まれている。抗HIV薬やワクチン開発の前臨床試験のみならず,個体レベルでのエイズ発症機構を解析するための重要なツールとして,有用な動物モデルが求められている。申請者の研究室で作製されたHIV-1ゲノム導入マウス(HIV-Tg)は,細菌成分により潜伏HIV-1が再活性化されるHIV-1潜伏感染の動物モデルである。本研究では,HIV-1潜伏感染の分子機構を明らかにすることで,新規抗HIV-1薬の開発に資するべく,HIV-Tgを用いて,Moにおける潜伏HIV-1再活性化機構を明らかにすることを目的とした。また,よりヒトに近いHIV-1複製効率をマウスにおいて実現すべく,HIV-Tgで観察されたHIV-1 mRNA転写後における障害を克服するようなマウスモデルの作製を試み,HIV-1複製効率に及ぼす影響を解析した。

1.細菌感染に伴う潜伏HIV-1再活性化機構の解析

【背景と目的】

細菌感染は,エイズ発症の促進因子であり,潜伏期にT細胞やMoに潜むHIV-1の再活性化を誘導する。またエイズ発症後の主な死因は,日和見菌の感染によるものである。従って,エイズの発症予防,治療には,細菌感染に伴うHIV-1再活性化機構の解明が急務である。申請者の研究室で作製されたHIV-Tgは,HIV-1潜伏感染のモデル動物であり,リンパ球においては,LPSにより誘導されたTNFやIL-1依存的にHIV-1再活性化が起こることが知られていた。しかし,他の細胞の関与およびその分子機構の詳細は不明であった。HIV-1による細胞傷害を受けず,細胞寿命が長いことから,Moは主要なHIV-1潜伏感染細胞となっている。そこで本研究では,Moの潜伏感染細胞としての機能に着目し,細菌感染に伴うHIV-1再活性化におけるMoの関与を明らかにすべく,HIV-TgのMoにおけるHIV-1再活性化機構の解明を試みた。

【実験方法】

HIV-Tgから調製したチオグリコレート誘導腹腔Moおよび脾臓細胞をLPSで刺激し,HIV-1 mRNAの発現をリアルタイムPCRにより定量した。また,HIV-1タンパク質をWestern blotおよびELISAにより検出した。HIV-1再活性化における,TNF産生の寄与を明らかにすべく,抗TNF中和抗体で処理したMoにおけるLPS刺激時のHIV-1 mRNA発現をリアルタイムPCRにより評価した。TLR4の下流では,アダプター分子であるMyD88およびTRIFを介してMAPK群およびNF-κBが活性化されることで,炎症性サイトカインなどの種々の遺伝子発現を制御することが知られている。そこでHIV-1再活性化におけるこれらシグナル分子の関与を明らかにすべく,p38 MAPK, ERK, JNK, NF-κBそれぞれに対する阻害剤,Myd88およびTrifに対するsiRNAまたはMyD88欠損マウスおよびTRIF経路特異的阻害剤を用いて,LPS刺激時のHIV-1 mRNA発現をリアルタイムPCRで定量した。

【結果と考察】

HIV-Tg由来Moでは,脾臓細胞と同様にLPS濃度依存的にHIV-1再活性化が起こり,またHIV-1タンパク質への翻訳が見られることを見いだした。しかし,Moでは脾臓細胞よりも早期にHIV-1 mRNAの発現がピークに達したことから,脾臓細胞とは発現制御機構が異なることが示唆された。実際,脾臓細胞ではTNF阻害により,LPSによるHIV-1再活性化が有意に抑制されたが,Moでは抑制されず,IL-1の産生は見られなかった。このことから,MoにおけるHIV-1再活性化はTNFやIL-1産生に依存せず,TLR4を介した直接シグナルが重要であることが示唆された。p38 MAPKおよびNF-κB経路の阻害はHIV-1再活性化を有意に抑制したが,ERKおよびJNK経路の阻害は影響を及ぼさなかった。また,MyD88経路の阻害ではHIV-1再活性化が有意に抑制されたが,TRIF経路の阻害では影響が見られなかった。これらの結果から,申請者は,MoにおけるLPS刺激に伴うHIV-1再活性化は,TRIF経路よりもむしろMyD88経路に依存しており,その下流ではp38 MAPKおよびNF-κBの活性化が必須であることを明らかにした。以上より,Moにおける細菌感染時のHIV-1再活性化メカニズムが明らかとなり,エイズ治療の新たな標的分子が同定された。同時に,HIV-1再活性化時のHIV-1タンパク質産生を詳細に解析したところ,MoではHIV-1 Gagタンパク質の産生効率が低いことが明らかとなった。このことから,in vivoにおける効率的なウイルス複製を実現するには,HIV-1 mRNAの転写後においてさらなる改良が必要であることが示唆された。

2.HIV-1感受性マウス作製の試みと解析

【背景と目的】

マウスは遺伝的背景および環境要因を一致させやすく,発生工学的手法を用いることで遺伝子レベルでの詳細な解析が可能であり,モデル動物として適している。しかし,マウス細胞では,ヒト細胞と比べてウイルス複製の種々の過程で効率が低下している。申請者の研究室で作製されたHIV-TgはHIV-1ゲノムが宿主ゲノムに組込まれているため,転写以降の過程の解析が可能である。前章における解析から,HIV-TgのMoでは,HIV-1 mRNAの転写は観察されるが,Gagタンパク質の産生効率が低いことが明らかとなり,HIV-1 mRNA転写後の過程における種間障壁が示唆された。HIV-1のmRNAは,一次転写産物から複数のスプライスバリアントに変換され,それぞれがコードするタンパク質は効率的なウイルス産生に必須である。ヒトCRM1は一次転写産物がスプライシングを受ける前にunspliced HIV-1 mRNAを核外に輸送し,ウイルス産生を促進する宿主因子である。本研究では,マウスCRM1によるunspliced mRNAの核外輸送能がヒトCRM1と比較して低いことが,HIV-TgにおいてGag産生効率が低い原因であると仮定し,ヒトCRM1トランスジェニックマウス(hCRM1 Tg)を作製することで,よりヒトに近いHIV-1複製効率を示すマウスモデルの作製を試みた。

【実験方法】

LPS刺激によりHIV-1を再活性化させたHIV-Tgと,HIV-1を感染させたヒトT細胞株MT4からRNAを精製し,Northern blotによりHIV-1 mRNAのスプライスバリアントの組成を比較した。C3H/HeN由来のマウス受精卵にヒトCRM1発現ベクターをマイクロインジェクションし,hCRM1 Tgを作製した。導入遺伝子のゲノムへの挿入は,Southern blotにより確認した。導入遺伝子の発現をNorthern blotにより解析し,発現が高い系統を選び,感染実験に用いた。マウス細胞におけるHIV-1侵入障害を回避するため,HIVの外殻を水疱性口内炎ウイルス由来糖タンパク質(VSV-G)で置き換えたシュードウイルス(VSV/HIV)を作製した。VSV/HIVを野生型マウスおよびhCRM1 Tgのチオグリコレート誘導腹腔Moに感染させた後,HIV-1 mRNAの発現をリアルタイムPCRにより定量した。

【結果と考察】

HIV-1感染MT4と比較して,HIV-TgではHIV-1 mRNAが過剰にスプライシングを受けていることを見いだした。このことから,実際にマウスCRM1はヒトCRM1と比べてunspliced mRNAの核外輸送能が低いことが示唆された。hCRM1 Tgを作製し,複数系統のTgを得ることに成功した。hCRM1 Tgは野生型マウスと比較して外見上の異常は見られなかったが, MoにおけるVSV/HIV感染時のunspliced HIV-1 mRNAのspliced HIV-1 mRNAに対する割合が増加していた。この結果より,hCRM1 TgにおいてHIV-1 mRNAのスプライシングを抑制させることに成功した。これは,hCRM1の導入によりunspliced mRNAの核外輸送能が上昇したものと考えられた。以上より,hCRM1を導入することで,よりヒトに近いモデルマウスを作製することができた。

【結論】

本研究は,細菌感染に伴う,Moにおける潜伏HIV-1再活性化の分子機構を明らかにすることを目的として行われた。HIV-TgのMoを用いて,LPSによるHIV-1再活性化機構を解析した結果,リンパ球とは異なりMoでは,TNFやIL-1などの産生による二次的刺激ではなく,TLR4を介した直接シグナルが重要であることが明らかとなった。この時,MyD88を介したp38 MAPKおよびNF-κBの活性化が必須であることを明らかにした。これらのシグナル経路の阻害は,LPSによるサイトカイン産生も同時に抑制することから,リンパ球およびMo両者におけるHIV-1再活性化の抑制につながると考えられる。宿主因子を標的とした治療は,薬剤耐性ウイルスの出現頻度が低く,有効な治療法となりうる。HIV-TgはHIV-1再活性化を標的とした治療法の探索および評価のための非常に有用なツールとなるものと期待される。また,hCRM1 Tgでは,HIV-1 mRNAの過剰なスプライシングが抑制され,よりヒトに近いモデルマウスの作製に成功した。hCRM1 Tg x HIV-Tgを用いることで,HIV-1複製効率が更に上昇することが考えられる。これらのマウスは,エイズ発症機構を個体レベルで解析可能な有用な動物モデルとなることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は2章からなる。主題はマウスモデルを用いたHIV-1複製機構の解析であり,第1章は細菌感染に伴う潜伏HIV-1再活性化機構の解析について,第2章はHIV-1感受性マウス作製の試みと解析について述べられている。

エイズは,HIV-1の感染により引き起こされる後天性の免疫不全症である。HIV-1に感染後,患者は約10年の潜伏期を経た後にエイズを発症する。多剤併用療法(HAART)の普及により,エイズの発症率および死亡率は激減した。しかしながら,HAARTではHIV-1の潜伏感染細胞を排除することができない。潜伏感染細胞は,HAART中断時に種々の刺激により活性化され,ウイルスの産生源となるため,感染者は生涯にわたり服薬を継続する必要がある。ゆえに,潜伏感染機構の解明および潜伏感染細胞を標的とした治療法の開発は急務の課題である。新規治療薬の開発および個体レベルでのエイズ発症機構の解明には,動物モデルを用いた解析が欠かせない。申請者はHIV-1ゲノム導入マウス(HIV-Tg)をHIV-1潜伏感染のモデルとして,細菌感染刺激に伴うHIV-1再活性化の分子機構の解明を目的として解析を行った。また,その解析過程で見出されたマウスモデルの欠点を改善すべく,新たにスプライシングの制御に関与するとされるヒトCRM1(hCRM1)導入マウスを作製し,HIV-1複製効率の評価を行った。

第1章において,申請者は細菌感染に伴う潜伏HIV-1再活性化の分子機構の解析を行った。細菌感染は,エイズ発症の促進因子であり,潜伏期にT細胞やマクロファージ(Mo)に潜むHIV-1の再活性化を誘導する。Moは,HIV-1による細胞傷害をうけず,細胞寿命も長いことからHIV-1の潜伏感染細胞の一集団を形成している。これまでT細胞における潜伏・再活性化の分子機構は精力的な解析が行われてきた一方で,潜伏感染細胞としてのMoの解析は多くが未開のままであった。申請者は,HIV-TgをHIV-1潜伏感染のモデルとし,細菌成分のリポ多糖(LPS)によるHIV-1再活性化機構の解析を行った。その結果,Moはリンパ球と異なり,HIV-1再活性化には,LPSにより誘導されたTNFおよびIL-1の産生が必要ではなく,LPSの受容体であるTLR4を介した直接シグナルが重要であることを明らかにした。また,TLR4の下流で活性化されるシグナル分子として,p38 MAPKおよびNF-κBが必須で,ERKおよびJNKの活性化は必要ではないことを明らかにした。さらに,TLR4のアダプター分子として,MyD88が重要で,TRIFはMyD88欠損下においてのみ代償的に寄与していることを明らかにした。本研究から,MyD88-p38 MAPKおよびMyD88-NF-κB経路の阻害が,細菌感染によるHIV-1再活性化を抑制する新たな治療標的となりうることが期待される。

第2章において,申請者はマウス細胞におけるHIV-1複製効率の上昇を目的とした新規ヒト遺伝子導入マウスを作製し,その効果を検討した。マウスは多くの面でモデル動物として適しているが,HIV-1複製の種々の過程においてヒト細胞と比較して効率が低下している。申請者の研究室で作製されたHIV-Tgは,HIV-1再活性化の解析には適していたが,通常飼育下ではリンパ組織におけるHIV-1発現が低く,免疫系の異常も見られない。申請者は,HIV-TgにおけるHIV-1再活性化機構の解析から,MoではHIV-1 Gagタンパク質の産生およびウイルス粒子の放出が著しく低下していることを見出した。これは,HIV-1 Rev機能の低下によるHIV-1 mRNAの過剰なスプライシングが原因となっていることを明らかにした。次に,Rev機能の低下を改善すべく,HIV-1 Revの機能発現に必須な宿主因子であるhCRM1を導入したマウス(hCRM1 Tg)を作製した。hCRM1 TgにおけるHIV-1 mRNAの発現量およびスプライシング能を評価した結果,Rev機能の改善が見られ,HIV-1 mRNAの過剰なスプライシングの抑制に成功した。しかしながら,Gagタンパク質の産生は依然低く,更なる因子の関与が示唆された。本研究により,マウス細胞においてHIV-1複製効率を部分的に改善させることに成功し,HIV-1感受性マウスの作製へ向け前進が見られた。また,CRM1の種間障壁としての関与は,これまで線維芽細胞株を用いた研究では否定的な報告があったが,本研究ではHIV-1の本来の感染標的細胞の一つであるMoの初代培養細胞を用いることにより,種間障壁としてのCRM1の関与が明らかとなった。このことは,HIV-1感受性マウスの作製における,初代培養細胞および本来の感染標的を用いた解析の重要性を明らかにしたという点で,注目に値する。

なお,本論文第1章は,チェ ビョンイル,岩倉洋一郎との共同研究であり,第2章はチェ ビョンイル,須藤カツ子,岩倉洋一郎との共同研究であるが,申請者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める。

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