学位論文要旨



No 126361
著者(漢字) 佐藤,智晶
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,チアキ
標題(和) アメリカ製造物責任法の新たな二つの課題 : 製品のリコールの促進と全米統一的な規制の試み
標題(洋)
報告番号 126361
報告番号 甲26361
学位授与日 2010.09.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第243号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中田,裕康
 東京大学 教授 樋口,範雄
 東京大学 教授 浅香,吉幹
 東京大学 教授 水町,勇一郎
 東京大学 教授 高原,明生
内容要旨 要旨を表示する

製造物責任(product liability)とは、製品の欠陥により消費者が何らかの損害を受けた場合に製品のメーカー等に対し損害賠償を求めることを指す。連邦制度を採用するアメリカの場合、製造物責任法は、主として州法であり判例法である。そして、損害賠償責任を求める訴訟も、州の裁判所で訴えるのが原則となる。そこから2つの論点が生ずる。第1に、一般的に製品のリコール(製品販売後の製品回収などの是正措置)といえば公法的な規制を想起してしまうが、製造物責任法はどのような形で製品のリコールを促しているのか。第2に、各州ばらばらの製造物責任法は、危険な製品から消費者を守るための連邦法との間でどのように整合が図られているのか、である。本稿は、この2つの課題を対象とする。

アメリカでは、毎年数多くの製造物責任訴訟が提起されていて、そのことが社会に極めて大きな影響を及ぼしている。訴訟の数は少なくとも年間8万件に上る。また、製造物責任訴訟は、アメリカでは提起されただけでも会社の時価評価額にまで影響を及ぼすと考えられている。しかしながら、製造物責任法がアメリカ社会で注目を集めているのは、単に訴訟の数が多く、会社の価値に影響を及ぼすからだけではない。製造物責任法が、本来の目的である危険な製品から消費者を守るために機能するどころかむしろ妨げているのではないか、という可能性があるからである。例えば、アメリカでは、販売した医薬品を自発的に回収した製薬会社に対して約2万7000件もの訴訟が提起されるという事態が起きた。この事例は、企業が是正措置を講じるという形で副作用を認めれば、たちまち訴訟を提起されてしまう、ということを示している。

また、製薬会社は、連邦法を遵守して医薬品を販売していても、州のレベルで陪審や裁判官の判断によって製造物責任を負わされる場合がある。連邦の行政機関は、連邦の制定法と行政規則に基づいて新薬の安全性と有効性を審査し、その販売を承認している。医薬品に添付する警告文書(添付文書)も、連邦の行政機関によって審査される。そして製薬会社は、1つの医薬品の承認につき、承認の申請料などの手続きおよび研究開発費として平均で約10億ドルの費用を投じなければならず、承認まで数年間も待機しなければならない。それにもかかわらず、連邦法を遵守して多大な費用を負担して承認を得た医薬品を販売したとしても、製薬会社は、製造物責任を追及される危険に晒されている。製造物責任法が主に州法からなり、連邦法の遵守それ自体は必ずしも州法上の責任の抗弁にはならないために、このような事態が生じる。州と連邦の法制度が統一的に機能していないため、連邦法による全米で統一的に行われるべき医薬品の規制の根幹が揺らぎ、製薬会社にとって医薬品を開発する誘因が減少する、というわけである。以上はあくまで事例に過ぎないが、要するに、製造物責任法には製造業者が市場に出回っている危険な製品を自主回収するのを妨げるだけでなく、全米統一的な連邦法の規制を歪めるおそれがある。

このようなアメリカ製造物責任法の問題は、これまでわが国では十分に注目されてこなかった。日本でも、製造物責任法の立法前後の数年間は、1960年代に製造物責任法を確立し、多くの裁判例があるアメリカの状況や法理に関心が集まった。しかし、その後のアメリカの状況や法理についての研究は限られている。しかも、日本では製造物責任と公法的な規制との間の整合を図るという視点も乏しく、むしろ製造物責任を補完するために公法的な規制を拡充することに関心が集中していた。

本稿では、わが国におけるアメリカ製造物責任法の研究の欠落を埋め、アメリカでは製造業者に製品販売後の是正措置をどのように促し、製造物責任と連邦法の規制との間でどのように整合を図ってきたのかを明らかにする。本稿で扱う問題は、これまでは訴訟の数が少なく、公法的な規制を拡充することに腐心してきたわが国では十分な関心を持たれなかったものである。しかしながら、私法と公法的な規制を上手に組み合わせて、より効果的に危険な製品から消費者を守るためには検証する必要性が高い。

本稿では、研究方法としては極めてオーソドックスな判例の分析と整理を採用する。なぜならば、第2章以下で説明するように判例法の漸進的な展開にこそ、アメリカ製造物責任法の真の姿が現れているからである。そのため、本稿では関連する法令、業界の自主基準、そして論文や報告書を検討するにあたっても、裁判所が具体的な事件を解決するためにどのように利用しているのか、という点を最も重視することになる。

本稿の構成は、以下のとおりである。第1章では、連邦法の規制と比較することによって製造物責任の性質を分析する。そこでは、州の判例法に基づく製造物責任の性質が連邦法の規制とは異なること、実際に製造業者による製品販売後の是正措置を妨げるおそれがあること、さらに連邦法の規制を妨げる可能性があることを示す。

第2章では、製造業者による製品販売後の是正措置を妨げないために、裁判所と州議会でどのような法改革が行われたのかを検討する。そこでは、裁判所と州議会が販売後のより優れた科学技術の水準で製品の安全性を判断することをやめ、製造または販売時の水準で製品の安全性を判断するようになるまでの過程を明らかにする。

第3章では、製造業者による製品販売後の是正措置を促すために新たに生み出された法制度を分析する。そこでは、裁判所が販売後のより優れた科学技術の水準で製品の安全性を判断することをやめる一方、それだけでは製造業者に是正措置を促すのに不十分であることから、製造業者に製品販売後の警告義務を課すようになったことを示す。また、第3章では、是正措置のうち製品の回収と修繕については州の判例法では義務づけられておらず、むしろ連邦法に基づいて連邦の行政機関が規制していること、そして製造業者に製品販売後の是正措置を促すために懲罰的賠償も機能していることを明らかにする。

第4章では、州による製造物責任と連邦法の規制との間の不整合を明らかにする。そこでは、たとえある製品について連邦法の規制が存在する場合でも、製造物責任法上の製品の安全基準は州ごとにばらばらであり、製品の安全性と製造物責任が陪審や裁判官によって事件ごとに判断されていることが示される。第4章では、連邦法を含めて法令の遵守それ自体が必ずしも州法上の責任の抗弁にはならない、という原則が分析される。そして、それぞれの事件の事情を考慮して制定されたものではないという理由から、裁判所が連邦法を州法上の製品の安全基準としては認めていないことを明らかにする。

第5章では、全米で統一的な規制を実現するために州法に基づく製造物責任を連邦法の規制で代替する、という試みについて分析する。そこでは、連邦最高裁が合衆国憲法に基づいて連邦法と抵触する州法を無効にしたこと、それによって州の判例法からなる製造物責任も無効にされる場合があったこと、しかしながら、連邦最高裁は、連邦法と州法との間に実際の抵触がない場合には製造物責任を無効にしないことを示す。また、第5章では、州法に基づく製造物責任を連邦法の規制で代替することが合衆国憲法に基づいて理論上は可能でも、現実には極めて難しい理由についても明らかにする。

最後に結論として、製造業者に製品販売後の是正措置を促し、全米で統一的な規制を実現するために進められた法改革の内容について整理する。そこでは、懸念の対象であったはずの訴訟こそ、実は法改革で極めて重要な役割を果たしていることが明らかにされる。製品販売後の是正措置については、州の判例法の改革がまず先行し、その改革を州議会が支援した。裁判所と州議会は、販売時の科学技術の水準で製品の欠陥を判断する一方で、製造業者に製品販売後の警告義務を課した。他方、裁判所は、製品の回収・修繕については連邦法の規制に委ねている。要するに、州の判例法と制定法によって製品販売後の警告義務が、連邦法によって製品の回収・修繕義務が生み出されたことになる。州法に基づく製造物責任と連邦法の規制との間の調整については、全米で統一的な規制を実現するために、連邦法によって独占的に規制し、州法に基づく製造物責任を制限する(連邦法の規制で州法に基づく製造物責任を代替する)という試みが進められた。

以上のように、製造業者に製品販売後の是正措置を促し、全米で統一的な規制を実現するという2つの課題において、その解決を主導したのは立法ではなく裁判手続きである。アメリカでは、大量の製造物責任訴訟が提起され、そのことはこれまで大きな懸念の対象となってきた。しかしながら、その訴訟こそ法を改革する原動力となって、実際に法を変容させている。より適切な抑止効果を志向し、自由を保障するために訴訟が果たす役割の大きさにこそ、州の判例法によって誕生し発展したアメリカ製造物責任法の特徴が顕著に現れている。公法的な規制(連邦法の規制)は、ニュー・ディール期から拡大して重要性を増してはいるものの、危険な製品から消費者を守るために製造物責任訴訟が果たす役割は今日でも極めて大きい。一方で、各州ばらばらの判例法の役割が大きいことから、連邦法の規制との間で整合を図るための手段として合衆国憲法上の連邦の専占法理が発展したことも、アメリカ製造物責任法の展開の中で見逃すことのできない傾向である。

審査要旨 要旨を表示する

1 はじめに

本論文は、現代アメリカの製造物責任法について私法的側面ばかりでなく行政規制的側面や憲法論にまで及ぶ包括的な検討を行った論文である。

つい先頃、アメリカでの日本車の大規模なリコール(製品回収・修繕)が話題となったが、その後アメリカでは300件以上の製造物責任訴訟が提起されているという。これは別に日本の自動車メーカーだけの問題ではなく、製品販売後に何らかの問題が発見されリコールを行うと、アメリカではそれに関連した多数の訴訟が提起されることが少なくない。それがリコールのディスインセンティブになるという懸念が示され、アメリカの製造物責任訴訟は何よりも製品の安全確保のためではなかったかというディレンマが指摘されてきた。同時に、アメリカでは、多くの製品がアメリカ全体を市場とする状況であるにもかかわらず、連邦政府による規制と各州の判例法を中心とする州法による製造物責任法との間で矛盾した法が行われることがあるというもう1つのディレンマが存在し、これら2つのディレンマは相互に関連する複合的な課題を提示してきた。本論文は、アメリカ法における製品安全を促進するための法制度として、製造物責任法とリコールという制度がアメリカ特有の連邦制度の中でどのような役割分担を行っているかを描き出した力作である。

冒頭の部分では、本論文の課題が提示される。アメリカにおいて、製造物責任法が州法であり判例法として発展してきたこと、訴訟件数も連邦裁判所だけで年間数万件に達し、製造物責任法施行以来15年で110件の訴訟という日本とはまったく異なる状況が存在すること、訴訟を恐れて企業がリコールをむしろ遅らせるおそれがないか深刻に懸念されていること、さらに近年製品の安全について連邦政府の各部門が一定の安全基準を定める傾向を強めているが、そこでの統一的安全基準と訴訟との関係が明確でなく、州毎の訴訟が全米で統一的な安全基準の設定の妨げになるという課題が強く意識されるようになってきたことが示される。そのうえで、製造物責任に関する判例の動向が丹念に検討され、その結果、裁判所がかつて一世を風靡した厳格責任(無過失責任)ではなく、製造時点で予見不可能な事態を欠陥とせず、むしろ事後に発見された「不具合」について警告義務を課し、リコールにつなげる傾向を強めていることが指摘される。同時に、裁判所が課すのは警告義務にとどまり、それ以上のリコールの強制は行政に委ねられ、一定の役割分担がなされている点が明らかにされる。さらに、連邦の安全基準をアメリカ全体で統一的に適用するために、アメリカ憲法上の専占法理(preemption)に訴えて、それが連邦法の専占問題だとされると、州法に基づく製造物責任訴訟の提起自体を排除することまでありうるとして、新たな形での連邦政府と裁判所の役割分担の可能性を示す最新の状況が描き出されている。

2 本論文の構成

具体的な本論文の構成は次のようになっている。

第1章では、連邦法の規制と比較しながらアメリカの製造物責任法の特質が抽出される。一方で、不法行為法上の厳格責任を中心とする製造物責任法の第1の目的は製品の安全性確保・促進であり(被害者救済や損害の公平な填補はあくまでも二次的な目的にすぎない)、その点で行政による規制と目的を一にする。他方で、州の判例法に基づく製造物責任法が厳格責任化したことで、逆に製造業者による製品販売後の是正措置(その典型がリコール)を妨げるおそれがあり、さらに連邦法の規制を妨げるおそれがあると指摘されてきた状況が示される。

第2章では、製造業者による製品販売後の是正措置を妨げないために、近年、裁判所と州議会でどのような法改革が行われたのかを検討する。そこでは、裁判所と州議会が販売後のより優れた科学技術の水準で(つまりいわば後知恵で)製品の安全性を判断することをやめ、製造または販売時の水準で製品の安全性を判断する傾向が示される。

第3章では、製造業者による製品販売後の是正措置を促すために新たに生み出された法理の発展が分析される。裁判所は販売時点で予見不可能な事態への責任追及をやめる代わりに、製造業者に製品販売後発見された不具合について警告義務を課すようになった。また、是正措置のうち製品の回収と修繕については州の判例法ではなく、むしろ連邦法に基づいて連邦の行政機関が規制していること、そして製造業者に製品販売後の是正措置を促すために懲罰的賠償も機能していることが明らかにされる。

第4章では、州による製造物責任と連邦法の規制との間の不整合が示される。たとえある製品について連邦法の規制が存在する場合でも、製造物責任法上の製品の安全基準は州毎にばらばらであり、製品の安全性と製造物責任が陪審や裁判官によって事件毎に判断される。連邦法を含めて法令の遵守それ自体は必ずしも州法上の責任の抗弁にはならない。そして、それぞれの事件の事情を考慮して制定されたものではないという理由から、州の裁判所は連邦法を州法上の製品の安全基準としては認めていないことも示される。

そこで第5章では、全米で統一的な規制を実現するために州法に基づく製造物責任を連邦法の規制で代替する、という新たな試みが提示される。連邦最高裁が、合衆国憲法に基づき連邦法がそれと抵触する州法を排除する専占法理を製造物責任法に適用しはじめたのである。これは、(それ自体州法に基づく)製造物責任訴訟を提起できなくする効果までもつ劇薬であり、あくまでも連邦法と州法との間に実際の抵触がある場合に限られているものの、注目すべき動きである。同時に、州法に基づく製造物責任を連邦法の規制で代替することが合衆国憲法に基づいて理論上は可能でも、現実には極めて難しい理由についても検討されている。

最後に結論として、次の点が提示される。

アメリカでは製造物責任訴訟は、製品安全のための法としてきわめて重要な役割を果たしてきた。ところが、販売後に不具合がわかるようなケースで厳格責任を追及するだけでは、製品安全の促進に逆行すると認識されるようになった。製品販売後の是正措置を促進するために、州の判例法の改革がまず先行し、その改革を州議会が支援した。改革の中心は、販売時の科学技術の水準で製品の欠陥を判断することと、製造業者に製品販売後の警告義務を課すということである。

その中で、裁判所は、製品のリコールについては連邦政府の規制に委ねた。つまり、一方で州の判例法と制定法によって製品販売後の警告義務が、他方で連邦法によって製品の回収・修繕義務が生み出され、一定の役割分担が行われている。さらに、一定の場合、全米で統一的な規制を実現するために、連邦法によってある問題点を独占的に規制し、州法に基づく製造物責任を制限する(連邦法の規制で州法に基づく製造物責任を代替する)という試みさえ行われている。

このように、本論文は、製品安全性の確保と推進のために、州レベルの製造物責任法と連邦政府による行政規制とが、互いに競争し協調するというアメリカ法の下でのダイナミズムを描き出した。

3 本論文の評価

本論文の長所としては次の点が認められる。

第1に、アメリカ製造物責任法についてのわが国の研究は、わが国において製造物責任法が施行された1995年当時までに1つのピークを迎え、その後は低調に推移していたところ、本論文がその後のアメリカ法の動向を明らかにした点がある。1998年に製造物責任法第3次リステイトメントが出され、わが国でも翻訳が出版されるなど、アメリカ法における過失責任主義の復活とも呼べる傾向は知られていたが、それがどのような背景の下に生じ、その後どのような動きになっているかは必ずしも十分にフォローされていなかった。本論文は、製造物責任の厳格責任化により製品安全が妨げられる場合があるという認識が強まり、むしろ事後的に判明した不具合について裁判所が警告義務を課すことと、行政の介在によるリコールの促進と、かつ連邦政府による安全基準の策定で全国統一的に製品安全の維持・増進を図ろうとする動きが背景にあることを明らかにした。

第2に、製造物責任法といえば、多くの場合、私法上の賠償責任を問うことだけを想定しがちだが、本論文では、アメリカ法特有の事情として、私法上の責任が州法かつ判例法で形成され、しかもその第一次的機能・目的は製品安全の促進(事故の防止)にあるとされてきたこと、その点で行政規制と目的を同一にしており、私法上の責任もリコールを命ずる行政規制も同じ目的を達成するための競争・協調関係にあるというアメリカ法の立体的・総合的法制度の仕組みが明らかにされた。販売後に判明した不具合について、裁判所では警告義務を課しその公表(disclosure)を促進させ、行政府ではそれに基づきさらに進んでリコール等を命ずるという役割分担が行われている。また、全国統一的な規制が望ましい製品の安全性については、連邦政府による規制が重要なものとして登場し、近年、アメリカ憲法の専占法理を利用して、州法による賠償責任訴訟を排除することすら行われているという特異な姿が示された。これも、法の目的は同じ製品安全というところにあり、私法も公法も、州法も連邦法も、すべてはそのための手段という柔軟な法思想の表れでもある。このような本論文の叙述は、製造物責任法について限られた視野や論点ではなく、まさに製造物責任法の目的の原点に立ち返って、それに関連する法制度を総合的に研究する姿勢を示した点で有意義である。

第3に、本論文のアプローチの主軸は丹念な判例研究にあり、本文で事案の概要を含めて説明する判例は100件近くになるなど、関連資料を丁寧に検討した跡が十分にうかがわれる。判例の紹介部分は平板で難解な記述になりがちだが、本論文の筆致は平明簡素であり、筆者がわかりやすい説明を心がけている点も評価できる。

しかし、本論文にもさらに改善すべきと思われる点がある。

まず、アメリカ法の動向について記述的な説明が大半を占めており、このような形で整理した点は評価できても、さらに進んで理論的な説明や分析により深い踏み込みがなされていればと惜しまれる。たとえば、アメリカ法が1970年代まで製造物責任の厳格責任化を進めた背景には、無過失責任が製品安全に資するというカラブレイジなどを代表とする,一部の「法と経済学」による理論的支持もあった。それがどの点で破綻したのか、あるいは理論的破綻ではなく別個の要素が勝ったのか。また、連邦制度に特有なアメリカ憲法の専占法理が製造物責任訴訟の排除にまで及んできているという指摘自体は有益であるが、いかなる場合にそれが適用されるかについての、より大きな視点から見た制度論的分析が十分になされているとは必ずしもいえない。したがって、製造物責任やそれを通じた製品安全の確保という命題自体は普遍的な課題であるから,読者はどのような示唆が日本法に対し得られるかを期待したいところであるが、その部分での貢献もやや物足りないという印象が残る。

しかしながら、これらの点は、まさに本論文の後でなすべき作業であり、本論文がその礎を作ったという功績は十分に評価することができる。

以上から、本論文は,その筆者が自立した研究者としての高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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