学位論文要旨



No 126392
著者(漢字) ,健一
著者(英字)
著者(カナ) シバサキ,ケンイチ
標題(和) 転がり軸受における枯渇弾性流体潤滑とマクロ流れのマルチスケール連成解析手法の開発
標題(洋)
報告番号 126392
報告番号 甲26392
学位授与日 2010.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7355号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大島,まり
 東京大学 教授 帯川,利之
 東京大学 教授 加藤,孝久
 東京大学 教授 高木,周
 東京大学 特任教授 濱口,哲也
内容要旨 要旨を表示する

転がり軸受は,転動体が,外輪および内輪上の溝を転がることにより,軸を回転自在に支持する機械要素であり,長寿命化,低摩擦化が強く求められている.軸受の摩耗や焼付を防ぎ,寿命を延ばすため,通常は潤滑油またはグリースなどの潤滑剤が用いられる.潤滑油は,転がり接触する二表面間に表面粗さよりも厚い膜を形成し,金属表面同士の直接接触を防止することが期待される.一方で潤滑油は,その粘性摩擦により,転がり軸受の摩擦の主要因でもある.従って,安全な油膜厚さが確保できる範囲内で,使用する潤滑油の量を減らすことができれば,転がり軸受の低摩擦化が可能となる.同時に使用する潤滑油の量を減らすことで,潤滑油による環境汚染を最小化できる.これを実現するためには,転がり軸受における接触部油膜厚さ予測技術が不可欠である.

一般的な転がり軸受の接触部に発生する圧力は数GPa程度であり,このような高い圧力下では,金属表面の弾性変形および潤滑油の粘度上昇が無視できず,これらは接触部に形成される油膜厚さに重要な影響を与える.このような潤滑状態は,弾性流体潤滑,Elasto-Hydrodynamic Lubrication (EHL)と呼ばれる.また,EHL油膜厚さは転がり接触部の入口に存在する潤滑油の量の影響を受ける.入口部油量がある一定量より多ければ,入口部油量によらずEHL油膜厚さは一定となり,このような状態を十分潤滑状態と呼ぶ.逆に入口部油量がそれよりも少ないとき,入口部油量に応じてEHL油膜厚さは十分潤滑状態のときよりも薄くなり,このような状態を枯渇潤滑状態と呼ぶ.以上のことから,使用する潤滑油の量を安全な油膜厚さが確保できる範囲内で減らすためには,枯渇潤滑下EHL油膜厚さの予測技術が不可欠であるといえる.

従来の枯渇潤滑下EHL油膜厚さ予測技術は,転がり接触部近傍のミクロな範囲(EHL)のみを扱っているため,EHL入口部に存在する油量を境界条件として与える必要があった.しかし実際の軸受では,形状は複雑であり,接触部は移動しているため,入口油量を測定することはできず,また入口油量を予測する手段も提案されていなかったため,EHL入口部の境界条件を与えることができずに油膜厚さが予測できないという問題があった.

そこで本研究では,入口油量を陽に与えない方法として,ミクロなEHL領域とともにマクロな液膜(Liquid film: LF)領域を考慮する,マルチスケール連成解析手法を提案した.LF領域はEHLの外側の領域で,LFモデルは外輪,内輪,転動体の表面上を流れる薄い潤滑油の液膜を表現するものであり,軸受に供給された潤滑油が軸受内部の部品表面上を流れ,EHL部を潤滑し,最後に軸受から排出されるまでをシミュレートする.本手法には,軸受に供給される潤滑油流量を与えればよく,EHL入口油量は計算の結果として求まる.

マルチスケール連成解析手法の概要を図1に示す.本研究で対象としている枯渇潤滑状態では,軸受内部の潤滑油は部品表面に数μm程度の厚さで存在しており非常に薄い液膜となっている.非常に薄い液膜を三次元のナビエストークス方程式で扱うことは,膜厚さ方向と広がり方向のスケールの差が大きすぎ,非常に困難である.そこで本研究では,部品表面上を流れる潤滑油の膜の計算モデルに,三次元のナビエストークス方程式を膜厚さ方向に積分して得た二次元の方程式を用いた.また,EHL 部の大きさはHertz 接触の大きさと同程度で通常0.1mm 程度であるのに対し,軸受内部の表面の大きさは通常10mm程度であり,大きさのスケールが100倍程度異なる.例えば,本研究で解析対象とした玉軸受について,すべての格子をEHLに用いる等間隔構造格子で作成したとすると,総格子点数は10,000,000のオーダーとなる.そこで,本研究ではマルチスケール的手法を用い,マクロなLFの流れにはEHLと異なる非構造格子を用いた.これにより総格子点数は15,000程度に抑えられる.また,EHL部では高い圧力による表面の弾性変形,潤滑油の粘度上昇が重要となるが,マクロなLF部ではEHL部のような高い圧力は発生せず,表面の弾性変形や潤滑油の粘度上昇は無視できる.以上の理由から,EHL領域とLF領域を別々の方程式で扱い,連成解析する手法を選択した.

EHL領域の解析手法としては,通常のEHLモデルであるレイノルズの潤滑方程式,荷重の釣り合い式,表面の弾性変形の式,粘度の圧力依存式,密度の圧力依存式,ニ面間距離の式に加えて,枯渇潤滑を扱うために,キャビテーションアルゴリズムを組み込んだ.キャビテーションアルゴリズムとは,圧力を無次元密度で置き換えることにより,油で満たされたフルフィルム領域と油で満たされていないキャビテーション領域を同時に解く方法である.フルフィルム領域とキャビテーション領域の境界は計算により自動的に決定される.空間の離散化に差分法を用い,時間の離散化に陰的オイラー法を用いた.また時間のかかる弾性変形の畳込み計算を高速に計算するためにFFT法を用いた.独立変数は無次元密度と接近距離であり,レイノルズ方程式および荷重の釣り合い式を満たすように無次元密度と接近距離を繰り返し修正する方法を用いて解く.

LF領域の支配方程式は質量保存式と運動量保存式により構成される.これらの式はそれぞれ,三次元非圧縮性流体における連続の式およびNavier-Stokes方程式から導くことができる.導出する過程で,膜が薄いという仮定,および,膜厚さ方向にわたる速度分布が二次関数であるという仮定を用いた.元の式は三次元の方程式であるが,膜厚さ方向に積分することで,二次元の方程式となる.得られた方程式の独立変数は液膜厚さおよび表面速度となる.空間の離散化には,三次元物体表面上における二次元の有限体積法を用い,時間の離散化には陰的オイラー法を用いた.

EHLとLFのカップリングは,液膜質量流量を受け渡すことで実現する.EHLとLFの境界においてEHLとLFでは計算格子が異なるため,線形補間により格子点における単位長さ当たりの質量流量を求める方法が考えられる.しかしながら,この方法では受け渡しの際に質量の保存が満たされず,ループを繰り返す内に計算が発散してしまうという問題があることが判明した.そこで,図2に示すように共有する連続区間ごとに一旦質量流量を計算し,それを該当するセルに分配する方法を採用した.この方法を用いれば,質量流量は完全に保存されるため計算が発散するという問題が起こらない.連成解析の計算手順としては,EHLとLFを交互に解き,そのつど受け渡す液膜質量の情報を更新する,逐次代入法を採用した.

本手法を玉軸受に適用し,計算格子のセル形状および格子密度の影響を調査した.潤滑条件としては微量な油で潤滑する場合に良く用いられるオイルエア潤滑を想定し,給油量を変化させたときの,EHL油膜厚さ分布やLF領域における液膜質量分布を調べた.計算コストを低減するために,周期性を仮定し,玉一つ分のみをモデル化した.その結果図3に示すように,LF格子のセル形状として三角形を用いた場合には,EHL出口部のLF領域において液膜の不自然に顕著な平坦化が認められた.一方で壁面速度方向に一致した格子線を有する四角形格子を用いた場合には,上記の問題は発生しなかった.EHL油膜厚さについての結果としては,三角形格子ではEHL油膜厚さ分布が左右対称であるのに対し,四角形格子では潤滑油が供給される側での油膜厚さが,排出側の油膜厚さよりも厚くなるような非対称の油膜厚さ分布が得られた.この違いは三角形格子の速度ベクトルと格子線の直交性に起因する擬拡散により,EHL出口後方での潤滑油分布が平坦化し,平坦化した油膜形状がEHL入口に入ったためである.以上のことから,本手法に使用する格子としては四角形格子が適しているといえる.従来は供給流量と油膜厚さの関係を議論することができなかった.唯一計算可能であったのは十分潤滑油膜厚さであるが,どれほどの供給をすれば十分潤滑となるかについては分からなかった.したがって安全をみて多めに供給せざるを得なかった.しかし本手法を用いることで,供給流量と油膜厚さの関係を図4のように計算することができ,議論することができるようになった.格子密度の影響について調査した結果,転がり接触幅を64,128分割した場合で結果に大きな差は見られなかったことから,64分割は十分な格子密度であるといえる.これはEHL入口油量の解像に着目した格子密度の指標nf=1.8に相当する.

本手法を実験的に検証するため,ボールオンディスク装置を一つの軸受とみなし本手法を適用し,EHL入口油量分布,油膜厚さ分布,給油量と油膜厚さの関係について,実験結果(図5)と比較した.その結果,EHL後方における油の回り込みを考慮しないモデルを用いると,供給量が多量な条件であっても,形成されるEHL油膜が非常に薄いことがわかった.そこで,観察結果に基づき油の回り込みを擬似的に導入したところ,EHL入口油量分布(図6),油膜厚さ分布,給油量と油膜厚さの関係に関して,定性的に実験と一致する結果が得られた.従って,EHL後方における油の回り込みが枯渇潤滑の油膜形成に重要な因子であるといえる.ただし,今回は観測された情報を用いた擬似的な方法であり,実験結果を用いないモデルの構築が重要な課題である.

以上のことから,本研究で提案したマルチスケール連成解析手法は,EHL 入口油量情報を必要とせずに枯渇潤滑下EHL油膜厚さの予測を可能とする方法であり,今後,潤滑油量低減設計に貢献することが期待できる.

図1 マルチスケール連成解析手法の概要

図2 EHLとLFのカップリング

図3 格子セル形状の影響

図4 軸受供給油量と油膜厚さの関係

図5 ボールオンディスクにおけるEHL入口油量分布の実験結果

図6 ボールオンディスクにおけるEHL入口油量分布の計算結果(回り込み有り)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,「転がり軸受における枯渇弾性流体潤滑とマクロ流れのマルチスケール連成解析手法の開発」と題して,5章から構成されている.

転がり軸受は,低摩擦化および環境負荷低減が強く求められており,潤滑油量を低減することでそれらに効果があることが知られているが,潤滑油量を減らし過ぎれば,弾性流体潤滑(Elasto-Hydrodynamic Lubrication : EHL)油膜が表面粗さよりも薄くなり,直接金属接触による損傷が起きてしまう.従って潤滑油量低減のためには,軸受に供給する油量からEHL油膜厚さを予測する技術が不可欠である.従来のEHL油膜厚さ予測技術は,転がり接触部近傍0.1mm程度のミクロな範囲(EHL)のみを扱っているため,EHL入口部に存在する油量を境界条件として与える必要があった.しかし実際の軸受ではEHL入口部油量が分からず,境界条件を与えることができないという問題があった.

そこで本論文では,入口油量を陽に与えない方法として,ミクロなEHL領域とともに軸受内部空間全体100mm程度のマクロな液膜(Liquid film: LF)領域を考慮する,マルチスケール連成解析手法を提案した.LFは外輪,内輪,転動体の表面上を流れる薄い潤滑油の液膜を表現するものである.本手法では,軸受に供給される潤滑油流量をLFの境界条件に与えればよく,EHL入口油量は計算の結果として求まる.

第1章は「序論」であり,本研究で対象とする転がり軸受における枯渇潤滑の実態を踏まえ,それに対する本研究の意義,目的について述べている.

第2章では,本研究で対象とする転がり軸受における枯渇潤滑が有する特徴について述べ,数値シミュレーションを行う際に注意すべき点について考慮した上で,マルチスケール連成解析手法の概要,ミクロ部の解析手法,マクロ部解析手法,カップリング手法について述べている.

第3章では,本研究で提案するマルチスケール連成解析手法を玉軸受に適用する方法およびその結果を示し,供給油量と油膜厚さの関係が計算可能であることを確認するとともに,計算格子のセル形状および格子密度が計算結果に及ぼす影響について調査し,本手法に適した形状および十分な格子密度の指標を示している.また.本研究のEHL部の結果における入口油量と油膜厚さの関係が,従来研究と一致していることから,本研究のEHL解析の妥当性を示した.

第4章では,マルチスケール連成解析手法の妥当性を実験的に検証するため,油膜厚さを軸受よりも詳細に測定できるボールオンディスク装置を軸受と見立て定常枯渇状態を実現する実験を実施し,EHL入口油量,フルフィルム領域の形状および油膜厚さを測定し,計算と比較した.その結果EHL出口部における油のトラックへの回り込みの考慮が枯渇潤滑に重要であることを示した.また,EHL入口油量について実験と計算が良好な一致を得たことからマルチスケール連成解析手法の妥当性を示した.

第5章では,本研究で得た結論および展望を述べている.本論文では,ミクロなEHL領域とともにマクロなLF領域を考慮するマルチスケール連成解析手法を提案し,EHLのみに着目した従来手法では解くことができなかったEHL入口油量を,本手法により解くことが可能であることを実験的に証明した.また計算格子に関して数値計算上の検証を行い,格子形状については三角形より少ないセル数で擬拡散を防ぐことができる四角形が適していることを示し,格子密度については,枯渇潤滑油膜厚さを決定する重要な要因であるEHL入口フルフィルム領域の大きさを,幾つの計算点で解像できているかという指標nfを提案し,十分な格子密度の条件としてnf=1.8を得ている.EHLにおける油の回り込み現象を擬似的に再現することで,実験との一致が見られることから,LFの物理モデルには問題がなく,油の回り込みというEHLにおける物理モデルの開発が課題であると言える.その際に現在考慮していない流体潤滑的負圧および表面張力による負圧の影響を含めEHL計算を行ったところ,回り込みを定性的に再現できることを確認した.従ってEHLの物理モデルでは流体潤滑的負圧および表面張力による負圧を考慮したモデルを開発する必要がある.

本研究で提案したマルチスケール連成解析手法は,EHL入口油量情報を必要とせずに枯渇潤滑下EHL油膜厚さの予測を可能とする方法であり,既存の軸受に対する最小潤滑油供給量の設計に役立つことはもちろん,潤滑油量低減を前提とした新しい軸受(潤滑油量低減軸受)の最適設計に欠かすことのできないシミュレーションツールとなりうる.今後,そのような潤滑油量低減軸受の開発が進むことで低摩擦化による省エネルギーおよび環境負荷低減に貢献することが期待できる.さらに,本手法はマクロな液膜流れとミクロなEHL 流れの連成を扱うことができるため,転がり軸受以外のトライボロジー分野への応用も期待できる.例えば,滑り軸受,シール,歯車,機械加工の分野において,潤滑油の供給と潤滑特性の関係を予測し,油量の低減を前提とした最適設計が進むことにより,確実な潤滑特性の確保および,潤滑油使用量の削減による環境,省エネルギーへの貢献が期待でき,その意義は大きい.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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