学位論文要旨



No 126403
著者(漢字) 関,真一郎
著者(英字)
著者(カナ) セキ,シンイチロウ
標題(和) 低次元フラストレーション磁性体における電気磁気応答
標題(洋) Magnetoelectric response in low-dimensional frustrated spin systems
報告番号 126403
報告番号 甲26403
学位授与日 2010.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7366号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 岩佐,義宏
 東京大学 准教授 求,幸年
 東京大学 准教授 石坂,香子
内容要旨 要旨を表示する

近年、ある種のフラストレーション磁性体において、らせん磁気秩序をはじめとする複雑な磁気秩序が、しばしば強誘電性を誘起しうることが発見され、大きな注目を集めている。こうした強い電気磁気相関を利用すると、磁場による誘電性の制御、あるいは電場による磁性の制御といった、非自明な外場応答が可能となることから、特にスピントロニクス分野における新たな基本材料として、応用の可能性が期待されている。

一般にこうした系では、フラストレーションによって生じた磁気秩序の低い対称性が、交換歪・スピン軌道相互作用のいずれかによって電荷分布にもフィードバックされることで、強誘電性が生じていると考えられる。特に、スピン軌道相互作用を起源とする逆Dzyaloshinskii-Moriya (D-M) モデルは、らせん磁気秩序と強誘電性の結合を説明するための微視的なモデルとして、一定の成功を収めてきた。一方で、この逆D-Mモデルに従わない振る舞いを示す物質もいくつか報告されており、微視的な電気磁気結合の機構については、決着がついていない点も多い。加えて、従来発見されていた一連の強誘電らせん磁性体は、複雑な結晶構造を伴うものがほとんどであり、物質ごとに異なるモデルの構築が必要となることから、観測された電気磁気応答の一般化に際しては、大きな困難が伴っていた。

このため本研究では、磁気的なフラストレーションを実現するための最小かつ最も典型的な構成要素として、特に三角格子・一次元スピン鎖の2つに焦点を絞り、その電気磁気応答と微視的な起源を明らかにすることを試みた。加えて、得られた結果を物質の設計指針としてフィードバックすることで、現象の一般化をはかることを目的とした。

(1) 三角格子物質

本研究では、特にDelafossite構造を持つ物質群 (CuFeO2, ACrO2 (A=Li, Na, Cu, Ag))に焦点をあてた結果、

・三角格子上で最も普遍的に見られる120°磁気秩序が、その磁気異方性によらず強誘電性を誘起しうること

・三角格子の三回対称性に起因したドメイン構造を利用することで、磁場によって不揮発スイッチ可能な電気分極ベクトルの方向を、最大6とおりまで多値化できること

・典型的なフラストレーション系である三角格子上では、数%程度の少量の不純物ドープにより、系の磁気・誘電相図を劇的に変化させられること

などを発見した。ごく最近の理論によると、三角格子上では逆D-Mモデルだけでなく、スピン軌道相互作用を通じた金属・配位子間の軌道混成の変調が強誘電性の起源となりうる可能性が報告されており、今回観測された強誘電性は、基本的に後者に由来するものだと考えられる。また、この系のダイナミクスをTHz時間領域分光によって調べた結果、スピン軌道相互作用に由来すると思われる初めてのエレクトロマグノン(電場で駆動可能な磁気励起)を常誘電・共線磁気相において観測することができた。

(2) 量子スピン鎖物質

一次元スピン鎖を伴う強誘電らせん磁性体としては、LiCu2O2 が最初の例として知られていたが、この物質において報告されていた強誘電性と磁性の対応関係は、逆D-Mモデルの予測と矛盾しており、その電気磁気結合の起源は明らかにされていなかった。特に、S=1/2を伴う1次元物質では量子ゆらぎの効果が非常に大きいことが予想され、これが観測された矛盾の起源となっている可能性が指摘されていた。我々は、偏極中性子散乱を用いて、

・従来報告されていた磁気構造が誤りであり、らせんスピン面は異なる方向を向いていること

・電場を加えて電気分極ベクトルを反転させることで、らせんスピンのカイラリティ(右巻き・左巻きの自由度)も反転できること

を確認し、古典スピン系で確立されていた電気磁気結合機構である逆D-Mモデルが、強い量子ゆらぎの下でも依然として有効に機能していることを証明した。

(3) ハロゲン化物への展開

以上の結果を踏まえた上で、従来研究が集中していた酸化物から離れ、さらにハロゲン化物への展開をはかった。特に、最も単純な系としてMX2の組成を持つハロゲン化物に焦点を絞って研究を行った結果、

・量子スピン鎖物質:CuCl2

・三角格子物質:MnI2, VCl2, CoI2

といった多くの物質で、らせん磁性と結合した強誘電性が存在することを発見できた。これらは、非カルコゲン化物における強誘電性らせん磁性体として最初の例となる。

これらハロゲン化物における電気磁気応答とその起源については、前述の(1)・(2)で発見された振る舞いと基本的によく対応しており、特に三角格子系で得られた120°磁気秩序による強誘電性、ドメイン構造の活用による電気磁気応答の多様化といったコンセプトは、ここでもほぼそのまま適用することが可能であった。

冒頭で述べたように、本研究で扱った三角格子・一次元鎖は、一般の物質に広く見られる基本的な構成要素であり、今回観測された様々な電気磁気応答は、他の多くの磁性体においてもごく普遍的に観測できる可能性が強く示唆される。今後、より応用に適した物質を設計・探索していく過程で、本研究の結果が現象の統一的な理解に役立つことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

近年、電子スピン間の相互作用が競合する磁性体(いわゆるフラストレーション磁性体)において、らせん磁気秩序をはじめとする複雑な磁気秩序が、しばしば強誘電性を誘起しうることが発見され、大きな関心を集めている。こうした強い電気磁気結合を利用すると、磁場による誘電性の制御、あるいは電場による磁性の制御といった、非自明な外場応答が可能となることから、特にスピンエレクトロニクス分野における新たな基幹材料として、応用の可能性が期待されている。本論文では、磁気的なフラストレーションを実現するための最も基本的な単位構造として、特に三角格子と擬一次元鎖に着目し、それらが示す磁性と誘電性の相関現象と、電子論的機構について研究について述べている。本論文は5章から構成されており、以下にその概要を述べる。

第1章・第2章では、本研究の背景、特に、らせん磁性と強誘電性の結合機構として提案されている逆Dzyaloshinskii-Moriya(D-M)モデルと実験手法について述べている。

第3章では、三角格子反強磁性体を対象とし、その格子上で実現する様々な磁気秩序がどのような電気磁気応答を示すのか詳細に調べている。特に、デラフォッサイト構造を持つ酸化物(CuFeO2, CuCrO2)において、(1)三角格子上で最も普遍的に見られる120°磁気秩序が磁気異方性によらず強誘電性を誘起しうること、(2)三角格子上でプロパースクリュー磁気構造が実現している場合、格子の三回対称性に起因したドメイン構造を利用することで、磁場によって不揮発スイッチ可能な電気分極ベクトルの方向を、最大6通りまで多値化できること 、(3)三角格子上の常誘電・共線磁気相において、スピン軌道相互作用に由来したエレクトロマグノン(振動電場で励起されるマグノン)がテラヘルツ領域に存在することなどを明らかにした。以上の振る舞いは、三角格子を伴う物質に普遍的な性質であると考えられ、実際に(1), (2)については、MX2の組成を持つ三角格子ハロゲン化物(MnI2, VCl2など)においても観測することが成功している。三角格子上では従来提案されていた逆D-Mモデルだけでなく、スピン軌道相互作用を通じた金属・配位子イオン間の軌道混成の変調が強誘電性の起源となりうる可能性が理論的に指摘されているが、今回観測された電気磁気相関現象の多くは、基本的に後者に由来するものであると考えられる。

第4章では、S=1/2のスピンを伴う擬一次元らせん磁性体の電気磁気応答について調べた。らせん磁気秩序を伴う1次元鎖は、逆D-Mモデルによる強誘電性発現の予測を検証するための、理想的な系であると考えられる。しかし、最初に発見された擬1次元強誘電らせん磁性体であるLiCu2O2においては、報告された磁気構造と電気分極方向の対応関係が逆D-Mモデルの予測と矛盾しており、その電気磁気結合の起源が大きな問題となっていた。特に、S=1/2を伴う1次元物質では量子ゆらぎの効果が非常に大きいことが予想され、これが観測された矛盾の起源となっている可能性が指摘されていた。本論文研究では偏極中性子散乱を用いて、(1)従来報告されていた磁気構造は改訂を要し、らせんスピン面は異なる方向を向いていること、(2)電場を加えて電気分極ベクトルを反転させることで、らせんスピンのカイラリティ(右巻き・左巻きの自由度)も反転できること、を確認し、古典スピン系で確立されていた電気磁気結合機構である逆D-Mモデルが、強い量子ゆらぎの下でも依然として有効に機能していることを証明した。また、新たにCuCl2がS=1/2を伴う擬1次元強誘電らせん磁性体であることを発見し、その磁場下での誘電応答が逆D-Mモデルの予測と完全に一致することも確認した。

第5章では、本研究によって得られた成果についての総括を行っている。

以上をまとめると、本論文では、磁気的なフラストレーションを実現するための最も基本的な単位構造として、特に三角格子と擬一次元鎖に着目し、それらが示す磁性と誘電性の相関現象の観測と、電子論的機構の解明を行った。本研究の結果は、フラストレーション磁性体における多彩な電気磁気効果(磁場による分極ベクトルの多値間不揮発スイッチ、電場によるスピンの高速制御など)が、従来考えられていたよりも広く普遍的に観測できる可能性を強く示唆しており、今後こうした現象をメモリデバイス・光学素子などに応用していく上でも、非常に重要な知見が得られたといえる。今回得られた成果は、物性科学・物理工学の発展に大きく寄与すると期待され、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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