学位論文要旨



No 126362
著者(漢字) 温,笑
著者(英字)
著者(カナ) オン,ショウトウ
標題(和) 金融商品取引所のコーポレート・ガバナンス規制と法
標題(洋)
報告番号 126362
報告番号 甲26362
学位授与日 2010.09.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第244号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,友敬
 東京大学 教授 神作,裕之
 東京大学 教授 樋口,範雄
 東京大学 教授 斎藤,誠
 東京大学 教授 浅香,吉幹
内容要旨 要旨を表示する

日本では、従来、コーポレート・ガバナンス規制は基本的に会社法上の問題として取り扱われてきた。しかし、近年、会社法の自由化・規制緩和の拡大に伴い、経営裁量の自由と取引の柔軟性が高められた一方、コーポレート・ガバナンス上の問題が深刻になっている。最近、アメリカ、EU、および内外の機関投資家などから、日本企業とりわけ上場会社のコーポレート・ガバナンス向上の要請、さらには、国家制定法による規律の限界あるいはソフトローの活用といった問題意識の高まりを受け、取引所によるコーポレート・ガバナンス規制が注目されているのである。

現に、東京証券取引所は、敵対的買収防衛策や第三者割当てなど、コーポレート・ガバナンスに深く関係する事項について、きわめて重要な取引所ルールを策定し実施するに至っている。コーポレート・ガバナンスに関する取引所の自主規制と法の相互関係、取引所のコーポレート・ガバナンス規制において行政と司法の役割とその限界について、ソフトローの観点から研究が深まりつつあるが、必ずしも議論が十分に尽くされていないところが多い。本稿は、自律的に生成し、次第に国家による監督が強化されてきたアメリカにおける取引所の自主規制と、反対に当初から「上からのソフトロー」として発展しつつある中国を参考に、コーポレート・ガバナンスに係る規律の対象を具体的に特定しつつ、取引所の自主規制の利害得失を検討し、日本法が今後この問題について検討する際に必要と考えられる基礎的な視座を提供することを試みたものである。

これまで、取引所の上場会社に対するアプローチは、上場審査と上場廃止措置以外は、基本的に会社情報の適時開示と上場株式数の把握等を中心とするものであった。しかし、本来、取引所の規則は、上場会社を念頭に、特に質の高い規律付けが求められており、そのため、日本では、コーポレート・ガバナンス規制の不備や留意すべき事項について、制定法により適切な規律を行うことに加え、法規制に比べて、より高度な柔軟性と専門性を具えているなど様々な長所が認められる取引所の自主規制を活用することが望ましい場合があり得る。

本稿は、上場会社のコーポレート・ガバナンス規制に関するアメリカ、中国、および日本の取引所のこれまでの取り組みを踏まえ、法との関係における取引所のコーポレート・ガバナンスの役割を、大きく2つのパタンに分けることにした。すなわち、第1は、本来であれば、制定法が規制すべきところ、制定法ができるまでの間、一時的ないし暫定的な対応策として、取引所の自主規制が制定法を補完する役割を果たすパタンである。その場合は、投資家の保護や証券市場の効率性の観点から望ましいルールの内容が明らかになれば、直ちに立法化することが望ましいと考えられる。第2のパタンは、制定法によって概括的、一般的に規制する手法も可能であるが、それでは不都合が生じるため、制定法に代替して、あるいは制定法と協調しながらより望ましい規制方法として取引所規則が選ばれた場合である。

そして、本稿は、取引所の自主規制と法が相互に作用している点に鑑み、法との関係における取引所の自主規制の役割だけではなく、取引所のコーポレート・ガバナンス・ルールがうまく機能するため、法がいかなる役割を果たすべきか、取引所の自主規制が機能するための条件を明らかにすることを目的の1つとしている。取引所がコーポレート・ガバナンスを規制し、とりわけ制定法に代替して規制を行うためには、取引所が社会全体にとって望ましいコーポレート・ガバナンス・ルールを制定し執行するインセンティブと、これらのルールを実効的にエンフォースできる能力と手段とを有していなければならない。

しかし、取引所が自ら行っている事業または事業活動に対する規制になり得るという点において、自主規制に対する熱意や真摯さを欠く傾向があり、時には政府による直接規制を回避する口実として自主規制を行う場合がある、あるいは、取引所が自主規制機関として強制権限を有しないことから、規制対象に対してルールの遵守を強制し、徹底的に調査することが困難である、といった欠点があることは、取引所による自主規制の限界としてよく知られているところである。

インセンティブの確保の問題について、本稿は、1980年代前後、コーポレート・ガバナンス規制に対するNYSEの姿勢変化と、それに対するSECの取り組みを紹介し、コーポレート・ガバナンス・ルールは、株主保護に資する結果になったかもしれないが、必ずしも純粋に株主保護を目的として策定されたわけではなく、取引所間の競争環境等から大きな影響を受けていることを明らかにした。すなわち、取引所は、コーポレート・ガバナンス・ルールの採択と執行が競争上有利であると判断する場合には、取引所による積極的な株主保護を期待できるけれども、取引所の競争上の地位を不利にするおそれがある場合には、取引所のコーポレート・ガバナンスを規制するインセンティブは減少するのである。要するに、市場間の競争圧力は、コーポレート・ガバナンス・ルールの「奈落への競争」をもたらすことも、「頂点への競争」をもたらすことも理論的には双方あり得るのである。したがって、重要なことは、ある取引所を取り巻く競争環境が当該取引所のコーポレート・ガバナンス規制にどのような影響を及ぼしているかを正しく認識し、健全なコーポレート・ガバナンス・ルールの形成を促進する競争環境を整えることであるが、このことは、取引所自身ではなかなか到達することは困難であるため、行政による介入が必要とされるのである。

しかしながら、取引所のコーポレート・ガバナンス規制に対する行政の介入には、さまざまなレベルのものがありうる。アメリカでは、連邦法と州法の管轄に由来する問題から、コーポレート・ガバナンス基準に対するSECの監督権限がかなり制限されており、SECが自ら取引所の上場基準を追加・変更したり、その違反行為に対し上場廃止以外のサンクションを加えたりすることができないため、政府の介入は受動的かつ補助的なものにとどまる。それに対し、中国の取引所は、アメリカと違って独自に発展してきたわけではなく、そもそも行政の主導下に生まれたものであって、行政監督機関の実質的な附属機関として、その規制行為に強い行政的な色彩がみられる。そのため、政府は、取引所のコーポレート・ガバナンス・ルールの策定および執行に深く介入し、場合によっては、取引所に代わって上場会社のコーポレート・ガバナンスを直接に規制したりするなど積極的・支配的な役割を果たしている。

本稿は、中国の経験を踏まえ、取引所のコーポレート・ガバナンス規制にする過剰な行政介入は、場合によっては行政監督機関の権限を越えるものとなり、また取引所の自主規制機能を損なうだけでなく、行政訴訟リスクの増大と行政効率の低下にもつながるので、合理的な行政介入が重要であることを指摘する。

そして、コーポレート・ガバナンス・ルールのエンフォースメントの問題に関しては、本稿は、取引所によるエンフォースメントの場合と株主または投資者によるエンフォースメントの場合とに分けて議論し、前者については、コーポレート・ガバナンス・ルールを上場会社と取引所との私的契約に基づくものと理解し、ルール違反の場合に基本的に上場廃止が最大かつ有効なサンクションであるというのでは、上場会社を取り巻く外部環境や経営者の機会主義的な行動などにより、コーポレート・ガバナンス・ルールの実効性を十分に確保することはできないことに加え、投資者に対してもさらなる大きな損害を与えてしまうおそれがあることを、アメリカの議論および経験に基づき論証する。他方、中国では、取引所が、上場会社の経営者や支配株主と直接に契約を締結することで、上場会社の行動をより実質的に牽制するという方法を採用したり、あるいは、コーポレート・ガバナンス・ルールの公的性質をより重視して、行政によるエンフォースメントをある程度可能にしており、実効性の確保という観点からは一定の参考になり得るものと考えられる。

また、取引所によるエンフォースメントに関連して、司法的介入の抑制も重要な論点となる。アメリカの判例法は、取引所の自主規制の効率性を確保するために、憲法上の適正手続条項の適用免除、民事損害賠償責任の絶対免除、反トラスト法の適用免除、内部的救済を尽くす原則など採用し、司法による介入を大幅に制限することによって、証券自主規制の効率性を確保している。この点は、日本も大いに参考すべきである。しかし、アメリカにおける司法的介入の抑制は、SECの監督権限の強化とSECに対する取引所の独立性の維持を背景としており、これらの前提条件なくして、司法による介入を抑制することは、株主または投資者の利益侵害に対し司法的救済を放棄することにほかならないことに注意を払うべきである。

そして、取引所によるエンフォースメントが上場会社の違反行為を抑制できない場合には、株主等の私人が司法的救済を通してルールのエンフォースメントを図る可能性を残す必要があると考えられる。アメリカの判例法では、株主によるエンフォースメントの法的根拠として、(1)上場契約における第三者受益者としての権利性、(2)連邦証券法に基づく黙示の私的訴権、(3)信任義務違反による法的救済、(4)上場廃止による回復不可能な損害に基づく暫定的差止命令などが挙げられており、それぞれ検討に値すると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

会社法の規制緩和により経営者の裁量が拡大し,他方,企業間の国際競争が激化するなかで,健全かつ効率的なコーポレート・ガバナンスを確保するための規律として,金融商品取引所(証券取引所)の定めるガバナンス・ルールに注目が集まっている。実際,東京証券取引所は,敵対的買収防衛策や第三者割当増資・独立取締役など,コーポレート・ガバナンスに深く関係する事項について,きわめて重要なルールを策定し実施するに至っている。本論文は,証券取引所の策定するガバナンス・ルールに着目し,その存在意義と限界,会社法・金融商品取引法との相互関係等について,理論的な観点から検討を行ったものである。検討に際し,本論文は,自律的に生成し,次第に国家による監督が強化されてきたアメリカにおける取引所の自主規制と,当初から行政が主導的な役割を担いいわば「上からのソフトロー」として取引所規則を位置付けてきた中国を参考に,第三者割当増資などコーポレート・ガバナンスに係る具体的な論点毎に取引所の規律を取り上げて比較を行う。比較検討に基づき,取引所の自主規制の利害得失を検討し,取引所の自主規制が機能するための条件に関し,インセンティブとエンフォースメントを軸とした理論的枠組みを提示する。さらに,取引所の自主規制に対し,行政および司法がどのような根拠に基づきどの程度介入すべきかについても,アメリカおよび中国を参考に,考察を行う。

本論文は5章からなる。まず第1章においては,上述した問題提起と本論文の考察のあり方が説明される。

続く第2章では,コーポレート・ガバナンスに係る規制項目毎に,アメリカ,日本および中国において取引所がどのような規制を置いているのかを沿革も含め調査し,その役割と限界を分析する。その上で,本論文は,取引所のコーポレート・ガバナンスに係る自主規制には,2つの異なるタイプがあると指摘する。第1類型は,本来であれば,制定法による規制がなされるべきところ,制定法ができるまでの間,暫定的な対応策として,取引所の自主規制が制定法を補完する役割を果たす場合である。この場合には,投資家の保護や証券市場の効率性の観点から望ましいルールの内容が明らかになれば,直ちに立法化することが望ましいと考えられる。第2類型は,制定法により規制することも可能であるが,それではかえって不都合が生じうるため,より適切で望ましい規制手法として,いわば制定法に代替するあるいは制定法と協調する形で,取引所規則による規制が積極的に選択される場合である。

取引所のガバナンス・ルールには,その柔軟性・迅速性・専門性という自主規制に一般的に認められるメリットがある。このため第2類型が生まれてくるわけであるが,他方,自主規制は,取引所が自ら行っている金融商品市場の開設およびこれに付帯する業務に対する制約にもなりうる点において,自主規制に対する熱意や真摯さを欠く可能性がある。さらに,時には政府による直接規制を回避する口実として自主規制が行われる場合や,取引所が自主規制機関として強制権限を有しないことから,規制対象に対してルールの遵守を強制し,徹底的に調査することが困難であるといった欠点がある。そこで本論文は,自主規制がその機能を適切に発揮するためには,取引所に社会全体にとって望ましいルールを制定し執行するインセンティブがあり,かつ,これらのルールを実効的にエンフォースできる能力および手段を取引所が有している必要があるとする。この点を検討するのが,本論文の中心をなす,第3章および第4章である。

本論文第3章は,取引所のインセンティブの確保と行政介入の関係につきアメリカと中国の状況の比較を通じて検討する。まず,アメリカの経験から,取引所のコーポレート・ガバナンスに関する規制が取引所間の競争環境等から大きな影響を受けることを明らかにする。すなわち,1980年代前後,コーポレート・ガバナンス規制に対するニューヨーク証券取引所(NYSE)の姿勢変化と,それに対する米国証券取引員会(SEC)の取り組みを紹介し,コーポレート・ガバナンス・ルールは,結果として株主保護に資する面もあったかもしれないが,必ずしも純粋に株主保護を目的として策定されたわけではなく,コーポレート・ガバナンス・ルールの採択と執行が競争上有利であると判断する場合には,取引所による積極的な株主保護を期待できるけれども,取引所の競争上の地位を不利にするおそれがある場合には,取引所が規制を行うインセンティブが減少し,そのことがSECによる介入の契機となったことを指摘する。要するに,市場間の競争圧力は,コーポレート・ガバナンス・ルールの「奈落への競争」をもたらすことも,「頂点への競争」をもたらすこともありうるのであるしたがって,重要なことは,ある取引所を取り巻く競争環境が当該取引所のコーポレート・ガバナンス規制にどのような影響を及ぼしているかを正しく認識し,健全なコーポレート・ガバナンス・ルールの形成を促進する競争環境を整えることである。このことは,取引所自身によっては到達困難であるため,行政による介入の正当化の根拠となる。

もっとも取引所のコーポレート・ガバナンス規制に対する行政の介入には,さまざまなレベルのものがありうる。アメリカでは,連邦法と州法の管轄に由来する問題から,コーポレート・ガバナンス基準に対するSECの監督権限がかなり制限されており,SECが自ら取引所の上場基準を追加・変更したり,その違反行為に対し上場廃止以外のサンクションを加えたりすることができないため,政府の介入は受動的かつ補助的なものにとどまる。これに対し,中国の取引所は,アメリカと異なり自律的に発展してきたわけではなく,そもそも行政の主導下に設立された行政監督機関の実質的な附属機関というべきものであって,その規制行為には強い行政色がみられる。そのため政府は,取引所のコーポレート・ガバナンス・ルールの策定および執行に深く介入し,日米では会社法で規律されている利益相反規制などについても,取引所のガバナンス・ルールにより規制されている。このような中国の状況を踏まえ,本論文は,取引所のコーポレート・ガバナンス規制に対する過剰な行政介入は,場合によっては行政監督機関の権限を越えるものとなり,また取引所の自主規制機能を損なうだけでなく,行政訴訟リスクの増大と行政効率の低下にもつながるので,行政介入は合理的な範囲内でなされるべきことを指摘する。

第4章では,取引所ルールのエンフォースメントと司法介入の関係が論じられる。この問題に関して,本論文は,取引所によるエンフォースメントと株主または投資者によるエンフォースメントとに分けて論ずる。前者すなわち取引所によるエンフォースメントについては,コーポレート・ガバナンス・ルールを上場会社と取引所との私的契約に基づくものと理解し,ルール違反に対するもっとも効果的な制裁が上場廃止であるというのでは,上場会社を取り巻く外部環境や経営者の機会主義的な行動などにより,コーポレート・ガバナンス・ルールの実効性を十分に確保することはできないことに加え,投資者に対して大きな損害を与えてしまうおそれがあることを,アメリカの議論および経験から明らかにする。他方,中国では,取引所が,上場会社の経営者や支配株主と直接に契約を締結することにより上場会社の行動をより実効的に牽制するという方法,および,コーポレート・ガバナンス・ルールの公的性質をより重視して行政によるエンフォースメントをある程度可能にしており,実効性の確保という観点からは一定の参考になりうるとする。

後者すなわち,株主等の行動を通じた司法的介入の抑制も重要な論点となる。アメリカの判例法は,取引所の自主規制の効率性を確保するために,憲法上の適正手続条項の適用免除,民事損害賠償責任の絶対免除,反トラスト法の適用免除,内部的救済を尽くす原則などを採用し,司法による介入を大幅に制限することにより,取引所の自主規制の効率性を確保している。しかし,司法的介入の抑制は,SECの監督権限の強化とSECに対する取引所の独立性の維持を背景としており,これらの前提条件なくして,司法による介入を抑制することは,株主または投資者の利益を侵害するおそれがある。そして,取引所により上場会社の違反行為を抑制できない場合には,株主等の私人が司法的救済を通してルールのエンフォースメントを図る可能性を残す必要があると指摘する。アメリカの判例法では,株主によるエンフォースメントの法的根拠として,(1)上場契約における受益者としての権利性,(2)連邦証券法に基づく黙示の私的訴権,(3)信任義務違反による法的救済,(4)上場廃止による回復不能な損害に基づく暫定的差止命令などが挙げら乳ており,日本においても検討に値すると結論づける。

第5章において,取引所の自主規制と法との相互関係を明らかにしたうえで,日本法への示唆を述べる。取引所のガバナンス・ルールについては,インセンティブとエンフォースメントの観点から行政の合理的な介入が必要であることを確認し,同時にそれらの観点は法により規制すべきか取引所により規制すべきかを検討するに際し考慮されるべきであると結論する。同時に,行政監督が及ばない場合や取引所の自主自律性が欠落している場合など,取引所の自主規制に対し司法介入が必要とされる場合の条件を提示する。

本論文には,以下の特色が認められる。

第1に,本論文は,近年,理論的にも実務的にもきわめて重要な課題となっている,第三者割当増資の規制や独立取締役の要求といったコーポレート・ガバナンスの核心に関わる事項について,国家制定法(ハードロー)ではなく取引所の自主規制(ソフトロー)により規制を行う場合の利害得失および両者の相互関係について,理論的な分析を試みた研究であり,先行研究が乏しい分野において着眼の鋭い貴重な研究であると評価できる。

第2に,本論文は,取引所の自主規制には,異なる2つの類型があること,すなわち,取引所の自主規制には,国家による法規制がなされるまでの暫定的・実験的なものと,より積極的に国家による法規制に代替しまたはそれと協働してソフトローによる規律が選択される場合があるとして,取引所の自主規制はコーポレート・ガバナンスの領域で国家制定法および裁判所による司法的救済とは違ったメカニズムで役割を果たしうることを指摘する。取引所の自主規制によるガバナンス・ルールが,会社法より柔軟かつ迅速に市場の声を反映しうるために制定法より望ましい規制手法として積極的に選択される場合がありうることを指摘した点は,理論的に重要な指摘であると考えられる。

第3に,取引所の自主規制が期待された機能を発揮するための条件に関する理論的な枠組みを提示した点も評価に値する。すなわち,自主規制制定機関による規制が期待された機能を発揮するためには,インセンティブおよびエンフォースメントという2つの観点から検討する必要があるとする。とくにアメリカの経験を踏まえ,取引所が自己の固有業務との関係で競争上,市場および社会から期待されるような自主規制を創成しないなど,役割を発揮しない場合があったという事実を示し取引所のガバナンス規制には競争環境に依存する側面が大きいことを明らかにした点も,本研究の功績であるといえよう。

第4に,取引所のルールについて,本論文が,行政による監督および行政とめ協調が必要であることをアメリカおよび中国の検討から導き出している点は従来あまりなかった指摘である。すなわち民間の自主規制として創成・発展し,次第に行政の監督下に置かれるようになっていった「下からのソフトロー」モデルのアメリカ法と,当初から行政の主導の下に取引所規則が制定・運用されている「上からのソフトロー」モデルの中国法をとりあげ,上述したインセンティブとエンフォースメントという2つの観点を横串として,取引所によるガバナンス・ルールにはいずれにおいても脆弱性があるとして,アメリカおよび中国の両国において,行政が自主規制機関に対する監督的な機能を担い,エンフォースメントを補助している点を指摘する。やや単純に図式化されすぎているきらいもないわけではないが,取引所のガバナンス規制に関する対照的なアプローチがとられている例として,比較が成功している。

第5に,アメリカおよび中国の比較研究から,取引所の自主規制に係る取引所および行政に対し司法が関与する必要があること,しかしながら司法の関与は行政による監督やエンフォースメントが不十分な場合など,限定的であるべきことを指摘した点も評価できる。

他方,本論文にもいくつかの問題点がないわけではない。

第1に,取引所のガバナンス規則のうち,本論文のいうところの第1類型のソフトローと第2類型のソフトローとが,どのような根拠および基準に基づき区分されるのか,たとえば第三者割当増資や敵対的買収防衛策に係る規律は,会社法で規制すべきものなのか,それとも現在のように取引所の規則により規律すべきものなのかという問題を分析してゆくための理論的な方向性が示されていない。とくに,コーポレート・ガバナンスに係る各論的な諸論点についての日本・米国・中国の取扱いの異同についての総括的な分析がなされておらず,各国における取引所ルールと制定法による規律の切り分けはもっぱら歴史的な経緯に依存したものとして割り切った説明がなされている点が惜しまれる。

第2に,上場契約という契約に基づく取引所の自主規制が,他のソフトロー,たとえば,業界団体の自主規制(不公正取引に係る業界の自主規制等)と比較してどのような点において特色を有するのか,すなわち取引所のルールのソフトローとしての特徴が十分に考察されていない。また,取引所のガパナンス・ルールのエンフォースメントが実際にどのように図られており,どのような限界を抱えているのかについて,実態に係る調査研究が行われておれば,本論文の説得力は一層増したことであろう。

しかし,本論文がとりあげている第三者割当増資や独立取締役等について,制定法で規律すべきか取引所の自主規制によるべきか等の問題は,現在開催されている法制審議会会社法制部会における最重要論点の1つでもあり,本論文は,そのようなアクチュアルな問題に関する先駆的かつ基礎的な研究として高い価値を有するものと評価される。

以上から,本論文の著者が自立した研究者あるいはその他の高度の専門的な業務に従事するに必要な高度な研究能力およびその基礎となる豊かな学識を備えていることは明らかであり,本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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