学位論文要旨



No 126373
著者(漢字) 芳賀,拓真
著者(英字)
著者(カナ) ハガ,タクマ
標題(和) 穿孔性二枚貝ニオガイ上科の系統進化と適応放散に関する研究
標題(洋) Phylogeny and Adaptive Radiation of the Pholadoidean Boring Bivalves (Myoida:Bivalvia:Mollusca)
報告番号 126373
報告番号 甲26373
学位授与日 2010.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5580号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加瀬,友喜
 東京大学 准教授 藤田,敏彦
 東京大学 准教授 野,久義
 東京大学 准教授 上島,励
 東京大学 准教授 佐々木,猛智
内容要旨 要旨を表示する

軟体動物の一群である二枚貝綱 (Bivalvia)は,海底上での横臥,他物への付着,あるいは砂泥へ埋没して生活する。Mesozoic Marine Revolution (Vermeij, 1977)として広く受け入れられている中生代中頃の捕食者の爆発的な出現は,砂泥へ潜る内生二枚貝を出現させ,進化を加速させた (Stanley, 1977)と広く信じられている。岩やサンゴといった硬い基質に穿孔して生活する穿孔性二枚貝は,そうした対捕食者進化の好例であると考えられており,ニオガイ上科もその一例であるとされてきた (e.g., Vermeij, 1987)。穿孔性二枚貝は絶滅科を含む8つの上科を含む寄集群であるが,オオノガイ目 (Myoida)に属するニオガイ上科 (Pholadoidea Lamarck, 1809)は唯一,岩,サンゴ,そして木材といった様々な基質中での穿孔生活に高度に特化して高い種多様性を獲得し,様々な環境中で劇的な適応放散を遂げた。しかしながら採集の困難さが故に進化学的,系統学的研究は進まず,客観的な再検討が強く望まれてきた。

本研究では古生物学的,分子系統学的,解剖学的な検討に基づき,ニオガイ上科の分類体系を整理するとともに総合的な進化史を初めて客観的に議論するとともに,深海底の沈木への穿孔生活に高度に適応したキクイガイ類の生殖戦略と分散様式も初めて明らかにした。以下に各章の要約を述べる。

1. ジュラ紀化石種の再検討

ニオガイ上科の系統初期の確かな化石は,ジュラ紀中~後期に僅か3属4種が知られるに過ぎず,何れも仔細な形態学的検討に耐え得るものではなかった。しかし,福島県の相馬中村層群中ノ沢層 (ジュラ紀後期: 150-145 Ma) から産出した化石種は保存状態が良好であり,系統初期の種類として初めて詳細な検討が可能となった。そこで,切片と電子顕微鏡観察などに基づき,これをニオガイ科 Opertochasma somaensisとして記載し,ニオガイ科に帰属することを明らかにした。また,他のテチス海周辺産4種との比較を行ない,(1) ジュラ紀の化石種は全て前後開閉運動による穿孔活動を行っていたこと,(2) ニオガイ科はジュラ紀後期に木材中での穿孔生活に適応していたこと,(3) 同上科の木材食性は懸濁物食性に先んじてジュラ紀中期に獲得されていた可能性が高いことを明らかにした (図1)。

2. 分子系統解析に基づくニオガイ上科の分類体系の再編成と系統進化

ニオガイ上科の単系統性は形態形質から強固に支持され,異論はない。しかし,近年の先行研究は何れも単系統性を支持しないものであった。そこで,ニオガイ上科の12種と,オオノガイ目が含まれる単系統群 Neoheterodontei (Taylor et al., 2007) の16科18種について分子系統解析を行い,ニオガイ上科の単系統性を評価した。28S rRNA遺伝子の部分長 (約1,500 bp)と18S rRNA遺伝子の全長 (約 1,800 bp)を用いてベイズ法と最尤法で解析を行ったところ,ニオガイ上科の単系統性が強固に支持され,形態に基づく従来の見解が補強された。また,姉妹群としてオオノガイ上科が選定された。

次いで,内群の最大102種と外群の2~4種を用い,ニオガイ上科内部の系統関係を推定した。現生の科と亜科全てを含む内群のOTUについて,上記の遺伝子種に加え,核のHistone H3 (328 bp),そしてmtDNAの16S rRNA (約 500 bp)とCOI (658 bp) 領域の塩基配列を決定してベイズ法と最尤法で分子系統解析を試みた。さらに,5遺伝子の結合データセット (約 3,800 bp) で得られた樹形に対して殻,解剖,生態などの60個の形質を再節約復元し,共有派生形質(もしくは形質状態)の探索を行った。その結果,ニオガイ上科の4大単系統群に対してニオガイ科,キクイガイ科,フナクイムシ科,スズガイ科を認めることとして分類体系を整理した。科レベルの新たな分類体系は旧来の体系 (e.g., Turner, 1969) の一部をランクアップする変更に留まったが,亜科レベルでは旧来の分類体系は系統関係を全く反映していないことが明らかとなった。そこで,共有派生形質で括ることのできたニオガイ科には新たに4亜科を設けた。また,化石種を精査し,各科と各亜科の最古の体化石を指定した。

ニオガイ上科は前後開閉運動と背腹開閉運動の何れかを用いて穿孔運動を行うが,本研究の分子系統解析と形態形質の再評価によって,背腹開閉運動はニオガイ科の一部の分類群に限定してみられる多系統的な派生形質であることが明らかとなった。背腹開閉者は前後開閉運動から背腹開閉運動へと運動様式を移行させた結果,殻の前後方向への伸長と形態の単純化といった形態的革新が生じ,一般的な内生的二枚貝類で遂行される運動様式と殻形態への収斂現象となったことを明らかにし,広く一般化されてきた進化仮説を棄却した。一方,前後開閉運動は共有原始形質であることが判明し,ニオガイ上科は前後開閉運動を獲得して系統初期に木材もしくは岩に進出し,固有の形態が進化したという新たな進化概念が導かれた (図2)。また,祖先的形態状態の復元を試みたところ,ニオガイ上科の共通祖先はジュラ紀中期の最古の化石種 'T.' australisと良く似た形態であったことが推定され,木材食に適応していた可能性が示唆された。

3. 分岐年代推定と比較解剖から推定した適応放散の歴史

分子系統解析において最も明瞭な分岐関係を得た28S rRNAのデータセットについて,新たに系統的位置を特定した信頼できる化石記録を用いて6つの年代制約を与え,分岐年代をベイズ推定し,地史的イベントとの関連からニオガイ上科の適応放散史の解明を試みた。また,消化器系の比較解剖を実施し,木材食性系統群の胃にみられる木材片を貯蔵する盲嚢と相同な盲嚢が,退化的ながらも懸濁物食性の系統群にも存在することを明らかにし,食性進化の解明も試みた。

その結果,(1) 三畳紀中期~後期の針葉樹の放散を契機として,同上科は系統派生後まもなく木材食を獲得した可能性があること,(2) ジュラ紀後期に現生の木材食性系統群であるキクイガイ科とフナクイムシ科が派生した一方,スズガイ科とニオガイ科では系統派生後に懸濁物食性へと食性を移行させた可能性があること,(3) ジュラ紀中期~白亜紀中期にかけての海洋植物プランクトン相の変革は,懸濁物食性系統群の多様化を生じた可能性があることを示した (図3)。三畳紀に生じたと推定される同上科の木材食への適応が尤もらしいとするならば,海洋中に流出した材の内部は空白ニッチだったと考えられることから,同上科の初期進化は,空白ニッチへの積極的な進出と適応によって成し遂げられた非対捕食者進化として解釈できるかも知れない。

4. 深海棲キクイガイ科の分散様式と生殖戦略

キクイガイ科は深海での木材食に高度に適応した単系統群であり,キクイガイ属には53種が知られる。同科においてしばしばみられる大型個体に付着する変態期幼生様の小型個体は,保育幼貝とみなされ,深海に点在する沈木への分散はこれまで謎とされてきた。本研究では,Xylophaga supplicata イノリキクイガイを用い,連続切片と走査型電子顕微鏡観察に基づき,同科の生殖戦略と分散様式の一例を明らかにした。すなわち,それらの小型個体はプランクトン栄養発生を行うばかりでなく,プロジェネシスによる幼形進化的な矮雄であることを世界で初めて明らかにした (図4)。また,イノリキクイガイは穿孔生活を開始すると雄として成長し,続いて着底した (矮雄となる) 幼生が穿孔個体に付着するとホストは性転換をして雌となり,矮雄は穿孔生活に移行することなく雄として一生を過ごす可能性が示唆された。さらに,矮雄化はキクイガイ科の別属Xylopholasにも見られ,プランクトン栄養発生を行うことが明らかとなり,キクイガイ科において広く矮雄化が生じている可能性が示唆された。この発見は,キクイガイ科はプランクトン栄養発生によって広範囲に分散し,矮雄化現象が科内で広く生じている可能性を暗示し,矮雄の獲得は深海の沈木といった局在的かつ非永続的な環境への有利な生殖戦略であることを強く示唆している。

5. 現生ニオガイ亜目の分類学的研究

本研究上で発見されたスズガイ科の1新種,キクイガイ科の1新組み合わせと1新属1新種について,それぞれJouannetia (Pholadopsis) spinosa,Xyloredo teramachii, Coccophaga pacificaとして詳細な記載を行ない,系統分類学的に重視されるべき形態を明らかにした。

図1. ジュラ紀ニオガイ上科化石種の時空分布と推定食性.

図2. 結合データセットで得たニオガイ上科の系統樹上に復元した穿孔基質の形質状態.

図3. 28S rRNAの塩基配列から推定したニオガイ上科の分岐年代. 矢印,星印,そしてグレーの背景は それぞれニオガイ上科の分岐点,年代補正点,そして95%信頼区間を示す.

図4. イノリキクイガイの矮雄の走査型電子顕微鏡画像. A. ホストに付着した矮雄. B. 成熟した矮雄の精巣 (te). C. 精巣にある成熟精子 (msp). D. 殻内にのみ成長した後成殻(ls)と靭帯(lm).

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり,第1章はニオガイ上科化石種の系統分類と進化史,第2章はDNA塩基配列に基づくニオガイ上科の系統分類,第3章は分岐年代推定と比較解剖によるニオガイ上科の適応進化,第4章はキクイガイ科の生殖戦略と分散様式について述べ,第5章ではニオガイ上科の分類学的記載を行っている。

第1章では,初期進化の過程を明らかにするため,ジュラ紀の化石種について古生物学的な検討がなされている。環太平洋域から初めて発見された木材穿孔性 Opertochasma属の1新種について切片や走査型電子顕微鏡による観察を行い,ニオガイ科に帰属することを明らかにした。また,他のテチス海周辺産4種との比較を行ない,(1) ジュラ紀の化石種は全て前後開閉運動による穿孔活動を行っていたこと,(2) ニオガイ科はジュラ紀後期に木材中での穿孔生活に適応していたこと,(3) 同上科の木材食性は懸濁物食性に先んじてジュラ紀中期に獲得されていた可能性が高いことを明らかにした。これらの発見は,同上科の初期進化過程の理解を著しく前進させるものである。

第2章では,ニオガイ上科の分類体系と系統関係を究明している。同上科の単系統性は形態形質で支持されてきたが,近年の分子系統解析では単系統性が疑われていた。しかし,本研究の解析は、同上科の単系統性を有意に支持し,形態に基づく従来の見解を補強している。さらに,現生の科と亜科全てを含むOTUについて,核の28S rRNA, 18S rRNA, Histone H3,そしてmtDNAの16S rRNAとCOI領域の塩基配列を決定して分子系統解析を試み,多数の形態形質を系統樹上に復元し,形質の再評価を行った。その結果,(1) 同上科はスズガイ科,フナクイムシ科,キクイガイ科,ニオガイ科の4科から構成されること,(2) 背腹開閉運動様式は二次的に進化した派生的かつ多系統的な形質であり,従来の進化仮説は明確に棄却されること,(3) 同上科は系統派生の段階で前後開閉運動様式を進化させ,上科固有の形態を獲得したことが明らかとなった。本研究は,同上科の分類体系と系統進化を初めて客観的に検証した優れた研究である。

第3章では,28S rRNAの塩基配列に基づいてニオガイ上科の分岐年代を推定し,地史的イベントとの関連から適応放散の背景を追求している。また,消化器系の比較解剖から,木材食性系統群の胃にみられる木材片を貯蔵する盲嚢と相同な盲嚢が,退化的ながらも懸濁物食性の系統群にも存在することを明らかするなど,食性進化の解明も試みている。その結果,(1) 三畳紀中期~後期の針葉樹の放散を契機として,同上科は系統派生後まもなく木材食を獲得した可能性があること,(2) ジュラ紀後期に現生の木材食性系統群であるキクイガイ科とフナクイムシ科が派生した一方,スズガイ科とニオガイ科では系統派生後に懸濁物食性へと食性を移行させた可能性があること,(3) ジュラ紀中期~白亜紀中期にかけての海洋植物プランクトン相の変革は,懸濁物食性系統群の多様化を生じた可能性があることを示した。これらの仮説は,今後さらなる検証が必要ではあるが,中生代の海洋の陸源有機物循環や現代型海洋生物相の適応放散の研究に,新たな進展をもたらす可能性がある。

第4章では,深海棲キクイガイ科の1種について,連続切片と走査型電子顕微鏡観察に基づき,同科の生殖戦略と分散様式の一例を明らかにしている。同科においてしばしばみられる大型個体に付着する変態期幼生様の小型個体は保育幼貝とみなされ,これまで深海に点在する沈木への分散は謎とされてきた。本研究では,世界で初めて,それらがプロジェネシスによる幼形進化的な矮雄であること明らかにした。すなわちこの発見は,キクイガイ科はプランクトン栄養発生によって広範囲に分散し,矮雄化現象が科内で広く生じている可能性を暗示し,矮雄の獲得は深海の沈木といった局在的かつ非永続的な環境への有利な生殖戦略であることを強く示唆している。本研究は長年の海洋生態学の1つの謎を解明したもので,高く評価される。

第5章では,本研究によって見いだされたスズガイ科の1新種,キクイガイ科の1新属1新種と1新組み合わせについて,それぞれ詳細な記載を行ない,系統分類学的に重視されるべき形態を明らかにした。

なお,本論文第1章,第2章,そして第5章は加瀬友喜との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上要するに,本研究はニオガイ上科の系統分類についての重要な貢献であるばかりでなく,海洋生物における木材食性の進化研究に進展をもたらす新知見を含む優れた研究であると判断される。したがって,博士 (理学) の学位を授与できると認める。

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