学位論文要旨



No 126341
著者(漢字) 植阪,友理
著者(英字)
著者(カナ) ウエサカ,ユリ
標題(和) "REAL(Researching by Extracting, Analyzing, and Linking)アプローチ"による学習スキルの支援とその展開 : 数学的問題解決における図表の自発的な利用に着目して
標題(洋)
報告番号 126341
報告番号 甲26341
学位授与日 2010.09.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第166号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 市川,伸一
 東京大学 教授 秋田,喜代美
 東京大学 准教授 針生,悦子
 東京大学 教授 多賀,巌太郎
 東京大学 准教授 藤村,宣之
内容要旨 要旨を表示する

■第I部:学習スキルに関わる先行研究の概観と"REALアプローチ"の提案

学校教育の目的は,具体的な知識・技能を指導することとともに,学習方法をはじめとする学習スキルを育成することと言えよう。しかし,市川(2004)は,従来の学校教育では学習スキルをはじめとする「学び方」の指導が不十分であったことを指摘している。学校教育においてどのような学習スキルを指導すべきかを考える上で,認知心理学は有用な示唆を与えてくれる。例えば,学習方略研究,自己調整学習研究,デザイン研究,チュータリング研究,認知カウンセリングなどにおいて,効果的な学習スキルのあり方や具体的な指導法などが提案されている。

しかし,これらの研究領域にはいくつかの問題点が見られた。最も大きな問題点は,学校現場において学び方の指導が十分ではないと指摘されていることからも分かるように,学校などの教育現場においてこうした研究知見が十分に生かされていないということである。このように教育現場と研究知見とが乖離している状態を解消し,実践と研究のいずれに対しても有意味な提案を行うための研究プロセスとして,本論文では"REAL(Researching by Extracting, Analyzing, and Linking)アプローチ"を提案した。REALアプローチとは,図1のような3つのフェーズからなる研究アプローチである。

このアプローチを用いることを通じて,教育実践に対して具体的な提案を行うと共に,従来の心理学における理論的な枠組みに対しても,新たな展開をもたらすことを目指している。第1章では,このアプローチを提案するとともに,関連する研究領域との比較検討も行った。本論文は,「教師は多くの図表を用いて教えているにもかかわらず,学習者は自発的に図表を利用していない」という学習スキルの問題を題材にしながら,上述したREALアプローチの具体例を示すと共に,このアプローチの有効性を主張するものである。第II部以降において,図1に示したフェーズに従い,研究1~研究10までを行う。

なお,本論文で取り上げる上述した学習スキルの問題点は,実践の中から見い出された現実的な問題であるが,この視点が心理学の基礎研究に対しても示唆を与えるのかは明らかではない。そこで,研究に先立ち,第2章では図表に関わる基礎研究を概観し,本論文における検討課題を心理学的研究の流れに位置づけた。そして,基礎研究に対しても新たな展開をもたらすことを明らかにした。

■第II部:認知カウンセリングとCOMPASSによる実態の把握

第II部は,REALアプローチにおけるフェーズ1である。ここでは,研究者本人が実践の中に身をおくことによって,実践者や研究者が意識してこなかった教育に関わる現実的な問題を明らかにし,心理学的研究の俎上に載せていくことを目指す。そこで第II部では,認知カウンセリングと実態調査を行って,従来の学校教育や心理学的な研究では見過ごされてきた学習スキルの問題点を抽出し,本論文の問いを明確化した。

具体的には,第3章では,認知カウンセリングの事例から,「教師は多くの図表を用いて教えているにもかかわらず,学習者は自発的に図表を利用していない」という問題点を指摘した。さらに,自発的な図表の利用が少ない原因として,図表に対する認知に問題がある可能性や,日本における教師の指導方法が影響を与えている可能性をあわせて指摘した。

一方,第3章は事例研究であり,そこで見い出された問題点が多くの学習者に共通しているのかは明らかではない。そこで第4章では,数学の学力・学習力診断テストCOMPASSを用いてより大規模に実態調査を行った。図表の自発的な利用を診断する課題を,小学校5年生868名に対して実施した結果,図表を用いることが有効な課題であるにもかかわらず,自発的に図表を作成することや書き込みをすることを積極的に行っていないという実態が示された。

■第III部:自発的な図表の利用と関連する要因の分析

第II部で明らかとなった問題点を解消する指導法を開発するには,要因の分析が必要である。そこで,第III部では,フェーズ2の第1段階として,学習者の自発的な図表の利用と関連する要因分析を行った。

まず,第5章において自発的な図表の利用と関連する課題要因を検討した。従来の研究では,課題要因としてカバーストーリーが長さに関連しているかどうかということが指摘されていた。しかし,根拠となる研究の統制が不十分であるという問題点があった。そこで,カバーストーリーが長さに関連するかどうかという表面的な特徴よりも,問題文から重要な情報を取り出して抽象的な図表へと変換する際のコスト(変換コスト)のほうがより重要な要因であるという仮説を提案した。中学2年生125名に対して実験を行った結果,本論文で提案した仮説がより妥当であることが明らかとなった。

さらに,第6章では,自発的な図表の利用と関連する学習者要因を検討した。日本とニュージーランドの両国において,13歳から15歳までの生徒,計614名を対象に質問紙と文章題を実施した。この結果,図表に対する有効性の認知が自発的な図表の利用と関連することが一貫して示された。さらに,日本はニュージーランドに比べて自発的な図表の利用が少ないことが示され,この背景には日本の学習者は図表を作成するためのスキルが十分に育成されていない可能性や,「先生が解説するための道具」として捉え,「自らの問題解決の道具」として認識していない可能性が示唆された。また,カリキュラムの比較から,ニュージーランドでは図表をコミュニケーションの道具として利用する機会が多く,こうした違いが,日本に比べて自発的な図表の利用が多い一因となっていることが考えられた。

■第IV部:実験授業を通じた指導法の開発と効果の検証

第III部は要因分析が目的であり,明らかにされた要因に関して学習者に働きかけることが学習行動の改善に結びつくのかは明らかではない。そこで,第IV部ではフェーズ2における第2段階として,中学2年生を対象に大学において5日~6日間の実験授業を実施し,自発的な図表の利用を促す指導法を開発した。

まず,第7章では第III部までの知見を踏まえて自発的な図表の利用を促す指導法を開発した。具体的には,図表を多く用いて授業を行うのみならず,自らの問題解決の道具として図表が有効であることを意識化させ,かつ図表を作成するためのスキルを高めることによって,自発的な図表の利用が最も促進されることを示した。また,思考過程を重視するかどうかという個人差の影響も確認した。

一方,第7章からは,指導法をより効果的にするためには,図表を適切に使い分ける力もあわせて育成する必要性が示唆された。よって,第8章ではこの点に焦点をあてた。先行研究では,図表を適切に使い分けるためには,「どのような場面でその図表が有効か」の知識(「図表の適用条件の知識」と呼ばれる)が必要であることが示されていたが,指導法は明らかではなかった。これに対して第8章では,どのような場面でどのような図表を用いているのかを意識化させることによって,図表の適用条件の知識が促され,図表の適切な使い分けを促進することを明らかとした。

上述した第7章と第8章の指導法は,教師からの教示が中心であった。しかし,図表は個人の問題解決の道具であると共に,他者への説明の道具としても有効である。近年の図表研究の流れや,第6章の知見を踏まえると,学習者同士が図表を用いた教え合いを取り入れることによって,より効果的な指導となる可能性が示唆された。そこで第9章では,2つの実験授業を行い,この点について検討した。この結果,図表を用いながら学習者同士が教え合う学習環境を設定すると,その後の自発的な図表の利用が増加することが明らかとなった。さらに,図表を使って1人で説明を考えるだけではなく,学習者同士で実際に説明しあうことが重要であることもあわせて示された。

■第V部:学校における集団指導への展開

上述したように第IV部では指導法の開発を行ったが,これらは心理学的な実験研究の中で提案されたものである。このため,これらの原理を具体的にどのように学校現場に生かすのかは,別途,明らかにする必要がある。従来の心理学研究は,示唆を語るにとどめ,学校現場の中で知見を生かした実践を行ってこなかったという反省に立ち,第V部ではフェーズ3として知見を生かした実践を行った。

さらに,学校現場において心理学的な研究知見を実践する方法として,第V部では「研究者が直接的に学習者の学習改善に寄与する」タイプと,「研究者が教師と協同して授業改善を図り,間接的に学習者の学習改善に寄与する」タイプの2つを提案した。第10章は前者のタイプの実践例である。「学習スキルの改善に焦点をあてた授業」として「学習法講座」を提案し,筆者が自発的な図表の利用を促す学習法講座を中学校において実践した。約半年後に遅延テストを実施した結果,学習行動が変容していることが確認された。また,インタビュー調査から,学習行動の変容プロセスも示唆された。

一方,第11章は後者のタイプの実践例である。小学校における学習相談活動を,筆者をはじめとする大学関係者が支援した。これをきっかけとして,自発的な図表の利用の少なさが学校全体の問題意識となり,筆者と教師が協同して1年半にわたる授業改善を行った。その結果,児童の学習行動も変化した。このタイプの実践が生じるための諸条件も考察した。

■第VI部:総括

第12章では,まず,本論文で得られた研究知見をまとめた。さらに,学術と実践の両面から示唆を述べ,最後に学校教育への提案を行った。

図1 REAL(Researching by Extracting, Analyzing, and Linking)アプローチの概要

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、教育実践と心理学的研究を結びつける枠組みとして"REAL(Researching by Extracting、Analyzing、and Linking)アプローチ"を提案し、数学的問題解決における学習スキルという具体的なテーマにおいて、その有効性を示そうとするものである。

教育心理学や認知心理学の諸領域では学習スキルに関わる様々な研究がすすめられてきた。一方、学習スキルの育成は教育における重要な課題であるにもかかわらず、現在の学校では十分な指導が行われていない。こうした研究と実践の乖離を解消するために、REALアプローチは、以下の3つのフェーズに沿って研究をすすめることを提案している。

フェーズ1:問題点の抽出(Extracting Students' Problems) :従来の心理学的知見を利用した学習支援活動や実態調査を行う中で、現実的な問題点を抽出する。

フェーズ2:心理学的検討(Analyzing with Psychological Methods):調査や実験などの心理学的研究手法を用いて、要因分析、指導法開発、効果検討などを行う。

フェーズ3:学校の集団指導における実践(Linking Findings to School Practices):得られた研究知見を実際の学校現場における授業実践として現実化する。

第I部で、先行研究を概観したあと、第II部以降、具体的に本アプローチを用いた一連の研究を行っている。フェーズ1にあたる第II部では、まず、研究1として個別学習相談の一方法である「認知カウンセリング」を行い、学習者の実態から、学校では教師が多くの図表を用いながら教えているにもかかわらず、学習者自身は自発的に図表を利用していないという問題点を見出している。研究2では、学力・学習力診断テストCOMPASSを用いた調査から、適切に図表を利用できない児童・生徒が多く見られることを示している。

フェーズ2として、第III部(研究3、4)では、図表の自発的な利用には、図表への変換コストという課題要因や、学習者のスキルという個人差要因が関わっていることを明らかにしている。第IV部(研究5~8)では、図表の有効性の意識と図表作成スキルを高めること、場面に応じた適切な図表の使い分けを促すこと、学習者同士の説明の道具として図表を使わせること等を提案し、指導法の開発と実験授業による効果検証を行っている。

フェーズ3にあたる第V部(研究9、10)では、これらの研究知見を生かした学校教育実践として、研究者が支援しつつ、学習者の授業改善を直接的に図る授業、および、教師による学習相談活動が授業の変化をもたらし間接的に授業改善を図るという体制作りを提案し、長期にわたる学習者行動の変化から、これらの有効性が検証されたとしている。

本論文の提唱するREALアプローチは、教育実践をまず行ってみることによって、教育上の問題点と従来の研究で不十分であった点を見出す点や、心理学的研究から得られた知見がどのように現実に利用可能かを示す点で、心理学研究と教育実践の双方の発展にとって有用であることが具体的なテーマを通じて示唆された。また、学習スキルの支援にかかわらず、様々な問題において適用可能であることから、広く教育研究に貢献すると考えられる。よって、博士(教育学)の学位にふさわしい論文であると評価された。

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