学位論文要旨



No 126354
著者(漢字) 松本,耕輔
著者(英字)
著者(カナ) マトモト,コウスケ
標題(和) 鉄道における車輪/レール間の摩擦制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 126354
報告番号 甲26354
学位授与日 2010.09.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7332号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須田,義大
 東京大学 教授 金子,成彦
 東京大学 教授 鎌田,実
 東京大学 教授 加藤,孝久
 東京大学 准教授 中野,公彦
内容要旨 要旨を表示する

1. 序論

地下鉄を代表とした都市交通においては,高速走行安定性と曲線旋回性能の両立という課題に対し,台車の最適設計や構造の見直し等により改善を図りながらも,やはりいずれの対策についても限界が存在し,対症療法的に急曲線部のレールへの塗油により車両の曲線旋回性能の不足を補い,曲線通過に伴い生ずる諸問題に対応しているのが一般的となっている.

しかし実態の営業線の中では,高摩擦が必要とされる加減速区間と低摩擦が要求される急曲線区間がきれいに切り分けられているわけではなく,急曲線中やその付近で高い加・減速度が求められることも多々あり,油が車輪踏面に付着することにより車輪空転や滑走を招くリスクから,そのような場所ではレール塗油を積極的に行えない状況にある.

そこで本研究では,近年開発された鉄道向け摩擦調整材が

(1) 曲線通過に相当する車輪/レール間のすべり率において,転がり摩擦係数を適度に低く低減できる.

(2) すべり量の増加に伴い粘着力が増加するポジティブな特性を有する.

という特殊な摩擦特性を有しており,前者により急曲線走行時に発生する著大な横圧や車輪/レール間のスティックスリップ振動を低減し,車輪・レールの摩耗や騒音・振動の抑制,そして走行安全性を向上する効果が期待でき,後者により車輪滑走・空転の発生から回避できるとの考えから,その利用技術の確立により急曲線通過時の諸問題解決を図ることとした.

本論文の流れとしては,まず,本研究で新たに提案する「車輪/レール間の摩擦制御」の3つの基本コンセプトを構築し,2円筒転がり接触試験機(以降 2円筒試験機)による基礎実験やMBDソフトウェアによる曲線通過シミュレーション,1/10スケールモデル実験を通じて,その妥当性について検証・確認する.その上で,営業列車にこれら基本コンセプトを実現し得る「摩擦調整材噴射装置」を搭載し,試運転列車による本線試験や営業線での長期評価試験を通じて,車輪/レール間の摩擦制御を導入した効果について確認を行う.

他方,2円筒試験機を用いて行った,営業線での摩擦制御の実施状況を模擬した実験を通じて得られた「摩擦調整材の供給~消費のバランス管理」に関する知見を基に,営業線での長期評価試験で得られたデータを検証し,その重要性について確認する.この観点から,摩擦調整材の供給~消費バランスを最適に管理するための手法として,車輪/レール間の摩擦状態を表す状態量の一つ,接線力をフィードバックし,摩擦調整材を噴射するタイミングを制御する手法を提案し,本線路試験によりその効果を確認する.

最後に,研究全体を通じて得られた知見を整理し,本研究で提案する車輪/レール間の摩擦制御の導入効果について確認するとともに,車輪/レール接触問題に更に取組む上での方向性について考案した結果を示す.

2. 「車輪/レール間 摩擦制御」の概念

近年,開発された車輪/レール間の潤滑に適した摩擦調整材KELTRACKTM HPFの特殊な摩擦特性に注目し,その特性を最大限活用するため,以下に示す「車輪/レール間の摩擦制御」の3つの基本コンセプトを考案し,提案した.

― 基本コンセプト(1)

車輪/レール間の摩擦制御を行うにあたり,曲線全体で一様に効果が得られることやコスト,生産性,システム冗長性等の観点で地上設備より優位性が認められることから,車上側からレールに液体摩擦調整材を噴射するシステムを採用する.更に,本液体摩擦調整材は,固形潤滑剤である摩擦調整材を.水を主成分とする溶媒に溶いて作られているため,塗布後,乾燥すると車輪/レールの潤滑に適した摩擦特性が得られる.そこで,乾燥時間を確保する目的で,噴射編成の最後尾軸の後ろからレールに摩擦調整材を噴射し,後続編成が良好な状態に改善された区間を走行できるシステム構成とする.

― 基本コンセプト(2)

本液体摩擦調整材は,上述のとおり「(1)塗布後,乾燥してその特性を発揮する」特徴と,材料特性から「(2)非常に薄く塗布すること」が必要とされるため,霧状に噴射してレールに塗布する手法により,都市鉄道の短い列車時隔においても乾燥できるようにするとともに,噴射量のきめ細かな制御により車輪/レールの接触楕円中に摩擦調整材を点在させ,車輪とレールが摩擦調整材を介して接触する領域と介さずに接する領域の取り合いを調整することで,摩擦調整材の特性の強弱を調整可能なものとする.

― 基本コンセプト(3)

車両が急曲線を通過する際,内軌側の車輪/レール間の高い摩擦係数が横圧の増大を招いているというメカニズムを考慮し,内軌側レールのみに摩擦調整材を塗布する.

3. 2円筒転がり接触試験機による摩擦調整材の基礎特性評価

摩擦調整材の利用技術を開発するにあたっては,その材料特性を十分に把握しておく必要があることから,車輪/レールの接触状態を模擬できる2円筒転がり接触試験機を製作し,モデル車輪と軌条輪の接触状態とクリープ特性を評価する実験を行った.その結果,上述の摩擦調整材に期待する2つの摩擦特性が確かに実現できていることが確認でき,更に,鉄道の実システムで摩擦調整材を使用した場合,供給~消費のサイクルが繰り返し行われることから,同試験機において模擬的にその状況を再現する実験を行い,車輪/レール間の摩擦制御では,摩擦調整材の噴射量と噴射間隔の管理が非常に重要であるという知見を得た.

4. MBDシミュレーションによる摩擦制御の検証

車輪/レール間の摩擦制御の実車両・実軌道を用いた評価の前段として,MBDソフトウェアA'GEMを用いた曲線通過シミュレーションを実施し,基本コンセプトの一つである「摩擦調整材の内軌側レールへの塗布」の妥当性を検証した.その結果,外軌塗布については,前軸外軌側車輪に作用する横圧は低減されず,車両の曲線旋回性能向上に対する効果は認めらなかった.更に,内軌塗布と内外軌塗布の間には曲線旋回性能の観点では大きな差が認められず,使用する摩擦調整材を効率的に活用するとの観点から,消費量が少なく同程度の効果が得られる内軌塗布に優位性が認められるとの結論に至った.

5. 1/10スケール模型車両による実験

1/10スケール1台車モデルの車両を用いた実験を行い,MBDシミュレーション同様,実車両・実軌道試験に先立ち「車輪/レール間の摩擦制御」の検証を行った.4章に同じく,外軌塗布・内軌塗布・内外軌塗布の各条件間で比較,検証した結果,内軌塗布に優位性が認められた.

6. 摩擦調整材噴射装置の開発とその評価

摩擦制御の基本コンセプトを実現し得る,車両搭載のシステム「摩擦調整材噴射装置」を開発,実車両に搭載し,試運転による本線路試験及び営業列車による長期試験を行い,「車輪/レール間摩擦制御」の効果について確認・評価した.その結果,適切に摩擦調整材が機能すれば,車両の曲線旋回性能は向上し,横圧低減をはじめ,騒音や波状摩耗の抑制に対して大きな効果が得られることが確認できた,尚,本研究で提案する摩擦制御を鉄道の実システムに適用するにあたっては,ダイヤにより決められた場所を決められた順番に列車が走行するというシーケンス制御的な鉄道運行システムの基本に着目し,あらかじめ指定した運行番号で走行する場合にのみ摩擦調整材を噴射するという手法を採用した.しかしながら2円筒試験機での模擬実験で得られた知見と同様に,営業線で摩擦制御の効果を常に得るためには,やはり摩擦調整材の噴射量と噴射タイミングをどのようにして適正なものとするかが非常に難しい問題であることが再認識された.

7. 接線力フィードバック制御の提案

運行番号により噴射編成を管理する手法では,常に良好な車輪/レール間の摩擦状態を確保する観点では,どうしても余裕を見込んで過剰な噴射量とせざるを得ず,又,ダイヤ乱れや装置故障等のシステム上の外乱に対しても,簡単に噴射間隔が最適値から外れてしまうという脆弱さが目についた.それらの課題を解決するため,車輪/レールの摩擦状態を表す指標の一つ,後軸接線力を制御パラメータとして摩擦調整材の噴射タイミングを判断する「接線力フィードバック制御」を考案し,その機能及び効果についてシミュレーション並びに試運転列車による試験により確認し,有用性を示した.

8. 構築した摩擦制御システムの評価

第7章までの各章で紹介した個々の取組みついて,それぞれの結果を整理,比較することで研究の全体像を考察する,更に,実システムにおける導入効果について評価するとともに,今後の車輪/レール接触問題に対する更なる向上を図るための取組みについて見解を示す.

9. 結論

本研究では,近年開発された「車輪/レール間摩擦調整材」の特性に着目し,それを有効活用するための利用技術「車輪/レール間 摩擦制御」の確立に取り組んだ.更に,営業線での長期的な試験の中から,恒常的に同制御が機能するため,車輪/レール間の摩擦状態を示す状態量をフィードバックし,自律的に噴射のタイミングを図ることができるシステムを提案し,作り上げた.この車輪/レール間の摩擦の状態を監視しながら管理するという新しい技術は,鉄道車両の走行性能を改善する手法として非常に効果が大きく,他の技術との組み合わせにより更なる貢献が期待できる有用な手法であると考える.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「鉄道における車輪/レール間の摩擦制御に関する研究」と題し、全9章から構成されている。

地下鉄に代表される都市部の鉄道では、急曲線において著大横圧の発生、車輪やレールの局部摩耗、車輪騒音、レール波状摩耗等の諸問題に悩まされている。従来の対策として一般的なレール塗油があるが、車輪滑走や車輪空転のリスクから実施する場所や量に制約を受け、十分な効果が得られないことが多い。

本論文は、諸問題解決のために、近年開発された鉄道向け摩擦調整材が車輪/レールの潤滑に適した特性を有していることに着目し、この摩擦調整材を利用して車輪/レール間の摩擦特性を積極的に制御する「車輪/レール間摩擦制御」の技術を確立したものである。

第1章は序論であり、鉄道発展の歴史の中で、車輪/レール接触に関わる技術が辿った変遷と進歩の経緯について紹介し、未だ課題とされている急曲線通過に伴う諸問題を示し、本論文で提案する「車輪/レール間の摩擦制御」の必要性と諸問題解決に対する有効性について述べている。

第2章では、摩擦調整材の特性を活用し、急曲線通過に伴う諸問題を解決する摩擦制御の3つのコンセプトとして、「車上からレールへの摩擦調整材塗布」、「塗布方法による摩擦係数の制御」、「急曲線通過のメカニズムを考慮した内軌側車輪/レール間の摩擦調整」について述べている。

第3章では、車輪/レール間の摩擦制御に用いる「摩擦調整材」の特性を把握するため、1/5スケールの2円筒転がり接触試験機を用いた実験を行っている。摩擦調整材を塗布することにより、適度な摩擦係数とポジティブな摩擦特性が得られることから、摩擦制御に適した材料であることを確認している。さらに、実用化を想定した、摩擦調整材の塗布と消費を繰り返す実験を行った結果、1回あたりの塗布量と塗布する間隔の双方が車輪/レール間の摩擦特性に大きく影響することを見出し、両者のバランス管理が重要であることを述べている。

第4章では、マルチボディダイナミクスソフトウェアによる曲線通過シミュレーションを実施し、摩擦制御のコンセプトの一つである「内軌側車輪/レール間の摩擦調整」の妥当性について検証している。シミュレーションでは、摩擦調整材の特性を考慮するため、境界潤滑理論と薄膜潤滑理論の考え方を応用した車輪/レール接触モデルを新たに構築している。前軸外軌側横圧の比較により評価した結果、摩擦調整材の塗布方法について、内軌塗布に最も優位性があることを確認している。

第5章では、1/10スケールの模型走行試験機を用いて、摩擦調整材の内軌塗布、外軌塗布、内外軌塗布の条件下で曲線通過実験を行い、それぞれの条件での曲線通過性能を比較している。その結果、第4章と同様、内軌レール塗布に優位性が認められることを示している。

第6章は、摩擦調整材噴射装置の開発とその評価について述べている。急曲線区間の内軌レール表面のみに、最後尾車両から摩擦調整材を噴射する装置を開発し、走行試験により実システムにおける摩擦制御の効果を確認している。営業線での長期試験も実施し、第3章で得られた塗布量と塗布間隔のバランスに関する知見を参考に、摩擦調整材の噴射量や噴射間隔の設定を調整し、その効果を統計的に評価することで、噴射量と噴射間隔の最適化を図ることの重要性を論じている。

第7章では、営業線長期試験により明らかになった課題を解決するために、接線力フィードバック制御を新たに提案している。この手法は、あらかじめ設定されたタイミングで指定量の摩擦調整材を噴射するのではなく、摩擦調整材噴射装置を搭載した営業車両が、台車内の接線力の監視により車輪/レール間の摩擦状態を推定し、適切な噴射量のフィードバック制御を行う方式である。曲線通過シミュレーション並びに本線路走行試験を通じてその実用性と効果を検証している。

第8章は、構築した摩擦制御システムの評価について述べている。本論文で実施した実験や解析の結果の総括的な考察と共に、鉄道の実システムにおいて車輪/レール間の摩擦制御をより有効的に活用するためのモニタリング技術との連携など、将来展望を示している。

第9章は結論であり、以上の結果を要約し、本論文の結論を述べている。

以上、本論文は、鉄道車両の急曲線通過に伴う諸問題を解決するため、車輪/レール間の摩擦特性を積極的に制御する手法を提案し、モデル実験、数値シミュレーションにより理論を構築し、最終的に営業車両を用いた試験により、車両の曲線通過性能を飛躍的に改善できることを実証したものである。構築した摩擦制御システムは地下鉄の営業線で実用化されており、これら研究成果は機械工学に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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