学位論文要旨



No 126372
著者(漢字) 伊藤,優
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ユウ
標題(和) 広域分布水生植物カワツルモ科カワツルモ属の系統と雑種・倍数体の起源に関する研究
標題(洋) Phylogeny of a cosmopolitan aquatic plant, Ruppia (Ruppiaceae), with reference to the origins of hybrids and polyploids
報告番号 126372
報告番号 甲26372
学位授与日 2010.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5579号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 邑田,仁
 東京大学 教授 寺島,一郎
 東京大学 教授 塚谷,裕一
 東京大学 准教授 舘野,正樹
 東京大学 准教授 野崎,久義
内容要旨 要旨を表示する

第1章:序論

陸上環境から水生環境へと適応進化した水生植物は、維管束植物では33科124属で見られる。これには、植物体の一部が水中にある抽水植物から生活環の全てを水中で行う沈水植物が含まれ、その生育環境も淡水から汽水、海水と多様である。

カワツルモ科カワツルモ属(Ruppia: Ruppiaceae)は全世界の寒帯から熱帯に広く分布する沈水植物で、その種子が渡り鳥によって捕食されることが知られている。主に大陸沿岸部や熱帯島嶼域の汽水環境に生育しているが、一部大陸内陸部の淡水湖、アルカリ湖、塩湖、高塩湖にも見られる。同属は、その分布域の広さに加えて、極端に単純化した外部形態のために識別形質が少ないことから、確かな系統分類学的知見が得られていない。そのため、全世界に2種のみ認める見解が多い一方で、各地から多数報告されてきた地域固有種群を認めることの妥当性は十分に検討されていない。最近では、外部形態形質を用いたこれまでの分類学的研究を総括し5種にまとめる分類体系が発表されたが(Zhao & Wu 2008)、依然として多くの疑問点が残されている。また、各地から報告のあった四倍体や、外部形態形質に基づき推定された種間雑種も知られていたが、それらの起源に関する知見も全く得られていなかった。

そこで本研究では、分子遺伝学的解析によってカワツルモ属の系統を明らかとし、その系統関係から雑種や倍数体の起源を推定することと(第2章)、得られた系統群間で外部形態を用いた比較研究を行い、カワツルモ属における新たな分類体系を提示すること(第3章)を目的とした。

第2章:カワツルモ属の遺伝学的解析

はじめに、各地で収集した材料を用いて染色体観察と分子系統解析を行い、Zhao & Wu(2008)で提示された分類体系との比較を行った。また、雑種や倍数体の起源を推測するため、被子植物で母系遺伝するとされる細胞質DNA(matK、rbcL、rpoB、rpoC1:以降PtDNA)と、両性遺伝する核DNA(PhyB遺伝子:以降PhyB)の異なるゲノム情報を用いた分子系統解析の結果を比較した。得られた両系統樹はそれぞれ6つのクレードからなり、PtDNA系統樹で得られたクレードは、おおよそ共通したサンプルから構成されるPhyB系統樹のクレードに対応していた(Pt-IとPB-II、Pt-IIとPB-I、Pt-IIIとPB-III、Pt-IVとPB-IV、Pt-VとPB-V、Pt-VIとPB-VI)。得られた樹形は系統樹間で概ね一致していたが、系統樹基部において大きなずれが見られた。データセットの異なる系統樹間のずれを生じさせる進化的要因はいくつか知られているが、ここでは、PhyB系統樹のクレードPB-Iの枝と他の枝との間で進化速度に著しい違いが生じたことがその要因であると考えられた。

得られた系統関係はZhao & Wu(2008)が示した分類体系の多くを支持せず、結果として多系統になる種(R. cirrhosaとR. maritima、R. polycarpa)が見られた。そこで系統解析から認識できたクレードについて外部形態形質を再評価し、染色体情報も加味して、カワツルモ属に3種1複合体種(含1雑種)と1雑種を認めた。同複合体では、二倍体"Diploid"と未知二倍体の交雑による異質四倍体"Tetraploid"の形成― "Tetraploid"と二倍体"Occidentalis"の交雑による三倍体"Triploid"の形成といった、複数回の交雑を経た進化プロセスが明らかとなった。オセアニア南部に広く分布するR. megacarpaの隔離集団が東アジア北部で見つかり、"Occidentalis"との間に雑種(Hybrid)を生じさせていた。上記に加えて、"Tetraploid"もアジア・オセアニアに隔離分布していることや、"Diploid"が広域分布であることも踏まえると、渡り鳥による長距離散布が同属の分布拡大と遺伝的交流の維持に働いてきたことが示唆された。

続いて、カワツルモ属の2雑種を用いた集団遺伝学的解析を行った。その結果、どちらの雑種も一方向性の交雑により生じたことが明らかとなった。また、親系統群に見られた遺伝的構造からこれら雑種形成の起源を考察したところ、北米から分布を拡大した"Occidentalis"が"Tetraploid"と二次的に接触したことにより"Triploid"が、南半球より移住したR. megacarpaが"Occidentalis"と二次的に接触したことによりHybridが成立したと推測された。以上の結果に、自者と他者の花粉競争を比較した研究成果、つまり雑種は片親種の比率が極端に低い場合に限って生じること、を考慮すると、ここで明らかとなった一方向性の雑種形成は、分布拡大・移住してきた系統群の個体数が少なかったことが要因として考えられた。

最後に、AFLP(増幅制限酵素断片長多型)を用いて、栄養繁殖によるクローン構造が期待されるカワツルモ属3倍体雑種の遺伝的特性を検証した。解析で得られた全106 のAFLP断片(51―376 bp)のうちの97%で多型が検出され、採集した12個体が識別された。これまでの結果も踏まえると、この集団は、多数親であり遺伝的多型を持つ"Tetraploid"による複数回の交雑によって生じたと推測され、そのクローン構造は限定的であることも明らかとなった。

第3章:カワツルモ属の形態学的解析

得られた系統群間のうち、Zhao & Wu (2008)の分類体系で多系統となったR. polycarpaと"Occidentalis"及び"Diploid"、"Filifolia"、"Tetrapoid"、"Utahian"について、量的形質に着目した比較解析を行った。その結果、前者では葉身長が、後者では果柄長、果梗の巻き具合、果梗長が系統群間の識別に有効であることが明らかとなった。そこで、以上の結果を踏まえて分類学的検討を行ない、カワツルモ属を8種2雑種に分類した。このうちR. utahensisを新種として、3倍体雑種R. ×ogawaraensisを新雑種として記載した他、1930年に新種記載されたR. truncatifoliaの雑種R. ×truncatifoliaへのランク変更を行った。

第4章:総合考察

本研究で得られた解像度の高い分子系統樹とDNA多型解析から、倍数化や特異環境への種分化、渡り鳥散布による分散と雑種形成を伴ったカワツルモ属の系統が明らかとなった。広域分布種や隔離分布種の存在が示されたことにより、渡り鳥散布による分散が同属の分布を特徴付けていることが証明された。この分散による分布拡大は、2倍体間及び2倍体と4倍体間で一方向性の雑種形成を引き起こした要因でもあり、また、複数回に渡る種間交雑が生じた要因でもあると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、全世界の寒帯から熱帯に広く分布する沈水植物カワツルモ属(カワツルモ科)について、分子遺伝学的解析によって属内の系統を明らかにし、雑種や倍数体の起源を推定するとともに、得られた系統群について外部形態的な比較を行い、それらの結果に基づいて新たな分類体系を提唱するもので、4章からなっている。

第1章は「序論」であり、カワツルモ属の形態や生態の特徴を紹介したうえで、本研究の目的を定めている。

第2章は「カワツルモ属の遺伝学的解析」について述べている。内容は3部構成で、第1部では、各地で収集した材料を用いて染色体観察と分子系統解析を行い、また、被子植物で母系遺伝するとされる細胞質DNA(matK、rbcL、rpoB、rpoC1:以降PtDNA)と、両性遺伝する核DNA(PhyB遺伝子:以降PhyB)という異なるゲノム情報を用いた分子系統解析を行なった。得られた2つの系統樹を比較すると、得られた樹形は2つの系統樹間で概ね一致していたが、先行研究(Zhao & Wu 2008)が示した分類体系の多くを支持せず、分類体系の改訂が必要であることが明らかとなった。そこで系統解析から認識できたクレードについて外部形態形質を再評価し、染色体情報も加味して、カワツルモ属に3種1複合体種(含1雑種)と1雑種を認めた。複合体では、二倍体"Diploid"と未知二倍体の交雑による異質四倍体"Tetraploid"の形成― "Tetraploid"と二倍体"Occidentalis"の交雑による三倍体"Triploid"の形成といった、複数回の交雑を経た進化プロセスが明らかとなった。オセアニア南部に広く分布するR. megacarpaの隔離集団が東アジア北部で見つかり、"Occidentalis"との間に雑種(Hybrid)を生じさせていた。上記に加えて、"Tetraploid"もアジア・オセアニアに隔離分布していることや、"Diploid"が広域分布であることも踏まえると、渡り鳥による長距離散布が同属の分布拡大と遺伝的交流の維持に働いてきたことが示唆された。

第2部では、明らかになったカワツルモ属の2雑種について、詳しい集団遺伝学的解析を行った。その結果、どちらの雑種も一方向性の交雑により生じたことが明らかとなった。また、親系統群に見られた遺伝的構造からこれら雑種形成の起源を考察したところ、北米から分布を拡大した"Occidentalis"が"Tetraploid"と二次的に接触したことにより"Triploid"が、南半球より移住したR. megacarpaが"Occidentalis"と二次的に接触したことによりHybridが成立したと推測された。一方向性の雑種形成は、分布拡大・移住してきた系統群の個体数が少なかったことが要因として考察された。

第3部では、AFLP(増幅制限酵素断片長多型)を用いて、栄養繁殖によるクローン構造が期待されるカワツルモ属3倍体雑種の遺伝的特性を検証した。解析で得られた全106 のAFLP断片(51―376 bp)のうちの97%で多型が検出され、採集した12個体が識別された。これまでの結果も踏まえると、この集団は、多数親であり遺伝的多型を持つ"Tetraploid"による複数回の交雑によって生じたと推測され、そのクローン構造は限定的であることが明らかとなった。

第3章では「カワツルモ属の分類の改訂」を行なった。形態的な比較検討を行ない、第2章で認識した系統群の特徴を明らかにしたうえで、国際植物命名規約に則って、カワツルモ属を8種2雑種に分類した。このうちR. utahensisを新種として、3倍体雑種R. ×ogawaraensisを新雑種として記載した他、1930年に新種記載されたR. truncatifoliaの雑種R. ×truncatifoliaへのランク変更を行った。

第4章は総合考察である。本研究で得られた解像度の高い分子系統樹とDNA多型解析から、カワツルモ属では、倍数化や特異環境への種分化、渡り鳥散布による分散と雑種形成が起こっていると考察した。広域分布種や隔離分布種の存在が示されたことにより、渡り鳥散布による分散が同属の分布を特徴付けていることを認めるとともに、2倍体間及び2倍体と4倍体間で一方向性の雑種形成を引き起こした要因でもあり、また、複数回に渡る種間交雑が生じた要因でもあると考察した。

本論文は植物系統分類学の分野において学術的な価値が高いものであり、論文提出者の独創性が認められる優れた論文である。なお、本論文第2章は 邑田 仁、東馬哲雄と共著であるが、論文提出者が主体となって調査・解析および論証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であったと判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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