学位論文要旨



No 126374
著者(漢字) 崔,静妍
著者(英字)
著者(カナ) チェ,ジョンヨン
標題(和) 韓国洛東江下流域における近代河川改修の経緯と特徴
標題(洋) Processes and characteristics during improvement works in the downstream basin of the Nakdong river in modern times.
報告番号 126374
報告番号 甲26374
学位授与日 2010.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7337号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中井,祐
 東京大学 教授 内藤,廣
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 教授 清水,英範
 新潟大学 名誉教授 大熊,孝
内容要旨 要旨を表示する

韓国における大河川に対する河川改修は、日本の植民地支配下、朝鮮総督府の主導で行われた。総督府は河川改修を実施する第一の理由として、毎年のように発生する洪水とその膨大な被害を挙げている。一方、近代以前の朝鮮時代の河川に関する記録を見ると、大河川の水害や治水の記録はあまり見当たらない。一方、チョンゲチョンのような都心の中小河川については、頻繁に水害があって丁寧に手入れを行っていたことが分かる。つまり、近世から近代に移る時期が、韓国の河川治水において大きな転換点になっていることに気づく。それは、具体的にはどのような転換だったのであろうか。

本研究は、その疑問と自覚から出発する。そして、韓国最長の河川である洛東江に対して、特に、近代時期朝鮮総督府による河川改修が行われた下流域を中心に、改修が行われる以前の河川流域の状況から総督府の改修が終わるまでを時代的対象にして、以下のことを明らかにする。

まず、朝鮮総督府による河川改修が行われる以前の洛東江下流域において、どのような状態であり、どのような治水及び水利事業が行われたのかを明らかにする。その上、朝鮮総督府の河川調査と改修計画についてその経緯と内容を明らかにし、当時の流域状況が洛東江治水方針にどのように影響をしたのかを考察する。そして、実際の改修過程において、どのように事業が進められて、現場ではどのような事が起きたのか、地域社会はどのように対応したのかを明らかにする。

以下各章で論じる内容をまとめる。

第1章では、まず研究背景で、本研究に取り組むきっかけとなった疑問から、近世から現代までの韓国の河川治水について理解するためには、近代時期、即ち植民地支配下の河川治水について理解する必要があることを再確認した上、本研究おける大目的を明確にする。研究対象では、洛東江を対象に選んだ理由として、在来水利施設が最も多く残っており、近代的河川改修が近代以前の河川にどのように埋め込まれたのかを見るに、もっとも適した場所であることと、総督府が直轄河川事業を行った主要11河川の内、最も多くの予算を投入したことを挙げた上、洛東江下流域の地理的特徴を説明する。次に、本研究の目的と方法を説明する。方法では、本研究で扱った主要文献を、その目的別に、(1)近代河川改修以前の洛東江流域における水利事業の把握、(2)総督府による河川調査と改修事業内容の把握、(3)改修事業過程における地域社会の対応の把握に分類し、説明する。なお、論文構成では、近代洛東江における治水・水利の流れの中で各章の位置づけを述べる。論文全体における各章の関係性は、第2章及び第3章が同時代を対象に、2章は水利組合を中心にした現場(地元)の出来事、3章は、総督府(中央・国)による総合的、政策としての河川計画というアプローチをとり、4章は、河川改修という総督府の政策が、実際現場で行われる過程に注目するという構図である。これは最後に、関連する既往研究を整理し、それらの研究と比べて本研究の違いと独自性が何かを明確にし、本研究の位置づけと意義を考察する。特に、韓国における近代河川史及び土木インフラ史の研究は既往研究が殆どなく、近代歴史の研究は植民地時代ということから非常に難しいところがある点を説明する。

第2章では、朝鮮総督府の河川改修が行われる以前の洛東江下流域の状況について記述する。19世紀末多くの日本人農民が朝鮮に移住する時代的背景の中で、1900年初頭日本人移住者が中心になって洛東江沿岸に大規模水利事業を進めたことが、大規模水利事業の始まりであることを指摘する。そして、水利組合の制度的基盤ができた直後の1920年から1925年の間に洛東江沿岸に多数の水利組合が設立され、彼らの主導で活発な水利事業が行われた事を指摘し、各水利組合の水利事業に対して、その経緯と内容を明らかにする。なお、水利事業の技術的特徴として、河川洛東江に対する防水策として、1920年の洪水の経験からその基準にしていると共に、事業目的として個別水利団体の水利区域を守るための灌漑・排水・防水事業であり、河川の総合的コントロールという意味での近代的河川技術には至ってないことを指摘する。

第3章では、1905年の洛東江調査から1927年実際改修に着手するまでの期間、洛東江に対して日本国及び朝鮮総督府が立案した治水の方針がどのようなものかを明らかにする。まず1905年日本内務省技師比田による洛東江調査における治水策について整理する。続いて、朝鮮総督府設置後の1915年から実施した第一期朝鮮河川調査における洛東江河川調査の経緯と内容をまとめて1919年に発表した洛東江治水方針について述べる。そして、第一期河川調査が終了した後,その調査成果を基に樹立した改修計画についてその内容と特徴を整理する。なお、その改修計画が一度挫折した後、1925年の大洪水が発生し、総督府が河川改修を決める中,具体的な水害状況とそれを踏まえて新たに立てられた改修計画について、その内容と特徴を記述する。なお、洛東江治水の方針が、同時期流域で活発に行われた水利事業及び水害によって、より強力でかつ迅速な効果が期待できる計画に移っていったことを明らかにする。

第4章では、実際の河川改修が行われる過程についてまとめる。まず、総督府の直轄河川改修事業における洛東江河川改修の過程を説明し、その中で1934年の大洪水の前後で改修内容と規模で大きな違いがあり、洪水が大きな転換点になった事を指摘する。さらに、洛東江支流の密陽江附近及び本流河口付近を対象に、個々の現場の改修推進過程に着目し、工事をめぐって地域社会ではどのようなことが起きて,どのように対応したのか、その特徴は何なのかについて考察する。密陽江附近については、総督府の河川改修以前の密陽江の治水の歴史から総督府の改修事業までの経緯と変化を、沿岸地域社会の発達との関係で述べる。河口付近については、一川式と呼ばれる改修方式をめぐって、地域社会に活発におきて賛否世論の推移とその特徴を考察する。

第5章では、本研究の成果をまとめて、本研究から今後更に研究が必要とされる課題を整理する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,韓国を代表する河川である洛東江の下流域を対象に,おおむね1900年頃から日本敗戦に至る時期に日本支配下で行われた近代河川改修の経緯とその特徴を,朝鮮総督府主体による計画・事業の内容と,沿川に設立された水利組合個々の水害対策,というふたつの観点に着目して調査し,論じたものである.

日本による支配下にあった併合期の韓国の近代史については,過去さまざまな研究がなされてきた.しかしその多くは,制度や社会現象を対象にして日本の植民地支配の実態を解明することを目的としており,インフラの近代化を主題とするものは,都市計画・都市事業に関する一部の研究を除いてほとんど見られない.とくに河川の歴史に関しては,近代以前の朝鮮時代の水利システムを扱う研究,近代に設立された水利組合の概要や実態の解明を目的とする研究は散見されるものの,近代治水に焦点を絞った土木史研究は例がない.その意味で本論文には,韓国・日本両国の近代史の空白部分を埋める貴重な研究としての意義を認めることができる.

本論文は,5章から構成されている.

第1章は序論として,洛東江の近代治水を研究対象として扱う動機と,既往研究のレビューに基づく研究の位置付け・意義とともに,近代河川改修以前の洛東江下流域の状況の解明,近代河川改修の計画の内容・経緯とその特徴の解明,および河川改修事業に対する地元社会の対応の実態の解明,の三つの目的が示されている.

第2章では,近代河川改修が行われる以前の洛東江の状況が、史料調査に基づいて述べられている.日本人入植者の増加にしたがって,とくに1910年頃から日本人主導によって流域の水田開発が進み,取水・排水設備の建設と洪水防御のための築堤が行われ,さらに1920~25年頃には活発に水利組合が設置されたことが述べられるとともに,この当時の治水の特徴として,洪水対策は水利組合単位の個別の築堤が主であり,河川流域を一体的総合的にコントロールしようとする近代治水の段階には至っていないことが論じられている.

第3章では,朝鮮総督府による治水・水利のための河川調査および改修計画の経緯と内容が述べられている.まず,洛東江下流域における最初の本格的な治水策は,内務省技師比田光一による1905年の「洛東江調査報告書」であったこと,さらに1915~24年にかけて総督府の手で行われた第一期朝鮮河川調査によって,南江放水路・二箇所の遊水池・河口部の一川式改修,の三点を核とする洛東江改修計画の基本的な方向性と内容が定まったことが明らかにされている.そのうえで,1924年に流域を襲った大洪水によって総督府の改修計画は大幅な修正を余儀なくされ,洛東江全体にわたる根本的治水策よりも当面の応急手当が必要となり,水利組合の手による既存の堤防の補強改造という現実的対応がなされたことが論じられている.

第4章では,総督府による改修事業の実施過程が,いくつかの事例とともに明らかにされている.1925年の水害による計画変更で示された,水利組合による既存堤防の補強改造の方向性がさらに強化され、かつ遊水池の事業が着手される一方,放水路の事業着手が先送りにされたこと,その矢先の1934年にふたたび大水害に見舞われて,堤防強化を中心とする治水策に限界が訪れ,結局南江放水路をもっとも経済的で治水目的に特化した内容での事業着手に踏みきったことが論じられている.さらに,河口域における一川式改修に対する地元の反発の実態について述べ,地元民の河川に対する認識が治水だけでなく漁業上の問題や塩害など多岐にわたって具体化していく傾向が見られることを指摘している.

最後に第5章は,結論を述べている.洛東江の近代河川改修の流れを,水利組合による個別的な築堤が進むとともに総督府による総合的治水計画が立案された時期,1925年の洪水により総督府の計画が水利組合による既存堤防の補強を主とする現実路線にシフトした時期,さらに1934年の洪水により根本治水策の柱である南江放水路の事業実施へと動くとともに,総督府の治水事業と地元とのあいだに相克が見られるようになる時期,という三つの時期に区分して整理している.

先に記した通り,韓国の近代史を扱うなかでもとくにインフラを対象とする研究はいまだ希少であり,かつ近代治水もしくは河川の近代化を対象とする研究は他に例がない.本論文は,韓国における近代河川改修の実際について,計画・事業主体の立場に着目してとりまとめた最初であるという点で,対象・内容ともオリジナリティの高い研究であり,また韓国の近代史研究にあらたな視点を提供したという意味で,社会基盤学・工学への学術的寄与が高いことはもちろん,他の関連分野へ示唆するところも大きいものと考えられる.

よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

以上

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