No | 126364 | |
著者(漢字) | 榧野,真美 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | カヤノ,マミ | |
標題(和) | [11C]racloprideとPETを用いた食物の視覚刺激提示に対する神経性無食欲症患者の線条体ドーパミンD2受容体結合能の変化に関する検討 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 126364 | |
報告番号 | 甲26364 | |
学位授与日 | 2010.09.22 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(医学) | |
学位記番号 | 博医第3560号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 内科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | I. はじめに 神経性無食欲症(Anorexia Nervosa:以下AN)は,正常体重維持の拒否,体重増加への恐怖,身体像の著しい障害,無月経により特徴付けられる。精神症状や,重篤な身体的疾患を合併することが多く,発症年齢の低年齢化,日本を含む非西欧諸国での増加など,社会に与える影響も大きく,疾患に関わる神経基盤の特定が予防ならびに治療の上で重要である。 ANの病態には,様々な因子が関与しているといわれているが,先行研究において,AN患者の過活動,無月経,強迫性,金銭報酬タスクでの報酬の獲得と損失の識別困難、つまり報酬学習における情報処理過程の異常や,新奇性探求の低下など,ドーパミンの関与を示唆する特徴的な臨床所見が報告されている。また,AN患者を対象とした陽電子放出断層撮影法(Positron Emission Tomography:以下PET)などの脳機能画像法を用いた先行研究では,安静時の糖代謝あるいは脳血流で,尾状核や被殻などの線条体領域での変化が多く報告されている。線条体は,ドーパミンニューロンの主な投射部位の一つであり,ANでは,ドーパミン系の異常が見出される可能性が高いと考えられるが,現時点において,その可能性を検討した研究はない。 そこで,本研究では,AN患者を対象とし,[11C]racloprideを標識リガンドとするPET撮影により,食物の視覚刺激提示に対する,AN患者の線条体ドーパミンの反応を健常群と比較することにより,AN患者にとって,食物刺激が報酬系と関連のあるドーパミンの変化にどのように影響を及ぼすのかを検証するとともに,その変化の意義を心理学的指標を用いて検討することを目的とした。 II.方法 1.対象 東京大学医学部附属病院心療内科を受診し,DSM-IVの診断基準による神経性無食欲症の制限型,あるいは,むちゃ食い/排出型の診断基準を満たす患者および,患者群と性別,年齢,教育レベル,社会経済因子を一致させた健常者を対象とした。 なお,AN群では,精神病性障害,気分障害,パニック障害,物質関連障害の合併,あるいは神経学的所見のある患者,抗精神病薬内服の既往のある患者は除外した。健常者に関しては,精神疾患の既往歴あるいは家族歴,身体疾患の合併があるものは,除外した。 本研究は,東京大学医学部附属病院倫理委員会により承認され,すべての被験者に対して,本研究の目的および方法について,十分に説明を行った上で,署名により同意を得た[倫理委員会承認番号619-(1)]。 2.撮影方法 今回は,[11C]racloprideを用いて,PET画像撮影を行った。[11C]racloprideは,ベンザマイド系の抗精神病薬racloprideの11C標識体で,ドーパミンD2受容体に対して,選択性,親和性が高く,薬剤分布の時間変化を解析することにより,受容体の結合能を調べる事ができる。今回は,後述する中立刺激提示条件をベースラインとし,食物刺激提示条件を介入時として,各々の[11C]racloprideのD2受容体への結合能を測定した。このため,被験者は約2週間の間隔を空けて2回撮影された。 撮影開始前16時間は絶食(水分のみ可)とした。被験者をPET装置の寝台に仰臥位とし,最初に,減弱補正のためのトランスミッションスキャンを行った上で,[11C]racloprideを経静脈的に注入し,エミッションスキャンを行った。撮影中はスクリーン上の写真を集中して見るよう教示された。 3.刺激提示 中立刺激提示条件では食べ物や体重・体型に関連しない,かばんや文房具などの写真を,食物刺激提示条件では,ケーキや肉料理などの食物の写真を視覚刺激提示ソフトにより15秒に1枚の速度で,60分間連続提示した。 4.ANの病態評価 被験者の病態や重症度の評価を行うため,Eating Disorder Inventory-2を施行した。 5.撮影の直前直後の心理的評価 スキャンの前後に,各被験者の刺激に対する気分状態や食物に対する快評価,渇望の程度などを,visual analog scale(VAS)にて評価した。 6.画像解析 両側の尾状核,被殻,および参照領域となる小脳に関心領域を設定し,各々の領域の時間‐放射能曲線を作成した。ダイナミックイメージから小脳を入力関数として,Logan's graphical approachを用い,Binding Potential(BP)を算出し,ドーパミンD2受容体結合能の評価を行った。今回は,中立条件下で得られたBPを,ベースラインのD2受容体結合能とした。 7.統計解析 年齢,身長,体重,BMI,罹病期間,教育年数,EDI-2の得点,各条件下のBinding Potentialは平均値±標準偏差で示した。これらのデータを,健常群とAN群で比較する際は,t検定を用いた。また,撮影の直前と直後にVASにより評価した各項目については,健常者,ANの各群ごとに,実験条件,中立条件における撮影前と撮影後の得点を,paired t検定を用いて比較した。また,各関心領域における,各群のBPの変化のパターンの解析には,反復測定二元配置分散分析を用いた。さらに,各群の中立条件と実験条件のBPの変化率とEDI-2の得点の関連性の検討には,Pearsonの積率相関係数を用いた。 III.結果 EDI-2の得点を健常者群とAN群で比較したところ,AN群では,やせ願望,対人不信,内界への気づきの欠如,禁欲性,衝動統制の困難さ,社会不適応の項目が健常者と比較して有意に高値であった。 また,食物刺激提示条件での撮影の前後で,健常者では,食物刺激提示条件下で「おいしそうだ」の項目の得点が有意に増加し,AN群では,「幸せな気分だ」の項目の得点が有意に低下した。 次に,被験者内因子を条件,被験者間因子をグループとして,反復測定二元配置分散分析を行ったところ,左被殻において,実験条件とグループの間に有意な交互作用を認め,AN群と健常者群における,BPの変化のパターンが異なっている事が示された。 また,EDI-2の各下位尺度の得点とBPの変化率の間の相関を算出したところAN群では,右被殻と「社会不適応」,左尾状核と「やせ願望」,左尾状核と「内界への気づきの欠如」の尺度得点との間に有意な正の相関を認めた。 IV.考察 本研究で使用した食物刺激提示に対して,健常者では,快評価が惹起されたのに対し,AN群では,幸福感が低下しており,食物刺激が報酬として作用しなかったことが示唆された。 動物や健常人を対象とした先行研究では,食物刺激により脳内ドーパミンの放出が示唆され,このドーパミン放出が食物に対する快評価や渇望などと相関しており,食物が報酬として作用している事が示されている。一方,ANを対象として食物刺激を提示した際の脳内ドーパミンの反応を検討した研究はこれまでにないが,食物に対して嫌悪感や恐怖感が喚起されたことは数多く報告されており,ANでは食物が報酬として機能していないことが示されており,今回のわれわれの研究はこれらの先行研究を支持したものと考えられる。 また,健常者とAN群においては,食物刺激提示条件と非食物提示条件下での左被殻におけるドーパミンの反応のパターンに有意差があることが示され,食物に対する報酬的価値の両群の相違が反映された可能性があると考えられた。 また,BPの変化率とEDI-2の得点の間の相関関係を検討したところ,AN患者では,社会不適応,やせ願望,内界への気づきの欠如の程度が重篤であるほど,食物刺激に対して線条体のドーパミン系の反応が乏しい事が示唆された。これらの症状は,先行研究でもドーパミンの関与が指摘されており,本研究は先行研究の結果を一部支持したものと考えられたとともに,これらの症状が重篤であるほど食物刺激に対してよりドーパミンが放出されなくなった本研究の結果は,ANにおける認知のゆがみを反映した可能性があると考えられた。 V.結語 本研究は,AN患者を対象として,PETと[11C]racloprideを用いて,病態に関連した刺激を提示した際のドーパミンの反応を測定し,健常者と比較検討を行い,さらに,心理尺度との関連を検討した初めての研究である。 今回我々は,PETと[11C]racloprideを用いて,視覚刺激提示により,食物刺激に対するドーパミンD2受容体結合能を,健常者群とAN群で比較検討した。 本研究では,若年健常女性群とAN患者群の間に,食物刺激提示条件下と非食物刺激提示条件下でのドーパミンD2受容体結合能の変化のパターンに有意差を認めており,両群での食物に対する報酬価の違いを反映している可能性が示唆された。 また,背側線条体における[11C]racloprideの変化率と,心理尺度の相関を検討したところ,やせ願望や社会不適応,内界への気づきの欠如が顕著であるほど,食物刺激に対して線条体ドーパミンが放出されにくくなっていることを認めた。 これまでに,健常者に食物刺激を提示してドーパミンの反応を測定した研究は少数であり,AN患者を対象として,食物刺激を提示した際のドーパミンの反応を健常者と比較した脳機能画像研究はこれまでになく,今後,複雑な本疾患の病因や,発症,経過等の理解に寄与するものと考えられた。 | |
審査要旨 | 本研究は,神経性無食欲症患者(Anorexia Nervosa : 以下AN)を対象とし,[11C]racloprideを標識リガンドとする陽電子放出断層撮影法(Positron Emission Tomography : 以下PET)を使用し,食物の視覚刺激提示に対する,AN患者の線条体ドーパミンの反応を健常者群と比較することにより,AN患者にとって,食物刺激が報酬系と関連のあるドーパミンの変化にどのように影響を及ぼすのかを検証するとともに,その変化の意義を,心理学的指標を用いて検討することを試みたものであり,下記の結果を得ている。 1. 中立刺激条件(非食物の写真提示)をベースラインとし,食物刺激条件(食物の写真提示)を介入時として,関心領域である左右の被殻,尾状核における[11C]racloprideのD2受容体への結合能を測定した。それぞれの領域のBinding Potential(BP)の値に関して,解析を行ったところ,AN群と健常者群の間では,中立刺激条件時と食物刺激条件時の左被殻におけるBPの変化のパターンに有意差がある事が示唆された。 2. ANの病態および重症度を評価する目的で施行したEating Disorder Inventory-2の各下位尺度の得点と,線条体の各関心領域における[11C]racloprideの変化率の相関を検討したところ,AN群において,右被殻のBPの変化率と「社会不適応」,左尾状核のBPの変化率と「やせ願望」,左尾状核のBPの変化率と「内界への気づきの欠如」の各下位尺度得点の間に有意な正の相関を認めた。 以上,本論文は,[11C]racloprideを用いたPET撮影を行うことで,神経性無食欲症患者と健常者の間の食物刺激に対するドーパミンの反応の差異や,その心理尺度との関連性の評価を通し,AN患者群における食物に対する報酬的価値の健常者群との相違や,食物刺激提示に対するドーパミンの変化とAN患者における認知の歪みとの関わりを示した。本研究は,AN患者を対象として,食物刺激を提示した際のドーパミンの反応を健常者と比較した初めての脳機能画像研究であり,今後,複雑な本疾患の病態の理解に寄与するものと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる。 | |
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