学位論文要旨



No 126338
著者(漢字) 福田,野歩人
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,ノブト
標題(和) 浜名湖水系におけるニホンウナギの接岸遡河生態に関する研究
標題(洋)
報告番号 126338
報告番号 甲26338
学位授与日 2010.09.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3612号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 大竹,二雄
 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 渡邊,良朗
内容要旨 要旨を表示する

ニホンウナギAnguilla japonicaの産卵場から成育場に至る約三千キロに及ぶ回遊は,接岸と遡河によって完了する.しかし,わずか60mmに満たない小さなシラスウナギ(以下,シラス)が,沿岸から河口まで どこをどのように遊泳しているのか,あるいは成育場に加入した個体が自身の定着場所をどのように決定しているか,不明な点が多い.一方で,近年の耳石の微量元素分析から,成育場として淡水域を利用する通常の川ウナギの他に,河口域や海域に住みつく汽水ウナギや海ウナギと呼ばれる個体群のいることがわかった.また,これらの回遊多型の分化は0年魚で起こるものと考えられている.しかし,回遊多型の生じる過程とメカニズムはいまだ明らかになっていない.そこで本研究では,浜名湖とその流入河川(浜名湖水系)におけるニホンウナギの接岸・遡河生態を明らかにすることを目的に,まず基礎的情報として(1)稚魚期の色素発達過程を検討し,発達段階を整理した.次に,野外調査に基づいて(2)湖口における接岸,(3)湖内の移動,および(4)流入河川の今川と江川における遡河の実態を明らかにした.さらに室内実験により,(5)シラスの接岸行動とクロコの遡河行動を解発させる要因について調べ,行動学,生態学の両面からニホンウナギの回遊多型の分化メカニズムについて考察した.

1.色素発達段階

稚魚期の色素発達過程を明らかにするため,2003年12月~2005年5月に浜名湖水系で採集したニホンウナギ稚魚(N=412)を用いて,脊索,神経頭蓋上部,体前部体表,および体後部体表における黒色色素の発現状態を観察した.その結果,ニホンウナギの色素発達は,脊索ではやや遅れるものの,他の部位ではほぼヨーロッパウナギと同様の過程を辿って進行することがわかった.これより,脊索以外の部位における色素発達に基づいて定義されているヨーロッパウナギの色素発達段階区分(VA, VB, VIA0, VIA1, VIA2, VIA3, VIA4, VIB:計8段階)を,ニホンウナギにもおおむね適用できることがわかった.しかし、接岸生態を詳細に記述するためには色素発達初期のVBをさらに細分化する必要があるため,これを吻から延びる体表の色素が眼球より後方に到達したか否かを境界指標にして2段階(VB1,VB2)に分け,あわせて計9段階(VA~VIB)をニホンウナギの色素発達段階とした.飼育実験(N=10)を行い、この区分の妥当性を試した結果,これらの段階が順序正しく,一方向的に進むことを確認した.さらに,ヨーロッパウナギでは黄ウナギ期が明瞭に定義されていないので,二ホンウナギにおいては腹腔内のグアニン沈着の完了をクロコ期と黄ウナギ期の境界指標と定義して,黄ウナギ期を区分することとした. 2007年~2009年に浜名湖水系で採集されたニホンウナギの0年魚(N=3298)を用いて,色素発達段階の進行に伴う全長と体重の変化を調べたところ,VIA3を境として,全長,体重とも減少から増大に転換した.そこで本研究ではVA~VIA2までをシラス,VIA3~VIBをクロコとして分類することとした.

2.接岸回遊生態

ニホンウナギの接岸回遊生態を明らかにするため,潮汐流の影響を強く受ける湖口(塩分30~36)において,2003年~2005年にアンカーネットを用いて周年のシラス採集調査を実施した.2003年12月13日~2004年3月11日と2004年12月13日~2005年3月7日の期間は隔日で連続採集を行い,他の期間は原則として月に1~5回の調査を行った.調査期間中,計543個体のシラスが採集され,浜名湖のシラス接岸時期は11月~5月であることがわかった.また,個体数密度データの自己相関分析を行ったところ,個体数密度には30-32日周期の変動が観察され,およそ月周期でシラス加入の波が出現することがわかった.個体数密度は下弦から新月にかけて高く,満月には低い傾向が認められた.1日の内では,シラスは夜間にのみ出現した.上げ潮時の個体数密度は下げ潮時に比べて高く,選択的潮汐輸送を行うことが示唆された.一般化加法モデル(GAM)を用いて,干潮後のシラスの出現状況を調べたところ,干潮の150~180分後にシラスの出現率が最大となった.これは遠州灘の海水が急激に湖内に流れ込むことによって水温が急上昇するタイミングと一致していた.

3.湖内における回遊生態

浜名湖水系においては河口と位置づけられる浜名湖(塩分9~35)の中で,シラスがどのように回遊しているかは不明であった.そこで湖奥の西神田川河口で2005年1月~12月に定置網を用いて調査したところ,シラスの出現開始とピークはそれぞれ2005年2月10日と2005年4月13日であることがわかった.湖口における出現開始とピークが2004年11月13日と2005年1月4日であったことと比べると,湖奥で約3ヶ月,シラスの出現が遅れており,シラスが湖口から湖奥まで回遊するのに要す期間はおよそ3ヶ月間であると推定された.一方で湖口の51個体と湖奥の41個体の耳石による日齢査定の結果,2~4月における推定日齢は湖口で147~203日齢,湖奥で154~196日齢であり,湖口・湖奥間で有意な差は認められなかった.この日齢査定結果と野外調査による回遊期間のズレとの矛盾をさらに詳しく検討するため,水温と摂餌状態がニホンウナギ稚魚の耳石成長に与える影響を実験的に調べた.アリザリンコンプレクソン溶液で耳石に時刻表記したシラス(N=516)を水温5,10,15,20,25,30℃の6段階の水温条件と給餌/無給餌の2条件の組み合わせで30日間の飼育を行ったところ,給餌区と無給餌区ともに,5℃,10℃ではほぼ全個体で耳石成長が停止することがわかった.湖内は冬期,水温が10℃以下となり,湖内回遊中のシラスの耳石成長が停止するためにこのようなズレが生じたものと考えられた.

4.遡河生態

湖内流入河川の河口から遡上するニホンウナギ0年魚の遡河生態を明らかにするため,2007年2月~2009年9月に,今川に河口から上流に4定点を設け,定置網,電気ショッカーを用いて稚魚を採集した.また江川では7定点においてすくい網,定置網,および河口堰に設置した登坂魚道を用いて調査した.その結果,計8389個体のニホンウナギが採集され,両河川ともに,0年魚の多くは、月間平均水温10~12℃の2~3月には河口の感潮域に滞留し,14℃以上となる4月以降に淡水域へ移動することがわかった.また,淡水域に移動した個体の色素発達段階を調べたところ,そのほとんどはVIA3以降で,クロコ期になって初めて遡河することがわかった.次に,下流に留まった個体と遡上した個体に形態的差があるか否かを調べるため,同じ月,同じ色素発達段階の個体の肥満度を定点間で比較したところ,今川においては,2~5月の肥満度は上流ほど大きい傾向が見られた.また空胃率(6~100%)は下流ほど高かった.こうした空間分布は,もともと肥満度の高い個体がより上流まで遡上したためか,もしくは上流に遡上した個体の餌環境が好転して肥満度が高くなったために生じたものと推察された.

5.行動メカニズム

ニホンウナギの生活史における接岸行動,湖内移動および遡河行動の行動学的背景を明らかにするため,発育段階(シラス,クロコ,黄ウナギ),外部環境要因(塩分,流水,水温,照度,隠れ家の有無,個体数密度),および内部要因(空腹度,体サイズ,肥満度)が稚魚の各種行動特性(淡水侵入行動,遡上行動,脱出行動)に及ぼす影響を実験的に調べた.シラス~黄ウナギに天然水で調整した塩分勾配を与えた場合,発育段階に関わらず低塩分水を選好し,明瞭な淡水侵入行動を示すことがわかった.シラスとクロコに流水刺激を与えた場合は,上流に向かって活発に遡上行動を示し,強い正の走流性を示した.シラスの淡水進入行動は,高水温,低照度,低個体数密度により促進された.またクロコの遡上行動は,高水温,高照度,1週間の絶食,全長・体重・肥満度の上昇によって促進された.さらに,刺激の無い条件下でランダムな方向に分散する行動を「脱出行動」と定義し,これを修飾する要因について検討したところ,シラスでは高水温,低照度,明条件における隠れ家なしによって脱出行動は促進され,クロコでは高水温、明条件における隠れ家なし,1週間の絶食,体重・肥満度の上昇によって促進された.シラスの淡水進入行動とクロコの遡上行動,並びにそれぞれの発育段階における脱出行動が,概ね共通した要因によって制御されていることから,これら3種の行動特性が密接に連携しており,同様な動因を共有することが示唆された.すなわち,接岸,湖内移動および遡河の各種の生活史イベントは,まず脱出の動因レベルの上昇によって解発され,その後,塩分勾配と流水によって方向付けされた結果生じるものと考えられた.

本研究の結果,二ホンウナギの接岸と遡河は,沿岸の潮汐流や温帯における季節性など,規則的に変化する環境に適応し進化してきたものと考えられた.さらに,水温,照度,短期的な絶食や肥満度などの諸要因の変化によって生じる動因レベルの個体差によって,河川遡上するか海域に残留するかが決定され,その結果ウナギの回遊多型が生じるものと考えられた.単一集団として,南北に広く分布するニホンウナギは,接岸,遡河時に遭遇する多様で偶発的な環境変化に対し,柔軟な行動の可塑性を示し,複数の回遊多型をもつことで様々な水圏環境に適応してきたものと考えられた.

審査要旨 要旨を表示する

ニホンウナギAnguilla japonicaの産卵場から成育場に至る回遊は,接岸と遡河によって完了する。しかし,シラスウナギ(以下,シラス)が,沿岸から河口までどこをどのように遊泳しているか,また成育場に加入した個体が定着場所をどのように決定しているか,不明な点が多い。本研究の目的は,浜名湖を対象とし,ニホンウナギの接岸・遡河生態に関する知見を集め,その回遊行動の理解を深めることとした。

第1章の緒言に続く第2章では,稚魚の色素発達過程を明らかにするため,浜名湖水系で採集したニホンウナギ稚魚(N=412)を用いて,脊索,神経頭蓋上部,体前部体表,および尾部体表における黒色色素の発現状態を観察するとともに,飼育実験(N=10)による色素発達の進行順序の確認を行った。その結果,ニホンウナギの色素発達段階を計10段階(VA~VII)に区分した。また,VIA3を境として,全長,体重とも減少から増大に転換することがわかった。これらに基づきVA~VIA2までをシラス,VIA3~VIBをクロコ,VIIを黄ウナギと色素発達段階を用いて定義した。

第3章では,浜名湖の湖口において,ニホンウナギの接岸回遊生態を調べた。浜名湖のシラス接岸時期は11月~5月で,個体数密度は新月前後に高く,満月前後に低い,月周期変動を示した。1日の内でシラスは夜間にのみ出現した。上げ潮時の個体数密度は下げ潮時より高く,選択的潮汐輸送を行うことが示唆された。上げ潮における出現は,遠州灘の海水が急激に湖内に流れ込むことによって起こる水温の急上昇に一致していた。

第4章では,前章の調査に加え,湖奥の西神田川河口における調査を行い,湖内の移動期間を推定した。湖奥におけるシラスの出現は湖口に比べて約3ヶ月遅れ,湖内の移動におよそ3ヶ月間かかると推定された。一方で耳石による日齢査定の結果,2~4月における推定日齢は湖口で147~203日齢,湖奥で154~196日齢であり,湖口・湖奥間で有意な差は認められなかった。この日齢査定と野外調査による回遊期間のズレとの矛盾理由を検討するため,水温と摂餌状態がニホンウナギ稚魚の耳石成長に与える影響を実験的に調べたところ, 5℃と10℃ではほぼ全個体で耳石成長が停止することがわかり,この矛盾は冬期,水温が10℃以下となる湖内で,シラスの耳石成長が停止したためと理解された。

第5章では,浜名湖流入河川である今川と江川において,ニホンウナギ0年魚の遡河生態を明らかにした。計8389個体のニホンウナギが採集され,両河川ともに,0年魚の多くは,3月まで河口に滞留し,4月以降に淡水域へ移動することがわかった。また,遡河はクロコ期になって始まることがわかった。次に,今川において2~5月に下流に留まった個体と遡上した個体の肥満度の差を調べたところ,同じ色素発達段階であっても上流の個体ほど肥満度は大きい傾向が見られた。こうした空間分布は,もともと肥満度の高い個体がより上流まで遡上したためか,もしくは上流に遡上した個体の餌環境が好転して肥満度が高くなったために生じたものと推察された。

第6章では,室内実験により,接岸,湖内移動および遡河に関わる行動学的背景を明らかにした。シラス,クロコ,黄ウナギはいずれも低塩分水を選好する淡水進入行動を示し,シラスの淡水進入行動は,高水温,低照度,低個体数密度により促進された。シラスとクロコは上流に向かう遡上行動を示し,クロコの遡上行動は,高水温,高照度,1週間の絶食,大きな全長・体重・肥満度によって促進された。刺激の無い条件下でランダムな方向に分散する行動を「脱出行動」と定義し,これを修飾する要因を検討したところ,シラスでは高水温,低照度,明条件における隠れ家なし,クロコでは高水温,明条件における隠れ家なし,1週間の絶食,大きな体重・肥満度によって,脱出行動は促進された。シラスの淡水進入行動とクロコの遡上行動,並びにそれぞれの発育段階における脱出行動の動因レベルは概ね共通した要因によって制御されていることがわかった。

以上,本研究では7年間に亘る野外調査と室内実験を行い,知見の乏しかったニホンウナギの接岸・遡河における生態と行動について明らかにした。二ホンウナギの接岸と遡河は,沿岸の潮汐流や温帯の季節性など,規則的に変化する環境に適応し進化してきたものと考えられた。さらに,肥満度をはじめとする水温,照度,短期的な絶食などの諸要因の変化によって動因レベルの個体差が生じ,個体は河川遡上するか海域に残留するかを決めるものと考えられた。本研究は,ニホンウナギの生活史に関する理解を深め,その保全を考える上でも有益な知見を提供するものであり,学術上応用上価値が高いと判断されたので,審査委員一同は本論文が博士 (農学) の学位論文としてふさわしいものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49079